巨獣の激突

「な、なんですか、この揺れ……?」


 百合子は無意識に『違和感』を言葉にしていた。

 大地の揺れ。本来ならば、それは地震と称するのが正しいだろう。いや、地震以外にあり得ない。爆弾の爆発やらなんやらでも大地は揺れるかも知れないが、こんな、何秒も続くものではない筈なのだから。

 しかし、ならばどうして違和感など覚えるのか。自分は一体何が気になっているのか。何かに捕まっていなければ転びそうなほど揺れが強くなった時、ふと百合子の脳裏に疑問に対する答えが一つ浮かぶ。

 ――――

 次の瞬間、窓から見ていた市街地で巨大な爆発が起きた! 何十メートルもの高さと幅に粉塵が、それと恐らく建物のものであろう瓦礫が舞い上がり、更には窓ガラスが割れそうなほどの爆音が轟く。


「きゃあっ!?」


「ひぅ!?」


「え、な、何? 何があったの?」


 爆発を目の当たりにした百合子は驚きから尻餅を撞き、茜は悲鳴を漏らす。その光景を直接見ていない真綾も爆音は聞こえていて、動揺を露わにしていた。

 いや、そもそもさっきのものは本当に爆発だったのか?

 確かに土埃や建物の瓦礫が舞い上がっていた。爆音だって聞こえている。しかし炎は見ていないし、工業地帯なら兎も角、住宅地で家が何軒も吹き飛ぶ爆発が起きるなんて考え辛い。

 何か、別の理由があるのではないか? 違和感から百合子は立ち上がり、また窓際に向かう。既に地震が収まった事を感じつつ、市街地をじっと見た。

 視線を向ける先にあるのは、爆発らしき現象により生じた粉塵。粉塵は校舎からほんの百メートルか二百メートル先という、極めて近い場所で漂っている。どうやら『爆発的現象』はかなり近い場所で起きていたらしい。粉塵は今も濛々と周辺を舞っているが、時間の流れと共に薄れていく。十秒も経たないうちに、その粉塵はすっかり消えてなくなる。

 そして『それ』は、百合子に自らの姿を披露した。


「……は?」


 思わず、口から出てきたのは否定の言葉。しかし彼女の想いなど無視して、『それ』は存在し続ける。

 全身を覆う灰色の毛。鞭のようにしなる長い尾。短い手足と、愛嬌のある顔立ち……

 ドブネズミだ。耳が長く伸びていたり、黒い毛の束が背ビレのように生えていたり、口からはみ出して見えるぐらい牙が何本も伸びていたりと外観に数々の変化はあるが、それでも一言で例えるならばドブネズミしかない。

 そして何より目を引くのは、その巨大さ。

 周りに残った建物の大きさから推測するに、はあるだろうか。学校に現れた個体がニメートルだとすれば、ざっと十倍ものサイズだ。ニメートルの時点でとんでもない大きさだったのに、二十メートルなんてあり得ない。そんな常識的考えを打ち砕くように、超巨大ドブネズミは身動ぎや尾の動きで周りの家々を蹴散らす。一歩動く度に重々しい足音が鳴り、僅かに百合子の身体を揺さぶった。

 夢でも幻覚でもない。間違いなく、この巨大な生物は実在しているのだ。尤も、理性がそれを受け入れられるかどうかは、また別の話なのだが。


「何よ……一体、何があったってのよ」


 何も言わない百合子の反応が気になったのか。腰が回復したらしい真綾は立ち上がり、百合子の隣に立つ。次いで、声一つ出す前に百合子と全く同じ呆けた表情を浮かべた。

 百合子と真綾は、どちらも現実が受け入れられなかった。どちらも自分の見ているものが理解出来ず、困惑するばかり。


「ど、どうしよう!? あんなのが暴れたら、わ、私ら……!」


 唯一これが現実だと受け入れた茜は、恐怖に引き攣った声を漏らした。


「……落ち着いて。まだこっちに来ると決まった訳じゃないわ。それに、確かに暴れたら校舎も壊れそうだけど、大きさ的に向こうも巻き込まれたらただでは済まない筈――――」


 茜の不安を理屈で解消しようとする真綾。けれどもその言葉は、再び起きた地震により途切れる。

 今度の地震は、先程よりも小さなもの。けれども百合子はその事実に安心など出来ない。少なくとも、揺れを感じる程度には近いという事なのだから。

 その予想を肯定するかのように、市街地で新たな爆発が起きた。舞い上がる粉塵の規模は『先程』と同程度。先の爆発よりも距離は遠く、調理室の窓ガラスを揺らす力も弱い。心構えの出来ていた百合子達はもう誰も転ばなかったが……心を覆う暗雲は、より濃さを増していく。


