真の怪獣

 気付けば、朝日は高く昇っていた。

 その朝日を背に受けながら、ヤタガラスは翼を左右に広げる。背筋をぴんっと伸ばし、悠然と光の中に佇む姿は、ある種の美しさすら感じさせた。夜の中では黒一色だった羽毛が日の光を浴びて虹色に輝き出しており、その煌めきもヤタガラスの美しさを引き立てる。

 だが、その姿勢の意味が百合子には分からない。

 動物達は体温を調整するために日向ぼっこをするというが、まさかそれなのだろうか? ぽっと浮かんできた発想は、すぐに理性が否定する。命懸けの戦いの中、いきなり日向ぼっこをするなんてあり得ない。大体あれだけ激しく戦っていたのだから、むしろ体温は必要以上に高いぐらいの筈だ。

 では逆に冷却のつもりか? しかしそうだとしても、やはり戦いの最中、いきなりやるものではないだろう。ガマスルの時ぐらい余裕ならば兎も角、ダメージを与えてきた敵の前でそこまでのんびりするなど考えられない。

 百合子のみならず、人間達は誰もその行動の意味が分からない。いや、人間のみならず怪獣にとっても意味不明なようだ。レッドフェイス達もヤタガラスを見つめながら、表情が人間のように困惑している。

 ただ、怪獣達はただ唖然とするだけではなく、警戒もしているようだ。


【……フォオゥッ!】


 レッドフェイスのリーダー格が一声上げると、五体は四方へと拡散する。リーダー格は真正面から突撃した。

 そして拡散した五体のレッドフェイスは、それぞれ距離を詰めていった。包囲網を敷き、タコ殴りにするつもりなのか。シンプルながら有効な作戦だ。これだけで止めを刺せるとは思えないが、ダメージを蓄積させればいずれは……

 百合子がそう思ったように、レッドフェイス達もそう思ったのかも知れない。現実で、知的で、堅実であるが故に。

 


【……………】


 ヤタガラスは沈黙したまま、横から迫るレッドフェイスの一匹に視線を向けた。

 そのレッドフェイスはヤタガラスから三百メートルは離れた距離にいる。リーダー格と比べればずっと小柄とはいえ、六十メートルの巨体は凄まじい速さで突進していた。踏み潰された住宅の瓦礫が埃のように舞い、粉塵がその軌跡をなぞる。

 人間では止める事など叶わない、そう感じさせるパワーの塊を見つめながら、ヤタガラスは広げた翼の先をそっと差し向けた

 次の瞬間、閃光と爆音が辺りに轟く。

 光のあまりの眩さに、離れていた百合子達人間は思わず仰け反る。しかしそれ以上に人間達を怯ませたのは爆音の方。雷鳴など比にならない、空間を引き裂くかの如く音色が轟く。

 この光景に百合子が少し仰け反るだけで目も閉じなかったのは、驚き過ぎてろくな動きが出来なかったというだけ。少しでも反応出来た人々は、ひっくり返るなり腕を顔の前で構えるなり、身を守ろうとしていた。ハッキリ言えば百合子は全くののろまであった。

 故に、百合子だけが目撃する。

 突撃していたレッドフェイスがに吹き飛んだ瞬間を。ヤタガラスからまだ二百メートルは離れていたのに。

 いや、それだけならば風で吹き飛ばされたとも思えただろう。だが、後ろに吹き飛ぶレッドフェイスの胸部はぶくぶくと膨れ上がり――――

 血肉と爆炎を撒き散らしながら、胸部を『爆発』させた。


「……え?」


 目の前で起きた光景。瞬きする事もなく見ていた筈の百合子は、されど呆けたように声を漏らす。

 を見ていた百合子ですらこうなのだ。避難所に居た人間は、避難者も自衛隊も問わず固まっていた。それどころかヤタガラスに迫っていたレッドフェイス達も、その歩みを止めてしまう。

