未知との対決

「コイツ……!」


 姉の仇を前にして憎悪を強める茜だったが、その身体は次の瞬間には落ち葉のように吹き飛ばされた。

 ヤタガラスが着地した際に生じた暴風の所為だ。茜含めた大勢の人々を容赦なく吹き飛ばしたヤタガラスは、しかしそんな事など気にも止めていない素振りで大地に降り立つ。百合子もこの風で吹き飛ばされ、何メートルも転がされた。

 幸いにも百合子は擦り傷程度の怪我で済んだが、ただ着地しただけでこの有り様。恐ろしいパワーだ。先程感じた身体の痺れは、ヤタガラスが飛行した時に生じた空気の振動が原因なのだろうと百合子は思う。一体どんな速度で飛べば地上にそんな被害を与えられるかは想像も付かないが……相手は怪獣。人の理解が及ぶ存在でない事は、つい先程思い知らされたばかりだ。

 ただ動くだけで人命どころか社会そのものに途方もない被害を出す。ヤタガラスは防衛省の定義通りの、正に『怪獣』だ。

 こんな近くに居たら、命がいくらあっても足りやしない。


「茜さん!」


「茜っ!」


 吹っ飛ばされた茜と合流すべく百合子、そして同じく飛ばされていた真綾は茜の下へと向かう。

 誰よりも遠くに飛ばされた茜は、身体を痛めたのかよろよろとした動きで立ち上がった。すぐに真綾と百合子が左右から肩と身体を支え、この場から離れようとする。


「待って! 私は、まだ逃げない!」


 ところが当の茜がその動きに逆らった。


「何言ってんのよ! まさか敵討ちを今からしようってんじゃないでしょうね!」


「そこまで馬鹿じゃない! もしかしたら、もしかしたらアイツが戦うかも知れない!」


 真綾が叱責するも、茜は怯まず反論する。

 アイツというのは、先にこの町に現れた新種怪獣の事か。確かに学校やその近くの塾宅地でテッソとコックマーが争っていたように、怪獣同士での戦いは珍しいものではない。ヤタガラスと未知の怪獣が戦う可能性は、ゼロではないだろう。

 そして戦いの中で、ヤタガラスの弱点が露わとなるかも知れない。

 茜は復讐を果たすために、少しでも情報を得ようとしているのだ。ただの激情ならば殴ってでも百合子は、そして真綾も、茜を連れて行っただろう。けれども彼女の本気の想いを、馬鹿の一言で片付けるなんて出来ない。

 仮に片付けたところで、茜は意地でも留まろうとするだろう。百合子と真綾よりも、ずっと大きな想いを力に変えて。それを力で捻じ伏せるのは、かなり難しそうだと百合子は思う。


「……流石に此処じゃ危険よ。もう少し離れて、何か飛んできたらすぐ隠れられるよう、あっちのビルの傍まで行くわよ」


 同じくそう思ったであろう真綾は、現実的な『妥協案』を出した。茜としても途中で死んだら意味がないのは分かっている。こくりと頷いた茜は、ようやく百合子達と共に来てくれた。

 ビルの壁面に身を隠した百合子達は、頭だけを出して怪獣達を見遣る。距離はざっと二〜三百メートルほど離れただろうか。怪獣達の足下では自衛隊員達が攻撃を続けていたが、ヤタガラスも未知の怪獣も銃弾など気にもしていない。銃撃はただの賑やかしと化し、怪獣達の周りを彩るだけだ。


【……クガカカカカカ】


 そしてヤタガラスが見ているのは足下の人間ではなく、目の前に立つ怪獣のみ。


【ギョギギ……】


 未知の怪獣はヤタガラスを前にして一歩も引かない。むしろ強気な態度を滲ませていると、物陰から見ている百合子は思う。

 それもそうだろう。ヤタガラスの体長は六十メートルほど。対する未知の怪獣は恐らく体長七十メートル以上。未知の怪獣の方が一回り大きい。それに身体付きも未知の怪獣の方が屈強であり、力も強そうだ。見た目からして未知の怪獣の方が有利に思える。

 勿論ヤタガラスには空を飛べるという『特技』もある。それを使えば互角以上に戦えたかも知れないが……ところがヤタガラスは地上に降り立った。これでは自分の特技を活かせない。そして翼に変化した腕は、殴り合いが上手いとも思えない。四足の獣との肉弾戦は不利だろう。

 未知の怪獣もそう思った筈だ。そして有利な状況をむざむざ逃すつもりもない。


【ギョオオオギギギョオオッ!】


 怪獣は猛然と、ヤタガラス目掛けて走り出す!

