変化する世界
誰もが言葉を失っていた。
恐怖も、絶望も、憎しみさえも、人々の中から消えている。真の怪獣が誰なのか、怪獣とはなんなのか。それをこの場に居る全ての人が理解したのだ。
ヤタガラス。
数多いる怪獣達の一匹としか思われていなかったそれこそが、世界で唯一の怪獣だったのだ。
【グガッガァアァー】
尤も、当のヤタガラスは人間達の気持ちなど歯牙にもかけず。嬉しそうな鳴き声を発しながら、自分が仕留めたレッドフェイスのリーダー格の身体に嘴を突き立てた。それから容赦なく、その身体を引き裂き、内臓を啄んでいく。
やはりと言うべきか、ヤタガラスはレッドフェイス達を食べるために襲ったようだ。ただ思いの外強敵だったのだろう。邪魔な子分達はレーザーで一掃し、狙っていたリーダー格だけは、美味しい肉が燃えないよう素手で倒した……と、百合子はヤタガラスの気持ちを想像してみる。勿論ヤタガラス当人でもなければ、専門家でもなんでもない身からの意見だが、恐らくそこまで外れてはいないだろうと思った。
ヤタガラスの周りではレーザーによって生じた爆炎 ― そういえば何故レーザーで爆発が起きたのかと百合子は疑問に思う。レーザーとは光エネルギーであり、爆発など起きない筈だが ― により燃えていたが、元凶であるヤタガラスは炎など気にも留めていない様子。実際自衛隊の攻撃をものともしない身体は火が付いても燃えたり焦げたりせず、燃えている木材を踏み付けている足も無傷だ。
そしてヤタガラスは悠然と、嬉しそうにその肉を貪り食う。内臓を楽しげに引きずり出す姿は狂気のそれだが、やっている事は美味なるものを口に含んだだけ。怪獣も生きている以上食事が必要であり、本能を満たす活動故に楽しいものなのだろう。
ならば人間の諺である「食い物の恨みは恐ろしい」も、人智を超えるヤタガラスであろうとも使えるかも知れない。
そう考えれば――――食事中のヤタガラスの頭上に爆弾を投下していく事が如何に愚かしい行為なのかは分かりきっているだろうに。
【グガ?】
落ちてきた爆弾はヤタガラスの頭や翼、そして周りに着弾。爆弾の直撃自体は、ガゴンッという鈍い音を鳴らしただけで、ヤタガラスをキョトンとさせる程度の効果しかなかったが……その後起きた爆発は凄まじく、衝撃波が遠く離れた百合子達をも突き飛ばすほどだった。恐らく、本当はレッドフェイス達をぶっ飛ばすための爆弾だったのだろう。
尤もこれすらもヤタガラスには通じず。濛々と立ち昇る爆炎が晴れると、ヤタガラスは無傷の姿でそこに立っていた。精々羽根がちょっと煤けた程度である。
しかしヤタガラスが啄んでいたレッドフェイスの亡骸はそうもいかない。爆発で跡形もなく消し飛んだ……とまではいかずとも、かなり激しく損傷していた。特に剥き出しの内臓は酷いもので、ヤタガラスが食べるために引きずり出した部分は全て炭化している。研究サンプルとしてならまだしも、『食べ物』としてはもう使いようがないだろう。
ヤタガラスが微妙に物悲しそうな顔になる気持ちは、ちょっとだけ百合子にも理解出来た。そしてその気持ちが怒りへと移り変わるのも、予想が出来る。
【……………】
かつてないほど激しい怒りを滾らせ、無言のままヤタガラスが見上げた先は大空。
空に浮かぶ五機の飛行機が『犯人』だというのは、ヤタガラスの聡明な頭脳を以てすれば容易く見破れる事のようだった。
【グッ、ガアアアアアアァ!】
激しい怒りの咆哮と共に、ヤタガラスは大空へと飛び立つ。レッドフェイス達に突撃した時よりも明らかに上だと分かる速さは、巨大な衝撃波を四方八方にばら撒く。瓦礫と灰の山と化していた市街地は、この衝撃波で更地に変えられてしまう。仕留めたレッドフェイスの亡骸も、ばらばらと崩れるように吹き飛んだ。
しかしヤタガラスは最早獲物すら眼中になし。一直線に大空へと向かい、その姿を百合子達の前から消した。飛行機音のような爆音だけが、何時までも空から地上に降り注いでくるのみ。