【ギ、ギギィヂヂヂヂイィィィ!】


 舞い上がる粉塵を蹴散らすようにして姿を現したのは、前脚がカマキリのように肥大化した超巨大ゴキブリだった。

 超巨大ゴキブリの体長も二十メートルほど。ここまで大きいともう空など飛べないからか、翅が普通のゴキブリのような柔らかなものではなく、カブトムシやクワガタムシのような硬質化したものに変化していた。全身を覆う甲殻も、見た目からして頑強さを増している。脚からは棘まで生えていて、見た目の変化はドブネズミ以上に大きい。


【ヂュウウゥオオオオオオッ!】


 現れた超巨大ゴキブリに対し、超巨大ドブネズミは臆する事なく向き合い、吼えた。四本足で大地をしっかりと踏み締め、全身の筋肉を膨らませて更に一回り大きくなる。

 ゴキブリも六本の脚で大地を踏み締め、ドブネズミを真っ正面から見据えた。翅をぴったりと閉じ、黒い鎧のように纏う姿はまるで騎士。家庭で見かけるものとは雰囲気がまるで違う、雄々しさを感じさせる。

 睨み合う両者は、少しずつ距離を詰めていく。

 百合子には、勿論この二匹の気持ちなんて全く分からない。きっと世界中の誰にも分からないだろう。だが、これから何が起こるかは、世界中の誰よりも確信を持って答えられる。

 戦うつもりだ。理由はなんにせよ、互いの命を賭けて。

 勝手にやれと言いたいところだが、そうもいかない事情が百合子達にはある。

 二匹から校舎までの距離が、たったの百五十メートルほどしか離れていないのだ。


「……こりゃ、外に逃げていた方がマシだったかも」


 真綾がぽつりと呟いた言葉は、百合子の気持ちをこれ以上ないほど代弁してくれた。茜も同じようで、へらへらと笑う。

 二匹の超巨大生物達は、百合子達の気持ちなど汲んでもくれない。


【ギギギギギイィィィィ!】


【ヂュウウゥウウゥゥッ!】


 二匹は同時に駆け出すや、真っ正面からぶつかり合った!

 最初の体当たりを制したのは、ゴキブリの方。六本脚の分だけパワーがあるのか、どんどんドブネズミを押していく。ドブネズミは踏ん張ろうとするが、動きは止まるどころか加速する一方。

 ついにドブネズミは百合子達がいる学校の校舎に激突。二十メートルもある巨体と接触し、校舎の壁が崩落した。


「きゃああああっ!?」


「いやああぁっ!」


 百合子達にとって幸いな事に、ドブネズミが激突したのは百合子達がいるのとは反対側の校舎の端っこ。直接叩き潰される事はなかったが、崩落の振動で三人の誰もが立てなくなってしまう。調理室には幾つもの窓ガラスがあるが、一部が割れ、雪崩のように室内へと流れ込んだ。幸いにして百合子達が襲われる事はなかったが、もしも傍に居たら、身体中が傷だらけになっただろう。

 ゴキブリはそんな百合子達などお構いなしに、ドブネズミへの攻撃を続行。カマキリが如く大きく発達した腕を振り下ろし、鉄拳をお見舞いする!

 ドブネズミはこれを、顔を逸らす事で回避。校舎に打ち込まれて埋もれた前脚を掴むや、腕の力でゴキブリの身体を真横に投げようとした。ゴキブリは前脚以外の四本脚で耐えようとするが、咄嗟の事で踏ん張りが足りなかったのか、あえなく投げ飛ばされる。転がる動きで家を数軒潰したが、起き上がったゴキブリに堪えた様子はない。


【ギギィイッ!】


 ゴキブリは再度突撃し、今度は頭突きを披露。ドブネズミの顔面に喰らわせた!

 巨大で硬質な頭部の一撃に、ネズミは大きくその身を仰け反らせる。頭からは僅かに血が飛び、小さくない傷を受けた事が窺い知れた。


【ヂュウウッ!】


 しかしドブネズミは一切臆す事なく、今度はこちらの番だとばかりに尾を振るう。振られた尾はゴキブリに向かっていたが、鞭のように叩くのではない。

 ゴキブリの肥大化した前脚に巻き付けたのだ。ゴキブリはドブネズミの意図に気付いたようで、なんとか前脚から尾を振り解こうとするが、ドブネズミとて簡単にはやらせてくれない。

 ドブネズミは尾を引き寄せ、ゴキブリを自分の近くへと引っ張る。やがてゴキブリとの距離が縮まるとすかさず跳び付き、その甲殻に噛み付いた。頑強な筈の甲殻は、発達したドブネズミの牙により破られる。更にドブネズミは顎に力を込め、ゴキブリの甲殻を貫いた牙を筋肉へと突き進めた。

 ゴキブリの身体に開いた穴から、無色透明な体液が溢れた。しかしゴキブリがこの攻撃に狼狽えていたのは一瞬。すぐさま冷静さを取り戻し、反撃としてドブネズミに噛み付き返した。

