怪獣考察
この日、百合子達が向かったのは市立図書館だ。
駅近くにある図書館で、周りにはそこそこ大きなビルやマンションが並ぶ。元々はあまり建物のない、開けた地に建てられたらしいが、周りの開発が進む事でビルに埋もれるような形になった……と、百合子は母から聞いた覚えがある。
図書館自体も三階建てとそこそこ高く、一見してビルのように見える作りだ。中の蔵書も豊富で、調べものをするには打ってつけ。壁面の多くがガラス張りであり、外の様子も丸見えだ。勿論外からもこちらの様子は丸見えだが。
そして一部の学校が怪獣により崩壊した今となっては、『勉強会』をするのに一番適した環境だろう。
今日は平日だが、多くの学生らしき人の姿があり、真面目に勉強(一部小説を読んでいたが)をしている姿が見られた。中には百合子の顔見知りの姿もあり、皆、どうにか新しい環境に適応しようとしているのが窺い知れる。
「はい、という訳でヤタガラスをぶち殺すための作戦会議を始めまーす」
茜のこの発言も、新しい環境に適応しようとしている結果なのだろう……そう考えようとしたが、彼女の正面で話を聞いていた百合子にはあまり健全な精神状態とは思えなかった。
図書館の一角に置かれた机と椅子。そこに茜と百合子は着いている。百合子の隣には真綾も居て、そして百合子と同じ事を思ったようで、眉を顰めていた。
「言い方が物騒過ぎ。駆除方法とか、退治とか、他の言い方があるでしょうが」
「あ、そっか。いやぁ、本音が正直に出ちゃって」
「……気持ちは分からないでもないけど」
肩を竦めながらも、真綾はあまり強く否定しない。図書館の椅子の背もたれに身体を預けると、露骨な鼻息を吐くだけだ。
最愛の姉を失った茜は、カラスのような姿をした怪獣・ヤタガラスに激しい憎悪をぶつけるようになっていた。
憎しみは何も生まない、復讐は良くないと、世の人々やフィクションのヒーロー達は言う。対象が人間以外の時に言う事はあまりないが、相手の知性や人権の有無は、復讐の正当性を補強するものではないだろう。憎悪や復讐が良くないとされるのは、それを抱く人間の苦しみにしかならないからだ。
しかし復讐に燃える茜は、生き生きとしている。少なくとも、姉を失ったと知って呆然としていたあの時よりも。
復讐を諦めろ、憎しみを捨てるべきだと、上から目線で言う事は茜のためになるのだろうか? 百合子には、そしてきっと真綾にも、そうは思えない。それに町を壊されたり、暮らしや将来を滅茶苦茶にされた恨みは百合子にもあるのだ。茜のやろうとしている事に『ケチ』など付けられる筈もなかった。
「とりあえず、相手を知る事から始めましょ。という訳で百合子、発表どうぞ」
「はーい」
真綾から促された百合子は、持ってきた鞄の中から一冊のノートを取り出す。たくさんのメモが書かれたページを捲り、白紙へと変わる直前のページに目を向ける。
百合子達のヤタガラス
百合子の担当は動画サイトなどを漁り、ヤタガラスの出現状況を探るというものだ。勿論そうした動画を見て気付いた事、抱いた違和感についても話して良い。専門家でないからこそ、発言と纏め方は自由に行われる。
「えーっと、動画サイトには今も怪獣の投稿が相次いでいます。今思えば、ちょっと前の未確認生物ブームは怪獣の出没が理由なのでしょうね」
「ああ、そういやあったわね。確かにあれだけ巨大な生き物が、都市部に出現するまで誰にも発見されなかったというのは不自然か」
「はい。それで最近の投稿の中には、ヤタガラスを撮ったと思う映像が幾つかありましたけど……逆に過去動画を漁っても、それらしきものは一件、それも私達と出会う数日前に投稿されたものしかありません。ヤタガラスは、本当に最近まで人前に出てこなかったみたいです」
「……それで、最近の動画を見て分かった事は?」
過去にはあまり関心がないのか、茜は『今』の状況について尋ねてくる。百合子は自前のノートに目を落とし、その疑問に答えた。
「活動範囲がかなり広い事が分かります。東京での目撃例や、鹿児島で撮影された動画もありました。中国や韓国で撮られた動画もありましたから海も渡ったみたいですね」
「同一個体とは限らないんじゃない? テッソとかコックマーとか、日本どころか世界中に現れてるじゃん」
