1-5 連上とヤワタハマ

 

 あれは──小学校一年の三学期だった。


 島崎はクラスで除け者にされていたことがあった。

 今でこそ多少はマシになったが、小さな頃の島崎は筋金入りの運動音痴だった。ことあるごとにのろまとからかわれたが、内気だった島崎は何も言い返すことができなかった。無抵抗な少年は同年代のリーダー格に目をつけられ、それが消極的な悪意と相対的な敵意をクラス内に育み、やがてはクラスのほぼ全員が便乗して疎外のシステムは出来上がった。

 しかし、一人だけ以前と変わらず接した者がいた──幼馴染みの井守優生である。いじめられっ子と仲良くする彼は、だからといって同じ立場に追い込まれることもなく──人懐っこい性格と勉強も運動も人並み以上にこなす器用さでもって、クラス中の人望を維持し続けた。

 しかし島崎はそれが気に入らなかった。友達の多い井守がわざわざ自分をからかっているようにしか見えなかったのだ。

 ある日、それについて訊いてみたことがあった。

 下校中だったと思う──家の近い二人は連れ添って並木道を歩いていた。他愛もない話を始めようとする井守を止めて、島崎は問いかけた。


「人気者の優くんがどうして僕なんかと一緒にいるのさ?」


 嫌味な口調の質問に、井守は明るく笑って答えた。


「人気とか、別に関係ねえよ。俺の一番の友達は栄一だからさ」


 その答えを聞いた途端、島崎は言い返す言葉を無くしてしまった。

 嫉妬や疎外感は未だ身の中に渦巻いていたが、それを目の前の少年に向ける気がきれいさっぱりなくなってしまったのだ。

 沈黙した島崎を見て、井守がおかしそうに笑った。

 吹き抜ける風の音が、やけにはっきりと耳に響いていた。



 

「────っ」


 島崎は我に返った。暗く蒸し暑い闇の中──テコンドー部部室だ。島崎はそこで床に倒れている。

 昔の情景を思い出していた。

 あの時のことが脳裏に浮かんだのは──おそらく、今もあの時と同じように、多人数の悪意と向き合っているから、なのだろう。

 いや、向き合ってなどいない。ただ晒されているだけだ──逃げて逃げて、ついに逃げ切れなくなったに過ぎないのだ。

 全身が激しく痛む。

 太った男が島崎の右肩を強く踏みつけた。


「ああああ──っ」


 押さえ切れず、島崎は叫ぶ。部室内に嘲笑の波紋が広がった。

 右から、左から、後方から、前方から、全方位から靴先が飛んできて島崎の体にめり込む。うずくまった島崎は不良に囲まれ、容赦なく蹴りつけられている。

 ひときわ強く側頭部を蹴られた──意識が遠のくが、一瞬後に脇腹に蹴りを見舞われ、その激痛で意識が戻る。ひたすらそれが繰り返される。


「い……井守」


 痛みの中で朦朧とした意識が生み出した過去の幻影は、島崎にさらなる痛みを与えていた。

 井守はいつだって島崎を助けてくれたというその事実が──こんな醜態を晒す自らの無力さを痛感させ、島崎の胸を引き裂く。


「あいつは……いつだって」


 知らず知らずのうちに、島崎は呟いていた。


「でも……僕は」


 また頭を蹴られる。

 血が頬を伝うのを感じ、島崎は両手で頭を抱える。


「あいつに……何も」


 頭をかばった腕を蹴られた。

 骨が軋む音が聞こえた。


「僕は……どうしてこんなに……」


 涙が流れた。


「無力なんだ──」


 嗚咽が漏れそうになり、島崎は歯を食いしばった。

 体が震える。

 正面の男が、涙と鼻水で濡れた島崎の顔を見て嘲りの声を上げた。

 それに追従するように再び笑いの波紋が──

 

