拮抗する群勢

【ホ、ォ、オオァオオオ……!】


 唸るような声。

 その声と合わせるように、レッドフェイスのリーダー格の身体がメキメキと音を鳴らす。腕の筋肉が目に見えて膨れ上がり、足の長さが急速に増していく。肩幅と筋肉も目視可能な速さで膨れ上がり、更に背中からは、まるで背ビレのような小さな突起物が生えてきた。代わりとばかりに胴体の体毛はパラパラと抜け始め、今まで隠れていた胸筋が露わとなる。

 今までレッドフェイス達は猿らしく四足で動き回り、それに向いた身体付きをしていた。だがリーダー格の身体は、骨格レベルで変化したのではないかと思うほど変貌。二足歩行に適した形となっている。猿というよりも、最早これは巨人だ。

 時間にしてほんの三十秒程度だろうか。それは身体の成長を考える上では、考慮すら必要ないような時間だったが……その常識をレッドフェイスのリーダー格は打ち破る。もう、今の彼はかつての面影すら残していない。

 体長九十メートルという途方もなく巨大な、史上最大の怪獣となったのだから。組み合っているヤタガラスが小さく見えるほどの巨躯が放つ圧倒的パワーを、この場にいる『全員』がひしひしと感じていた。


「な、何よあれ!? せ、成長したの!?」


「まさか、アレが怪獣がこれまで見付からなかった理由……!? 急速な成長を遂げるから、事前の発見が難しい。それに形態の変化も著しい……!」


 成長に対する驚きは百合子だけでなく、茜達、そして共に見ていた避難者達も同じ。真綾は何かを考えていたが、百合子にはそれについて尋ねる余裕がない。

 六十メートルの体躯では押されていたレッドフェイス達。リーダー格は体重こそあったかも知れないが、ぎゅうぎゅうに肉を詰め込まれた身体は窮屈で戦い難かっただろう。それが九十メートルもの巨躯になれば、さぞや大きな力を発揮するに違いない。しかも直立二足歩行となった事で、より肉弾戦に向いた身体付きと化した筈だ。

 たった三分の二の体躯しかないヤタガラスに、果たして勝機などあるのだろうか? もしも百合子がヤタガラスの立場なら、今頃きっと心が折れて、無様な逃げ姿を晒していただろう。


【グ、グガ……ガアアアアアァァァッ!】


 されどヤタガラスは臆さず、逃げるどころか雄叫びと共に渾身の力を込めて前へと進む!

 すると九十メートルもの巨体を誇るリーダー格の身体が、ずるずると後退を始めたではないか。リーダー格は表情を引き締めて立ち向かう、が、ヤタガラスの動きは止まらない。むしろどんどん押し出す力は加速していく。リーダー格の個体が苦悶の表情を浮かべ、全身の筋肉をはち切れんばかりに膨らませても、ヤタガラスは決して止まらない。

 ついにヤタガラスはリーダー格の個体の身体を、翼の力で押し倒す。

 転倒したリーダー格に対し、ヤタガラスは今までと明らかに気迫が違う、全力の蹴りを放った。リーダー格の個体の巨体がごろんと、マンションや住宅を叩き潰しながら横転。更に体勢を崩される。

 一・五倍の体格差は、ヤタガラスに迫るほどのパワーを生み出した。しかしあくまで迫るだけ。未だヤタガラスの力は、レッドフェイスの親玉を上回っているのだ。

 自分より大きな相手の身体を押すだけでも大変なのに、圧倒する相手との力比べに勝つとは。ヤタガラスの怪力はどれほどの強さなのかと、見ていた百合子は驚きを通り越して呆気に取られてしまう。しかも決して無理した訳ではないようで、ヤタガラスは息すら乱していない。持久戦に持ち込んでもこのパワーが衰える事はないだろう。もしも一対一の戦いだったならば、やはりレッドフェイスに勝ち目はなかった筈だ。

 だが、レッドフェイス達は群れだ。リーダー格の個体は、あくまでも六体の中の一匹に過ぎない。


【ホアァッ!】


【ホゥオオオオッ!】


 残る五体のレッドフェイスが、ヤタガラスに背後から跳び付く! 翼や足にしがみつく事で、その動きの邪魔をしようとした。

 転ばしたリーダー格への追撃を妨げられたヤタガラスは、しかし有象無象に構うつもりはないらしい。精々翼を羽ばたかせてしがみつくレッドフェイスを住宅地に叩き付ける程度で、どんどんリーダー格に接近する。だが群れるレッドフェイス達は執念深くヤタガラスにしがみつき、とことん動きの邪魔をした。

 特に良い働きをしたのは、ヤタガラスの顔に抱き着いた個体だ。狙ったかどうかは分からないが、しがみつき直した際に腕が目隠しとなったのである。


【グガッ!? ガ、グガァ!】


 流石のヤタガラスも前が見えなくては戦えない。殴られてもしがみつかれようとも取り乱さなかったヤタガラスは、頭にしがみついた個体を落とそうと激しく翼を振るう。それでも離れないと、頭を左右に振ったが、これでもまだ頭にしがみついたレッドフェイスは離れない。


【ホォオオアッ!】


 その隙に体勢を立て直したリーダー格が拳を放つ! 拳といっても大きく振り上げた手を高速で下ろすだけのサル技。しかし巨大さ質量と速度から生み出されるパワーは圧倒的だ。

 鉄拳はヤタガラスの顔面に命中。押し負かしたとはいえ、ある程度拮抗した力の相手からの攻撃だ。更に巨大化と共に増大したであろうパワーに加え、二足歩行に適した体躯は、より腕を振り回すのに向いた構造となっている。此度の一撃の威力は今までの比ではなく、打撃をもらったヤタガラスは大きく仰け反り、口から唾液が溢れる。