ヤタガラスが地上に戻ってくる気配はなかった。
「……戦闘機が、引き離してくれたって事?」
先の成り行きを見ていた茜が、疑問混じりの言葉を発す。
確かにヤタガラスも立派な怪獣であり、ただ通るだけで ― 茜の姉のように ― 多くの人命を奪う厄災だ。市街地から引き離すという意図自体は、助けてもらう側である百合子からすると実にありがたい。
しかしながらヤタガラスは、獲物を食べ終わるとさっさと何処かに行ってしまう事が多い。日本どころか中国や韓国でも見られたように、兎にも角にも動き回る。わざわざ攻撃して怒りを買わずとも放置すれば立ち去る筈だ。しかもヤタガラスは戦闘機を落とせる怪獣である。貴重な航空戦力の損失を許容してまで、どうして攻撃などしたのか……
「……成程。そういう事ね」
百合子達二人が疑問に思う中、真綾だけが納得する。振り向けば、彼女はスマホで何かを見ていた。
「何かあったのですか?」
「ええ。どうやら日米合同作戦が始まったらしいわ。自衛隊と米軍機がヤタガラスを公海上に誘導――――核攻撃を仕掛けるそうよ」
「えっ……」
淡々と語る真綾の言葉に、茜と百合子は凍り付く。だが、すぐにそれも仕方ないと思えた。
ヤタガラスが放つレーザー攻撃。
それがどんな代物なのか、どれほどの威力があるかは分からない。しかしそんなのは大した問題ではないのだ。この怪獣がどんな能力を持っているか分からず、更に怪獣が瞬く間に巨大化・強大化すると判明した今、一刻の猶予もない。早く駆除しなければ、本当に手に負えなくなる。
恐らくは元々計画はあって、此度のレッドフェイスとの戦いが政府や自衛隊の決断を後押ししたのだろう。
……さしものヤタガラスも、核攻撃となれば助かるまい。少なくともレッドフェイスの鉄拳程度でダメージを受けているのだから。
「これで、ヤタガラスも倒される訳か……」
「ご満足?」
「……私が手を下せなかったのは惜しいから、八十点ぐらいかな」
合格点なのか、それとも物足りないのか。茜の気持ち次第な回答に真綾は肩を竦めた。
茜の憎悪が止まるのならば、百合子としては嬉しく思う。姉への気持ちに区切りが付けば、彼女の心は少しずつ日常に戻ってきてくれるだろう。
……勿論、事はそう単純ではないが。
「しっかし、これからが大変よね。レッドフェイスを倒すために使うつもりだった爆弾は、この戦いでぐちゃぐちゃに潰されただろうし」
「あ、そっか。此処らの自衛隊が持ってるやつ、片っ端から集めたんだっけ?」
「らしいわよ。つまり周辺部隊は残弾なし。流石に銃弾ぐらいはあるでしょうけど、それじゃあテッソかコックマーの幼体しか倒せないわね」
「絶望的ですね……」
真綾の語る言葉に、百合子は気持ちが落ち込んでくる。
ヤタガラスは倒されたとしても、怪獣達がいなくなる訳ではない。ヤタガラスが最強の怪獣だが、それだけでしかないのだ。これからも怪獣は続々と現れるし、ヤタガラスだって二体目が現れるかも知れない。世界はきっと、変性を続けていく。
これから自分達は、変わっていく世界の中で大人になっていくのだ。不安がないといえば嘘になる。
しかし、百合子はすぐにその気持ちを切り替える事が出来た。
不安になっていても、世界は容赦なく変化していく。なら、諦めて付き従うのが道理というもの。それに人は変わっていけるものだ。自分だって変わっていけるだろう。
何より――――茜や真綾と共に怪獣を調べていた時は、正直なところ楽しくて。
「……うん。色々頑張りましょう。これから先も、ずっと」
自分のしたい事を見付けられた百合子は、しっかりと前を向く事が出来た。
次いで百合子は公園の柵から身を乗り出し、ヤタガラスが飛んでいった海原の方に視線を向ける。
遠く、地平線の彼方で、紅蓮の炎が上がったような気がした。
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