 浮かびかけて、消えた。

 部室内は凍りついたように静まり返った。

 島崎は状況が理解できずに顔を上げた。不良達は島崎を蹴り飛ばすことも忘れて、入口に視線を向けたまま硬直している。

 島崎は彼らに続いて入口の方を見た。

 部室の入口には、一人の少女が立っていた。この暗く淀んだ場所にはおよそ似つかわしくない、可憐な少女である。

 線の細い体躯、整った顔立ち、真っ直ぐに肩まで流れる亜麻色の髪──


「連……上」


 島崎は驚きと共に言った。

 連上は床に座り込んでいる島崎を見下ろして、少しだけ微笑んだ。

 その手には──


「な、な、何なんだね君は。一体どうしてそんなものを──」


 梁山が上ずった声で問う。平静を装っているが、明らかに動揺した口振りだった。

 連上のほっそりとした右手には──携帯電話が握られていた。

 画面には、「通話中」と表示されている。通話時間は二十二分四十六秒──時間からみて、島崎の大立ち回りはすべて筒抜けだったことになる。

 梁山が余裕たっぷりに生徒会との関係を認めた、その言質も。


「この展開は予測できたか? 小知恵が回るだけのカスども」


 連上は外見とは正反対の、乱暴そのものの口調でそう吐き捨てた。

 しかし、誰も反論しない──反応すらしない。今やこの空間内の人間は皆、連上に魂を引きずり出されたようになっていた。

 島崎もまた、例外ではない。あまりの出来事に運動を停止しそうな脳を必死で回転させて、身じろぎもせず考えていた。

 ──どうして連上がここに? 一体、何が起きている?

 まったく余裕のない島崎をよそに、連上は澄ました顔で言った。


「すべての会話は録らせてもらった」


 梁山はそこに至って、自らが有する武力の存在を思い出したようだった。


「そ──そいつを捕まえろ!」


 しかし連上は梁山が叫び終わるよりも早く、携帯を折りたたむ方向とは逆向きに曲げ、折ってしまった。息を突く間もなくそれらを真後ろに放り投げる──連上のちょうど背後に設置されている手洗い場の流しにはなぜか水がなみなみと満たされていて、精密機械はきれいな弧を描いてその中に落ちた。

 携帯を折る時の思い切りの良さといい、流し台に水が溢れていたことといい、計算づくとしか思えない行動だった。


「さて、これでもうあたしを捕まえても無駄になった──今までの会話はすべて、某所の留守番電話に録音されている。しかし携帯が使用不能になった今、その場所はあたしにしか分からない。たった今、あたしはあんた達全員の命を握ったってわけ」

「っ、く──」


 梁山は怨嗟に満ちた表情を浮かべた。

 他の連中は皆顔面蒼白である。

 連上は長い時間をかけて周囲の表情を楽しげに眺め回し、最後に島崎に視線を向けた。


「御苦労様、島崎君」


 その一言を聞いた瞬間、島崎はすべてを理解した。

 連上はおそらく、この学園の闇を──それが内包する仕掛けまでも、すべて見通していたのだ。そして最も効果的にテコンドー部の足を掬う方法にも思い至っていた──すなわち、他人をわざとテコンドー部の仕掛けた罠に嵌め、その瞬間を確実に記録することである。

 だからこそ連上は島崎にヒントを与えた──まず闇の存在を示唆し、次に情報を仕入れる方法を教えた。そうして島崎を思うがままに誘導し、罠に陥れ──その裏を取りに行ったのだ。

 連上の目的は最初から自分を利用することだったのだ──そう確信して、島崎は戦慄した。この連上千洋というたおやかな少女の──性格の凶悪さと、頭脳の明晰さに。


「大変だったねえ──さあ、つかまって」


 セーラー服に身を包んだ悪魔は、島崎の手を優しく引いて立たせた。

 梁山に振り返り、煽るように言う。


「あんた達を倒すための必殺の武器は手に入った──生き残りたいなら、奪い返してみなよ。どんな手を使ってでもね」


 梁山は歯を食いしばっている。

 連上は出て行こうとしかけて、またくるりとこちらを顧みた。


「ああそうだ──あんた達のボス、生徒会長の南岳さんに伝言を頼みたい。一年A組の連上が、ヤワタハマコウスケによろしく、と言っていたと」


 その瞬間、梁山の顔色が変わった。

 憤怒の一色に染め抜かれていた顔面が、まだらに変わったのだ。驚愕と緊張と──恐怖のようなものに。

 ヤワタハマコウスケ──それは、島崎が持っていた切り札と同じだ。しかしあくまで単語としてしかそれを知らない島崎よりも、この眼前の少女はもっと詳しい事情を知っていそうな口振りだった。

 連上はもうやり残したことはないと言うような足取りで部室を出て行く。島崎は慌ててそれを追った。



 

