4-2 発覚と挙手
九月四日。
連上による一世一代の大仕掛け──徹頭徹尾にわたって仕組まれた大騒ぎから、三日が経った。たった三日だが、学園の内情は劇的に動いた。
旧生徒会陣営は解散に追い込まれ、南岳を筆頭とする主要構成員のほとんどが退学を言い渡された。例外は──不祥事が発覚する直前に自ら学園を去った朱河原と、独自の伝手を辿りあらゆる不利な証拠を消し去って知らぬ存ぜぬを通し切った梁山の二人だけである。
テコンドー部も、犠牲として部員数名を切り捨てることで辛うじて存続した。元々闇の部隊であったこともあり、全員が支配システムに関わっていたという確証までは得られなかったらしい。
島崎は、この報せを聞いた時に意外だと感じた。
連上の目的は従兄である八幡浜硬介の復讐──そして八幡浜を殺したのは十中八九荒事の実行部隊であるテコンドー部であり、その陣頭指揮を執ったのは梁山だろう。なのにその急所を生き延びさせては意味がないではないか。
この結果の裏には、何かもう一つ連上の企みが隠されているのだろうか。それとも、八幡浜の抹殺を指示した南岳──凶行の大元をやり込めてしまえば満足ということなのだろうか。確かに、本当の責任はそこにあるのだが。
八幡浜は公式には未だに行方不明という扱いになっているし、今度のことでもそれが生徒会の旧悪と結びつけられることはなかった。部外者が手を回すことで与えられるダメージはこれが限界ということなのかもしれない。
真意は連上のみが知るところではあるが、ともかく陽陵学園の闇は根絶された。これからは再生の道程を辿ることになるのだろう。
九月一日、学園は生徒会選挙を例年通りの日程で、ただし教学課での窃盗事件は未だ解決していないため容疑者となっている二年の立候補は禁じた上で行うことを発表した。
この点でも連上の読みは的中──大袈裟でなく、すべては連上のシナリオ通りに動きつつあった。
この日、島崎はある決意を胸に秘めて情報処理部部室──コンピュータ室の前に立っていた。
もしかしたら、今日で連上と会うのは最後になってしまうかもしれない──そんな予感がずっと島崎の中にはある。島崎が考えている言葉を連上に放つ──それを行うだけで、二人の仲が修復不可能なほどに決裂してしまう可能性は確かにあった。しかし、そうだとしても行動を起こさなければならないほどに、島崎にとってその決意は重要なものだった。
意を決し、力を込めて戸を開ける。
振り返った連上が右手を挙げた。いつも通り、柔和な笑みを浮かべている──このままなし崩し的に彼女のペースに乗せられてしまうことが少し恐ろしく、島崎は先手を打った。
「連上。話したいことがあるんだ」
連上は島崎の意図を知ってか知らずか、目を細めて呟いた。
「島崎君。そういえば君にはまだ、あたしの行動の動機を話してはいなかったね」
「え?」
島崎は面食らって目をしばたたかせた。突然のことで、連上の思惑が読めない。
それに、そのことはすでに聞いたはずだ。南岳政権に殺された生徒、八幡浜硬介の復讐──だと。
島崎がそう言うと、連上は小さくかぶりを振った。
「それは確かに事実だ。でも、それだけではないんだよ」
連上は静かな口調でぽつりぽつりと語り出した。
「以前、硬介から届いた最後の手紙を君に見せたよね。あれを硬介が書いたのは殺される直前──生命の危険を感じて投函したものだった。実は、それ以前からあたしは彼の境遇をおぼろげながら知っていたんだ」
そこで連上は唇を噛んでしばらく黙ったが、やがてまた口を開く。
「それは手紙が来る半年ほど前のことだった。生徒会の裏の顔──組織的で冷酷な凶行を目撃してしまったまさにその日に、硬介はあたしに電話してきた」
半年前。
それから六か月の長きにわたって彼は虐げられ続け──ついには殺されてしまうのか。
島崎は顔も知らない八幡浜硬介に降りかかった辛い日々を想像し、胸が痛くなった。
「あたしはすぐに忠告した。そこまで巨大化してしまった組織を相手取るのは危険すぎる、身の安全のためにすぐに転校すべきだって」
「そう──なのか」
「でも彼は言ったんだ。僕は、この学園を」
愛している──って。
そう、連上は言った。
