怪獣学講演

 怪獣。

 出現初期は正体不明の存在だったその生物について、四年間で様々な事が分かってきた。例えばテッソは多種多様な有毒物質に強い耐性があるため化学攻撃は効果的でない、コックマーの関節はどれだけ巨大化しても強度に変化はない、バケネコは鼻の強度が脆くて六十メートル級個体でもRPGで打撃を与えられる……一般人や自衛隊に重視されているのは「どうやれば怪獣を倒せるか」という知識であるが、そうした知識を得るための生態に関する『基礎研究』も念入りに行われていた。

 その基礎研究として判明したものの一つに、怪獣の『起源』もある。

 怪獣の正体は、元々はなのだ。テッソの正体はドブネズミが巨大化したものであるし、コックマーはクロゴキブリが突如として大型化したもの。レッドフェイスが元々ニホンザルだった事や、ガマスルがウシガエルから生まれた事も分かっている。そしてこの発見の根拠は、怪獣の亡骸から採取した遺伝子。どの怪獣も、既存の生物と殆ど遺伝情報が一致しているのだ。

 それは人型怪獣ユミルにも当て嵌まる。彼の体毛を一本採取して、遺伝子解析を行えば、彼の正体を探るのは難しくない。


「結果から言えば、ユミルは間違いなく人間よ。年齢は十五歳。まだまだ育ち盛りの子供ね」


 その検査をした本人――――真綾は力強い口調で、目の前の椅子に座る百合子に対してそう断言した。

 今、百合子がいるのは真綾の『自宅』だ。自宅といっても一軒家ではなく、自衛隊所属のとある施設にある一室だが。

 広さは奥行き五メートル、幅三メートルほどの小さなもの。その小さな部屋の中には無数の本、それも専門的で分厚い書物が積み上がり、一層狭苦しいものとなっている。来客である百合子も椅子に座るだけで、テーブルも何もない。出されたお茶菓子は膝に乗せ、コーヒーカップはソーサーと共に手に持っている状態だ。

 ちょっとは部屋を片付けなよ、とも思う百合子だが、されど真綾の立場を思えばそれも仕方ないかも知れない。百合子や茜も仕事が忙しい身であるが、真綾はもっと大変だと思われるからだ。

 何しろ彼女は今、怪獣研究の第一線で働いている身。学問に対する貪欲さ、そして能力の高さが評価された結果だ。今の真綾は正にこの国の、人類の命運を左右する仕事に就いている。仕事をしながら、という条件を付けなければ、こうして話をする暇もないだろう。


「そうですよねー。真綾さんがやった仕事だから信じてますけど、やっぱりユミルさんは人間ですよね」


「何よ今更そんな質問してきて。わざわざ私の仕事場に来るぐらいだし、なんかあったの?」


「なんかと言いますか、うちのお偉いさんから指示があったのですよ。ユミルさんをちゃんと監視しろって。そういう情報、知った上で言ってんのかなぁと。ぶっちゃけ愚痴を言いにきました、今日は休みですし」


「アンタ時々物凄く図々しいわよね。まぁ、そのお陰で今も親交があるわけだけど……勿論自衛隊上層部は知ってるわよ、もう何年も前から。というか知ってるからこそ言うんでしょ。人間なんて地球で一番信用出来ない生き物じゃない」


 自衛隊上層部に同意するようで、恐らくおちょくっている真綾の言葉。それを聞けた百合子は、ほんの少し溜飲が下がり、自分が持つコーヒーカップの中身に口を付ける。

 芳醇な香りのコーヒーだ……豆ではなく、タンポポの根で作った代用品だが。それでもコーヒーのような嗜好品が飲めるのは、今の時代ではかなり裕福な身だけであろう。少なくとも一介のトラック運転手に過ぎない百合子に買えるような代物ではない。

