不滅の翼

 ――――太平洋の深海一千メートル地点。光の届かない暗黒の領域を、一隻の人工物が進んでいた。

 全長百七十メートル全幅十三メートル。スクリューを静かに回しながら、ゆっくりと黒い機体は進んでいく。

 サンフランシスコ級原子力潜水艦……アメリカ海軍が保有している潜水艦である。その最大の特徴は、米国保有の潜水艦の中で最も深く潜れるというもの。此処深海一千メートル地点でも難なく動けるという代物だ。他の潜水艦が一千メートルという深さまで潜れないという訳ではないが、サンフランシスコ級はそのための設計で作られており、安全安定して潜る事が可能である。

 そんな潜水艦の艦長を務める男、ジョージは少々緊張感に欠ける顔付きをしていた。


「全く、久方ぶりの実践任務が『死体漁り』とはな。私もモンスター退治の方をやりたかったよ」


「現時点では、海だとあまりモンスターが確認されていませんからね。いたとしても、駆逐艦の出番ですし」


 ジョージがぼやいた言葉に、傍に立つ副官が同意する。周りの兵士達も笑ってはいないが比較的リラックスした様子だ。

 無論彼等は決して気を緩めていない。深海では小さな油断がそのまま死に繋がるし、乗員する仲間をも巻き込むのだから。ましてやこれは訓練ではなく任務。軍人である彼等が行う任務は、国家を、人民を守るためのものだ。どんな簡単なものでも、気を抜くなどあってはならない。

 しかしそれでも彼等に、悪く言えば『緊張感がない』のは、この任務で自分達が死ぬ可能性が低く――――何より命令自体がかなりの無茶振りだったから。

 という指示を聞いた時、艦長であるジョージすらも一体なんの冗談なのかと思ったぐらいだ。


「まぁ、上層部や科学者連中がこのような指示を出す気持ちも、分からないでもないがね。私も彼等の立場なら、とりあえず同じ指示を出すだろうさ」


「それはそうですが、しかしいくらなんでも無茶だと思います。太平洋から高々六十メートルの死骸を見付け出せなんて」


「死骸ならまだマシだぞ。もしかしたら、足の指先しかないかも知れん。強い強い言っても所詮生物だからな……核攻撃を受けてどれだけの残骸が残っているのやら」


 副官と言葉を交わしながら、ジョージは自分達に言い渡された任務、そしてその背景を思い起こす。

 怪獣が現れているのは日本だけではない。世界中のあらゆる地域に出現しており、アメリカだって例外ではない状況だ。

 幸いにしてアメリカは日本ほど怪獣被害を受けていない。軍の規模・装備・法が整っており、また第二次大戦以降も度々戦争をしてきた事で兵士の練度が高く、対怪獣戦闘を思う存分に行えたからだ。また民間に銃が行き渡っていたため、コックマーやテッソのような小型怪獣程度ならば軍や警察のリソースを割かずに済んでいる。更に世界最強と評される兵站能力により、あらゆる地域に物資を滞りなく輸送出来る……あらゆる点で日本以上の『戦闘能力』を発揮し、被害を最小限に抑えていた。

 しかしながらそれも、怪獣達に通常兵器が通じている間の話。日本に現れたガマスル級の大型怪獣ともなると米軍でも苦戦は免れず、大きな被害を受けるようになった。どうしても通常兵器では撃退出来ない個体には、核による滅却を行ったが――――自国内での核使用など自爆に等しい。頼り続ける事など出来やしない。

 実に怪獣とは恐ろしい存在だ。

 だからこそ有用な『資源』でもある。科学者や軍部は怪獣由来の素材から新兵器を開発しようとしていた。それは対怪獣の切り札としては勿論、の世界秩序を担うためにも欠かせない力になると確信しているからだ。

 そしてヤタガラスは、その研究素材として最も魅力的な怪獣だった。

 どんな怪獣をも寄せ付けないパワー、無敵に等しい防御力、戦闘機すら逃げきれない機動力……全てが最高峰に位置する最強の怪獣。しかもレッドフェイスと戦った時には、翼からレーザーまで出したという。

 是が非でも欲しい肉体。

 米軍によるヤタガラスへの核攻撃打診は、そうした思惑があって行われたのだ。そしてそれは三日前、ついに行われた。攻撃は無事成功。ヤタガラスは五百キロトン級の核弾頭の直撃を受け、その姿を消した。

 核攻撃ともなれば身体の大部分は消し飛んでいるだろう。しかし足先や羽根、骨格の一部などは残っている可能性が高い。今頃海底に流れ着いている、筈。

 そんな何処にあるかも分からないような遺品を探すのが、ジョージ達の任務なのだ。ちなみにジョージ達だけでなく他にも幾つかの部隊が参加しているが、きっと皆、同じ気持ちになっているだろう。


「願わくば、道中でサメ怪獣に出会わない事を祈るばかりだな」


 冗談めかした言葉を発しながら、ジョージは優秀なソナー担当が報告を上げるのを待った。


「か、艦長!」


 ただしその報告は、こんな慌ただしい声で行われるとは思わなかったが。

 僅かな困惑。しかし一瞬の時間を挟めば意識は切り替わる。ジョージは総員百五十名の命を預かる、優秀な指揮官へと変化した。


「何があった」


「そ、ソナーに反応。海底に巨大な、と、鳥のような構造体が……」


「何――――モニターに出せるか」


 そんな馬鹿な、という思いが込み上がりながらもジョージは指示を出す。

 サンフランシスコ級は海底調査が主な任務であるため、船外の様子を見るために高感度カメラとライトが備え付けられている。ジョージの指示と共にライトは付けられ、モニターの電源も入った。