それは、一般的に言う愛校心などという言葉よりも遥かに重みのある言葉だった。
島崎にとって、高校とは中学から大学へ至る通過点でしかない。色々なことを学び、色々なことを楽しむことができる期間だとは思うけれど、だからといって自分が犠牲になってまでこの生活環境を守ろうとは考えない。この高校で何か問題が起きたのなら別の高校へ移ればいいだけのことである。島崎が今生徒会と敵対しているのは井守という親友の存在が根っこにあるだけであって、別に陽陵学園を良くしたいからというわけではない。そういう意味では、島崎にとってこの学校も高校という大きな括りの中の一つに過ぎない、代替可能な存在でしかなかった。
でも──八幡浜硬介はそうではなかった。
本来自分の人生とそこまで深くかかわるわけではない学園を、守ろうとして──自らの正義を貫こうとして、命を落とした。
「八幡浜さんは──どうしてそこまで」
「硬介は早いうちから陽陵学園に進学することを強く望んで受験勉強に励んでいた。入学してからも、それなりに友達も多くできて楽しくやっていたようだったよ。傍から見ても彼の中には陽陵学園への憧れが見て取れるけれど──そんな表層的な心理から出た言葉だとは、とても思えないね」
本当のところはあたしにはわからないよ──と連上は両手を挙げた。
「でもね、島崎君。硬介の本意は知れないけれど、決意だけはわかりすぎるほどにわかっている。あたしは硬介の遺志を遂げたい。だから──この学園を私物化し、金儲けに利用した南岳が絶対に許せないんだ」
「……そうか」
島崎は頷いた。連上が開口一番にこの話をした理由が、なんとなくわかってきていた。
連上は、島崎が話そうとしていることをとうに察していたのだ。島崎の決意を遮るようにしてまで話したのは──島崎に対する、連上なりの答えだったのだ。確かに今まで知らなかった事情を知ったことで、島崎の決意は硬度をやや落としつつある。理解をしてやりたい気持ちが、生まれつつある。
──でも。
それでも、追及の手を止める気にはなれなかった。
島崎は、すべてを受け入れるような穏やかな色を湛えた連上の瞳を見据える。
「お前の気持ちはわかったよ。でも、僕は納得できない」
声を絞り出し、身の内にずっと蟠っていた罪悪感を吐き出した。
言葉に乗せて、声に出して、届くという確信も持てないまま連上に送る。
「お前の言う通り、八幡浜さんは自分の信条に従って死んだのかもしれない。貫徹できなかった意志を継ぐというのも、意味がないとは言わない。でも──八幡浜さんはもういないじゃないか。今生きている、それも生徒会とも無関係な人を唆して罪に陥れてまで故人の気持ちを実現させるべきなのか?」
連上は──事務員の二宮が金欠で困っていることに巧みに付け込んで、犯罪を実行させた。自分の利益のために、他人の人生を壊した。
それは──形や目的の違いはあれど、南岳率いる生徒会が行ってきたことと変わらないのではないか。
ここ数日、島崎の心中はその思いに満たされていた。
「陥れたなんて酷い言い方をしないで欲しいな」連上は無表情で答える。「あたしは道を示しただけ。その道を行くかどうか決めたのは、他ならぬ彼自身なんだからね」
「そうなんだろうな。決めたのは本人だったんだろう──でもお前は、二宮さんが自分の意思でそれを決めるまでに数限りない工作を行ったんだろ?」
「だとしたら?」
「そんなんで──いいのかよ」
連上は黙って島崎を見返している。
その眼には──わずかの動揺もない。
それが腹立たしくてたまらず、島崎は声を荒らげた。
「それで八幡浜さんは喜ぶのかよ!」
空間そのものが張り詰める音が聞こえたような気がした。連上がいつも纏っている静かで微動だにしない空気が、にわかに波立ったのがわかった。
連上はわずかに表情を歪め、目を伏せる。耳にかけるようにまとまっていた髪が数本ほつれて顔にかかった。
「その話はもうやめよう」
島崎は黙って頷いた。元よりこの場で連上に非を認めさせることなど無理だと思っていたから、これ以上の追及はしない。ただ、少しでも連上の心を揺らすことができればいいと思った。
「今日は何をするんだ?」