 高校時代の友人の中で、一番の出世頭である真綾だからこそ用意出来るものだ。


「はあぁぁぁ……コーヒー美味しいぃぃ」


「今じゃこれもすっかり貴重品よねぇ。必要は発明の母とは言うけど、ここまで美味しいタンポポコーヒーが飲める日が来るとは思わなかったわ……で? ユミルの話はそれで終わり?」


「あ、そうですそうです。本題はここからです」


 真綾から問われて、百合子は一旦カップをソーサーの上に置く。じんわりとコーヒーの温かさを感じながら、『本題』を切り出した。


「いえ、最近ちょっと疑問に思ったのですけど、なんで怪獣ってあんなに大きくなるのですか? 遺伝子的には怪獣になる前の生き物と同じなんですよね? 遺伝子が同じなら、元の種類と何十倍も大きさが異なるなんてあり得ないと思うのですが」


「……成程。確かにそうね。身体の大きさは遺伝的要因が大きいと言われているし、餌や気温などの環境面の影響を考慮しても二倍程度が限度。ヤマメとサクラマスの関係みたいに、生育環境の違いで身体の大きさが大きく異なる種もいるけど、それらは元々そういう体質だからこその話。普通なら、百合子の言う通りよ」


 百合子の疑問に対し、肯定しながら、より専門的な答えを真綾は返す。つまり百合子の疑問自体は間違っていないという事だ。

 その上で、真綾は答える。


「その疑問の答えは最近まで謎だった訳だけど、最近になって一つの答え、らしきものが見付かったわ」


「答え、ですか?」


「実は怪獣の遺伝子には、共通する変異があるのよ。個体差レベルの違いでしかなかったのからこれまでは無視されていたけど、昨今の研究で意味のある差だと立証されたの」


「えっと、つまり突然変異が起きている、という事でしょうか? あれ、でも突然変異って……」


「お察しの通り。いくら突然変異だからって、体長数十センチの生物が二十メートルになるなんてあまりにもおかしいわ」


 突然変異というのはフィクションの世界で色々便利に使われているが、実際にはそこまで劇的なものではない。突然変異はあくまでもだけなのだ。そして身体の大きさというのは、一つの形質で決まるものではない。大きな身体を支えられる太い骨、それを動かすための筋肉、エネルギーを生み出す消化器官……ちょっと大きくなるだけなら無理も利くが、何倍何十倍もの身体となれば様々な形質の獲得が必要だ。

 これで出現した怪獣が一体だけなら、数億年に一度の奇跡といっても良いのかも知れない。たが、たった一年の間に何百体も出現するのは明らかに異常である。確率はゼロではないかも知れないが、限りなくゼロに等しいのは確か。ならば、理由があると考えるのが自然である。

 何より。


「ユミルの年齢は十五歳。出生届も戸籍もある一般人だった彼が、四年前に突如巨大化した……後天的な原因で遺伝子が変化した可能性が高いわね」


 ユミル――――本名、山田雄一の存在が、真綾の説明の正しさを裏付けていた。


「ユミルさんから話が聞ければ、謎も解けたかも知れないですけど……」


「巨大化に従って、知能が低下しているから仕方ないわ。今じゃ元々の名前すら忘れて、識別名だったユミルを名前だと思い込んでるし。まぁ、最悪人間を餌だと認識するまで知能が下がる恐れもあった訳だから、会話可能な程度の知能が残ってるだけマシね」


「なんでそんな事になってしまったのでしょうか……」


「さぁてね。他の怪獣ではむしろ脳の肥大化が見られて知能が向上してるのに、何故人間の怪獣であるユミルの知能は低下したのか。ユミルだけの特徴なのか、他に理由があるのか。彼を解剖しない限り、謎は解けないわね」


 人間の中で怪獣化したのはユミルだけ。彼だけが経験した、特殊な出来事があったのかも知れない。だが知能が低下した彼は、過去の事などすっかり忘れていた。

 怪獣本人から話が聞けたなら、怪獣の謎を解き明かす上で大きな一歩となったのは間違いない。百合子は科学者ではないが、その発展の機会が潰えた事は、一人類として惜しいと思う。

