3-13 転落と奈落
「止まりません。朱河原部長はどうやらしくじったようですね」
魚住の言葉に、南岳は焦りを隠そうともせずに叫んだ。
「掲示板そのものをダウンさせることはできんのか!」
「僕は情報処理部の動きをすべて追っていました──この掲示板についても、大方のことはわかっています。確かこのサーバーの掲示板サービスにはデータのバックアップ機能がついていたはず──ログの復元が容易である以上、根本的な解決にはなり得ないでしょう。この掲示板の管理者権限があれば公開停止、記録抹消の操作もできるかもしれませんが──現時点でそれがなされていないということは、何らかの理由で阻止されたということでしょう」
魚住は静かに首を振った。
朱河原は情報処理部部員から手に入れたというパスワードを南岳に渡してはいなかった。おそらく南岳と共にいる魚住を手柄から締め出そうと考えてのことだろう──朱河原が魚住を敵視していることには気付いていたが、そのことがここまで大きな問題を引き起こすとは考えていなかった。
「ともかく現状を把握しなければならん──」
携帯で朱河原の番号をコールする。短調なコール音を聞きながら、南岳は凄まじい勢いで考えていた。
これからどうすべきか。
現に投稿が止まっていないことを考えれば、魚住の言う通り朱河原の作戦は失敗した可能性が高い。問題はどこまでの失敗なのかということだ──それによって取るべき行動も変わる。
最悪の事態を想定するなら──ここに留まっているのはまずい。とりあえずこの場を離れて、すべてを隠蔽するための工作をする時間を稼がなければ。
南岳がそこまで考えた時。
ノックの音が生徒会室に響いた。
「!」
──まさか。
「俺が出ます。会長──隠れていて下さい」
魚住が毅然として囁く。
「あ、ああ」
慌てて隠れ場所を物色する──部屋の隅にある掃除用のロッカーに入り、息を潜めた。
戸が開く音に続いて、硬質な声が聞こえた。
「警察の者だけれど、ちょっといいかな? 生徒会長さんはいるか?」
警察という単語を聞き取った瞬間、南岳は脂汗が噴きだすのを感じた。
「会長は……今はいません」
魚住が答える。いつもの平板な調子ではなく、少しだけ上ずった声だった。
「君は生徒会の関係者?」
「は、はい。副会長の魚住です」
「では魚住君、君でいい。実は、この学園の掲示板に気になる投稿が連続して書き込まれていることを知っているかい?」
「い──いえ」
魚住が──わずかに揺れた。
波の立たない湖水のように、深い山の奥に漂う空気のように──常に平坦で静謐な魚住が、初めて動揺を見せた。
その声の揺らぎは刑事にも気付かれただろうか? そう考えて、南岳はにわかに焦った。魚住の声音に現れた変化はごくわずかであり、普段から行動を共にしている南岳だからこそ認識できたものだとは思うが──捜査のプロがそれに気付かない保証はどこにもない。
南岳の心配をよそに、まったく同じ調子で刑事は続ける。
「その書き込みを巡って、何やら暴力沙汰が起きそうになったらしいんだが──どうも、君達生徒会とも関わりのあることらしいんでね。とりあえず、私達の所で話を聞かせてもらいたい」
暴力沙汰──そんな大きな騒ぎになっていたのか。それはつまり、テコンドー部を動かしていた朱河原が何かしくじったということか。
鼓動の音がどんどん大きくなり、体内に響き渡る。
「一緒に来てもらってもいいかな?」
「……はい」
魚住は観念したようにそう応じた。
戸が閉まり、足音が遠ざかって、ようやく南岳は息をついた。
安堵と同時に焦燥が心中を侵略し始める。
何だ? 何が起きた?
掲示板の書き込み。パソコン。情報処理部。
連想される要素が一瞬にして南岳の脳裏に一人の顔を浮かび上がらせた。
あの小娘──連上とかいうこまっしゃくれた女。
奴の仕業だ。
奴は──奴は八幡浜のことを知っていた。南岳にとって最大の急所となる情報を最初から掴んでいた。そのことを知った時から、南岳は自らの保身のためにあらゆる手を講じて連上を排除しようとした。
テコンドー部を差し向けた──大軍を指揮する梁山はほうほうの体で逃げ帰って来た。
演劇部を対峙させた──予測されていたかのような対抗策であっさりと作戦を無効化され、逆に生徒会の権威を叩き壊された。
生徒会選挙の妨害を封じるために立候補者審査制も敷いた──大事件によって制度どころか政権の存続そのものが揺らぎ始めている。
梁山は一度の敗北でまるっきり役立たずになってしまった。
朱河原は大口を叩くくせに裏でこそこそと動くだけで、大した成果も得られない。
南岳が渾身の策略を繰り出しても、あざ笑うかのように警察を差し向けてきた。
あいつは──何なんだ?
攻めても攻めてもまるで効かず、するりするりと身をかわして──逆にこっちに着実に傷を負わせてくる。
表情一つ変えないまま、南岳の世界を殺しにくる。
どうすればいい。
「朱河原──」
何があったのだ。
現状を知らなければならない。
携帯を開く。
もう一度、朱河原の番号を呼び出した。
──出ない。どれだけ待っても出ない。
にわかに恐怖が倍増した。
一体、何が起きているんだ。
何も分からない。
盲目になったようだ。
「あ、ああ──」
南岳の頬を汗が伝い落ちた。気付けば、顔全体がびっしょりと濡れている。
呼吸が荒くなっている。うまく酸素を取り入れられない。
心細い。
不安だ。
とにかく身を守らなければ。朱河原が駄目なら梁山だ。梁山と連絡を取り、テコンドー部の荒くれ者を出動させるのだ。
「梁山──」
一刻も早く安全を確保しなければ──実際に有効かどうかは関係ない。取り巻きが必要なのだ。大勢の部下に囲まれ、守られていないと平静を保てない。
南岳は震える指で携帯を操る。
早く。
「早く──はやく」
うわごとのように繰り返しながら、梁山の番号を呼び出した。
出ない。
出ない。
出ない。
出ない出ない出ない出ない出ない出ない出ない出ない出ない出ない。
南岳の自我は波のように押し寄せた恐慌に激しく揺らいだ。
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