戻りきらない日常

 学校と町が巨大生物達に襲撃されてから、二ヶ月の時が流れた。

 年を越した今も、百合子は襲撃前に暮らしていた町で生活している。家族全員が無事だっただけでなく、家も巨大生物による被害発生区域から離れていたため、生活するのに支障はなかったからだ。

 両親達と共に、家で暮らす。極々普通の共働きサラリーマン家庭かつ極々普通の二階建て家屋であるが、怪獣達を、そしてその『被害』を目の当たりにしてきた百合子は、自分が送っているこの生活が如何に恵まれているかを理解している。理解しているが……では生活スタイルが日々に感謝していると第三者にも分かる、真面目なものかというとそうでもない。

 というのも百合子は割と夜更しするタイプである。なので基本的に朝早く起きるのは苦手だ。挙句学校が怪獣達の所為で滅茶苦茶に壊れてしまったので、今までの平日の日常だった登下校はなくなっている。更に教師と生徒が大勢死んでしまった状況では、青空教室すら出来やしない。何処かの学校に編入しようにも、町そのものが大きな被害を受けた今では手続きもままならず。落ち着きを取り戻すまでは、『不服』ながらも毎日が日曜日状態。そうすると生活スタイルは日に日に乱れていくもので。


「百合子、まーたアンタはこんな遅くまで寝てて……」


 結果、リビングで掃除をしていた母から呆れた目を向けられてしまうような時間まで、今日ぐーすか眠っていたのだった。


「おはよぉー……ございますぅー」


「はい、おはよう。朝ごはん置いてるからさっさと食べちゃいなさい」


「ふぁーい……」


 母に言われた通り、テーブルの上に置かれた朝食に百合子は手を付ける。無意識にリモコンに手を伸ばし、点けたテレビにはニュース番組が映し出された。

 二ヶ月前まで平日昼間は学校なので、このニュース番組は殆ど見た事がなかった。最初は見慣れない番組に、ちょっと落ち着かない気持ちを覚えたものだ。しかし自宅生活を続けていたこの二ヶ月の間見続けていれば、流石に慣れてくるというものだが。

 ……そう。人間というのは、慣れるものだ。

 どれほど過酷な環境変化であっても、それが『普通』だと理解し、学び、対処方法を考える。勿論その変化が急激かつ大規模であれば学んだり対処を考えたりするのに時間が掛かるし、対処方法を実施する上での弊害も大きくなるが……やがて適応し、それを日常とする。人類の文明はそうやって発展してきたのだ、とは昔に真綾が話していた事。

 そして百合子は友人のその言葉が正しいものだと、テレビを見ながら思う。


についてお伝えします。神奈川県には体長十八メートルのイノシシ型の怪獣が出現し、多くの被害が出ています。現在も駆除は行われていません。また沖縄県に現れた巨大軟体怪獣ナマゴンは、自衛隊と米軍の協力により当日中に駆除されました。ですが戦闘による被害で市街地は大きな被害を受け、被災者が避難所に溢れ……】


 淡々と語るテレビのアナウンサー。続いてテレビに、破壊された町並みが映し出される。踏み潰された家、壊された工場。それに自衛隊のテントに並ぶ人の姿――――

 それらを見ていた百合子だったが、突然テレビが消された。ふと横を見れば、母がリモコンを持っていた。


「食事中はテレビなんて見ない」


「そんな小学生の時のルールを持ち出さなくても……別に平気ですよ。少なくとも私は」


 母からの言葉を適当に流し、その手のリモコンを奪ってテレビを点ける。怪獣被害の町並みが映し出された後は、アナウンサーやコメンテーター達がやれ国政だの対策だのと話していた。

 二ヶ月の間に、世界は大きく変わった。

 百合子達の町に出現した巨大生物達が、様々な場所に現れるようになったのだ。東京で十メートル超えのミミズが現れたり、名古屋を化け物ネコが襲ったり。最初は日本だけに現れていたので「流石日本は怪獣の国だな」等と冗談混じりに世界からは語られていたが、二週間も経てば世界中でその姿が見られるようになった。出現数は増加傾向にあるらしく、最初は混乱するように発表していたアナウンサーも、今日ではすっかり慣れたもの。今ではただの大きい生物と区別するため、巨大生物の事は『怪獣』と呼称するのが正しくなっている。既に日常の一つだ。

 無論、日常と化したからといって平和になった訳ではない。毎日数多くの犠牲者が出ているし、経済的な被害も相当なものらしい。外国にも怪獣が現れた事で援助も期待出来ず、輸入品への悪影響から物価も高騰しているとニュースや新聞は報道している。怪獣出現が留まる気配がない以上、今しばらくは情勢の悪化が続くだろう。

