怪獣群団

 ヤタガラスと世界情勢に関する話は、それから一時間と続かずに終わった。いや、終わらされたというべきだろうか。


「……じゃあ、もうヤタガラス退治の方法の話し合いは、今日で止めにしようか」


 この話し合いの、そもそもの提案者である茜がそのように語ったからである。

 一瞬、百合子はとても驚いた。ヤタガラスへの憎しみをあれほど強く抱いていた茜が、どうしてヤタガラスがまだ生きているうちにそんな事を言い出すのかと。しかし考えてみれば、答えはすぐに明らかとなる。

 ヤタガラスが公海上に出れば、米国より核兵器が使われる。

 勿論それが本当であるという確証はないのだが……ネット上ではちらほらと、その情報が溢れてきた。いずれアメリカ・日本政府から公式な発表があるだろう。そして世界情勢や怪獣との戦局、ヤタガラスの強さを鑑みれば、恐らく核使用に対して肯定的な話になると思われる。

 つまり核兵器の使用という最終手段が取られるようになった事で、もう、自分達が退治方法を考えずともヤタガラスの死は確実なのだ。それはヤタガラスへの復讐を求めていた茜から、『生き甲斐』を奪い取る事に等しい。勿論、復讐を生き甲斐にしているというのはあまりポジティブな印象がしないから、止めてくれるなら嬉しいとは百合子も思うが……しかし姉を失ったと知った時の、何もかも絶望した茜の顔を知っている身としては、生き甲斐を失った友達の心が心配になる。

 ましてや、今の表情がその時の顔に近付いていると思えば、心配するなという方が無理というものだ。


「……止める必要はないんじゃないでしょうか」


 だからだろうか。考えもなしに、そんな言葉が百合子の口から出てきたのは。

 茜がキョトンとした顔で見つめてくる。無意識の発言を今になって自覚した百合子は、狼狽えながら弁明した。


「い、いえ、あの。確かに核兵器でヤタガラスは倒せると思いますけど……でもヤタガラスだって一匹とは限らないじゃないですか。何匹も出てきて、その度に核兵器を使うのは流石に不味いと思うんです。そもそも日本国内じゃ使えない訳ですから、より良い方法を探すのは無駄じゃないと言いますか……」


 つらつらと、我ながらよくこんな思い付きで話せるものだと思いながら、百合子は茜を説得する。いや、そもそも何故こんなにも説得しているのか。茜の中では、先の話をきっかけにして区切りが付いたかも知れないのに。

 話せば話すほど、自分の言ってる事の『正当性』が疑わしくなってきて、百合子は言葉が続かなくなる。ついには狼狽えるばかりで、声も出なくなってしまう。

 その場限りの言葉なのを隠せていなかったが、茜はくすりと笑うと、百合子と肩を組むようにくっついてきた。


「あはは! そうだね、そりゃそうだ。そもそも核攻撃はヤタガラスが公海に出たらやる訳だけど、アイツがそこまで飛ぶか分からないし」


「確かにね。見たところ海鳥ではなさそうだものね」


 茜の言葉に真綾も同意。気遣うつもりが気遣われて、百合子はほんのり頬を赤くする。けれども茜に明るさが戻ってきて、百合子の口許には自然と笑みが浮かぶ。

 ――――その笑みを掻き消したのは、スマホから鳴り響く警報だった。


【緊急怪獣速報。緊急怪獣速報。付近に怪獣が出現しました。直ちに避難してください】


「えっ。また……!?」


 ほんの二週間前に怪獣ガマスルと出会ったばかりなのに、またしても近くに怪獣が現れるなんて。そんな驚きから思わず声に出してしまった百合子だが、しかし冷静に考えれば、それもまた仕方ないと思う。

 自衛隊による駆除が出来ないという事は、もう、怪獣の数はろくに減らないという事。そして毎日何体もの新たな怪獣が現れるのだから、基本的にその数は増えていく一方なのだ。遭遇頻度が増していくのは仕方ない。

 世界は変わろうとしている。或いは、もう変わってしまった後なのかも知れない。

 ならば一般人に出来るのは、そこに適応する事だけだ。


「今度は何が現れたのかしらね……」


「えっと……あ、今回は名前書いてますね」


 真綾の疑問に答えるべく、スマホの画面に表示された怪獣の名前を百合子は見る。


「レッドフェイスの、らしいです」


 そしてスマホに書かれていた文字を、友達二人に伝えるのだった。






 そいつの外観で何よりも目を引くのは、炎のように真っ赤な顔だろう。

 或いはその赤い顔を引き立てる、真っ白な体毛だろうか。臀部にも毛は生えていないのだが、長く伸びた体毛がそこを隠しているため、赤いお尻はあまり見えない。結果、顔の赤さだけがよく目に付く。

 顔付きはニホンザルと酷似していた。とはいえニホンザルと似ているのは顔立ちだけ。二本の長い腕は非常に筋肉質で、豪腕と呼んで差し支えない。脚部もとてつもなく太く、極めて強靭な筋肉があると、見ただけで分かるほど発達していた。普段は四足歩行をしているが、二足歩行も左程苦もなく行えるところからも、足腰の強さが覗い知れるというもの。背筋や腹部の筋肉も盛り上がり、非常に逞しい。そしてこれらは全身を覆う白い毛の上からでも窺い知れる特徴。もしも毛を剃り落としたら、一体どれほど鍛え上げられた肉体が出てくるのか想像も付かない。

 レッドフェイス。現時点では日本にのみ現れているサル型怪獣であり、過去の出現数三体というちょっとレアな種類……此度百合子達の町に現れたのはそんな怪獣だ。

 しかも町に現れた数は

 緊急怪獣速報に書かれていた通り、怪獣は群れで現れたのである。今のところ群れは統率の取れた動きはしておらず、自由気ままに歩く程度。それでも拳を前に出す度に家が潰され、邪魔だと思われたのかマンションが崩され……怪獣達はやりたい放題だ。


「あれが、レッドフェイス……」


 百合子はそんなレッドフェイス達の姿を、町にある高い丘の上から眺めていた。

 此処は避難場所に指定された公園の一つ。平時であればその標高の高さから、麓に立ち並ぶ住宅地と、その向こう側に存在する海も見える場所だ。レッドフェイス出現の一報により、既に大勢の人達と、たくさんの警察や消防が集まっている。百合子の家からは比較的近所であり、混雑する前に来る事が出来たが……そうでなければ麓を見下ろせる公園の縁から、レッドフェイスの姿を観察する事も出来なかっただろう。

 それは百合子の傍に立つ、茜と真綾も同じだ。


「体長はどれもざっと六十メートル……自衛隊の戦力で倒せるかは微妙なところね」


「そうなの? でも一週間ぐらい前の新聞に書いてなかったっけ? レッドフェイスを関西の自衛隊が撃破したとかなんとか」


「ええ。でもあの時の個体は体長五十八メートル。在日米軍も協力してどうにか撃破したけど、壊滅的な被害を受けたそうよ」


「五十八メートルでどうにか……それが今回は六体も……」


 もしかしたら、此度現れたレッドフェイスは倒せないかも知れない。

 そうなれば当然、百合子達はもうこの町で暮らしていく事は出来ないだろう。いや、住もうと思えば住めるかも知れないが……怪獣が傍に居て、日常生活なんて送れる訳がない。百合子の両親なら、きっと何処かに引っ越そうとする筈だ。

 そして茜と真綾の家も同じであり、けれども何処に引っ越すかはそれぞれの事情次第。

 ――――ワガママなのは承知しているし、もっと他に願うべき事があるのも分かっている。月並みな台詞だが、生きていれば何処かで再会するチャンスもあるだろう。だが百合子にとっては、友達と一時でも離れ離れになる方が辛い。

 どうか、あの怪獣だけは倒してほしい……百合子はそう願った。

 祈りに呼応するように、上空から甲高い音が聞こえてくる。


「自衛隊機……!」


 顔を上げた百合子は、空に十数機の戦闘機が飛んでいる姿を目にした。


「アレは、空爆機っぽいわね。強力な爆弾で六匹纏めて一掃する気かしら」


「ちょっと、流石に雑過ぎじゃない? 町も滅茶苦茶になるじゃん」


 茜が不信感を滲ませた表情を浮かべる。空爆で怪獣を一掃、といえば聞こえは良い。しかしながらそれは、周辺の家も一掃する事と同義。避難者の生活は跡形もなく吹っ飛ぶし、脚が不自由などの理由から逃げ遅れた人も巻き込む恐れがある。

 手加減しろとは百合子も言わないが、もっとピンポイントな攻撃をすべきではないかとは思う。ところが真綾の意見は、茜とも百合子とも違うものだった。


「いいえ、むしろそうすべきよ」


「……なんでさ」


「怪獣とはいえサルの群れだもの。速攻で潰さないと他の個体が学習して対策を練るかも――――」


 真綾は説明しようとしたが、その言葉を最後まで聞き取る事は出来ない。

 真綾の話などお構いなしに、自衛隊による空爆が始まったからだ。

 空爆機から落とされる巨大な爆弾が地面に着くや、巨大な爆炎と粉塵が舞い上がる。爆発の大きさは、ざっと五〜六十メートルはあるだろうか。一発で全身が隠れるほどの爆発に、レッドフェイス達は大きく跳び退くほど驚いた。

 次いで、レッドフェイスの何匹かが空を見上げた。


【ブホオゥオウオウッ!】


 空爆を仕掛けた空爆機を睨みながら、レッドフェイスの一体が威嚇するように吼える。

 どうやら今し方の爆発が空爆機からの攻撃だと理解したらしい。中々の知性だが、気付いたところでどうしようもない。

 巨大怪獣の撃破こそ出来ないが、それでも空爆は未だに有効な攻撃手段だ。何しろ空高く飛んでいる航空機からの攻撃であり、地上を闊歩する怪獣では決して航空機まで届かない。ガマスルのような一部怪獣は、数百メートルの射程を持っているが……それで落とせるのは精々攻撃ヘリ程度。空爆機が飛ぶ何千メートルもの高さには遠く及ばないのだ。

 そして高い攻撃力は、例え倒せずとも怪獣達にそこそこの痛みを与える。全く痛くないなら無視もするだろうが、痛いものを何時までも無視など出来ない。

 そこに戦車砲という嫌がらせがあれば?


【ブボホォ!?】


 眼前に戦車砲の直撃を受けたレッドフェイスの一匹は、大きな雄叫びと共にひっくり返ってしまう。

 戦車砲は百合子達がいる避難所とは、直角の方から放たれていた。万一弾が外れても、流れ弾が百合子達のいる避難所には来る事のない角度だ。目を凝らしてみれば、そこにある小高い山に戦車の姿が見える。数は十数両。距離は、ざっと数キロは離れているだろうか。

 これだけ離れていながら自衛隊の砲撃は極めて正確で、動き回るレッドフェイスの顔面に次々と砲弾を当てていく。無数の砲撃と空爆により、レッドフェイス達はかなり鬱陶しそうに顔を歪める。敵意を露わにし、苛立ちを発散するように手足をバタつかせていた。

 すると戦車と空爆機は、そそくさと遠くに離れていくではないか。

 しかし攻撃を止めた訳ではない。戦車は後退しながら砲撃を繰り返し、空爆もちょいちょいとやっている。だが総攻撃といった様子ではない。まるでちょっかいを出すような、こじんまりとした攻撃だ。こういうのも難だが……が感じられない。


「成程。倒せばせずとも、誘導は出来るって訳ね」


 そんな奇怪な攻撃を、真綾は誘導だと語る。

 百合子もその説明に納得した。町から怪獣を追い出す方法は、倒すだけではない。敢えて挑発し、移動を促すのも立派な作戦だろう。それこそクマやイノシシを山へと追い返すように。

 勿論駆除しなければ、何時かまた人間の町にやってくるかも知れない。遺族感情として納得出来ないのも分かる。けれども町から追い出せたなら、とりあえず家に戻り、避難の準備をする時間ぐらいは稼げる筈だ。

 友達との別れをする準備だって、出来るだろう。


「……頑張って……」


 その結果に満足する訳ではない。けれどもベターな結末ではある。百合子は奮戦する自衛隊に、小さな声ではあるがエールを送った。

 ――――『妥協』したものすらも、贅沢な望みだと思わぬままに。


【ホ……ホォワォオッ!】


 レッドフェイスの一匹が、爆発音に負けないほどの大声を発した。

 すると空爆や砲撃に苛立っていた他の五体の動きが、ぴたりと止まる。空爆や戦車砲に顔を顰めるのは変わらない。けれども致死的でない攻撃をじっと耐え、大声を出した一匹の周りに集まる。


【ホォオゥ! ホゥホウホォウ!】


 仲間達に囲まれたレッドフェイスは、大声で吼え続ける。爆風にも負けない大声を至近距離で聞けばさぞや五月蝿い筈だが、他のレッドフェイス達は騒ぐ一匹の傍から離れようともしない。

 いや、そもそもその一匹の騒ぎ方からして奇妙だ。長々とした叫びだが、同じような声の繰り返しではない、バリエーション豊かな鳴き声だった。ただ感情のまま叫んでいて、こんな声色になるとは百合子には思えない。

 これではまるで――――


「指示を、出している……?」


 まさかと思った。

 だがレッドフェイス達は、百合子の考えを否定する。


【ホァオゥ!】


 一際大きな声を出すや、五匹のレッドフェイスが動き出した。

 五匹が向かう先は、戦車がいる山。やはり指示なんてなくて、感情のまま行動しているのか? そう思えたのも束の間、レッドフェイス達は戦車がいない、木々に覆われた山の方へと向かう。

 そこで彼等は山の木々を、まるで草でも毟るかのように抜いた。山の木といっても人工林の杉だ。決して珍しいものではない……いや、珍しければまだ良かったかも知れない。

 長さ十メートルはあろうかという杉の木は、巨大なサルが手に持てば、まるで短い槍のように見えた。

 あり得ない、と考える暇もなく、レッドフェイス達は自分達が抜いた杉に『加工』を施す。加工といっても枝葉を手で削ぎ落とすだけ。けれどもたったそれだけの作業で、彼等が持つ樹木は立派な槍と化す。

 そしてレッドフェイス達は大きく、力強く槍のようになった杉を構えて……


【ホアオオオッ!】


 渾身の力で、杉を投げた!

 投げられた杉はさながら弾丸のように飛んでいく。一体どれほどのパワーで投げたのか、レッドフェイス達が投げた杉の木はどんどん空へと上がっていった。

 その時、ふと百合子は思い出す。

 それは果たして何がきっかけだったか、或いはネット巡りをしていて偶々目にした情報だったか。人間が出したは、凡そ九十八・五メートルだという。百合子達が目にしているレッドフェイス達の体長は約六十メートルであり、人間のざっと三十五倍の大きさ。単純に、身体の大きさと共に槍投げの距離が比例するとすれば……約三千五百メートルまで飛ぶ計算となる。

 対して爆撃機の飛行高度は、一般的には九千〜一万メートル。しかしそれは相手が人間、つまり対空砲などでこちらを狙っている相手に爆撃を仕掛ける時の話だ。怪獣は基本的に遠距離攻撃をしてこないし、したとしても数百メートルまでしか届かない。ならば攻撃精度を高めるため、ギリギリまで低く飛ぶのが『合理的』だ。

 これはあくまでも百合子の想像。全生物最高の投擲能力を持つ人間の記録を怪獣とはいえサルに当て嵌めるのはナンセンスであるし、自衛隊は攻撃を警戒して高高度を維持してるかも知れない。けれどもレッドフェイスのパワーが身体機能の不利を乗り越えるほど高ければ、そして自衛隊がギリギリまで降下していたら……

 悪い予想は的中した。編隊を組んで飛んでいた爆撃機の一機に命中した、杉の木と同じく。


「……嘘」


 思わず声を漏らしたのは、百合子ではなく茜だった。真綾に至っては口をぽかんと開け、呆けている。

 或いは戦っていた自衛隊達も同様か。仲間が無残にも落ちていく中、空飛ぶ爆撃機達は隊列を崩しもせずにいた。

 レッドフェイス達からすれば、狙い放題のシチュエーションだ。


【ホォアアッ!】


【ホゥオアッ!】


 次々と投げられる杉の槍。それらの殆どは全く当たっていないが、しかし爆撃機達に驚異は与えた。

 『対空砲火』に気付いた爆撃機達は、ようやく四方八方へと散る。爆撃機とはいえ飛行機だけにスピードは速く、あっという間に去っていく。

 残された戦車も砲撃を止めていた。空爆による援護がなければレッドフェイスに叩き潰されるだけ。無駄な戦力消費を抑えるためにも、ここは撤退するしかないのだろう。


【ホオオオオオオウッ!】


 逃げ帰る自衛隊を見て、指示を出したと思われるレッドフェイスが雄叫びを上げた。その雄叫びに応えるように、他のレッドフェイス達も次々と騒ぐ。街中が咆哮によって震え、舞い上がった粉塵が霧のように満たす。

 そしてレッドフェイス達は、まるで喜びを表すように暴れ始めた。マンションを蹴って砕いたり、一軒家を放り投げて桜吹雪のように使ったり。人間達の営みを、自分達の享楽のために浪費していく。

 まるで支配者であるかのような、傍若無人な振る舞い。

 けれどもその振る舞いに対し、怒りに震える人はいても、悪態や侮蔑の言葉を発した声は、最後まで百合子の耳は聞き取れないのだった。

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