巨人との交流
深い森の中を、百合子の運転する軽トラックが走っていく。
森の中は木々の根が縦横無尽に張り巡らされ、軽トラックのタイヤがそれを踏む度に車体が跳ねる。地面そのものが凹んでいる場所もあり、猛スピードで走ればバランスを崩して横転もあり得るだろう。
故にとろとろと、のんびり走らせるしかない。これは安全のため仕方ない事だ。
「おーそーいー」
仕方ない事なのに、荷台に乗る茜が文句を言ってくる。
軽トラックを運転する百合子は運転席の中で、茜には見えやしないのにぷくっと頬を膨らませた。
「別にスピード出しても良いですけど、横転しても知りませんよ」
「横転しない程度に加速してよー」
「それがこの速さです!」
ぶーぶーと文句を垂れる茜を窘めながら、あくまでも安全運転で進む百合子。樹木の根を慎重に踏み越えていく。
山に人の手は入っていない。元々はブナ系の雑木林であり、怪獣が出る前までは小学生が虫取りなどでよく登る場所だった。しかし四年前に怪獣が現れて以来、もう子供も大人も立ち入らなくなっている。人が訪れなくなった山道は草に覆われ、本当の自然に還ろうとしていた。
それを車で蹴散らす事に罪悪感がないかといえば……百合子には少しだけある。なんとなくであって、具体的に何がその理由なのかは分からないが。それでも彼女達には『目的』があるから、軽トラックを走らせる事を止めはしない。
やがて百合子の運転する車は、山の開けた場所に辿り着いた。伐採の跡地という訳ではなく、大岩が露出していて、植物が根付くのに適していないのが理由だろう。
お陰で麓の様子がよく見える。
「はい、到着しましたよ。おじさんの話が確かならこの辺りだと思うのですが」
「んー……あ、あっちにいたよ。ほらあそこ」
軽トラックの荷台から降りてきた茜が麓をしばし見ていると、ある場所を指差した。百合子はその指が示している方へと目を向ける。
山の麓に位置するそこに、二体の『怪獣』がいた。
一体は体長六十メートルほどの獣。全身は茶色い毛で覆われていて、横幅三十メートルはあろうかという太い胸板を持つ。蹄を持った四足で大地を踏み締める様は堂々としており、巨大な鼻から吹き出す息も力強い。細長い口からは巨大な牙が二本生えていて、血走った目からその攻撃性の強さが窺い知れた。背中や身体の側面から長さ十数メートルの棘が十本ほど生えており、守りもそれなりに強そうである。
カリュドンと呼ばれる怪獣だ。イノシシのような姿をした怪獣であり、その食性も基本的には雑食……と言いたいが、実際にはかなり肉食傾向の強い種のようである。六十メートルまで大きくなる個体は稀だが、それなりの目撃例はある、あり触れた怪獣の一種だ。
そのカリュドンと対峙するのは、同じく体長六十メートルの『怪獣』。
ただしこちらは二足歩行をしている。身体には体毛がなく、筋肉質な肉体が剥き出しだ。腹部には六つに割れた腹筋が大きく盛り上がり、胸筋は正しく『胸板』という表現が相応しいほど発達している。脇腹部分にある腹斜筋も大きく、波打つような見た目だ。だらんと垂れ下がった前足……いや、『腕』も非常に筋肉質であるが、それよりも目を引くのはそこに生えているもの。手首より先に鱗状のものが生え揃い、手袋のように手を覆っている。
極めて野生的で、悪く受け取れば野蛮な姿。されど頭部にある二つの凛とした瞳には、確かな知性が感じられた。顔立ちは意外と端正であり、勤勉で清潔感のある青年のよう。何より下半身を獣の毛皮で包むように隠しており、『理性』がある事を物語る。
その怪獣は、人間に酷似した姿をしていた。
「オオオオオオオオオッ!」
人型怪獣は大きな咆哮を上げながら、カリュドン目掛けて突撃する!
六十メートルの巨躯が駆ける衝撃で大地は揺れ、蹴られた樹木が空を舞う。圧倒的質量とパワーを感じさせる突進だが、カリュドンはこれを前にして動かず。むしろ四股を踏むようにどっしりと構え、人型怪獣を迎え撃つ。
激突する両者。衝突時の爆音が周りの木々を震わせる中、二体は密着した状態となった。
「グ、ヌグゥウウウウ……!」
人型怪獣は唸りを上げるも、その身体が前に進む事はない。
対するカリュドンは、こちらも余裕とまではいかないが、どっしりと構えたまま。鼻息を荒くしながらその身体の力を昂ぶらせていく。
「ブギオオッ!」
そして気合の一声と共に、カリュドンは四肢に力を込めて跳躍する!