 先手必勝とはよく言ったもの。迫りくる怪獣を前に、ヤタガラスは飛び立つどころか一歩と動けない。怪獣は一瞬で間合いを詰めるや、大きな前足を振り上げ――――ヤタガラスの頭を殴り付けた。

 まるで爆発音のような、痛々しいを通り越して痛快な打撃音。衝撃波が広がり、ビルの影に隠れていた百合子達をまた転ばせた。もしも人間があんな拳を受けたなら、きっとぺちゃんこ、いや、肉片すら残さず消し飛ぶかも知れない。

 何もかもスケール違いな一撃だ。これぞ正に怪獣。人類が勝てる相手ではないと、本能で思い知らされる。

 そしてこの強烈な打撃を顔面に受けたヤタガラスは、

 ……比喩ではない。まるで、何事もなかったかのように、ヤタガラスは動いていない。


【――――ギョオッ! ギョギオッ!】


 怪獣は違和感を覚えたのか一瞬硬直していたが、すぐにまた殴り出す。人間の格闘技とは違う、精練されていない、故にどんな格闘技よりも荒々しい鉄拳がヤタガラスの顔を痛めつける。痛めつけている筈だ。

 されどゆっくり持ち上げられたヤタガラスの足は、そんな痛みなどまるで感じた素振りもなく。


【ガァッ!】


 短い一声と共に、ヤタガラスは怪獣に向けて蹴りを放つ!

 蹴りを受けた未知の怪獣は、あろう事かその巨体が浮かび上がった。自衛隊員達は銃を撃つのを止め、百合子達は呆然と眺めるばかり。蹴られた怪獣自身驚いたように目を見開き、四肢をばたつかせる。

 けれども鳥でないその身に、空中でどうこう出来るような力はない。怪獣は何十メートルも吹っ飛ばされ、背中から道路に墜落。大きな地震を起こすほどの衝撃を撒き散らす。

 ひっくり返った状態の怪獣にヤタガラスは迫ると、片足で怪獣の後ろ足を掴んだ。それからずるずると、いとも容易く怪獣を引き寄せる。怪獣は大慌てで体勢を立て直し、三本の足で地面を踏み締めて逃げようとした。だがヤタガラスはたった一本の足でこの足掻きを無効化。どんどん自分の傍へと寄せていく。


【ガッガッガッ……グガアァッ!】


 そうして怪獣の胴体を持ってきたら、楽しげに鳴いた後、ヤタガラスは怪獣の身体を踏み付けた!

 瞬間、広がるのは白く濁った空気の波動。

 衝撃波だ。怪獣の鉄拳でも感じられたものだが、ヤタガラスの一撃はその比ではない。何百メートルも離れていたのに、百合子は一瞬意識が飛んでしまうほどの痛みを身体で感じた。

 無論踏み付けられている怪獣は、もっと痛みを感じただろう。踏まれた瞬間身体は大きく反り返り、目を大きく見開いていた。ぱくりと開いた口からは赤黒い血を吐き、ダメージが内臓まで達しているのが窺い知れる。

 されどヤタガラスの攻撃はまだ終わらない。一度目の踏み付けで死ななかった怪獣の背中を、二度三度と踏み付ける。踏まれる度に怪獣は苦悶の声を、そして血反吐を吐く。筋肉に覆われた身体には無数の擦り傷が付き、だらだらと赤黒い血が流れ始めた。

 未知の怪獣は自衛隊の猛攻撃に、怯んでこそいたが耐え抜いていた。驚異的硬さの体表面だったが、ヤタガラスのパワーはそれを勝るらしい。あまりにも出鱈目な力に、その光景を見ていた人間達の誰もが呆気に取られてしまう。

 一方的な暴虐はしばし続き、これでも死なないとヤタガラスはその脇腹を蹴り上げた。怪獣の身体からはベキリと生々しい音が鳴り、蹴飛ばされた身体がビルの壁面に叩き付けられる。衝撃で崩れたビルの瓦礫は雪崩のように押し寄せ、未知の怪獣を飲み込んだ。


【ギョオ……オオオオオオオッ!】


 しかし怪獣は未だ死なず。

 咆哮と共に瓦礫を吹き飛ばした怪獣は、自分の尾を振り回し始めた。高速で、縦横無尽に飛び交う尾。それは周りにあるビルを、道路を、次々に切り裂いていく。

 全方位を飛び交う切断攻撃。それがついにヤタガラスの身体に襲い掛かる。

 ヤタガラスの身体、いや、羽毛はビルと違って切断される事はなかった。尾が打ち付ける度に金属同士がぶつかったような、甲高い音を鳴らしている。羽毛自体が鎧のように頑丈ようだ。とはいえ衝撃までは緩和しきれていないのか、叩かれる度にヤタガラスの身体が僅かによろめく。

 顔面を殴られようと微動だにしなかったヤタガラスが動くほどの威力。肉体による打撃などあの未知の怪獣にとってはただの通常攻撃であり、尾による連続切断攻撃こそが、奴の『必殺技』なのだ。

 しかも優れているのは威力だけではない。尾の動きは非常に俊敏であり、拳による打撃どころでない間隔でヤタガラスを打つ。さしものヤタガラスもこの攻撃は堪えたらしく、目を僅かに細める。

 或いは、怪獣はヤタガラスの顔をと言うべきかも知れない。


「――――ひっ」


 百合子の口から漏れ出たのは、恐怖の感情。

 ヤタガラスの目が憤怒に染まる。

 羽毛にすら目に見えるような傷が付いていない事から、大したダメージにはなっていない筈。けれどもヤタガラスの放つ怒気は、傍から見ているだけの百合子を震え上がらせるほどに強い。

 ヤタガラスが最初、どのようなつもりで怪獣を襲ったのかなんて百合子には分からない。けれども緊張感のなさからして、驚異の排除や憎しみなどではなかったのだろう。けれどもその気持ちは今、切り替わった。

 ヤタガラスは、ようやく怪獣を『敵』だと認識したのだ。


【ギョアァー! ギョギギギギッ!】


 そうと知ってか知らずか。未知の怪獣は笑うかのような声と共に、更に激しく尾を振るう。最早周りのビルは全て崩れ、辺りは瓦礫の山。それでも攻撃は続き、ヤタガラスを滅多打ちにしていく。

 その攻撃の中、ヤタガラスは静かに翼を動かした。


「……? あれ……」


 その時、百合子は気付く。ヤタガラスの翼が、ほんの僅かながら事に。

 はたまた、単に日光が反射しているだけなのか。無意識に正体を見極めようとする百合子だったが、しっかりと見る時間はなく。

 ヤタガラスは自らの翼を、素早く、そして大きく一度だけ振るった。

 その次の瞬間、怪獣の尾の動きが止まる。

 より正確に言うならば――――振り回していた尾が切れて、彼方に飛んでいったというべきだろうが。


【……ギ?】


 ぽそりと漏れ出た怪獣の声。百合子に怪獣の心など分からないが、今この瞬間に限れば、彼女は怪獣と心が一体化していた。

 何が起きたのか、分からない。

 されど怪獣と違って人間である百合子には、想像を膨らませ、語るだけの知性があった。大きく振り上げられたヤタガラスの翼。それが全ての原因ならば……


【ギ、ギギィイッ!?】


 妄想を膨らませる百合子とは違い、怪獣は現実を見ていた。自分の一番の武器が、なんだか分からないがいきなり失われたのだ。原因などとんと理解出来ずとも、状況が絶望的に『不利』になったのは察している。

 未知の怪獣はヤタガラスに背を向け、逃げようとした。このままでは殺されるという判断だ。それ自体は正しいと百合子も思う。ヤタガラスの放つ怒気からして、逃げなければ間違いなく殺される。

 逃げたところで殺されるという現実からは、どうやっても逃げられないが。


【ガアアァッ!】


 逃げる怪獣の背中に向けて、ヤタガラスは翼を再度振り下ろす。

 百合子は再び目にした。ヤタガラスが振り下ろした翼が、眩く光っていた事を。輝きはほんの一瞬。けれどもその一瞬の間に、ヤタガラスの翼は未知の怪獣の背中に届き――――

 否、切り裂いた!