 或いは、科学者ではないからこそ惜しいなどと思うのか。


「ま、謎を解く方法は会話だけじゃないわ。今私がしてるのは怪獣の体内にいる細菌の研究なんだけど、どうも今まで発見されてこなかった、未確認種みたいなのよ。この細菌が怪獣化を引き起こしてる可能性もあるわ。脳の肥大化や知能低下にも関係してるかも知れないし、調べ甲斐があるわね」


 本当の科学者である真綾は、そんな事に何時までも執着せず、新たな謎に挑んでいるのだから。


「……凄いですね、真綾さんは本当に」


「? 何よいきなり。褒めても何も出ないわよ」


「出さなくて結構です。このコーヒーだけもらえれば」


 ずずずっとわざとらしくコーヒーを啜り、百合子はほっと一息吐く。真綾は肩を竦めてから、同じくコーヒーを啜った。


「……ところで、茜はどうしてるの?」


 次いで真綾は、もう一人の友人について尋ねてくる。

 それ自体はなんらおかしな話ではない。親友の近況を知りたいという、ごく自然な考えだ。

 けれどもその考えを口にする時、人は憂いや心配を顔に出すものだろうか?

 小さな違和感を覚えながらも、百合子は真綾の疑問に答える。


「茜さんですか? 昔から変わりありませんよ。相変わらず猟師として働いています。メキメキと腕前を上げて、今じゃ工場で一番信用されている若手ですよ」


「……それは、アレよね。何時かヤタガラスを倒すために努力してるのよね」


「ええ、まぁ。最近は聞いてませんけど、今でもそうなんじゃないですか?」


 百合子がトラックの運転手になったのは、単に技術に優れていて、就職に有利だったからというだけの理由だ。しかし茜は違う。

 茜は今でも、ヤタガラスに憎悪の感情を抱いている。大切な姉を奪ったヤタガラスを何時が殺すために、今でも自分に出来る事をやっていた。

 その努力の一つが、怪獣狩りの猟師への就職。ヤタガラスを自分の手で殺すためには、怪獣という存在の殺し方を熟知している方が良い。そうした経験が積めて、尚且つ就職が容易そうなのは何処かと考えた時、生産者である猟師が候補に挙がった。

 ヤタガラスの強さに比べれば、体長数メートルのテッソやコックマーの強さなど文字通り虫けらのようなものだろう。だがそれらも立派な人食い怪獣。武器も持たずに挑めば為す術もなく喰われ、油断すればどんな英雄も一撃で噛み殺す化け物だ。武器の扱い方、殺されるという恐怖への抗い方、瞬間的な判断力……様々な能力を鍛えるのに打ってつけの相手なのは間違いない。

 何時かヤタガラスに一矢報いる、そのための『キャリアアップ』を行う……それこそが茜が猟師に就職した理由だ。


「そうよね、そういう話だったわよね……はぁ」


 それは親友である真綾もとうの昔に知っている話なのだが、どういう訳か真綾は大きく項垂れた。何か問題があるのだろうか? 百合子は首を傾げる。

 不思議がっていると、真綾の方から説明をしてくれた。


「……これは、国の機密情報なんだけど」


「へ? 機密なんて話して良いのですか?」


「良い訳ないでしょ。これはアンタ達が親友だから話すの。言いふらすと私の首が飛ぶから、心の奥にしまっといてよ」


 念押しされ、百合子は息を飲む。真綾がこれほど強く言うのだ。なんらかの事情があるのは間違いない。

 だからこそ百合子は、しかと耳を傾ける。親友が、自分の将来を危険に晒してでも伝えようとしている事を聞き逃さないために。

 やがて真綾は万が一にも外に漏れ出ないよう、小さな言葉で伝えた。


「近々、自衛隊はヤタガラス討伐作戦を行うらしいの。そこで恐らく、茜を新隊員としてスカウトすると思うわ……貴重な即戦力としてね」


 この世で最も危険な、怪獣退治の情報を――――

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