 そこに映し出されたのは、黒いもの。

 しかしモニターの異常ではない。よく見れば黒いものが、無数の羽毛で覆われていると分かる。原潜が進めども進めども、羽毛に覆われた身体の終わりは中々見えない。

 それでも数十秒と移動した時、ついにカメラは捉えた。

 海底で眠るように横たわる、ヤタガラスの姿を。


「……マジかよ」


 誰かのぼやきが聞こえた。ジョージも、一般兵という立場なら同じ声を発したに違いない。

 ヤタガラスの身体は、バラバラどころか全くの健在だった。翼や足は折れておらず、身体は真っ二つになっていない。羽毛が剥げたところすらない有り様だ。ハッキリ言って無傷と言って良い。カメラが映し出している頭部も同じだ。嘴は勿論、目もしっかりと閉じていて、恐らくは無傷だろう。

 これは、日本で暴れ回ったのとは別個体なのだろうか?

 ジョージの脳裏を過ぎったのはそんな考え。何故鳥が海の底で偶々倒れているのかと言われたら何も答えられないが、しかし核攻撃を受けて無傷というのと……どちらが現実的なのか、考えるほどに分からなくなる。ジョージは決して頭の鈍い男ではないのだが、この非現実な光景には流石に理解が追い付かない。巡れども巡れども思考がろくな答えを出す事はない。

 賢いジョージは、一旦考えるのを止めた。思考の放棄ではない。謎を解明するには、あまりにも情報が足りないと判断したのだ。そもそも自分達の任務は、海底で見付けた怪獣についてあれこれ考える事ではない。見付けた怪獣の『死骸』を本国へと持ち帰る事である。

 何時終わるか分からない任務の、終わりの時がやってきたのだ。むしろこの状況は喜ぶべきだろう。


「……ヤタガラスの回収を行う。とはいえ全身が残っているのは想定外だ。本部と連絡を取り、対応を協議する。我々はしばしこの海域に待機し、海洋生物が怪獣の遺骸を摂取しないよう見張る」


「イエッサー」


 新たな指示に乗員達は応答し、各々の仕事に尽力する。一時はどうなるかと思ったが、冷静に考えればこれは吉報だ。一部だけでも手に入ればと思っていた身体が、丸ごと入手出来たのだから。これならさぞや研究も進むだろう。

 アメリカに栄光と繁栄あれ。軍人としての気持ちを昂ぶらせながら、ジョージはヤタガラスを映すモニターに視線を向けて

 


「……!?」


 ぞわりとした悪寒がジョージの背筋を走る。が、その予感が役に立つ事はない。

 次の瞬間、ジョージ達の乗るサンフランシスコ級原子力潜水艦が激しく揺れたのだから!


「ぐあぁ!?」


「ぬぉ!?」


「ぎゃあっ!?」


 席に座っていた乗組員が吹っ飛ばされ、天井に叩き付けられた。そう思ったのも束の間、今度は壁に叩き付けられ、床へと戻される。不運な隊員が器材の角に頭を打ち、ごろりと力なく転がった。

 そして今、ジョージは艦長席の椅子に掴まり、宙ぶらりんの状態となっている。

 どうやら潜水艦がらしい――――あまりにも馬鹿げた推論だが、自分の体勢からそう判断するしかない。百メートル超えの巨船が、僅か数秒でその向きを変えられたのだ。


【グガアアアアアアゴオオオオオオオ!】


 その犯人は自ら名乗りを上げてくれた。

 ジョージはようやく理解する。

 ヤタガラスは核攻撃の直撃を受け、三日間も海中にいながら生きていたのだ! どうして? どうやって? 何も分からない。分かる筈がない。そんなのは人間の常識外、否、常識的に考えれば起きてはいけない事なのだ。

 されどこれは夢に非ず。

 潜水艦の壁が突然破れた。巨大な『爪』が、水深一千メートルの水圧にも耐えるほど頑強な装甲を貫いたがために。中に大量の海水が流れ込み、あらゆる器材を破壊していく。

 潜水艦は更に左右にぐらぐらと揺れる。ヤタガラスは潜水艦をオモチャか何かと思っているのか。積極的に壊そうとはせず、右へ左へと気ままに動かす。とはいえあまりにパワーが大き過ぎて、潜水艦はどんどん破損していった。警報が鳴り響いていた時間は一分となく、非常灯も消えた。ヤタガラスが飽きて捨てたところで、もう誰も助からない。


「あ、あぁ……」


 艦長ジョージは、死を自覚した。身体がぶるぶると震え、暗闇の中で目を大きく見開く。

 されどその心を満たすのは恐怖ではない。人智を超えたものと、あらゆる生命を超えたものと、鉄の壁越しにではあれども肉薄した事への『感動』。

 ヤタガラスは、モンスターなどではない。人智を超え、生命を超えたそれを示す名はただ一つ。


「怪獣……これが、怪獣……!」


 恐怖を通り越した、感嘆の声でジョージは十数メートル先の生命に向けて呼び掛ける。

 その声がヤタガラスに届く事はないまま、全てが海の藻屑となって消えるのだった。

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