作戦開始
ヤタガラス討伐作戦の決行は、作戦実行を通達するチラシが配られた一ヶ月後となった。
その一ヶ月のうちの前半二週間で、百合子達の生活がどう変わったかといえば……実のところ大きな変化はない。元々『優秀な人間』としてスカウトされた訳で、むしろその生活スタイルを崩さないよう念を押されたぐらいだ。強いて普段と違うところを挙げるなら、作戦参加に関する『免責事項』等が書かれた書類にサインした事だけ。その免責事項も「命の保証はしないよ」程度のものだ。
遺族年金も出るというので、万が一の時にも時には親が食べていくだけのお金は得られる。尤も当の家族からは辞退してほしいと懇願もされたが……時代が時代である事、百合子がもう大人である事から、どうにか認めてもらえた。最後に、ぎゅっと抱き締めるという条件付きで。
そうして前半二週間は普通に過ごした。変化が起きたのは後半の二週間から。
そこからは作戦の内容について、本格的に教わる事となった。といっても自分の役割と作戦地点の地形について学ぶぐらいだが。茜のように実際に戦う者はそれなりの訓練や作戦の学習もしていたようだが、百合子は運搬係。作戦時に使用する車の乗り心地を確かめる程度だ。
かくして一月という時間は瞬く間に流れ――――ついに作戦当日の十四時。
「……壮観だなぁ」
車の中にて、百合子はぽつりと呟く。
百合子がいるのは、地元の町から百十数キロほど離れたとある山奥。生えているのはスギやヒノキなど木材として使われる木々ではなく、ブナ科の植物ばかり。木々の枝はうねるようにあちこちに伸びていて、正に自然の産物といった様相だ。尤も原生林などではなく、何十年か前まで人が手入れをしていた里山らしいが。
生息している怪獣は精々テッソか小柄なレッドフェイスぐらいで、平穏で穏やかな地。されどこの山こそが、ヤタガラスの根城だという。長期間滞在している事はないが、夕方になると高確率で戻ってきて、ここで眠りに就くらしい。怪獣がいないのはヤタガラスを恐れての事か、はたまたヤタガラスが食い尽くしたのか。
いずれにせよ、これからヤタガラスに攻撃しようとしている人間達にとっては、横やりが入らないのは好都合だ。
「この戦いは我々が住まう日本を守るというだけではない! 人類と怪獣の戦いにおける、大いなる一歩となる!」
車内にいる百合子にも聞こえるぐらい大きな声で、マイク越しに叫ぶ五十代ほどの男性がいる。迷彩服を着ている身体は肩幅が広く、そして強面。如何にも軍人らしい男だ。
彼が今回の作戦を指揮する人物だ。階級は陸将……陸上自衛隊のトップ。百合子はあくまでも『民間協力者』なので彼の部下や配下という訳ではないのだが、此度の作戦に参加する以上、彼の命令は全てにおいて優先される。軍隊の指揮系統の基本的に上位下達なのだ。
そんな陸将の彼の正面には、何千という人々が並んでいた。誰もが迷彩服姿で、背中に銃を背負い、真っ直ぐ陸将を見つめている。
彼等こそがこの戦いの主役である歩兵達。人数は三千五百人。生粋の自衛隊員は半分ほどで、残りの半分は優秀な猟師などからスカウトしてきたらしい。
この歩兵達の中の一人に、茜の姿がある、筈だ。
「(せめて作戦前に、話ぐらいしたかったですけど……)」
人数があまりに多く、百合子には人混みの中から茜の姿を見付けられない。
仮に見付けたところで、陸将の話が終わるのと共に作戦が始まるのだから、大した意味もないのだが。
「総員! 作戦を開始せよ!」
陸将の掛け声と共に、茜がいるであろう三千人以上の歩兵が動き出した。
歩兵達の後を追うように、後ろから戦車がぞろぞろと向かう。何十、或いは何百もの数だ。履帯が木の根を踏み潰す音があちこちから鳴り響き、さまがら大合唱のようである。
四年前まで、日本の鉄需要は輸入によって賄われていた。怪獣の出現、そしてヤタガラスによる空路の封鎖により、今や鉄は希少品。その希少な鉄をふんだんに使った戦車をこれでもかというほど投入している。これが失われたなら、いよいよ小さな怪獣相手にすら対処出来なくなるだろう。此度の作戦に対する自衛隊の本気が窺い知れた。
そしてその戦車の後ろを走るものは――――
「(なんでしょうか、アレ)」
例えるなら、巨大な剣を担いだ車、だろうか?
『剣』らしき金属の塊の長さは二十メートルほど。車体の倍近い長さがあり、転倒しないようにするためか車体は戦車のように横幅が広い。車輪もキャタピラを採用しており、安定性を重視しているのが窺い知れた。
あれが件の新兵器だろうか。奇妙な出で立ちは「何かしてくれそう」という期待感は持てる……が、何をしてくれるかはさっぱり分からない。剣はあっても砲台は見られず、どんな攻撃をするのか見当も付かなかった。
まさか本当に剣よろしく斬る訳じゃあるまいしと百合子は思うが、考えても考えても答えは出ず。そうこうしているうちに新兵器は戦車に続いて進んでいく。
やがて戦車も歩兵も新兵器も森の奥へと消えていき……百合子達の乗るトラックが残される。
残されているのは百合子だけではない。トラックは他にも何百台と存在していて、そのうちの半分以上がこの場に残っていた。
百合子達の任務は、戦いが始まってからしばらく経ってからが本番だ。戦いが始まれば銃弾や砲弾が次々と消費されていく。だからといって傍に物資を山積みにしていると、攻撃などが直撃して吹き飛んだ時、一瞬で攻撃手段を失う事となる。現場には少量の物資を持ち込み、状況に応じて適時運んでいくのが最適だろう。
百合子の役割は、物資を必要とする場所に荷台に積んだ物資を届ける事。
その時が訪れるまで、百合子はじっと待つのであった。
……………
………
…
茜達が出発して、どれだけの時間が経ったのだろうか。
車内に搭載されている時計に百合子は目を向ける。時刻は十八時を回っていた。夏なのでまだ辺りはほんのり明るいが、それでももう何十分も経てば完全な夜が訪れるだろう。攻撃開始が十七時からの予定なので、かれこれ一時間は過ぎている事になる。そして遠くの方からは爆音が幾つも聞こえてきているので、攻撃は既に始まり、激戦が繰り広げられている筈だ。
しかし百合子は未だヤタガラスを見ていない。何しろ百合子の役割は通信が入り次第、作戦エリアまで物資を運ぶというもの。今はまだ連絡がないため、『安全』だというエリアにて待機中だ。安全圏から危険な怪獣の姿が見える訳がなかった。
とはいえ周りで同じく待機していたトラックは、続々と出発している。いずれ百合子の下にも連絡が届くだろう。勿論その前にヤタガラスが倒されたなら百合子の出番はなくなるのだが、史上最強の怪獣がそんな簡単に倒されてくれる筈もなく。
「(……怖いなぁ)」
胸のうちで、気持ちをぽろりと零す。
言うまでもなく、怖いのは連絡があり次第向かうという行為そのもの。最前線、というほど近くではないらしいが……怪獣ヤタガラスの機動力を思えば、最前線も最後尾も大して変わらないだろう。ヤタガラスに近付くのは、やはり怖い。
そして茜の安否。
大切な親友は今、前線で戦っている筈だ。戦闘時の作戦がどんなものかは、運搬係に過ぎない百合子には教えてもらえなかった。だがヤタガラスと直にやり合うのだ。相当危険な目に遭っているに違いない。いや、或いはもう……
危険な場所に出向く親友の傍にいたい。
その気持ちは本心からのものだが、しかし気持ちだけで寄り添えるほど現実は優しくない。結局は立場に応じて居場所が割り振られ、都合良く傍にはいられないのが大人というもの。
自分の無力さへの嫌悪で、百合子はトラックのハンドルに顔を突っ伏した。
瞬間、車内に置かれた通信が大きな音を鳴らす。
「ひゃあっ!? え、あ、通信……」
それが自分宛てに掛かってきた通信だと理解して、百合子の中からセンチメンタルな気持ちは消えた。ここからは大人の時間。それに最前線で戦う茜を助けるという意味でも、補給物資はちゃんと届けなければならない。
鳴り響く通信機を前に、一回深呼吸。意を決して通信機のボタンを押した。
「は、はい。こちら山根百合子」
【山根車、ポイントBに移動。物資を引き渡せ】
「りょ、了解」
百合子が通信に出ると、淡々とした声で指示がある。
指示を理解した旨を伝えた百合子は、車内に積んである地図を一度開く。ポイントBはここから西に進んだ方の山のてっぺん。多少伐採して道を作ってはいるが、まだまだ木が生い茂る場所であり、慎重な運転を求められる。百合子の技術でも油断をすれば崖から落ちかねない。
未だ恐怖心は心の奥底で燻っているが、大人の精神力でそれを抑え付けて、百合子はトラックを走らせた。
森の中をトラックで進むほどに、爆音が大きく聞こえてくる。戦っている場所に物資を届けているのだから当然なのだが、その当たり前の事実が百合子の胸をきゅっと締め付けた。なんとなく落ち着かず、運転が覚束なくなりそうで怖い。
やがて木々の少ない道に出た。所謂崖っぷちであり、危険な道だったが……開けている方から爆音が聞こえてきて、ふと、百合子はそちらに視線が向く。
百合子は反射的にトラックを止めた。このままでは脇見運転をしてしまうと、本能的に察したがために。
――――そこには、見慣れた怪獣の姿があった。
思い返せば自分がその怪獣を直に見たのは、これでかれこれ四度目になる。最後に見てから四年の月日が流れたが……百合子の記憶にあるものと何から何まで変わらない。
体長六十メートル程度の、怪獣としては決して大柄ではない、けれどもどんな敵をも寄せ付けない無敵のボディ。
黒く、けれども虹色の光沢を放つ羽毛に覆われ、その巨体を軽々と空まで運んでしまう二枚の翼。
隙間なく鱗が生えていて、恐竜を彷彿とさせるほど、太く頑強な足。
【グガアアゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!】
そして地平線の彼方まで轟く大咆哮。
大怪獣ヤタガラス――――百合子が目を向けた先には、最強の怪獣が君臨していた。
全てが記憶にあるのと同じ姿だった。されどその身に纏う威圧感が、四年前とは比較にならない強さと恐ろしさだと感じるのは何故か? 少し理由を考えれば、答えはすぐに導き出せた。
足下に転がる、幾つもの金属の塊。
一見して正体不明のそれは、戦車の残骸だった。徹底的に踏み潰され、破壊し尽くされている。中の人間がどうなったかは……考えるまでもない。
流石に全ての戦車が破壊された訳ではないようで、未だ砲撃を続けている戦車もあった。砲撃はどれも正確でヤタガラスの顔面や翼に命中している。更には山の中腹からの砲撃……恐らく迫撃砲だと思われるものもどんどん放たれ、ヤタガラスに当たる。自衛隊の猛攻は極めて正確で、一発も外れていない。が、ヤタガラスは気にも留めていない様子。痛がる素振りすら見せていなかった。
確かに六十メートルを超える怪獣には、通常兵器の効きが悪いものだ。しかし顔面、特に目玉に当たっているのに痛がりも痒がりもしないのはどうしてなのか。真の怪獣というのは、目玉までも頑丈なものなのか。
そんな疑問を見ている百合子が抱いてしまうぐらい、ヤタガラスに戦車砲は通じていない。しかしながら鬱陶しいとは感じたようで、ヤタガラスはくるりと頭の向きを変えた。
【グガアァッ!】
その怒りを露わにするかのように、ヤタガラスは鳴き声一つ。更に翼を大きく広げた。
それと共に嘴の先が光り輝き、一閃の光が放たれる。
忘れる筈がない。かつてレッドフェイス達を一撃で葬った、生物が使える訳がない力……レーザー光線だ。
人類ですら開発出来ていない大出力のレーザーは地面に当たると、巨大な爆炎を起こす。強大な衝撃波と閃光が撒き散らされ、それと共に金属の欠片も高く舞い上がる。この現象がどのような原理によるものか百合子には分からないが、その破壊力の強さは見ただけで察せられた。
そんなレーザーを、ヤタガラスはあちこちに撃ち込んでいく。薙ぎ払うように撃つ時もあれば、マシンガンのように連射する事もあった。自由に撃ち方を変え、自衛隊の戦車を、迫撃砲を跡形もなく破壊する。爆発時に周りの木々に引火したのか、幾つもの場所から火の手が上がった。もう殆ど日が沈んで暗くなり始めた頃だが、周りで燃え盛る炎がヤタガラスの身体を煌々と照らす。
四年前、そのレーザーを見た時に百合子はそれがヤタガラスの『必殺技』、或いは奥の手なのだと思っていた。何しろ生物体ではどう考えても不可能で、人類の科学でも成し遂げられない攻撃なのだから。なんの苦労もなく放てたら、それこそ出鱈目である。
されどヤタガラスにとってレーザー攻撃は、どうやら通常攻撃の一つでしかないらしい。まるで息をするかの如く閃光を放ち、何もかも焼き尽くしていく。ヤタガラスは戦車砲を受けても身動ぎ一つもしない。即ち人間が繰り出した兵器など虫けら程度にしか思っていない筈なのに、その虫けらを潰すのにインチキ技を使っている。
何もかもが規格外。人間の手に負えるような存在ではない。
自衛隊は、何をトチ狂ってこんな『怪獣』に勝てると思ったのか――――
「(……ん? 何か、奥にあるような?)」
考えながら眺めていると、ふと、ヤタガラスの背後にある残骸が目に付く。
金属の残骸であるのは確かなのだが、どうにも戦車のようには見えない。潰されているので正確な大きさや形は分からないが、戦車よりもずっと巨大なようで、何やら『剣』のような印象を受ける。
恐らくあれは、先程少しだけ見た新兵器の残骸だ。
自衛隊もトチ狂って突撃した訳ではない。新兵器がヤタガラスを打ち倒せると踏んで挑んだのだろう……が、結局粉々に破壊されている以上、見積もりが甘かったと言うしかない。そして新兵器もヤタガラスには傷一つ付けられなかった以上、最早戦闘を続行する事になんの意味があるというのか。
百合子がそんな疑問を抱いた時、トラックに置かれた通信機が鳴り出す。仕事をサボってヤタガラスをぼうっと眺めていたと今思い出した百合子は、慌てて通信機のスイッチを押した。
【作戦中止! 中止だ! 早く逃げ】
するとこちらが名乗るよりも前に、狼狽した叫びが通信機より返ってきた。しかもその叫びは ― ヤタガラスが何処かに向けてレーザーを撃ち込んだ瞬間に ― 途中で途切れ、後はノイズが鳴るだけ。
作戦前の『練習』では、まずは受け手が名乗るようにと教わった。こんな、いきなり作戦中止を叫ぶようなパターンは教わっていない。突然の『アドリブ』に百合子は困惑から身を強張らせる。
されどすぐに、恐怖が身体を支配した。
作戦中止。早く逃げろ。
その二つの言葉が意味する事は明白であるし、『新兵器』らしき残骸を見た時にも感じた事。これ以上の作戦続行は無意味。被害を減らすためにも撤退しろという訳だ。
そうと決まれば逃げるしかない。幸いにして百合子はトラックに乗っている。徒歩で逃げるのに比べれば、こっちの方が遥かに有利――――
【グガァ】
その考えが吹き飛ぶほどの悪寒が、今し方聞こえてきた鳴き声と共に百合子の全身を駆け巡る。
無意識に百合子は声がした方へと振り向く。するとどうした事か、ヤタガラスがこちらを見ているではないか。それも、かなり怒っている様子で。
自分は何もしていない、と百合子としては弁解したい。が、ヤタガラスからすれば
不味い。
そう思った百合子はトラックのアクセルを踏み締める。しかし翼を広げたヤタガラスから逃げ切れるとは、どう考えてもあり得ない話であり――――
ヤタガラスの背後から現れた人型の存在がいなければ、百合子の命運はここで尽きていたであろう。
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