瞬間的に生み出された大きな力は、人型怪獣の身体を突き飛ばした! 人型怪獣は木々が吹き飛ぶほどの勢いで転がり、やがて山の斜面に激突してしまう。
されどダメージ自体は大きくなかったようで、人型怪獣はすぐにその身を起こした。立ち上がるには至らずとも、上体だけでも起こせば色々出来るのが『人型』の良いところ。
すかさずやってきたカリュドンの突進に対応出来たのは、人型をしているからこそと言えた。
「ブゥギギオオオオオオオッ!」
雄叫びと共に猛進するカリュドン。奴はその口から生えている牙を前に突き出し、人型怪獣に突き刺そうとしている。
身体を起こした人型怪獣は素早く両手を前に突き出すと、突進してくるカリュドンの牙をその手で掴む! 掴まれた瞬間こそ僅かに前に進んだが、しかし人型怪獣の握力は相当強く、牙が人型怪獣の胸板に突き刺さる前にカリュドンは止められた。
動きを止められたカリュドンは慌てたように四肢をバタ付かせる。どうにか牙を掴む手を振り解きたいようだが、しかし人型怪獣の手は開かれず、がっちりと掴んだまま。カリュドンは逃げる事も出来ない。
暴れるカリュドンに対し人型怪獣は冷静そのもの。牙を掴んでいる手から力は緩めず、むしろ更に強くするように握り締め――――
「グゥアッ!」
気合いの入った声と共に、カリュドンの牙を捻った。
カリュドンは、恐らく反射的に、四肢に力を込めた。捻る力に抗わなければ、その身がくるんと回転してしまうのだから。けれども無理な抵抗の結果は、他の代償を生む。
カリュドンの武器である牙が、二本ともボキリと折れてしまったのだから。
「ブ、ブギャアアアッ!?」
カリュドンは悲鳴を上げながら後退り。牙とは本質的には『歯』である。それをへし折られる事の痛みは、人間的には想像もしたくない。
しかし人型怪獣はカリュドンの痛みに共感するよりも前に、立ち上がり、怯んだカリュドンの眼前へと肉薄。
渾身の力を込めた拳で、カリュドンの頭を殴り付けた!
一撃一撃が大気を震わせるほどの威力。カリュドンは大きくよろめき、後退りしていくが、人型怪獣はその手を緩めない。何度も何度もカリュドンの大きな頭を殴り、ついに体勢を崩したカリュドンの脇腹に蹴りを放つ。ボキボキと生々しい音を鳴らして、カリュドンは蹴飛ばされた。
「ブ、ブギ、ブギィ……!」
蹴飛ばされたカリュドンは、身を翻して逃げようとする。奴は察したのだ。自分が、自分よりも強い生き物にケンカを売ってしまった事を。
相手が草食動物だったなら、逃げようとするカリュドンは見逃してもらえたかも知れない。しかしカリュドンにとって不幸な事に、この人型怪獣は、人間と同じく雑食性だった。
「グウゥゥ……!」
唸るような声を出しながら、人型怪獣は逃げようとするカリュドンの後ろ足を掴む。足を掴まれたカリュドンは呆気なく転び、ずるずると引きずられてしまう。その間カリュドンは必死に前足二本で前に進もうとするが、人型怪獣の力には全く叶わない。
手近なところまで引き寄せた人型怪獣は、カリュドンから一旦手を離す。次いで素早くカリュドンの頭の方へと移動すると……大きく足を上げた。
次の瞬間、人型怪獣はカリュドンの頭を踏み付ける。
一度目の打撃でカリュドンは潰れたような声を漏らす。二度目の打撃でカリュドンの口から赤い血肉が飛び散った。三度目の打撃になるとついに目玉の一つがぽんっと飛び出す。
それでも人型怪獣の攻撃は終わらない。何度も何度も踏み付けた。踏み付けて、踏み付けて、踏み付け続けて……その間人型怪獣の顔には『笑み』が浮かんでいる。心から楽しげに、カリュドンを痛め付けていた。
そんな猛攻も、二桁目の踏み付けを行ったところで一旦止まる。人型怪獣はしゃがみ込むと、カリュドンの頭を掴んだ持ち上げ、じろじろと観察を始めた。カリュドンの頭は度重なる猛攻ですっかり変形していて、目玉は二つとも飛び出している。怪獣の生命力はかなりのものだが、こうなっては流石に生命活動も続くまい。
カリュドンの死は明白だ。
「オオオオオオオオオオオオオオオオッ!」
