市街地決戦

 早朝六時十五分。

 冬の終わりも近付いてきた時期だが、日が出ていない今は極寒としか言えない寒さだった。霜も降りていて、地面を踏み締めればシャキシャキと音が聞こえてくる。吐く息は白く、露出している頬や手がじんじんと傷んだ。

 これでも例年と比べれば随分暖かなもので、地元民である百合子は外に出ていても、あまり苦ではない。隣に立つ真綾と茜も同じだろう。そして彼女達以外の、公園で一夜を明かした避難者達も。もしかすると、百合子達の背後に立つ自衛隊員達が一番辛く感じているのかも知れない。

 公園の鉄柵に寄り掛かるようにして眺める百合子達の視線の先には、未だ眠り続けているサル怪獣レッドフェイスの姿がある。夜の寒さは彼等にとっても堪えるのか、昨晩見た時よりも身を縮こまらせているように見えた。爆薬よりも寒さの方が彼等を苦しめるとは、自然とはやはり雄大なもののようである。

 尤も、人類が頼れるのは寒さではなく、爆薬しかないのだが。


「防衛省の発表によれば、レッドフェイスの傍に大量の爆薬を設置しているらしいわ。近くの基地に備蓄していたありったけの爆弾らしくて、全部吹っ飛ばせばTNT換算で約三百トンとかなんとか」


「それ、どれぐらいの威力なの?」


「広島型原爆の五十分の一。まぁ、生物相手に使う分には間違いなく過剰よ。多分普通の怪獣で使う量よりも遥かに多いし、寝ている間に喰らわせれば、流石に倒せる……かも」


 曖昧な言い方で終わらせたように、どうやら確証はないらしい。

 レッドフェイスは過去に撃破例がある怪獣だ。その時のデータから必要な爆薬の量を計算し、ありったけの爆薬を使えば倒せると自衛隊は判断したのだろう……そう思うのと同時に、百合子の脳裏には『もしも』が過る。本当は倒せないと思っていて、だけど何もしなければジリ貧で国が滅びるから、一か八かの攻勢に出ているのではないかと――――


「……成功、すると良いですね」


 百合子にはただ、祈る事しか出来ない。

 真綾が調べた政府発表曰く、作戦は日の出前の午前六時半に行われるという。作戦開始と共に爆破が行われ、ここでレッドフェイスを撃破。これでも倒せなかった個体がいた場合、周囲に展開した五十両の戦車と千名の歩兵、十三機の航空機と十二機の爆撃機、更に海上に展開した二隻の護衛艦からの援護射撃を行うらしい。爆破の時点で十分な傷を与えられる筈なので、その後の通常兵器でも撃破は可能との事だ。また爆撃機は安全のため高度七千メートルを維持し、万一撃破された場合も、高度一万メートルまで上昇して戦闘を継続する。

 話だけなら、悪くない作戦だと百合子は思う。真綾も「一番現実的かも。他の地域にも怪獣は出ているから総力戦なんて出来ないし」と話していた。

 しかし怪獣は、そもそも人智を超えた存在だ。果たして計算通りにいくのか? そんな不安を百合子は抱いたが、時の流れは変わらず。

 スマホの時刻が六時二十分を刺した。そろそろ作戦が始まる頃だし、少しでも安全なテント内に戻った方が良いかも――――と思った、その時の事だった。

 レッドフェイスの一匹が、


「……えっ?」


 ただそれだけ。それだけの動作で百合子は顔を青くし、避難者達からどよめきが起きる。背後に居る自衛隊員達も慌ただしく動き出す。

 政府発表のレッドフェイス撃破作戦は、寝ている間の奇襲だから効果的なのだ。起きた時に爆破しても、守りを固められてしまうかも知れない。いや、そもそも動き出したら、恐らくは一番効果的な位置に設置されたであろう爆弾の威力が薄れてしまうではないか。

 これで起きたのが一匹だけなら、作戦を強行しても良かったかも知れない。だが一匹が起きるのと共に、レッドフェイス達は次々に目覚める。中には寝ぼすけもいたようだが、仲間にどつかれて目を覚ます。

 まだ起爆すらしていないのに作戦失敗が確定した。しかし百合子の中には絶望感よりも、疑問の感情が色濃く湧き出す。

 何故レッドフェイス達は目覚めた? まだ日の出すら迎えていないのに。元々この時間に起きているのか、それともレッドフェイス達の傍で作業していたであろう自衛隊員が何かヘマをしたのか――――

 様々な可能性を考える百合子だが、答えは『空』から現れる。

 町中に墜落してきた、戦闘機という形で。


「えっ!? い、今のって戦闘機!?」


 高速で墜落してきたそれをちゃんと目視出来たのは茜だけ。市街地に突っ込んだ瞬間戦闘機は粉々に砕けながら爆散し、今や炎だけがその痕跡を示しているのだから。

 一機だけでは百合子には何がなんだか分からなかった。

 けれども次があった。続々と戦闘機達が空から落ちてきたのである。中には爆撃機まで落ちてきて、市街地を火の海に変えた。

 爆弾は失敗。戦闘機も墜落。人類側は、まだ何もしていないのに無残な『敗退』を繰り返す。

 けれどもレッドフェイス達に愉悦や余裕の感情は見られない。それどころかどんどん警戒心を強めていく。六匹は立ち上がるや、寝起きの身体に覇気を滾らせていった。


【ホォオアアアアオオオオオッ!】


 そして一匹のレッドフェイスが、空に向けて吼える。

 大地が震えるほどの雄叫び。彼から何キロも離れた場所にいる筈の百合子ですら、その大声で身体がびりびりと震えるのを感じた。こんなものに勝てる訳がないと、力の差をまざまざと思い知らされる。避難所の人間達の多くが自分を上回る力の存在に恐怖し、腰を抜かすように倒れる者も少なくないほど。子供や女性の悲鳴も聞こえ、混乱が場を支配していた。

 だが、夜明け前の空に浮かぶ『奴』は一切怯まない。


【グガアアアゴオオオオオオオオッ!】


 それどころか更なる咆哮で、レッドフェイスを威嚇する!

 空から響き渡る大咆哮。レッドフェイスの雄叫びも凄まじかったが、空からの咆哮はそれ以上のもの。圧倒的な大気の震えは、身体が痺れるという域を超えている。

 最早誰もが唖然とするのみ。足腰が砕けようとも、へたり込んでしまおうとも、女子供すらも泣き止み、誰もが声すら上げない。誰もが、恐怖さえも忘れてしまう。


「まさか、この声……!」


 ただ一人、茜だけが憎しみの感情を抱いていて。

 人々の視線が集まる中、大空から悠然と怪獣――――ヤタガラスが降りてきた。


【クルルルルル……】


 唸り声を発しながら、ヤタガラスはゆっくりと翼を羽ばたかせながら降下。その周囲を、まるで真っ赤な花吹雪のように何かが幾つも落ちてくる。

 よく見てみれば、それは燃えながら落ちている戦闘機達だった。

 ヤタガラスの攻撃により撃墜されたのだ。しかし自衛隊の攻撃目標はあくまでもレッドフェイスであり、通りすがりのヤタガラスに喧嘩を売るとは百合子には思えない。恐らくはヤタガラスが、自ら積極的に落としたのだ……という記憶を持つが故に。

 人間達の想いと祈りを乗せた決死の作戦は、ただ一匹の怪獣が襲来しただけで破綻した。されど怪獣ヤタガラスは、自分がどれだけの事をしでかしたかなど、興味すらないだろう。その鋭い眼が捉えるのは、地上にいる六匹の怪獣達なのだから。


【……ウウゥウウウゥゥ……!】


 レッドフェイス達は全身の力を滾らせ、闘志を燃やしていく。数では圧倒的に有利な彼等だが、油断は微塵も見せていない。どうやらヤタガラスの力がどれほどのものか、本能的に察知したらしい。

 歩き出すレッドフェイス達の足下で、小さな爆発が起きる。踏み潰した際の火花で爆発したのか、それとも誤作動でも起こしたのか。いずれにせよレッドフェイス達には傷一つ付かず、彼等は足下の爆発に意識すら向けない。人間の存在など、完全に蚊帳の外だ。

 彼等怪獣達は人間の事など眼中にない。その足下にいる生き物が、この星の支配者だという事に気付いてもいない。人間にとってはあまりにも屈辱的な光景だ。

 或いは、この決戦の舞台の上に自分も上がるのだと意気込んでいた、人間こそが滑稽なのか。

 百合子には、後者のように思えてならない。それほどまでに二種の怪獣の存在感は圧倒的で。


【グガアアアアアアアアアアアアアアッ!】


【ホォオアオオオオッ!】


 自分達の町で激突しようとする怪獣達に、百合子は嫌悪を抱く事が出来ぬまま、その戦いを目の当たりにするのだった。

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