占拠された町
町のど真ん中で、すやすやと眠る六匹の獣。
百合子達の町を襲った怪獣・レッドフェイス達は、夜を迎えた今ではすっかり大人しくなっている。身体は大きくても根本的には動物なのか、暗くなったらすぐに寝てしまった。町が破壊された事で明かりがないものの、空に浮かぶ満月が彼等を照らす。寝息は聞こえてこないが、月明かりの中でゆっくりと上下する胸の動きから、その熟睡度合いは窺い知れた。
それと寝顔も。
町で暴れ回って疲れたのだろうか。その顔に『怪獣らしさ』はなく、熟睡する子供のように穏やかだ。よくよく見れば個体ごとの特徴も発見出来、むにゃむにゃと口許を忙しなく動かしてるものや、死んだように動かないものもいる。五匹に指示を出していた個体の顔にはあまり特徴がないが……ごろごろ頻繁に寝転がる辺り、寝相が良くないらしい。
観察してみれば様々な個性が見えてくる。正直なところ可愛らしいと――――町を見下ろせる公園の縁にある鉄柵に寄り掛かりながら、彼等の寝顔を見ていた百合子は思った。
「こうして寝てれば可愛いのにね」
「檻の中なら愛でていられる可愛さよね」
その心を読んだように、何時の間にか傍に来ていた友達二人が話し掛けてくる。
驚いた百合子はびくりと身体を震わせ、反射的に声の方に振り返る。自分と同じく公園の鉄柵に寄り掛かる茜と真綾が居た。
百合子はくるりと後ろを振り返るようにしながら、怪獣や友人達以外のものに視線を移す。
移した先の光景に、百合子は顔を顰めてしまったが。
百合子達がいる公園……レッドフェイスから逃げた人々が集まる避難所には、何台もの自衛隊車両が集まっていた。給水車やお釜を乗せた車(炊飯自動車というらしい)などが集まり、人々に食事を配っている。テッソ・コックマー襲撃時には缶詰ぐらいしかなかったが、今回は暖かな味噌汁や野菜スープ、そして十分なお米も振る舞われていた。寝場所として提供されたテントも完備され、医療設備も充実。待遇としては、以前よりも遥かに良い。
強いて劣っている点があるとすれば、付近を照らす投光器の明かりが弱い事。眠っているレッドフェイスが起きないように、万一目覚めてもこちらを目指したりしないようにと、警戒した結果だ。
怪獣レッドフェイスはまだ町に居座っている。自衛隊が倒せなかったどころか、誘導すら出来ず、挙句爆撃機を落とされてしまったがために。公園で自衛隊からの配給を受け取ってる人々も、顔に嬉しさや安堵はなく、一部は自衛隊に侮蔑混じりの眼差しを向けている有り様だ……彼等からもらった食事を、感謝もなく口にしながら。
「見て分かる通り、避難所内の雰囲気は最悪よ。お通夜状態。もしかすると情けない自衛隊相手に暴動が起きるかも」
「えっ。そ、そんなに悪いのですか?」
「まぁ、確率一パーセントぐらいだと思うけどね。普通の人は暴れたところで意味ないどころか、明日のご飯に困る事も理解しているし。でも一パーセントぐらいの阿呆が、何か画策してるかも」
「こーら、不安を煽るんじゃないよ」
「可能性の話をしたまでよ。備えあれば憂いなしって言うでしょ?」
ジョークのように言葉を交わし合う真綾達。本当に危険な状態という訳ではないと分かり、百合子は安堵の息を吐いた。
……真綾が一パーセントの阿呆と生じた、暴動を起こそうとしているかも知れない人々の気持ちも、百合子は少し分かる。
裏切られた、という想いだ。暮らしを守ってくれる、助けてくれる。そう信じていた自衛隊が、ボコボコにやられたのだから。勿論彼等は今こうして、寝惚けたレッドフェイスが襲い掛かってくる危険も厭わず避難者に食事を持ってきてくれている。そこに感謝こそすれ、恨んだり罵ったりするのはお門違いだ。
そもそも期待を裏切られたとして、じゃあ自衛隊以外が対処したらどうなったかといえば……答えは言うまでもない。誰がやっても変わらないのだから、本来なら失望すら誤りなのである。彼等に掛けるべき言葉は、憎悪ではなく労い。
尤も、人間がそこまで理性的なら、世界に蔓延る問題の幾つかは解決しているだろうが。
「まぁ、それでも実際に助けてもらってる人達は大人しいもんよ。むしろ五月蝿いのは外野ね」
「外野?」
「ネットの掲示板とか、マスメディアは大混乱ね。SNSで過激な自衛隊嫌いが爆撃機撃墜を喜んだら、正義感に燃えた人々が突撃して大炎上。攻撃された側がてきとーな嘘を吐いて、嘘に釣られた人々が参戦して、今度は釣られた人々を攻撃……建設的な議論のない、罵詈雑言が飛び交うばかり。マスメディアは政治の責任を問うばかりで、政府はその責任逃れの答弁ばかり。解決策なんて誰も出しやしない」
「う、うわぁ……」
「だーれも真面目にこの問題に取り組んでない訳? そりゃ、あくまでも私らの町で起きた事だけどさ」
「現実味がないのかもね。怪獣が自衛隊を撃退し、町を占拠するなんて」
真綾の言葉に、百合子は確かにと納得する。彼女自身、未だに現実味が感じられないのだ。自分達の町が怪獣に乗っ取られるなんて。他の避難者達も似たようなものかも知れない。
ならば例えこの町の住人だとしても、避難所にいない人々の気持ちは、どちらかといえば外野よりだとしても仕方ないのだろう。
「……む」
「ん? どしたの?」
「あ、いえ。スマホにメッセージが……多分親からかと」
百合子はスマホを手に取り、届いたメッセージを確認。予想通り、そこには母からのメッセージが来ていた。
百合子の両親は避難所に来ていない。レッドフェイス襲撃時、共働きの二人は町の外に出ていたからだ。そして現在町への立ち入りは禁止されており、夜になっても両親は町の外である。故に連絡はスマホのメッセージで交わしていた。
今回来たメッセージには百合子を気遣う言葉、避難所でのアドバイスなど様々な内容が書かれている。あまりにも基礎的な内容に「私これでも三度目の避難所生活ですけど」とも言いたくなるが、分かっていても言いたくなるのが親心なのだろう。鬱陶しいという想いと、嬉しいという気持ちが重なった、複雑な心境になってしまう。
ただ一つ、明確に止めてほしい点が一つ。
この避難所に来ようとしているという部分だ。
「……まぁーだ来ようとしてます。迷惑になるから止めてってハッキリ言ったのに」
「あら、羨ましいわね。子供のために他人の迷惑も顧みず、危険を犯してくれるなんて。うちの親なんてメッセージ一つ寄越さないのに」
「真綾さん、その話をジョークみたいに言うのは止めてください。どう答えたら良いか分からないので」
「あはは、うちの方も百合子と似たようなもんだよ。父さんとばーちゃんがいなかったら、絶対母さん単身でやってきたねこりゃ」
茜はポケットから取り出したスマホを、百合子に見せてくる。画面に映し出されたのは親からのメッセージだが、今すぐ行くの一言の後、音信がしばらく途絶え……「いけなくなりましたごめんなさい」の文字が。
親というのは、一部を除いて似たようなものらしい。そしてそれは自分達だけではなく、避難所の人々にとっても同じだろう。
勿論百合子達だって何時までもレッドフェイスの傍に居たい訳ではない。自衛隊の方でも車やヘリコプターを使った避難者輸送が行われていた。しかし少なくとも百合子達の避難所では、これは遅々として進んでいない。何しろ町にある避難所はこの公園だけではないのだ。より危険度の高い地域から順次行われており、比較的安全な百合子達の避難は後回しにされている。しかもヘリコプターなどの空路は音でレッドフェイス達を起こしてしまう可能性があるため、夜間は使えない有り様。車両も音を鳴らさないよう、
加えて日本の怪獣被害はレッドフェイスだけではないのだ。自衛隊所属の車両は全国で殆ど出払い、余力は一切ない状態。怪獣が町に居座っているケースは此処だけらしいので、その意味では最優先になってるかも知れないが――――全国に散った車が一晩で集まる筈もなく。
外から出られず、中には入れず。避難者の親族が不安に駆られ、『暴走』する気持ちは百合子にも分からなくもない。けれどもそれを止めるために自衛隊や警察の人員が割かれてしまうと、避難は一層進まない。正に悪循環だ。
「朝になったら、避難出来るかなぁ」
「どうかしら。もしかしたら、避難どころじゃないかも」
「え? どゆ事?」
茜の言葉に答えた真綾は、しかしすぐには語らず。小さくない息を吐いてから、つらつらと話した。
「明日の日の出頃、レッドフェイスに対して自衛隊が総攻撃を行うつもりらしいわ。テレビの速報で流れたって、ネットに載ってた」
「はぁ!? 日の出って……私らの避難は!?」
「後回しね」
「あ、後回しって……」
「政府や自衛隊からの公式な説明はないわ。でも深夜零時に会見予定だし、ま、デマではなさそうね」
「そ、そんな、なんで……」
「どうにも東北地方は輸送路が怪獣に次々と潰れているらしくてね。この町は残り少ない道の一本。あと海沿いにある此処と隣町は工場が多いから、この辺りの物流が途絶えると日本全体の産業が立ち行かなくなる。つまりこの町を占拠されていると、他の戦線に悪影響が出てくるという軍事専門家の話がネットに掲載されていたわ」
「だからって、そんな明日すぐになんてやらなくても! 私らが避難して、何日か経った後でも良いじゃない!」
「駄目なんでしょ。避難者全員運ぶのに相当時間が掛かるんじゃないかしら。で、それを待っていたら他の戦線の補給が持たない。そろそろ人命を優先してる場合じゃないって事よ」
真綾の言葉に、茜と百合子は言葉を失った。
怪獣が現れて僅か数ヶ月。テレビやネットで状況の悪さは理解していたつもりだったが……まさかそこまで追い詰められていたとは思わなかった。
いや、思いたくなかったと言うべきだろうか。怪獣が出てきても人間の社会はそこまで変わらない、変わるとしても受け入れられる程度の変化で済む……無意識に、根拠もなく、そうなると期待していた。けれども現実は人間の甘さを容赦なく踏み潰し、追い詰めてきている。
自衛隊や政府の人達はそうした現実を直視していたのだろうか。自分達も見ていれば、何かが変わっただろうか。
……多分何も変わらなかっただろう。怪獣達がこんなにもたくさん、そしてこんなにも強くなって現れるなんて、誰にも分からなかったのだから。
人間の力ではどうにもならない事態。今まで百合子は人間が万物の霊長だとか、人間に乗り越えられない事態などないとは思っていなかったが……こうも突き付けられると、少し気持ちが落ちてくる。なんやかんや自分も ― 恩恵を受けるばかりで未だ発展に寄与などしていないのに ― 自惚れていたのだと痛感した。
そして気持ちが落ちると、神仏に頼りたくなるもので。
「……ヤタガラスなら、レッドフェイスも倒せるのでしょうか」
思わず、そう呟いてしまう。
しまったと思った時にはもう遅く、茜が、鋭い眼差しで百合子を睨み付けてきた。
「百合子。それ、どういう意味?」
「……ガマスルのように、ヤタガラスならあのレッドフェイス達も倒せるかも知れないと思ったからです。すみません、軽率な発言でした」
問われた百合子は隠さずに本心を答える。茜の気持ちを傷付ける言葉なのは事実。
しかし他にレッドフェイスが倒せる可能性がないのも事実。
茜は憎悪と、けれども認めなければならない気持ちなどをない混ぜにした、複雑な表情を浮かべた。そっぽを向いてしまったのは、つまるところ反論がないからだろう。
「……まぁ、確かにアイツは強いみたいだからね。ガマスルも大してダメージを負わずに倒したし」
「どうかしらね。レッドフェイスは群れだし、知能も高い。意外と苦戦するかも……そもそも来るとは限らないけど」
真綾が言うように、ヤタガラスが来なければただの絵空事だ。そんなのは百合子にも分かっている。
けれども、来てくれたならまたしばらく町で暮らせるかも知れなくて。友達との時間も、少しは長引かせられるかも知れなくて。
友人が憎んでいる相手の襲来を期待してしまう自分の浅ましさを呪いながら、百合子は眠り続けるレッドフェイス達を眺めるのだった。
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