「先生に頼まれてた情報の授業の資料作成かな。締め切りがもうすぐだったはずだから。細かい指示は──ああ、確か準備室の棚のファイルに入ってると思う」
「そうか。持ってくるよ」
島崎は隣の準備室に入った。
奥の棚に歩み寄る。
その時。
島崎は、言葉にならない違和感を覚えた。
何か異様なもの──この場に不釣り合いなものが視界に映ったような感覚。
半歩程右に寄り、それを見た瞬間の位置を再現する。
後ろ──棚の後ろ。
棚は壁にぴったりと沿って設置されているわけではなく、わずかに隙間が空いていた。そこから数センチほど何かがのぞいている。
こんな所に何が置かれているのか──普段ならばそんなことは気にも留めないだろう。しかしそれは、どういうわけか島崎を惹き付けた。
恐ろしいもの、おぞましいもの、危険なもの──漠然とそんな印象を感じながらも確認せずにはいられないという、危険な香り。その芳香に誘われるまま、島崎はそれに手を掛けて引き出した。
これは──
島崎は息をのんだ。
A型バリケード──『工事中』の立て看板だ。
それも──
色。
形。
大きさ。
どれをとっても、以前にテコンドー部が井守を人気のない路地へ誘い込むために使用したものに酷似している。
限りなく、同じと言いきれるほどに。
どうしてそれがここにあるのか。
あの時。
島崎は病院から出て学園へ向かっていて。
井守が襲われたという場所を見て、少しその周りを調べて。
そして──次に。
島崎は軽い頭痛を覚えた。
そうだ。
その時、連上が現れたのだ。
どうして連上はあそこにいた?
すでに授業は始まっていた。
連上は病院帰りだと言った。
しかし、病院から学園への直行ルートではない。
島崎が寄り道をしているところに──どうして奴はひょっこりと姿を現した?
自問を繰り返す。島崎の中に生まれた黒い霧は、次第に広がって渦を巻いた。
「っ──」
矢も盾もたまらず、A型バリケードを引っ掴んで部室へ戻る。
「どう──したんだい」
島崎の持った禍々しい物を見て、連上は顔を強張らせたように見えた。
黒い渦が更に濃度を増す。
「連上」
島崎は、自らが発した声をまるで他人のそれのように感じた。信じられないほど硬質で、冷たい声だ。
「準備室で見つけた。これは──何なんだ」
意識していないのに、言葉が口をついて滑り出る。
止まらない。
自分の意思で止められない。
疑惑の霧は、もはや視界を覆う漆黒の闇と化していた。
島崎は、どろどろとした渦の中心でただ呆然と自分の言葉を聴いている。
「これは、テコンドー部が井守を襲うために使ったものじゃないのか。どうしてお前が持っているんだ」
島崎は自らの言葉に心中で反論する。
──こんなことを言っても無駄だ。
「いや。そもそもこれはテコンドー部じゃなく──本当はお前が仕掛けていたんじゃないのか?」
仮に島崎の予想したことが真実だったとしても──正面切って問いかけたところで、事態が素直に推移するはずがないじゃないか。
「でなければこれがこんなところにある説明がつかない」
連上がこっちを見ている。
──茶番だ。
「テコンドー部が来る前にお前はこれを設置していたんだ。そして翌朝、それを回収してから──僕に接触した」
──こんな問いに、正直に答えるはずがない。
連上は表情一つ変えずに淡々と、あるいはくるくると表情を変えて真実味たっぷりに、真っ赤な嘘を並べ立てるだろう。
それは一見すれば筋が通っていて、嘘と断ずる足がかりはないように見える。しかしそれはやはり嘘なのだ。
島崎にはわかる。手を組んで以来、ずっと横で連上が詭計を弄する様を見てきたから──連上というとらえどころのない少女をつぶさに観察し続けてきたから、彼女の言葉の裏が少しだけ読めるようになってきている。
今になって、初めて会った時のことを思い返すと──奴の言動は、どうにも嘘臭い。
これ以上、取り繕いの嘘など──
「どうなんだ。僕の言っていることに間違いはあるか、連上」
いや。
──そうか。そうなのか。
島崎はもはや内在する他人となって、自分の行動を分析した。
──僕は多分、違うと言って欲しいのだ。