 大きな攻撃をもらったヤタガラスは反撃に蹴りと翼を繰り出すが、相変わらずの目隠し状態だ。攻撃の精度は壊滅的で、リーダー格は難なく距離を取る。むしろ攻撃の隙を突かれ、またしても頭を殴られた。

 ヤタガラスは怒りを露わにしながら転がるように暴れ、頭と翼にしがみついたレッドフェイスを振り解く。起き上がったヤタガラスは大きく翼を広げ、刀のように振り下ろしてリーダー格を攻撃。しかし距離があってこれも当たらず、地面に深い溝を作っただけで終わる。

 リーダー格はまたしても拳を振るう。これはヤタガラスも翼を構え、盾のようにして受け止めた。続いて翼を動かせば、リーダー格は拳ごと押し出され、何百メートルと転がされていく。翼のパワーは相当のものらしく、中々リーダー格は体勢を立て直せない。

 このチャンスに追撃を仕掛けようとするヤタガラスだったが……ここでもレッドフェイス五匹が邪魔に入る。足や翼に纏わり付いて、チャンスを潰してきた。

 ヤタガラスは翼を振るい、そこにしがみつくレッドフェイスを傍のマンションに叩き付ける。足下の奴も蹴飛ばし、顔面から踏み付けた。どれも決して弱くない攻撃だが、けれどもレッドフェイス達は離れない。痛みに苦しもうとも、どれだけ力の差を見せ付けられようとも、顔から血が流れようとも、決して臆さない。


【ォアッ!】


 きっと自分達のリーダーが助けに来てくれると、信じているのだ。

 最早獣というよりもアスリートのように、二足走行でリーダー格は突進。ヤタガラスの胸部目掛けて体当たりをぶちかます! 全速力の突進を胸に受けて、流石のヤタガラスも呻くように口を開いた。

 その開いた口を閉じさせるように、ヤタガラスの頭のてっぺんをリーダー格の鉄拳が打つ! ヤタガラスはすぐに顔を上げたが、そこに追い打ちの二撃目。僅かに、ヤタガラスの頭がふらふらと揺れる。

 間違いなく、ヤタガラスの身体にはダメージが蓄積していた。


【ガァアアゴオオオアアアアアアアッ!】


 ヤタガラスの方も自分のダメージは自覚したのか。焦りこそないが、苛立ちを露わにするような雄叫びを上げる。

 或いは、気合いを入れ直したのかも知れない。ヤタガラスは雄叫びの後、その翼を、まるで飛ぶかのように羽ばたかせた。すると彼の身体は浮かび上がり、更に横向きに一回転。遠心力により纏わり付くレッドフェイス五匹を振り払う。

 自由を取り戻したヤタガラスは、肉薄したリーダー格に蹴りを放つ。腹に打ち込まれたそれは、衝突時に白い靄……衝撃波が生じるほどのパワーを有していた。しかしリーダー格の腹は分厚い筋肉に覆われていて、ヤタガラス自慢の蹴りも受け止めてしまう。受け止めるといっても攻撃を難なく耐えた訳ではなく、リーダーは数百メートルと吹っ飛ばされたが、大したダメージは負っていない様子。すぐに立ち上がり、ヤタガラスを見据えた。

 高速回転で振り払われた五匹のレッドフェイス達は、リーダー格の傍に集結。リーダー格の個体は悠然とした立ち姿で、ヤタガラスと正面から向き合う。ヤタガラスもぶるりと身体を揺さぶり、気持ちと身体のダメージを一新させたのか。いくらか落ち着きを取り戻した佇まいで、こちらもリーダー格の個体を睨み付ける。

 戦いは一度止まり、互いに睨み合う。距離はざっと五百メートルは離れているだろうか。だが六十メートル超えの彼等にとっては、ちょっと駆け出せば肉薄出来る程度の間隔でしかない。緊張感は途切れず、どちらも闘志を燃やし続ける。

 息を吐けたのは、外野からその戦いを見ていた人間達だけ。

 やはりヤタガラスの強さは圧倒的だと、戦いを目にしていた百合子は思う。リーダー格との体格差をものともせず、六対一という数の不利すら蹴散らす。正に最強の怪獣と言っていいほどの強さだ。一対一ならば、きっとどんな怪獣もあっさりと倒すだろう。

 しかしレッドフェイスのリーダー格も負けてはいない。劣りはすれども拮抗するだけのパワーを持ち、仲間達との共闘でヤタガラスと互角にやり合っている。他の五体も怪我こそしているがまだまだ戦える様子であり、リーダーの頼もしさのお陰か士気も高そうだ。ヤタガラスとまともにやり合う事は出来ずとも、先の目隠しのような方法で援護面では十分活躍するだろう。リーダー格がその援護を受ければ、総合的な『戦闘力』がどれほどのものになるか、百合子には想像も付かない。

 百合子は喧嘩や格闘技に詳しい訳ではない。それでも、直感的に判断するなら……チームで戦っているレッドフェイスの方が有利なように思えた。社会性生物である人間としての贔屓目もあるかも知れないが、そう思わせる程度には奮闘している。

 もしかすると、本当にレッドフェイスが勝つのではないか――――


「ん……何……?」


 その予感を抱く百合子だったが、それを一番期待しているであろう茜が、疑問の声を漏らした。

 茜が何に違和感を持ったのか、百合子にもすぐに分かった。いや、違和感ではなく混乱と言うべきかも知れない。それが何を意味するのか、百合子には全く分からないのだ。

 ヤタガラスが、大きく翼を広げたポーズを取った事の意味が……

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