 逃げ出していた怪獣は、自分が切られた事など気付いていないかのように走り続けた。けれども数十メートルと駆けたところで、その身体が左右に割れる。贓物と血液をバラ撒いた身体は数秒だけ、恐らく左右に分かれた意識と共にもがいたが……すぐに動かなくなった。

 あまりにも、異質な攻撃。

 百合子達のような一般人だけでなく、自衛隊員達すら立ち尽くす。静寂が場を支配した。

 されど人間達の動揺など、怪獣達からすれば眼中にもない事。ヤタガラスは軽く飛び上がると、自らが仕留めた怪獣の上に乗り、真っ二つになった頭の片方を足で叩き潰す。更にはぐりぐりと足を動かして念入りに潰す姿は、あまりにも攻撃的で、ケダモノという言葉すら生温い。


【グガァアアゴオオオオオオッ!】


 そうして念入りに相手を死に追いやってから、ヤタガラスは力強い鳴き声による勝利の雄叫びを上げ、自らが打ち倒した怪獣の肉を啄み始めた。

 一応ヤタガラスとしては、食べるために未知の怪獣と戦っていたらしい。自分が仕留めた獲物を食べる姿は先程までの荒々しい姿と打って変わり、野生動物と呼ぶにはあまりにも品が良い。自分の身体が汚れないよう静かに、そして優雅に食べていく。食べる部分は内臓や内側にある白い部分……脂質と思しき部分ばかり。栄養価の高いところを好んで食べているが、楽しげに選ぶ様は極めて理性的だ。

 戦い方や反応からなんとなく百合子は思っていたが、ここにきて確信に至る。ヤタガラスは非常に高い知性を持ち合わせているようだ。

 そして高い知性を持つが故に、人間が操る機械がどんなものなのかも学習しているらしい。


【……グァ】


 食事を中断するや、ヤタガラスは頭上を見上げた。

 空には数機の飛行機が飛んでいる。自衛隊の戦闘機のようだが、未知の怪獣を攻撃していた時よりも数が多い。応援が追加されたのだろう。

 そしてヤタガラスもまた怪獣の一体。都市部にいる以上、攻撃対象である。間もなくミサイル攻撃が始まるのだと百合子は理解し、ヤタガラスも、やられた事があるのか自衛隊機を鬱陶しげに見つめていた。怒りのようなものは感じられないが、だからといって自衛隊機に危害を加えないとは限らない。食事中の人間が周囲を飛び回るハエに殺意など向けずとも、叩き潰す事はするように。

 ヤタガラスはしばし自衛隊機を見た後、おもむろに翼を広げた。食事の邪魔をされる前に、邪魔者を排除しようという腹積もりか。


「民間人発見! 避難させます!」


 ぼうっと眺めていたところで、ふと人間の荒々しい声が聞こえてきた。

 振り返れば、そこには何人かの自衛隊員がいる。ただし彼等は銃を持っていない。傍までやってきた彼等は百合子達とヤタガラスの間に入るよう陣取り、百合子達の肩を支えて何処かに連れて行こうとする。

 どうやら彼等は戦闘部隊ではなく、巻き込まれた民間人の救助を担当しているらしい。彼等の指示に従えば、きっと避難所まで案内してくれるだろう。


「さぁ、もう大丈夫だ。こっちに来て!」


「ま、待って! アイツを、まだ――――」


 自衛隊員は茜の言葉と抵抗を無視して、容赦なく連れ去っていく。怪獣が傍に居て逃げない人間の言葉など、聞くつもりはないという事か。確かに、あっという間に茜が安全圏へと連れて行かれている点に限れば、とても正しい対処法だろう。


「百合子。茜も救助されたみたいだし、私達も行きましょう」


「は、はい。そう、ですね……」


 傍に居た真綾にも促され、百合子は自衛隊員達に大人しく従う。

 刹那、ヤタガラスが飛び立ったのか、突き飛ばされるような衝撃が百合子の背中を叩いた。今頃航空自衛隊とヤタガラスのドッグファイトが始まってるのかも知れないが……振り返って見る気は起きない。大体見なくとも予想が付く。

 自衛隊が倒せなかった怪獣を簡単に叩き潰した『大怪獣』を、人間が倒せるなんて露ほどにも思えないのだから――――

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