 胸が爆発したレッドフェイスは、まだ頭は生きていた。尤も最早虫の息。手足はぴくぴくと痙攣し、弾けた胸部から飛び出した贓物は鉄板焼きでもしたかのように生々しい音を鳴らす。けれどもレッドフェイスの顔に浮かぶのは苦悶や恐怖ではなく、困惑一色に染まっていた。それは、痙攣が止まってからも変わらずに。

 殺された側すらも、何をされたか分からない。誰一人として状況が理解出来ない中で、唯一冷静さを崩さないのはヤタガラス。

 残る五匹のレッドフェイスのうち、恐らくは一番近くに居たであろう個体に翼の先を向けた。リーダー格ではない、五匹の(今ではもう四匹しかいない)レッドフェイスのうちの一匹は、恐らくは直感的に危険を察知したのだろう。これまで従順に守り続けていたリーダー格の指示を無視して、背を向けて逃げ出そうとした。

 だが、ヤタガラスは逃さない。


【……グァッ!】


 短く、されど力強い鳴き声。

 それを合図とするように、ヤタガラスの翼の先からが走る!

 爆音と共に進む光は、一瞬にして逃げようとしたレッドフェイスの頭を貫通。ぼこりとレッドフェイスの頭は膨らんだのも束の間、爆炎を上げて弾け飛んだ。司令塔を失った頭は数歩走るもバランスを崩して転倒。ごろごろと転がり、町の残骸を吹き飛ばす。


【グァアァ……!】


 まるで当たった事を喜ぶように、ヤタガラスは軽やかな声で鳴く。

 しかしまた仲間を失ったレッドフェイス達は、完全に硬直していた。何が起きたのかまるで分かっていない。

 人間達も同じである。二回目であれば爆音と閃光に慣れた人もそこそこいる筈であり、だからこそ『それ』を目にした人も少なくないだろう。けれども一人として理性的な振る舞いは見せていない。全員が、呆けたように立ち尽くすのみ。

 多少なりと思考を巡らせられたのは、二度目の目撃者である百合子だけ。その百合子もしばしの間頭が真っ白になり、ろくな考えが浮かばない有り様だったが。


「(え? まさか……?)」


 ようやく過ぎったのは、そんな間抜けな言葉だけ。

 怪獣といえば口からレーザー。子供でも知ってるお約束だ。大怪獣ヤタガラスが撃てたとしてもなんは不思議ではないだろう。

 ……そんな訳がない。

 怪獣だって生物だ。生物はレーザーなんて吐かない、いや、吐いてはいけない。レーザーというものは、人類だって大変な工学技術を使わねば成し遂げられないものなのだから。

 されど『怪獣』とは、人智のうちに収まるものなのか?


「(ああ、そうなんだ……)」


 百合子は全てを理解した。

 これまで無数に現れ、人類社会を脅かしている巨大生物達。恐るべき存在である彼等も、銃で撃てば血が流れ、ミサイルを撃たれれば死ぬ。そんなのは『怪獣』ではなく、ただのデカい動物だ。最近になってようやく死ななくなりつつあったが……紛い物に過ぎない。

 ヤタガラスは違う。他の怪獣と変わらぬ大きさでありながら、圧倒的に強く、体格差などものともしない。「大きいほど強い」という人が見付けた法則を嘲笑い、原理不能な怪光線で怪獣もどき共を撃ち殺す。傍若無人で摩訶不思議。怪獣に必要な要素をしかと揃えたヤタガラスこそが、真の怪獣なのだ。

 怪獣に至れなかった獣達に、ヤタガラスは超えられない。


【ホ、ホゥオ――――】


 リーダー格の個体が叫ぼうとする。ヤタガラスに背を向けて走り出した事で、逃げようとしているのは明らかだった。

 他のレッドフェイス達も同じだ。果たしてそれは指示通りなのか、それとも指示を無視した結果なのか。残る三匹も逃げるために走り出す。突進時でも見られなかった、全力全開のダッシュ。人間達の家は蹴散らされ、マンションなどは邪魔だとばかりに体当たりで砕かれた。