「なあ──お前、僕を利用したのか?」


 部室棟を出て少し歩いた頃──中庭にさしかかったあたりで、島崎は連上に話しかけた。

 もう昼休みは残りわずかだったが、どうしても一度話がしたかった。

 連上は向き直った。神妙な表情である。


「うん……今更取り繕っても仕方ないから正直に言うよ。あたしは君を利用した。君の友達を思う心を利用したの」


 大きな瞳の端に涙が盛り上がり、やがて臨界点を超えてすうっと頬を伝い落ちる。


「ごめん、ごめんなさい……ううん、謝って許されることじゃないのはわかってる……でも、でもあたしは……あたしはなんてひどいことを……」


 それから先は涙声で何を言っているのか島崎には分からなかった。

 あまりにも急に連上は決壊した──大粒の涙が次々に瞳からこぼれた。

 はかなげな少女は肩を落とし、両手を顔に当てて震えながらむせび泣いた。

 島崎はその様子をしばらく見ていたが、やがて仕方なく声をかけた。


「演技で煙に巻こうったって、そうはいかないよ」

「……ばれたか」


 連上はけろりとした表情で顔を上げる。


「涙は女の最大の武器、のはずだったんだけどな」

「説得力ないって」


 あの人間離れした立ち回りを見ていれば、ここで泣き崩れてしまうような線の細い少女だと信じることなど不可能というものである。

 連上は肩をすくめた。


「確かにあたしは君を利用した──そこは認めるよ。でもね、決して使い捨てにする気持ちはなかったんだよ。こうして助けに入ったことからも、それは分かってもらえると思うけど」

「ああ、信じるよ」


 島崎は簡単に頷いた。


「確かにお前からすれば、あそこはわざわざ助けに出ない方が得だった。僕が再起不能になるまでやられる様を克明に記録してしまえば、録音データの武器としての力は遥かに強まるからな」


 連上は片眉を上げ、薄く笑った。


「そんな簡単に信じていいの? もしかしたら君を助けるためじゃなく、後にこれを公表する際に助けなかったことを批難されたくなかったからかもしれないよ?」

「その時は怖くて足がすくんだとでも言えばいいことさ。君のその容貌なら信じさせることは容易だ──どうせそこまで計算済みなんだろ?」


 そしてこう看破されることすらも。

 島崎の推察通り、連上は会心の笑みを浮かべた。

 島崎が正しく解釈しているところを見て、あえてそれを揺るがせた──さらに答えさせることで、島崎自身に連上の行為の正当性を証明させた。さりげなく念を押させ、島崎の心の奥に恩の薄布を着せる思惑なのだろう。

 巧みな弁舌で他人を思うがままに操る詐欺師──やはり、油断できない。少しでも気を抜けば、こちらの探りたいことはうまくはぐらかされてしまうだろう。

 しかし──それを潜り抜ける方法はある。

 島崎はその方法を実行するために、行動に出た。


「確かにお前は僕を助けてくれたが、その真意はただの善意なんかじゃないんだろ? おそらくお前はこう考えたんだ──この男にはまだ利用価値がある、ってな」


 賭けだった。

 連上の話術を回避する方法──それは、自ら連上の仲間になることだ。運命共同体となることで、警戒される必要もなくなる。

 連上が仲間を欲している可能性──今のさりげない恩着せで、島崎はその気配を嗅いだ。ある程度の洞察力はすでに見せているし、その気があればうまくいくはずだと踏んだ。

 沈黙があった。

 連上は、目を閉じて静かに息を吐きだした。


「まいったな──明察だね、島崎君。利用価値って言い方は悪いが、まさにその通り。あたしは君を試していた」


 手ごたえ。

 島崎は武者震いを感じた。


「あれだけのヒントから真実にたどり着ければ相棒にするには合格──そのつもりだったが、まさか『ヤワタハマ』にまで至ってしまうとはね。予想以上の結果だよ」


 連上は島崎に向かって右手をのばす──何かを要求するように、手のひらを向けた。

 いや──何か、じゃない。島崎は直観した。

 島崎栄一という男の、頭脳と肉体、行動と思考、善意と悪意、幸運と不運、そのすべてを──

 

「島崎君──あたしと組んでくれないかな? 二人で生徒会を倒そうよ」 

「生徒会──を?」


 連上はにっこりと微笑んだ。


「実行犯のテコンドー部には一撃を加えてやったけど、事件の張本人にして命令者の生徒会はまだぴんぴんしているじゃない。奴らを倒せば、君は今度こそ正真正銘、親友の受けた屈辱を晴らすことができる──二人なら、あたしもより確実に目的を果たせそうだからね」


 ざざあ、と風がそばの木を通り抜けた。

 あの日と同じだ──と島崎は思う。

 ──人気とか、別に関係ねえよ。俺の一番の友達は栄一だからさ。

 井守に救われたあの日と同じように、清新な風が島崎の体の中を吹き抜けたように感じた。

 あの日と同じように──眼前の人間を信用したいと、心からそう思った。

 それはおそらく島崎の自己満足でしかないのだろうけれど。

 連上の方にはそんな気持ちはなく、島崎がそう感じたということすらも通じることはないのだろうけれど。

 しかし、島崎は確かにそう思った。


「答えは──イエスさ。どうしたって、このまま引き下がれはしないからな」


 連上は明るい表情になって、それじゃあ──と口を開いた。しかしそれを遮って島崎は切り出す。


「その代わり質問が三つある。嘘偽りなく答えてくれ。それが仲間になる必須条件だ」


 連上は出鼻を挫かれた格好になり、多少鼻白んだ様子で伸ばした右手を下ろしたが、それでも愛想よく答えた。


「うん、いいよ。何?」

「一つ目は、僕に何をやらせるつもりなのか──だ。恥ずかしながら、僕は今回お前に踊らされていただけだった。お前の才覚があれば、一人でも生徒会を倒せるんじゃないのか? 二つ目は、ヤワタハマコウスケとは一体何者なんだ?」


 その名前を出した途端、連上の表情が変わった。砂を噛むような、重苦しく不快な色が滲んでいる。


「僕が調べたところによると、ヤワタハマは去年までここに在籍していた生徒のようだな。成績優秀ではあるが、それ以外では特に目立った点もない一般生徒──去年に謎の失踪を遂げている点は不思議だが、これが生徒会とどう繋がるんだ?」


 連上は相変わらずぎこちない表情を浮かべている。

 やはりこいつは何かを知っているんだ、と島崎は確信する。


「そして最後の質問だが──お前の言う目的とは何なんだ? 生徒会を潰そうとしている、その理由を教えてくれ」


 連上は少し間を置いてから、穏やかな顔に戻った──表面上はそう見えたが、島崎にはさっきまでの表情を理性で覆い隠しただけのように思えた。


「わかった、順に答えるよ。まず最初の質問は──あたしは単に今の生徒会を倒したいだけでね、奴らの政権が倒れた後に生徒会長になり替わりたいなんてことは微塵も思っていないんだよ。しかし、だからと言ってただ放置しておくわけにもいかない──奴らがひそかに傀儡を立て、新生徒会陣営を裏から操ろうとするかもしれないからね。それじゃ意味がない。だから君だ」


 連上は島崎を指さした。さっきと同じような体勢になった。


「君に、後釜の生徒会長になってもらいたい」

「──ううん」


 釈然としない気持ちで島崎は唸った。


「待ってくれよ連上、大体さ──わざわざ倒さなくても、放っておけばあと数カ月で今の生徒会の任期は終わるじゃないか」


 連上は顔をしかめて、それじゃ駄目なんだよ、と言った。


「確かに、任期が終われば現生徒会は解散する。しかし、奴らが新生徒会の後ろ盾になる形で現在の支配体制は続く──あたしはそのシステムの破壊を目指しているわけだからね。それにまあどの道、今の陣営が解散する前に勝負を決めようと思ってるし」

「いや、今の陣営が解散する前って──そもそも一年が生徒会長になんかなれるわけ──」

「大丈夫、策はある」


 連上は反論を寄せ付けないような確固とした声音で言った。

 なんとなくその勢いに押されて島崎は黙ってしまう──どういうわけか、連上の言葉にはいちいち説得力があるように感じてしまうのだった。理路整然と構築された策略で見事にテコンドー部を絡め取った現場を見たせいか、それともすでに操られているのか──いぶかしむ島崎にとりあうことなく、連上は話す。


「二つ目の質問だけど、これは少し長い話になる。そもそも現在の支配体制は、前代の生徒会長──山城学の就任時から始まっていたらしい」

「一昨年か……そう言えば、テコンドー部ができたのも同じ年だ」

「そう、テコンドー部を創設したのは山城会長その人なのさ。そして手下の中で最も頭が切れ、最も冷徹だった一年生を頭に据えた」

「梁山──か」

「テコンドー部は多額の部費の支給を受け、それを全て部員に回すことで彼らが生徒会に飼われているという図式を作り出している。そうして獲得した武力を背景に、山城率いる生徒会はあらゆる手段で私腹を肥やしていったんだ」

「あらゆる手段?」

「生徒会費の着服、備品の横流し──噂の域を出ないものではあるが、非合法な取引の場所として校内の一部を提供しただの、不良女子生徒による援助交際の組織を統括していただのという情報もある。そして数ヵ月後、完成した陽陵学園生徒会の利権システムは、山城の腹心である南岳密(みなみだけひそか)が次期生徒会長に就くことで引き継がれた」