その死を確かめた人型怪獣は、勝利を告げるかのように雄叫びを上げた。山中に、いや、山の向こうにまで届くような、力強い叫び。
「おーい、『ユミル』ー!」
その叫びと比べれば、茜が出した声など弱々しいものだろう。
とはいえ山彦が聞こえる程度には大声だ。人型怪獣――――ユミルの耳にも届いたようで、彼はくるりと茜と百合子のいる方を振り向く。
体長六十メートルの巨大怪獣が、こちらを見てきた。本来なら恐怖を感じるところだ。ましてや、地鳴りのような足音と共に駆け寄ってきたなら尚更である。
しかし百合子達は恐れない。
「アカネ! アカネ! オレ、エモノ、ツカマエタ!」
何故ならユミルは、友好的な怪獣なのだから。
ユミルと百合子達が出会ったのはかれこれ二年前。自衛隊に連れられて町までやってきた時に顔を合わせた。当時からユミルは人間に対し好意的で、怖い想いをした事もない。打ち解けるのに一ヶ月も掛からなかった。
今のユミルはこうして山の中で暮らしているが、今でも人間に対して好意的だ。呼び掛ければ答え、気が向けば会話をしてくれる。何かの拍子に怒れば地団駄で地震ぐらいは起こしてくるが、それだけで済ませてくれる優しい心の持ち主だ。大きいからといって臆する必要もない。
手を伸ばせば触れそうなところまで接近してきたユミルに、茜も百合子も友達を相手するような気軽さで話し掛けた。
「だねー、見てたよ。カリュドンを捕まえるなんて、ほんと強いね」
「オレ、ツヨイ! ツヨイ!」
「ですね。でも戦いながら笑みを浮かべるのは、なんというか怖いから止めた方が良いですよ」
「? エモノ、ツカマエル、ウレシイ。ワラウ、ナゼ、イケナイ?」
百合子が呈した苦言に、ユミルは首を傾げる。戦いの中で獰猛な笑みを浮かべていた彼だが、それは単に食べ物が得られる嬉しさから出たもの。別段その性質は残虐でもなんでもないのだ。
他の野生動物も表情筋がないから感情が分からないだけで、きっと獲物を食い殺す時には満面の笑みを浮かべている事だろう。それが表立って見えるのがユミルというだけ。なら、それを戒めるのは『個人的見解』以外の何ものでもない。
「……いえ、気にしないでください。私の勝手な感想ですので」
「オマエ、イツモ、ムズカシイハナシ、スル。アカネ、ヤサシイノト、チガウ」
ユミルはにこにこ笑いながら、間違いなく本心から言っていると思われる感想を述べた。無邪気な言葉に、百合子も思わず笑ってしまう。
「ま、なんでも良いでしょ。それよりユミル、獲物を仕留めたなら工場に持っていこう。早く持っていかないと、美味しくなくなっちゃうよ」
「ソレ、コマル! ウマイニク、タベタイ! アカネ、タベサセタイ!」
茜が指摘すると、ユミルは大急ぎでカリュドンの亡骸の下に向かう。横たわる巨体は、人間の力では到底持ち運べないものだが……ユミルにとっては軽いものらしい。いとも容易く持ち上げ、肩に乗せてしまう。
そうしてユミルは、カリュドンを運びながら歩き出した。向かうは、百合子達の暮らす町がある方角だ。
「んじゃ、私等も行こうかね」
「ですね。不本意ながら、見張りですし」
茜に言われ、百合子は同意。軽トラックに乗り込むと、ユミルと共に町へと戻る。
ユミルは町にとって、とても大切な存在だ。その身一つで怪獣を征伐し、その肉を自分達に分け与えてくれる。ユミルからすれば食べきれないところを渡してるだけかも知れないが、それだけでも百合子達一般人類数千人分の食糧になるのだ。彼がいなければ、今の生活すら成り立たないのが実情だろう。
それほど恩義のある存在を、怪獣だから、なんて理由で警戒するのはどうなのか。
……百合子だって、その指示を出してきた
しかし百合子は一般人。自衛隊ほどシビアな考え方など出来ないし、助けてもらったら信用だってしてしまう。それにユミルの言動を思えば……
何より、百合子の考えとして疑い自体を持ちたくない。
元々人間であるユミルを疑うなんて、それこそ、人間らしさの放棄のように思えてならないのだから……
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