怪獣というと一種族一個体のように思えてくるが、実際には『種』と名乗って良いほどには個体数がある。茜が例に上げたテッソなどは、二十メートル級の個体だけでも世界で五十体以上、二メートル級個体については数千体が確認されているほどだ。コックマーはその倍以上の数が確認されており、二種の強さは怪獣の中では最底辺でも、犠牲者数ではどの怪獣よりも遥かに多くなっているらしい。
ヤタガラスも一個体とは限らない。実は何個体かいて、それぞれ自由に行動しているという可能性もあるだろう。ところが、この可能性を否定する者がいた。
真綾である。
「その可能性は低そうね。ネットで専門家の論文を読んだけど、ヤタガラスは単一個体の可能性が高いらしいのよ。模様や身体部位の比率からの推定だから、確実性は高いわね」
「あ、そうなんだ。じゃあねーちゃんの仇を探す手間は省けるね。複数いるなら全員殺してやるつもりだったけど」
「……でも一個体だけでも、安心するのは早いわ」
百合子の発表から横入りするように、今度は真綾が語り出す。百合子は特段不平を漏らす事もせず、ぱたんとノートを閉じてから耳を傾けた。
「ここ最近、出現する怪獣のサイズが巨大化しているのよ。コックマーやテッソも、一昨日渋谷に現れた個体は三十メートルオーバーの大物。先日新潟には四十メートル級のイノシシ怪獣……確かチョッドーだったかしら。そういうのが現れたそうよ」
「……つまり、成長してるって事? 怪獣達全部が? ヤタガラスも大きくなるかも知れないと?」
「その可能性は否定出来ないわ。そして大きくなった怪獣の戦闘能力は、見た目以上に向上しているらしいの。ヤタガラスが成長したら、どうなる事やら……」
「……………」
「そもそも、怪獣とはなんなのか。そこから調べないと駆除も何もないわ。此処からは、私の考察を発表する」
真綾は持ってきた鞄から、ノートの一冊すら取り出さない。彼女は全て記憶しているのだと百合子は理解した。今日話すべき事と、それに付随する情報を。
真綾の担当は怪獣の生態、そして怪獣とはどんな存在なのかを調べる事だ。その考えを、ある程度纏められたのだろう。
「怪獣。日本政府が定めた定義の場合、二〇二〇年十二月一日以降発見された、活動するだけで人類社会に対し危険を及ぼす生命体、とされているわ」
「要するに、クマやイノシシと違って、歩くだけで家とかマンションが壊れるようなデカいやつってことね」
「そんなところ。昨日までの防衛省ホームページによれば、この二ヶ月で国内では二百体、世界では既に二万体以上確認されている。未確認事例を含めれば、倍じゃ足りないでしょうね」
「多い……ですけど、大半は十メートルもないような奴でしたよね?」
「ええ。十メートル未満の種なら一般的な軍隊の小銃で撃退可能。そして二十メートルを超えると爆弾が必要になり、五十メートル級だと戦車砲が辛うじて有効。大きいほど外皮が硬くなり、軍事攻撃にも耐性を持つ……そしてその正体は、一切不明」
ぱらぱらと、真綾は鞄の中から取り出した紙を百合子達に手渡してきた。百合子は紙を受け取り、そこに書かれている文字に目を通す。
書かれていたのは怪獣の『正体』に関する様々な説だった。大きく纏めると以下の三つ。
一つ、環境変化説。
これはテレビなどでよく紹介されている、怪獣が出現した原因の一説だ。温暖化や環境汚染など、つまり人間の自然破壊により既存の生物が進化・変異してしまい、それが怪獣として暴れ回っているというもの。
多くの人々はこの説に納得している。今まで何処かに隠れ棲んでいたと考えるには、怪獣達はあまりにも巨大で、数も多い。しかも現れる怪獣達はどれもネズミやゴキブリなど、既知の生物がそのまま巨大化したような姿をしていた。そのため新種と考えるより、環境変化によりなんらかの突然変異が誘発されて巨大化した……と考えるのは自然に思える。
しかし真綾は違うらしい。
「テレビや新聞など、マスコミが主に主張している環境変化説。要するに既存の生物が進化したという事なんだけど……これはまず考えられない」
「え? そうなの? でもどのテレビもこれが一番可能性が高いって……」
「巨大化ってのはね、簡単に出来るもんじゃないの。体重を支えるために骨が頑丈にならないといけないし、栄養を血と共に循環させるために強い心臓がないといけない。酸素を取り込む肺も大きくしないといけないわ。これらの突然変異がごく短時間で起きるとは考え難いし、起きるにしても何百種類、何万個体に出るもんじゃないわよ」
「そういう、ものなのですか? でも、ならマスコミや科学者はなんでそんな意見ばかり取り上げるのでしょうか」
「さぁてね、理由は色々あると思うけど……マスコミの場合は専門的な科学的知識に乏しい人が多い事と、突飛な意見を主張し辛いのがあるでしょうね。ぶっちゃけ、他の説と比べれば一番現実味があるのは確かだし」
自信満々な真綾に対し、百合子と茜は思わず顔を見合わせてしまう。まず考えられないと言いながら、一番現実味があるとはどういう事か? 疑問を抱きつつも、手元にある、真綾が渡してきた紙に目を落とす。次の説を読むために。
……確かに突然変異説は現実的ですねと、百合子は思う。
例えば二つ目の説として紙に書かれていた、宇宙人の攻撃説と比べれば。
「二つ目の説は、宇宙人が怪獣を連れてきているって話よ。銀色の巨人が出てくる特撮番組みたいに」
「なんか一時やたらと取り上げられていたよね。主にネット上だけど」
「そうね。というかネットで飛び交う意見の大半は、突拍子のないものばかりだし。だからこそマスコミは突然変異説以外推せないとも言えるわ。普段散々ネットの意見は信用出来ないとか言っちゃってる手前ね」
「えぇ……そんなくだらない理由?」
「マスコミに限らず、人間が意地を張る理由なんてそんなもんよ。意地を張るなんて行為自体が、そもそもくだらないんだから。ネットで突拍子のない意見が出るのも、大手マスコミへの反発という面は大きいでしょうし」
人類全体に喧嘩をふっかけるような発言をする真綾。ある意味頼もしい真綾の言葉に、百合子は思わず笑みを浮かべてしまう。
ちなみに宇宙人攻撃説に対する真綾の意見は「ある訳ないじゃん。高度な文明を持つ侵略者が、こんなまどろっこしくて非効率な手法使う訳ないでしょ」との事。百合子もそう思うので、これにはすんなり納得した。
しかし、そうなると真綾が推しているのは『三つ目』の説なのだろうか?
――――異常な成分による既存生物の強制変化説を。
「ところで、一年前の流星について覚えてる?」
「流星? ……ああ、なんかあったね。綺麗な隕石」
茜は同意しながら頷き、百合子は真綾の顔を見ながら思い出す。
一年前の流星とは、恐らく『グリーンアロー』の事だろう。
グリーンアローは奇妙な流星だった。普通流星は、地球に突入してすぐに燃え尽きてしまうし、燃え尽きなくても(その場合隕石と呼ばれる訳だが)すぐ地上に辿り着く。秒速数キロもの速さでやってくるため、何もかもが短時間で終わってしまうのだ。
ところがグリーンアローは地球の大気中を周回した。しかも一周だけでなく、二周も。そうした軌道があり得ない訳ではないらしいが、速度と角度がかなり限定的で、恐ろしく低確率の事象らしい。放っていた光も眩い緑色と、通常の大気圏突入では見られない色合いだ……とテレビでやっていたのを百合子も記憶している。天文学には左程興味がない百合子でも、これぐらい知っているほどには当時盛り上がっていた。
そしてあまりにも多くの謎を秘めた流星故に、様々な陰謀論が語られている。
「通称グリーンアロー。強力な緑光を放つ、小ささの割に長時間燃え続けた事、まるで地球を周回すような軌道、そして砕けた後に見付からない残骸。これまで観測されたどの流星とも異なる特徴から、陰謀論者の中ではUFO説が根強いのだけど、私としては別の説を唱えたいわ」
「……なんて説?」
「未知の物質で満ちていた隕石。その隕石に含まれていた物質が、地球の生物を巨大化させたかも知れない」
真綾曰く、現在無数に現れる怪獣達の大きさからして、これまで未発見だったのはやはりおかしいという。
勿論人類は地球上の全ての生物を把握している訳ではない。しかし地球には最早未踏の地と呼べる場所は殆どなく、世界のあらゆる場所に人の目が入った。今や残っている新種は、見た目が似ていた事で区別出来なかったものと、片手に乗るぐらい小さくて発見が困難な生き物ばかり。何メートルもあるような生物が発見される事が、今後ないとは言わないが、ごく少数の事例だろう。
そんな少数の存在がこの一ヶ月で大量に現れるというのは、やはり異常だ。ましてや人間が暮らす領域にひょっこりと、時には群れを成して現れるなどあまりにも不自然。元々存在していたと考えるよりも、最近になって現れたと考えるのが自然だろう。ならばなんらかの、極端な原因がある筈だ。
例えば、宇宙より飛来した隕石に生物を巨大化させる成分が含まれていた――――というのが真綾の語る三つ目の説だ。