 勿論人類も日常に流されるばかりではない。最初は怪獣を嘗めて接近した人や、怪獣など怖くないと強がる人がいて、そうした人達の暴走や救助で大きな被害が出る事もあった。しかし今では殆どの人が怪獣の怖さを知り、適切な行動を取るようになっている。また現れた怪獣達はどれも軍隊の攻撃でしっかり退治されていた。馬鹿げたサイズではあるが、基本的には生物なのだ。銃で撃てば傷が付くし、戦車砲やミサイルを撃てば死ぬ。町で暴れた怪獣はみんな駆除された。

 唯一退治されていないのは、百合子達が出会った以降、人前に姿を現していないあの巨大カラスのみ。

 いや、今や巨大カラスという呼び名ではない。怪獣達には個体認識が出来るよう、様々な名前が与えられた。例えば百合子達の町で暴れたドブネズミが『テッソ』、ゴキブリは『コックマー』と呼ばれている。一般社会で呼ばれるようになった名前や仮称、はたまた妖怪のような幻想種に生物学的特徴など、命名規則は特にないらしい。

 そして、巨大カラスに与えられた名前は――――


「百合子、お友達来てるわよー」


 考えながらテレビを見ていたところ、百合子は母からそう声を掛けられた。

 友達? 考え込んでいた百合子は、一瞬なんの事が分からず呆けてしまう。が、すぐに状況を理解した彼女は、自らの失態に顔を青くした。

 寝惚けてすっかり忘れていた。今日は茜と真綾と共に出掛ける約束をしていた事を。


「……やっば! 約束忘れてました!」


「アンタねぇ……中で待っててもらうように言うから、さっさと仕度しちゃいなさい。あと私は今日夜勤だから、遅くなるなら鍵を持ってくのよ」


「はーい!」


 雑な返事をしながら、百合子は朝食を一気に平らげる。急いで食べたらお腹が随分重く感じたが、休んでいる暇はない。

 洗面台でさっさと歯磨きと顔洗い。寝癖もささっと直すだけ。自室に戻ってパジャマを脱ぎ捨て、服へと着替えたならば準備良し。昨日のうちに用意していた鞄を手に取り、大急ぎで玄関へ。


「ごめんなさーい! お待たせしましたー!」


「遅いぞー」


「遅いわ」


 開いた扉の先には、呆れた様子の茜と真綾がいた。


「すみません……でも、家の中で待っててくれても良かったのですよ? お母さんに言われたと思うのですが」


「まぁ、すぐに出てくると思ってたからね」


「ええ。しっかし、また夜更ししてた訳?」


「夜の方が色々滾りますからね。仕方ありません」


「滾るとか、ドスケベね」


「それ、そーいう発想の人の方が余程ドスケベだと思います」


 だらだらと話しながら、自然と歩き出した茜の後を追うように、百合子と真綾も続く。語られる会話は本当に他愛ないものばかり。

 まるで二ヶ月前と変わらない会話。あんな怪獣達なんて本当はいなかったかのように、三人は平穏に会話を続ける。

 ――――だが、変わっていない筈もない。

 特に茜は大きく変わった。姉の死を突き付けられたどころか、その姉の葬式すら満足に出来なかったのだから。あまりにもたくさんの人が一度に死んだがために、葬儀場が埋まり、簡易的なもので済ませるしかなかったのである。葬儀というのは立派であればあるほど良いというものではないが……納得の行くものが出来なかったという遺族の心残りが、良いものである筈がない。

 例え今は、ニコニコと笑っていたとしても。


「ところで百合子ちゃん、準備はちゃんと出来てるの?」


「勿論。ただ遊んで夜更ししていた訳じゃありませんよ。ちゃんと必要な動画のURL纏めましたからね」


「前日に頑張らないでコツコツやれば良かったのよ」


「ぐぬぬぬぬ」


「あはは。まぁ、なんでも良いよ。うん、なんでも良い」


 笑っていた茜が、ふと顔を伏せる。顔からは笑みが消え、その瞳には憎悪が宿り出す。

 百合子は知っている。その憎悪の向き先を。

 忘れてほしいとは言えない。自分が同じ立場なら、きっと同じ気持ちに陥るから。だけど一人で悩んで、一人で行ってほしくないから、百合子は茜に付いていく。真綾も似たようなものだ。

 そんな友人二人の見ている前で、憎悪に染まった茜は口に出す。


「『ヤタガラス』……アイツを殺せるなら、なんだって……!」


 己の願いと目的を。

 大怪鳥ヤタガラス。

 そう名付けられた怪獣茜の姉の仇の倒し方を調べる事が、今の百合子達の日常の一つだった。

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