騙されてごまかされて──煙に巻かれ言い包められ、メッキで加工された安心を得たい。たとえそれが嘘だとわかっていても引っ掛かりたいと願うほどに、僕は信じたくないのだ。
事実を。
連上が最初から僕を踊らせていたなどという事実を。
しかし。
島崎の期待は、最悪の形で裏切られた。
連上はあらゆる感情を排除した声で、ぼそりと呟いた。
「君の言う通りだよ。それを置いて井守君を追いつめたのは──あたしだ」
衝撃音が響いた。
右手にちくちくと痺れを覚えて、島崎はようやく自分が体の主導権を取り戻したことに気付いた。同時に、頬を抑える連上を視認して自分が何をしたかようやく理解する。
「痛いよ、島崎君」
口元が頬を覆う両手によって隠れているため連上の声はくぐもっていたが、それを差し引けばまったく平常時と変わらない声音だった。
変わらない。
ついさっき──他人を犠牲にしてまで目的を達したいのかと問い詰めた時と同じだ。連上のペースは崩れない。
きっと連上は、わかっているのだ。
自らの為した行動がどんな結果を導き出すか。
そして、それが同時にどういう犠牲を、悲劇を、絶望を生みだすのか。
すべて完全に、わかりすぎるほどにわかっているのだ。
その上で、覚悟している。
自覚の上にある強固な覚悟──だから揺れない。
島崎は、この先どう試みても連上の意思を変えることはできないであろうことを悟った。
「ごめん。手を出したことは──謝る」
島崎は身を翻した。
「どこに行くの?」
「今日でお別れだ、連上。もうお前には付き合えない」
言い残すと、早足で部室を出る。苦い気分を抱えながら後ろ手で戸を閉めた。
戸一枚。
島崎と連上を隔てるその一枚が、心の通い道を遮断する壁に思えた。
生徒会選挙への立候補の受付開始は、それからすぐだった。
島崎は生徒会長に立候補した。袂を分かったとはいえ連上の言い分には一理ある──ほとんどの力を失ったとは言え、旧生徒会陣営の残党がなんらかの手段を用いて傀儡を再び生徒会長の座につけようとする可能性はまったくないわけではない。
それに──空白地帯となった陽陵学園に、また誰かによって闇の権力体制が作られることも阻止しなければならない。そのためにはかつての暗い歴史を細部まで知っている者が生徒会長となり、改革によって闇を払拭しなければならないだろう。そこまではするのが、これまで協力してきた人間としての最低限の責任だと島崎は考えていた。ただし連上の冷徹な戦略からは離れて、他人を無為に傷つけるような真似をせずに戦うのだ。
立候補用紙を選挙管理委員会の指定するポストに入れ、島崎はそう決意していた。
「やあ」
肩をぽんと叩かれ、振り返る。
そこには、連上千洋がいた。
「連……上」
「島崎君、すまないけどどいてもらえるかな? そのポストに用があってね」
決別する以前と寸分違わぬ柔和な口調で、連上は話す。
「どうしてお前がここにいるんだ?」
うろたえる島崎の目の前に、連上は右手に持っていた紙を掲げて見せた。
立候補用紙──である。
「生徒会長に立候補するのさ」
「なん……だと?」
島崎はたじろぐ。まるで予測不能の状況だった。
「どうしてだよ。終わったはずだろ? お前の復讐は」
「ああ、復讐は終わったよ」
連上は屈託のない笑みを浮かべた。
島崎はぞっとする。
この笑顔は。
今、連上の顔面に現れている穏やかな微笑──表面的なそれを透かした奥にある、本当の笑顔は。
梁山に、朱河原に、南岳に──陥れるべき敵に対して向けられた、
心まで凍りついた悪魔の笑顔だ。
連上は、瞳の中に謎めいた輝きを灯して言う。
「島崎君。次は君とゲームをしたくなった」
こいつは──今、僕を敵と認識している。
倒すべき敵を設定し、楽しんでいるのだ。
だからこそ、このタイミングで僕の前に現れた。僕が登録を終え、もう後戻りできなくなったこのタイミングで。
島崎は背筋から力が抜けるのを感じた。
連上の言葉がやけに大きく響いた。
「あたしと戦おう、島崎君──あたしは本気で行くよ。どんな手を使ってでも、君を引きずり降ろして見せるからね」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます