戦いへの誘い
「近々、自衛隊がヤタガラス討伐作戦をするらしいね」
食肉工場の食堂で食事中、チラシをひらひらと扇ぐように揺らしながら茜がそう打ち明けてきた。
食堂の席に座り、野菜炒め(白菜とテッソ肉が主な食材だ)を食べていた百合子は、口の中身を噛むのを止めてキョトンとしてしまう。一瞬、何を言われたのかよく分からなくて。
次いで、その話が一週間ほど前から真綾から聞いた話だと分かって、やはり驚きは生じなかった。無反応に近い状態が何秒か続いたところで、茜が眉を顰めながら尋ねてくる。
「……なんか、随分淡白な反応ね。もしかして知ってた?」
「へ? あ、いえ、その……なんか驚いてしまいまして。なんで今更そんな作戦をするのかなーっと」
「まぁ、今更といえば今更だよね。アイツは人間なんて全然興味ないだろうし。一応自衛隊が配布したチラシには作戦の目的が書いてあるけど」
情報源である真綾の行いは極秘情報の漏洩。いくら親友相手とはいえ知られてはならないと百合子が咄嗟に誤魔化せば、茜はそれで納得してくれたらしい。百合子は「ふーん」と相槌を打ちながら、茜が渡してきたチラシを受け取る。そしてそのチラシを読みながら一度ヤタガラスそのものについても思い返す。
――――ヤタガラス。
世界に出現した怪獣は何百種にもなるが、ヤタガラスはあらゆる意味で別格の存在だ。どんな怪獣にも負けない圧倒的な身体能力を持ち、この四年間で無数の怪獣を殺してきた。自分より遥かに巨大な怪獣も、何十という数の群れを作る怪獣も、本気すら出さずに蹴散らしていく。今やその『悪名』は人間だけでなく怪獣にも知れ渡っているらしく、もうヤタガラスを襲おうとする怪獣はいない。ヤタガラスを前にした怪獣は無様に逃げ、それすら叶わず殺されるのみ。
そして人類にとっては、核攻撃から生存した唯一の生命体である。
四年前にアメリカが行った核攻撃。一度は撃破したと思われたが、ヤタガラスは海中から悠然と復活してみせた。最初は別個体が現れたと思われ再度核攻撃が行われたが、二度目以降は海に落ちる事すらなし。出力を上げてもヤタガラスは止まらず、ついに攻撃者であるアメリカに上陸し、米国の主要都市と米軍に致命的打撃を与えた。
どんな怪獣も屠ってきた米軍を跪かせた、唯一無二にして最強無敵の怪獣――――それがヤタガラスである。
「(そのヤタガラスを倒したい理由、ですか)」
現在もヤタガラスは日本に暮らしている。詳細な生息域は公表されていないが、日本の何処かなのは間違いない。今も、日本の空を自由に飛んでいるのだろう。
とはいえヤタガラスは怪獣を獲物にしていて、人間には殆ど興味を持たない怪獣だ。食事や移動の邪魔さえしなければ、特に怒りを買うという事もない。巻き添えなどを除けば比較的無害な怪獣なのだ。いないに越した事はないが、ちょっかいを出すにはあまりに強過ぎる。
そんなヤタガラスを何故わざわざ倒さねばならないのか? その理由は、ヤタガラスが日本という国を急速な滅びに向かわせている元凶だからだ。
怪獣が現れたのは陸地だけではない。海にも魚型怪獣が出現し、海の交易路を破壊していた。海軍による征伐も間に合わず海路は殆どが封鎖。物資の移送に世界中で支障が出た。
陸は駄目、海も駄目。しかし人類にはまだ、空が残されている。
空だけは、怪獣の手から逃れていた。空飛ぶ怪獣は殆どいなかったからだ。勿論四年前にレッドフェイスが木を投げて爆撃機を落としたように、絶対的な安全はないが……それでも陸路や海路に比べれば遥かに安全な道のり。コストが高いとか一度に運べる量が少ないなど問題は山積みだが、物資を運ぶ道があるのは確か。物が手に入らないという事態だけは避けていた。また軍事的な面で見ても、比較的安全かつ高威力の攻撃が行える空軍が安全に使えるのは怪獣駆除を進める上で見逃せない。そのため日本以外の国の怪獣被害は、決して小さくはないし段々と追い詰められてはいるものの、まだマシな状況だ。
しかしヤタガラスがいる日本は違う。
日本だけは、空を怪獣に奪われていた。しかもヤタガラスは自衛隊の攻撃を覚えているのか、或いは単純に自分以外の輩が空を飛んでいるのが気に入らないのか、飛行機を積極的に落とそうとする性質がある。戦闘機だろうが旅客機だろうがお構いなし。そのため日本では空路が使えなくなっていた。
これが致命的だった。日本は資源が乏しい。正確にいえばむしろ大抵の資源は採れるのだが、近代化と共に採りやすいところは粗方掘り尽くした状況になっている。残っているのは採算が取れない、質が悪い、技術的難易度が高過ぎるなどの問題がある資源ばかり。採算は度外視するにしても、質の悪さと技術的問題は如何ともし難い。そのため怪獣との戦いを続けるには資源の輸入が必要なのだが、空はヤタガラスに支配されていて使えない。海も怪獣だらけで進めない。陸路はそもそも大陸につながっていない。
あらゆる補給線が寸断された状態なのだ。物資がなければ武器は作れない。物資がなければ工学機器も作れない。技術が衰退すれば機器のメンテナンスすら出来なくなり、武器の質も落ち、食糧も取れなくなって、人が減って、技術が失われ……日本は終わりなき負のスパイラルに入っていた。更に空軍という軍事的オプションが、ヤタガラスが生息する周辺では使えない。怪獣退治も滞り、被害は拡大するばかり。このままでは日本という国は遠からず消滅する。
ヤタガラスは特別な怪獣だが、しかし全ての元凶という訳でもあるまい。ヤタガラスを倒しても、怪獣の出現は止まらないだろう。だが空路が開かれれば、他国との交易が出来る。法外な値段を付けられようとも、ちゃんとした物資が届く。それは文明を再建する一歩となる筈だ。
故に、ヤタガラスは倒さねばならない。
「つー話らしいよ。まぁ、前々から言われていた事だけどね」
チラシに書かれている文面を読み上げた茜は、最後にそう話を纏めた。
百合子は、しばし口を閉ざす。
チラシに書かれていた内容を疑っているのではない。日本の状況が危機的なものなは真綾も話していた事であるし、前々からテレビやらニュースやら噂話やらで言われていた事だ。『ヤタガラスを倒す』目的自体に裏はないだろう。
百合子が疑問に思ったのは、どうして今なのか、という点だ。
「……尚更訳が分かりません。四年前ですら倒せなかったのに、今回はどうやって倒すつもりなのですかね? 武器も何もろくなものがないのに」
「さぁ? なんの策もないとは思わないけど、チラシには特に書いてないね。機密事項ってやつなんじゃない?」
疑問を呈する百合子に、茜は雑な答えを返す。実際、茜は何も知らないだろう。怪獣と毎日戦っている彼女だが、その職種はあくまでも猟師。自衛隊の内部事情に詳しい訳ではない。
反面、百合子は真綾から少しだけ『作戦』について聞いていた。なんでも対ヤタガラス用の新兵器を開発したとかなんだとか。とはいえ真綾が知っているのもこの程度で、しかもその新兵器がどれほど凄いものなのかも不明。そもそも核兵器が効かないヤタガラスに対し、どんな兵器なら通じるというのか。
正直なところ自衛隊にどの程度勝つ気があるのかも分からない。いや、もしかしたら勝つ気なんてなくて、『口減らし』が目的ではないか……そんな陰謀論めいた考えまで過ぎった。普通に考えれば、働き手が足りない現状で口減らしをする余裕などないのに。
仮に勝てたとしても、ヤタガラスの強さを思えば犠牲者数は相当出るだろう。勝つにしても負けるにしても、作戦に参加すればそれだけで命が危険に晒される。
だけど。
「……それでも、茜さんは作戦に参加したいのですか?」
「うん。この時のために頑張っていたんだから」
百合子が尋ねれば、茜は迷いなく答えた。
思っていた通りの答え。百合子はちょっと荒い鼻息を吐き、僅かながら乱れた鼓動を鎮めようとする。
親友が危険に飛び込もうとしている。百合子としては勿論引き止めたいところだ。しかし茜は、家族の復讐に燃える彼女は、例え親友の言葉であろうとも止まらないだろう。
「ま、チラシにあるのはあくまでこういう作戦をしますってだけで、募集要項やらなんやらはないんだけどね。今のところ私には関係ない話だなー惜しいなぁー」
ケラケラと茜は笑っているが、内心は憎悪で煮えたぎっている。きっと、募集の二文字を見付けていたら、こうして話をする前に決めていたに違いない。
ならば、その自衛隊から声を掛けられたなら?
「北条茜さんでよろしいですか」
食事と会話をしていた百合子達の隣に、何時の間にかやってきた者がいた。
気配を感じなかった、等と言えるほど百合子は気配に敏感な訳ではないが、しかし実際何も感じなかった状態での声掛け。驚くように振り返ると、そこには一人の若い男性が立っていた。
男性は迷彩服を着た身。その身体は鍛え上げられた屈強なもので、一朝一夕で作れるものではない。端正な顔立ちをしているが、よく見れば頬や目許に傷があり、数々の修羅場を潜り抜けてきた事が覗い知れる。
正規の自衛隊員だ。茜は、何故自衛隊員が自分に声を掛けてきたのか分からず、こてんと首を傾げる。
対して百合子は、真綾から話を聞かされていた。自衛隊員が即戦力を求めている事を。自衛隊そのものがかなり危機的な人手不足である事も。
だから、彼等が掛けてくる言葉は分かる。
「は、はい。そうですけど……」
「はじめまして。私は自衛隊第十七旅団所属の藤堂と申します。単刀直入に要件を伝えます。現在、我々自衛隊はヤタガラス討伐を進めています。ですが現状自衛隊員の数が足りず、作戦を確実に遂行するのが難しいのが実情です。そこで現在臨時の隊員のスカウトをしているのですが、あなたが非常に優秀な猟師であると聞きまして」
「わ、私がヤタガラス退治に参加出来るのですか!? やります! やらせてください!」
自衛隊員こと藤堂の説明もまだ途中だと言うのに、真綾は食い気味に答える。説明していた藤堂は一瞬困惑した表情を浮かべたが、やがて彼女の必死さから何かを察したのだろう。
「……分かりました。後ほど書類等をお送りしますので、免責事項等をよく読んでから、サインをお願いします」
「そのサインをすれば良いんですね。分かりました!」
誘う側としてはあまりにも丁寧な藤堂の言葉も、茜は聞き流すように答えるだけ。
百合子は、それを眺める事しか出来ない。
止めたと声を掛けたところで茜は止まらない。
百合子は何時だって眺める側だ。命を掛けようとする親友を止める事が出来るほど、ドラマチックな立場ではなかった。せめて共に行ければ助けも出来るが、いくら人手不足とはいえ、怪獣相手に逃げる事しか凡人を招くほど自衛隊も節操なしではあるまい。
無力な自分が悔しくて、百合子はきゅっと唇を噛む。
「あ、えと、あなたは山根百合子さんでよろしいでしょうか?」
そんな物思いに割り込むように、藤堂は今度は百合子に話し掛けてきた。
まさか自分に声を掛けてくるとは思わず、百合子は唇を噛んだ、少しばかり変質的な面構えでキョトンとしてしまう。更に百合子は首も傾げ、目をパチパチと瞬かせながら藤堂を見るばかり。
「あなたについても、臨時隊員として協力をお願いしたいです」
ましてや茜と同じくスカウトされるなんて、万が一としても考えておらず。
驚きのあまり、百合子は危うく椅子から転げ落ちそうになってしまった。なんだか全身がギクシャクして動き辛い中、なんとか百合子は口を開けて疑問を伝える。
「えぁ? え、私ですか!? え、なんで!?」
「あなたの運転技術は非常に高く評価されています。ヤタガラス討伐作戦では大量の物資及び人員の運搬が必要であり、また一般怪獣の襲撃や悪路を走る事から、優れた運転技術の持ち主も必要です。あなたには、戦略物資の運搬をお願いしたい」
頼めますか? 視線でそう語る藤堂に、百合子は思わず声を詰まらせる。身を仰け反らせ、椅子に座ったまま後退りした。
本音を言えば、断りたい。
そして断る事は可能だ。どれだけ追い込まれていようとも、日本は未だ民主主義の国であり、法治国家であり、自衛隊は志願制。どれだけ切羽詰まっていようが、百合子を無理やり作戦に参加させる事は出来ない。
怪獣と立ち向かうのは怖い。確かに怪獣の肉を運ぶ仕事をしている身だが、戦っているのは何時も茜であるし、それにテッソやコックマーは怪獣というより猛獣の類。銃を持てば勝てる相手だし、いざとなったらトラックで轢き殺す事も可能だ。
ヤタガラスは違う。正真正銘の怪獣だ。銃も戦車も核兵器も通じない、超越的生命体。そんなものを相手に戦うなんて、命の保証などないも同然だ。どうせ送られてくる書類にも、命の保証はうんたらかんたらと書いてあるに決まってる。
死ぬのは怖い。惨めだろうが国が滅ぼうが、死ぬよりはマシだと百合子は思う。
だが。
――――親友を一人で行かせるなんて、出来ない。
「……分かり、ました。前向きに、検討します」
「ありがとうございます。後日、書類を送らせていただきますので、免責事項等をよく読んでください」
百合子の返答を聞き、藤堂は深々とお辞儀を一つ。感謝を伝えながら立ち去っていく。
姿が見えなくなったところで、百合子は小さくため息を吐く。
「……なんか、ごめんね」
そうしていたところ、茜から謝罪の言葉が来る。
謝られるとは微塵も思っていなかった百合子は、呆けたように動きが止まる。ややあってどうにか動き出したが、やはり謝られる理由が分からず、首を傾げてしまう。
「えっと、なんで謝るのですか?」
「だって百合子ちゃん、きっと私が参加するからOK出したんじゃないかって……」
「あ、そこは気付くのですね」
「気付くよ! 私だって、一応大人なんだからそれぐらい分かるよ!」
ぷんぷんという擬音が聞こえてきそうな怒り方。それがなんとも可愛らしくて、百合子は思わず笑みが溢れる。
こんな彼女を一人にしたくない。
人が命を賭ける理由なんて、結局のところこんなものに過ぎず。
「良いんですよ。参加したいから参加する……茜さんと同じです。それだけじゃ、理由として足りませんか?」
にっこりと笑いながら、百合子は茜と共にヤタガラスに挑む事を決心するのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます