使われる禁じ手

 自衛隊に救助された百合子達は、その日のうちには避難場所から出て帰宅出来た。

 未知の怪獣 ― ちなみに後日ガマスルと命名された ― による被害はかなり大きなものだったが、百合子達が暮らしている地域はほぼ無傷。百合子達自身にも怪我はなく、避難所暮らしをする理由は(そして避難所側にはさせられる余裕が)ない。茜と百合子の二人は親の迎えで、真綾は徒自分の足で家に帰った。

 二度も怪獣と出会った百合子は、親にとても心配された。とはいえ怪獣と遭遇するというのは、本質的には町中でクマに鉢合わせるのと変わらない。警報が出ている中に突撃していったなら兎も角、ばったり遭ってしまった事を責めてもどうにもならないのだ。だから親からは叱責なんてなく、精々「アンタは私を心労で殺す気か」と悪態を吐かれる程度。

 かくして百合子達は、存外あっさりと日常生活に戻った。

 それ自体は悪くない、むしろ良かったと百合子は思う。日常に戻れるのが如何に素晴らしいかは、一度目の生還劇から重々承知している事。再び始まった日常に、生きている喜びに、自然と笑顔が浮かぶというものだ。

 尤も、三度目はないだろう。戻るべき日常そのものが、壊れてなくなっているだろうから。


「やっぱり、最近自衛隊は怪獣に勝てなくなってるわね」


 その手に持った新聞を読みながら、ぽつりと真綾が独りごちる。

 真綾の言葉を聞いたのは百合子だけではない。近くに居た茜も聞き、真面目な顔で聞き返す。


「ヤタガラス以外にも、という事?」


「ええ。一応言うと日本って予算と人員だけなら先進国有数の軍事国家だから、意外と強いのよ。憲法で雁字搦めだから、足りないものも多いけどね。でも怪獣相手に使う武装としては、それなりに強い筈。そんな日本がボコボコに負けてる状況は、世界的に見れば非常に不味いわ」


「……あのガマスル以降、どんどん大きい怪獣が出てきてるもんね」


「テッソとかの小さいのが出ない訳じゃないけど、大型化はかなり進行したわね。今じゃ六十メートル級なんて珍しくもないし、八十メートル級も稀に出てくる有り様よ」


 ガマスル出現から二週間が経った今日――――怪獣達の大型化はかなり進んでいる。

 ガマスル以前の最大級である五十メートル前後の怪獣であれば、苦戦はしても倒せないほどのものではなかった。ところがガマスル以降に現れる怪獣は、勿論数メートル級の小さなものや三十メートル低土の『中型』も現れたが、六十メートル超えがあり触れる事となる。

 六十メートルを超えるような怪獣には、通常兵器が殆ど通じなかった。戦車砲もミサイルを受けても嫌がる素振りをするだけで、致命傷には至らない。つまりどれだけ攻撃しても足止めが精々。最終的には放置するしかなった。

 怪獣が退治されないというのは、そいつが暴れ続けるというだけの話ではない。交通機関に居座られれば物流が途切れ、その先の地域の生活が困窮する。また自衛隊が戦うには武器が必要だが、そうした武器もまた工場で作ったものの輸送が必要だ。交通網が遮断されたら自衛隊は弾のない銃で戦う羽目になる。これでは巨大怪獣どころか、二メートル級のテッソにすら勝てない。新たな敗北は新たな遮断を生み、加速度的に状況を悪化させていく。

 これが例えば他国の侵略なら、降服すれば命だけは助けてもらえるかも知れない。主権の剥奪やら文化破壊やらで相当酷い目には遭うだろうが、生きてはいける。しかし此度の相手は怪獣。降伏したところで、向こうは頭から齧り付いてくるだけ。

 ただの女子高生に過ぎない百合子達も、日本の行く末に危機感を抱くのも当然だ。

 そう、当然だとは百合子も思うのだが……


「……あの、なんで私の部屋で怪獣研究会を始めているのですか?」


 何故その話を自分の部屋でしているのだろうか、わざわざこの部屋集合なんて号令を出してまで――――と、ちょっと疑問に思った。

 なので尋ねてみたところ、茜と真綾の表情が変わる。茜はちょっと申し訳なさげに、真綾は憎悪を表に出しながら。


「だって私の家、怪獣の事話すとお母さん泣き出しちゃうもん。テレビすら点けられないし」


「あ、うん。そうですか、なら、仕方ない、のでしょうか……?」


「私はうちにいたくないわ。最近クソ親父が愛人連れ込むようになったから、兄さんの家に居候中だし」


「さらりと暗い家庭事情話さないでくれません? あとお兄さんいたのですね」


 全く知らない話をぶち込まれて、百合子は当惑。確かに二人の家庭事情を鑑みると、怪獣の話が出来るのは自分の部屋だけだとは思う。勿論近所に図書館があればそちらに行くのだが、その図書館はガマスルとヤタガラスにより破壊されて使用不能。

 此処しか話し合いの場所がない。じゃあ仕方ないですね、と百合子はもう何も言わない事にした。それに怪獣や世界情勢について気になるのは、百合子も同じなのだ。この話し合いを邪険にする理由などないのである。


「……分かりました。それなら仕方ありません。話を続けてください」


「はい、ありがとう……じゃあ話を戻すけど、日本の自衛隊すらこの有り様。当然世界はもっと悲惨よ」


「具体的にはどうなってんのさ」


「特に悲惨なのはアフリカ。もう殆ど怪獣は野放しね。殆どのNGOが活動停止。元々仲の良くない部族同士の抗争も激化。戦闘による農地破壊で食糧生産も激減……仮に怪獣騒ぎがあと一〜二年で終息したとしても、正直もう再起は無理かもね」


「酷い……」


「でもまぁ、対抗策がない分、まだマシかもね」


 思わず感情が言葉として出てきた百合子だが、真綾はそれに対し反論、ではないがやや否定的なニュアンスの発言をした。

 怪獣の野放しが『マシ』。怪獣被害者……茜が悪鬼のような表情をするほどの暴言だが、真綾は眉一つ動かさない。


「中国やアメリカ、それとロシアでは自国内での核兵器使用があったそうよ。それに比べれば、怪獣が歩いてる方がマシだと思うわ」


 それはこの気持ちが、本心からのものだからだろう。

 そして茜も、そう言われると流石に表情が変わる程度には、真綾の言葉に賛同しているらしい。百合子も思わず目を見開き、嫌悪が出てしまっていた。


「じ、自分の国の中で核兵器を使ったのですか!?」


「ええ。そりゃまぁ、使うわよね。だって通常兵器じゃ倒せないんだから」


「そ、そうかも知れませんけど、でも……」


「言っとくけど、短絡的にぶっ放した訳じゃないわよ。例えば地中貫通爆弾という、核シェルターもぶち抜く爆弾を使ったりしている。それで結構効果はあったみたいだけど、一部怪獣は倒せなかった。さて、そんな怪獣が大都市や穀倉地帯に向かって爆走している時、どれが効くかなーと考えている暇はあるかしら?」


「う……で、でも……」


「ないわよね? それに『遺族感情』が黙ってないわ。茜だって、ヤタガラスを殺すために核兵器を使うって言ったら、多分賛成するでしょ?」


「……核の前に他の手は試したのか、とは言うと思うけどね」


 全面的な肯定こそしていない茜だが、ハッキリと否定もしていない。つまり、それ以外に本当に手がないなら、使っても良いと思っているのだ。

 実際、核兵器は『有効』な攻撃手段だ。七十五年以上前に使われた広島や長崎の原爆と違い、現在の核兵器は主に水爆である。起爆によって核融合を起こし、その熱量で対象を焼き尽くす。中心温度は一億度を超えており、この高温化ではあらゆる物質がプラズマ化して消滅する。つまり、耐える方法は。どんな軍事攻撃をものともせずとも、知略を蹴散らすパワーがあろうとも、核兵器だけは絶対に通じるのだ。

 そして怪獣退治に使うのだから、日本が第二次大戦時に投下されたのとは意味合いが違う。人間の生存権を守るために、人間の敵を倒すために、人間以外に使うのだ。核兵器がどれだけ非人道的な兵器だとしても、対象が人間でないなら、理屈の上では使用を阻む理由はない。

 それでも嫌だと百合子は思うが、しかしこれは『感情』だ。怪獣に家族を踏み潰された遺族達からすれば、何がなんでもそいつを殺せというのが抱く『感情』だろう。例え核兵器がどれだけ恐ろしいか、どれだけ忌まわしいかを伝えても、「じゃあ核以外で怪獣を倒してみろ今すぐに」と言われたらお終いである。それが出来ないから、核兵器という禁断の力が候補に上がってくるのだから。

 憎悪は決して止まらない。茜という友人を見ている百合子は、それを胸が痛くなるほど知っていた。


「あ、ちなみにヤタガラスへの核兵器使用は既に決定済みみたいね。アメリカが、ヤタガラスが公海上に出てきたのが確認出来たら使用するという話が出たから」


「へっ? そんな話、聞いた事ないんだけど」


「この話が出たの、昨日の夜だしね。というかそもそも情報源がアメリカの一地方紙だし。割とって言い方したのは、デマかも知れないから。でも、個人的にはあり得ると思っているわ。ヤタガラスは現状、人類が勝てない怪獣すら倒している……本土で暴れる前に撃破するというのは、自然な発想ね」


 真綾が言うように、ヤタガラスの強さは圧倒的だ。ガマスルを倒したところを目の当たりにした百合子達だからこそ言えるが、あの怪獣は、確かに核兵器でも使わなければ勝ち目がないように思える。

 むしろ公海上で撃破する、というだけマシかも知れない。ヤタガラスは空を飛べる。つまり自由に海を渡り、アメリカ本土まで行けるという事だ。おまけにその存在は(表向きではあるが)何時も見失っていて、もしかすると今この瞬間、海を渡ってアメリカに向かっている可能性だってある。本気でアメリカを守るつもりなら発見次第……日本本土にいようがなんだろうが核ミサイルを撃つのが正解なのだ。少なくとも、アメリカ人の立場からすれば。

 日本政府が必死になって止めたのか、はたまた流石にそれをすると世界の人権団体の非難が大変な事になると思ったのか。いずれにせよ今は日本が三度目の核攻撃を受ける心配がないと分かり、ほっと、百合子は安堵した。


「……せめてその核ミサイルのボタン、私が押したいなぁ。やっぱりヤタガラスへの止めは私が刺したいし」


「アンタに核のボタンなんて任せらんないわよ。ヤタガラス見付けた瞬間連打するでしょきっと」


「多分するけどさぁ」


 そしてアメリカの軍隊や大統領は、きっと茜よりは冷静沈着であろう。例えヤタガラスに大切な家族を殺されたとしても、だ。

 そう考えると、なんだか怪獣よりも核兵器を怖がっているように思えて、百合子は自嘲する。犠牲者の数で見れば、怪獣はもう、核兵器なんて足下にも及ばない驚異だと言うのに。

 ともあれ、日本への核攻撃の心配がなく、ヤタガラスを抹殺する手段もある。その点については安堵があるので、百合子はホッと息を吐くのだった。

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