「……だからって隕石説はないでしょ。それならマスコミが言ってる化学物質がなんだとか、地球温暖化がどうだとかって考える方が自然じゃない?」
「自然じゃない。地球生命と一言でいっても、生理機能や仕組みはバラバラなんだから。あと地球温暖化や環境汚染と言っても、変化は一律じゃない。世界で同時多発的に同じ現象が起きるなんてあり得ないわ。仮に最近作られた新物質が原因だとしても、殆ど時間差なく様々な生物に変化が現れるとすれば、余程強力な作用である筈。そんな物質、昔なら兎も角今じゃ法律やらなんやらで使い物にならないし、実験段階で問題が判明するわよ」
「だからって宇宙からの物質を根拠にするのはどうなのさ」
「宇宙からの物質を根拠にしちゃいけない理由はないでしょ? 未知の現象には、未知の原因がある筈。そしてその原因として最も相応しいのが、グリーンアローという訳よ」
反論はある? そう言いたげな真綾に、茜は口を閉ざしてしまう。
確かに、化学物質による異常や温暖化による適応では、突然の巨大化は説明出来そうにない。するにしてもその問題はもう何十年も前から言われているのだから、もう少し段階を経てもおかしくないだろう。
宇宙からの未知の物体Xによる既存生物の変化。実に尤もらしい意見だ。
が、百合子としては納得出来ない。そして茜と違って百合子には、反論が浮かんでいた。
「……眠っていた古代種が目覚めた、とかいう可能性の方がありそうだと個人的には思うのですが」
なのでそうツッコミを入れてみる。
すると真綾はしばし沈黙。反論を考えているのか天井を仰ぎ、顔を顰め、だけどハッとしたように目を見開き。
「成程。言われてみればそっちの方が現実的ね」
あっさり持論の弱さを認めたものだから、百合子は思わずがくんっと力が抜けた。茜も同じく身体から力が抜け、倒れそうになっている。
「そんなあっさり認めるんかーい!」
「より有力な仮説だと思っただけよ。確かにコックマーとかは、外見が共通祖先から分岐したカマキリと似た部分がある。当時はネズミなんていないけど、出現年代が同じである必要はなし。突然変異やなんらかの物質で誕生するより、長年の進化で獲得したものが今目覚めたと考える方が自然か。良くこんな案を思い付いたわね、百合子」
「いや、これ怪獣映画とかじゃ基本ですし」
「そう言われても、私モンスター映画とかあまり見ないもん」
ぷくーっと頬を膨らませる真綾。可愛らしい反応であるが、今までの話をひっくり返された百合子達にはもう脱力しか出来ない。
「ま、私達が解き明かさなくても、そのうち何処かの偉い学者さんが解明するでしょ」
「雑な上にこの催し全否定じゃん……」
「可能性の話をしてるだけよ」
「……まぁ、そうなんだけどさ」
ぽりぽりと、茜は頭を掻きながら顔を背ける。
「……ごめんね。こんな事に付き合わせちゃって」
それからぽつりと、茜は零した。
彼女も分かっているのだ。どれだけ復讐を誓おうとも、ヤタガラスもそのうち自衛隊か何処かの軍が退治してしまうと。これまでの怪獣が、全て駆除されてきたように。
その意味ではこの研究会が無意味な行いだとは、百合子も思う。憎んだ相手の殺し方を想像するだけの、ちんけな恨みの晴らし方だ。
けれども、人というのは有意な行いだけで生きていくものではない。親しい者が死んだ時、気持ちの区切りを付けるには無意味な儀式……葬式が必要なのだ。その儀式である葬式が満足に行えなかったがために、茜は代わりの儀式を探している。
そして百合子と真綾は、その参列者だ。茜のやる事にああだこうだと言う立場ではない。
「何謝ってんのよ。面倒臭いならとっくに断ってるわ」
真綾のこの言葉は、嘘偽りないものだろう。百合子も同じ気持ちなのだから。
「そうですよ。それに、若い私達の発想が思いがけない発見をするかもですし」
「その可能性も、ゼロではないわねぇ。それに復讐から何まで全て人任せにするよりは、余程建設的で健全な考えだと思うわ。だから、アンタのやってる事は間違いじゃないわよ」
「……うん」
にこりと、茜は笑みを浮かべた。けれどもその瞳はほんの少しだか潤んでいて。
その事を茶化そうと百合子が口を開けた時の事だった。
【ギョギオオオオオオオオオオオオンッ!】
恐ろしい鳴き声が、図書館を揺さぶったのは……
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