第四章──岐路と悪路
4-1 背後と悪意
闇夜に三種類の音が交差していた。
弾む呼吸音。
単調なようでいてわずかに不規則な、走る足音。
もうひとつ──後ろから確かに響く足音。
その誰とも知れない追跡者を振り切るために、高田祐司は必死で走っていた。
高田は美術部の部員で、作品提出締め切りが二週間後に迫った市のコンクールに出品する予定の作品の仕上げにかかりきりになっていて、帰宅が遅れたのだった。
自宅までは徒歩だと二十分ほどかかる。普段は自転車で通学しているのだが、今日は午前中に雨が降っていたために歩きだった。自転車ならばこの不気味な足音の主から簡単に逃げきることができたのに、と高田は己の不運を呪った。
息が苦しい。運動が苦手な高田は、まだ走り始めて三分も経っていないのにすでによたよたとしていた。速度も落ち、もはや早足で歩いているのと大差ない。
傘を持つ右手が疲れた。投げ捨ててしまいたい衝動に駆られるが、思い直して左手に持ち替える。
汗が目に入り、痛みと共に視界がぼやけた。袖口で顔を拭う。
どうして俺が、と口走りそうになったが必死でこらえた。一度泣き言を口にしてしまえば、一挙に流れ出てくる不安と恐怖の激流にたちまち飲み込まれてしまうであろうことがわかっていた。
波立った気持ちを落ち着けるために広い間隔をおいて設置されている街灯の明かりに目をやるが、かえって周囲の闇の存在を再認識してしまった。この通りは大通りに面している割に店や自動販売機のようなものは少なく、よって漏れる光も少ない。
幅の広い道路は夜の中ではまるで漆黒の水面のように見えて、平時には想起することもない不穏な想像をかきたてる。何が潜んでいるのかわからない、真っ暗な河だ。
足音がどんどん近づいて来る。複数だ。
せめて後悔でもできるのならまだ救いもあったが、高田は自分が追われている原因にまったく心当たりがなかった。恨みを買った覚えはないし、敵を作った記憶もない。
しかし、背後からははっきりと──
どす黒く濁った、膨大な悪意だけが感じられた。
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