 ゴキブリと違い、ドブネズミの身体は甲殻により守られていない。ゴキブリの顎はドブネズミの身体に深く食い込み、ぶちぶちとその肉を千切る音を鳴らす。これには堪らずドブネズミは尾を離して逃げようとするが、ゴキブリはそのまま逃がそうとはしない。離れようとする背中に対して前脚を振り下ろし、どつくように殴り付ける。


【ヂュアアッ!?】


 殴られたドブネズミは横転し、住宅地の上をごろごろと転がった。家が特撮番組で使われるジオラマが如く派手に砕け散り、転んだ衝撃を物語る。

 だがドブネズミはこれでも死なないどころか、大きな怪我もしていない。むしろ怒りで表情を歪め、ぶるんと身体を振るって土埃を落とした後、再びゴキブリと力強く向き合う。

 ゴキブリの方も闘志は失せていない。甲殻質の顔に表情などないが、見ているだけで全身がひりつくような覇気を発した。

 両者はまたしても激突する。一撃一撃の衝撃が、町を粉々に砕いていった。


「……なんなの、これ」


 そしてその光景を目にした百合子は、ぽつりと独りごちる。

 二十メートル。

 人間と比べて明らかに大きなその身体は、しかし特撮番組や映画に出てくるモンスターとしてはちょっと拍子抜けする規模だろう。某白銀の巨人は身長五十メートルもあるし、とある怪獣王なんて百メートル超え、作品によっては三百メートル超えにもなった。そもそも二十メートルなんてブラキオサウルスのような、実在した恐竜よりも小さいではないか。『化け物』と呼ぶにはちょっとばかし小さ過ぎる。

 だが、現実に現れた二十メートル級の生物は、ただ暴れ回るだけで町を壊していく。一人一人の暮らしがある家を雑草のように蹴散らし、そこにいるかも知れない命など気にも留めない。

 大きさなんて関係ない。人の暮らしを虫けらのように踏み潰していくあの生き物達は――――間違いなく『怪獣』だ。


「……ねぇ、真綾ちゃん。これから、どうしたら良い?」


「……紙で社でも作って祈ろうかしら。もう、これは流石に私もお手上げ。あんなのどうしろってんのよ」


「だよねー……」


 あまりの傍若無人ぶりに、茜はパニックになる事すら放棄したのか。ぼんやりとした言葉に生気はない。真綾の言葉にも力はなく、生き延びるための作戦も思い付かない様子。

 百合子も似たようなものだ。怪獣達の暴れる姿を呆然と眺めるだけ。校舎に激突してきた時も、そこで暴れていた時も、何も出来なかった。いや、何が出来るというのか? 自衛隊のような武器を装備しているならまだしも、ただの女子高生が怪獣に立ち向かい、勝つのは勿論傷の一つでも与えられる訳がないのだから。出来る事なんてなんもありはしない。

 或いは、今のうちに校舎の外に脱出するという手はあるだろう。しかしそれをするためには、あの怪獣達よりは小さな、だけど人間よりも大きなネズミやゴキブリが行き交う校舎を進まねばならない。自分達はその驚異から生き延びるためにこの調理室に逃げ込んだのに、そこから出てはなんの意味もない。それに逃げた先に偶然怪獣二匹がやってくる可能性もあるのだ。

 未来が分からない人間達には、どうすべきかなんて分からない。百合子達はただ呆然と、二匹の怪獣の争いを眺めるだけ。じっと、何も分からないまま死にたくないという想いだけで見つめ続ける。

 ――――そんな時だった。

 不意に、町で争っていた二匹が動きを止めたのは。


【……ギ、ギギヂィィ……】


 ゴキブリが怯んだように後退る。今までどんな攻撃を受けても、ドブネズミと互角に戦っていたのに。


【チュ、ヂュウゥゥ……】


 ドブネズミは怯えるように身を縮こまらせた。今までどれだけ傷付こうとも、ゴキブリと戦っていたのに。

 先程までの激しさは何処へやら。もう二匹に戦う気はすっかりない。けれども警戒は収まらず、むしろどんどん強めているようにすら見える。

 そして二匹の視線は、どちらも空を向いていた。

 空に何があるというのだろうか? いくらドブネズミとゴキブリとはいえ、あれだけ大きければ今更鳥なんかは怖がらないだろう。なら、もしかしたら自衛隊の戦闘機が来たのでは……脳裏を過ぎる希望的な考えに、百合子は思わずドブネズミ達と同じく空を見遣る。

 百合子は誰よりも楽観的だった。

 故に不安げにしている茜や真綾よりも早く、空を見た。そしてだからこそ、誰よりも早くその顔を恐怖で引き攣らせる。

 空から舞い降りてきた『黒い影』を、友達二人よりも先に目にしたのだから……

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