 唯一動かないのはヤタガラスのみ。いや、動く必要すらないのだ。

 見える範囲全てが、ヤタガラスの射程内なのだから。


【グガアアアァッ!】


 咆哮と共に翼から放つは強大のレーザー。朝日の照らす世界を塗り潰すほどの、真っ白な輝きが町を包み込む。

 極大レーザーはレッドフェイスの一匹を貫くだけでは飽き足らず、容易くその身体を横に真っ二つにしてしまう。下半身と上半身が離れ離れになったのも束の間、断面が爆発を起こし、頭以外の身体がバラバラになった。

 だがヤタガラスの翼から放たれるレーザーはまだ止まらない。放たれ続ける光の濁流は市街地を薙ぐように振るわれる。レーザーを受けた大地は赤く赤色した次の瞬間、まるで爆薬でも仕込んでいたかのように爆発。五万人が暮らしていた都市を一瞬で炎で満たす。ついでとばかりに逃げるレッドフェイスの一匹も巻き込み、爆炎の一つに変えてしまう。

 燃え盛る炎を前にして、レッドフェイスの一匹がこけた。もうその身体は炎なんて怖くない筈だが、本能的な行動なのかも知れない。走れなくなったその個体は這いずりながらも逃げようとして、けれどもヤタガラスのレーザーが縦一閃に走る。身体が左右に裂けて、苦しむ間もなく弾け飛ぶ。

 残るはリーダー格のみ。

 いいや、ヤタガラスはリーダー格だけを残したのだ。


【グガアアアァァッ!】


 何故ならリーダー以外の全てを殺したヤタガラスは、翼を広げて、逃げるリーダーを追い始めたのだから。


【ホ、ホァアオッ!?】


 追われていると気付いたリーダー格は、悲鳴染みた声を出す。彼は気付いてしまったのだ。本当の怪獣にはどんな事をしても勝てないと。逃げるしか助かる道がないのだと。

 そしてヤタガラスは自分を見逃してくれる気など、微塵もないのだと。


【ガアァッ!】


 ヤタガラスはリーダー格の背中に足蹴を一つ。衝撃で倒れたリーダー格は、背中に乗ったヤタガラスに対し怯えるような身を縮こまらせた。

 ヤタガラスは哀れな怪獣に、慈悲の一つも掛けやしない。何度も何度も、頭目掛けて蹴りを放つ。蹴られた衝撃でリーダー格の頭の体毛や血肉が飛び、元々赤い顔が真紅に染まっていく。今までならここで仲間達が助けてくれただろう。だが、もうその仲間達はいない。

 執拗で無慈悲な打撃は、人間達を恐怖に陥れる。自分達は襲われていない、むしろ町を占拠した怪獣を倒してくれているのに、誰もが身体を震わせる。中には恐怖からか、失神してしまう者まで現れた。

 ヤタガラスの一方的な暴虐はほんの一分ほどだけ行われた。その一分で、レッドフェイスのリーダー格はもう青息吐息といった様子になっている。散々嬲られ、最早抵抗も出来ない有り様。しかしヤタガラスはなんの躊躇いもなく、リーダー格の頭を足でがっちりと掴んだ。それから無理やり頭の向きを曲げていく。口からどろどろと血を吐くリーダー格には、もう藻掻く力すら残されていない。

 べキリッと、百合子達まで届く音を鳴らして、リーダー格の首が折れた。ヤタガラスは掴んでいた頭を放し、それから改めて頭を二度ほど踏み付ける。念入りに、死んだふりなど許さないとばかりに。

 これでもぴくりとも動かないと分かれば、ヤタガラスの攻撃もようやく終わり。


【グガアアアアゴオオオオオオオオオッ!】


 世界を震わせるほどの大声で、怪獣ヤタガラスは勝利を宣言するのだった。

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