 南岳密──現在の生徒会長である。

 明朗闊達な性格と文武両道の能力の高さから校内での人気が高い彼が、裏でそんな組織と繋がっていたとは──島崎は驚いた。

 連上は続ける。


「しかしここで一つの事件が起こるんだ。ある一般生徒がひょんなことから生徒会の不正に感づいてしまったのさ──南岳は情報統制には特に力を注いでいたが、本当に偶然としか言いようがないようなきっかけで、その生徒は陽陵学園の底に潜む闇を垣間見てしまった。彼の名前は──」

「──ヤワタハマコウスケ?」

「その通り」


 連上は微笑んだ。


「南岳は焦った──何しろ異例の事態だ。全てが明るみに出れば責任を問われるだけでなく、前代の山城すら敵に回すことになる。下手を打った奴はテコンドー部の標的になってもおかしくないからね──南岳は彼の口を塞ぐため、あらゆる手を使った。しかし彼は屈しなかったんだ。不良達の執拗な暴行を受けても、根も葉もない噂を流されて孤立しても──彼は、毅然として毎日登校し続けた」

「強い……」


 島崎は思わず呟いた。

 ヤワタハマコウスケ。

 自分が同じ立場だったら、果たして彼と同じことができただろうか──おそらく不可能だろう。敗北してしまった方が明らかに得だし安全なのだし、無理をして生徒会に楯突く理由もないはずである。望んで見た秘密でもないのに、そこまで意志を貫く覚悟が一体どこから生まれたのだろうか。

 ヤワタハマが何を考え、どういう思惑を持って反抗し続けたのかは知りようもない。しかし、彼は並外れて強い人間だったということだけは疑いようのないことであるように島崎には思えた。

 連上の表情がわずかに翳った。


「そうだね、確かに彼は強かった。しかしその強さが、かえって最悪の事態を引き起こしてしまったんだよ。どんな脅しにも屈しない彼の態度に、南岳はすっかり追い詰められてしまった。いつ秘密をバラされ、全てを失ってもおかしくない──その圧力に負け、南岳はついに禁じ手に出てしまったんだ」

「禁じ手?」 

「究極の口封じ──殺人さ」

「!」


 ヤワタハマコウスケ。

 芯の強い正義漢──力に負けるでもなく、秘密を握って逆に奴らを脅すでもなく、ただただ自らの信念に従って行動していた男は、ついに殺されてしまった──のか。

 会ったこともない、名前しか知らない人間だというのに、島崎はヤワタハマの死に言いようのない喪失感を覚えていた。


「まあ、これが大体の事の推移だよ。島崎君、すべてを知った君には一つだけ肝に銘じてほしいことがある──常に、自分の生命の危険を忘れるな」

「生命の──危険」

「すでに一人殺している人間がもう一人殺さないという保証はない。ゆえに、あたし達も同じ運命をたどらないとは誰にも言えやしない。『ヤワタハマ』という秘密に触れてしまった以上、君も、井守君も、新聞部の二人も──もちろんあたしも、いつ殺されたっておかしくない。この戦いは、いわば怪物狩りなのさ」

「──ちょっと待ってくれ。どうもわからないんだが、今までお前が語ってきた話は一体どこから得た情報なんだ? 公式の記録にすら単なる行方不明としか書かれていない生徒の行く末まで、どうしてお前はそんなによく知っているんだ?」


 ただでさえ手に入り得ない情報を最近転校してきたばかりの連上がどうして持っているのか、島崎にはまったく理解できない。


「そこに三つ目の質問の答えがあるんだ」


 連上は静かに答えた。


「彼──ヤワタハマが消息を絶つ三日前、あたしは彼からの手紙を受け取っている」

「なんだと?」


 連上がヤワタハマから手紙を受け取っている?

 知り合い──?

 島崎の頭の中で遠い存在としておぼろげに構築されていたヤワタハマの像が、急に現実に肉薄した。

 連上は制服の胸ポケットから一枚の封筒を取り出し、島崎に渡した。どうやらいつも持ち歩いているらしく、ずいぶんと擦り切れている。何度となく中の手紙を取り出した形跡が窺えた。

 拝啓、お久しぶりです──から始まっているヤワタハマの手紙は、年下の女子に向けたものとは思えない、やけに畏まった文面ではあったが──危機に陥っていること、助けを求めていることが真に迫った筆致で記されていた。

 おかしいくらい生真面目な文だよね──と言って、連上は寂しそうに笑った。


「調査の末、彼が殺されたと確信を持ったあたしは、奴らを潰すための全ての策を練った上でこっちへ引っ越してきたってわけさ──」

「──え? おい、それって」


 どういうことだよ、と島崎が言い終わるよりも早く、連上は断固とした口調で言った。


八幡浜硬介やわたはまこうすけはあたしの従兄。あたしの目的は君と同じ──『復讐』なんだよ」

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