1-3 新聞と片鱗
日が暮れようとしていた。
島崎は途方に暮れたまま校舎を出ようとしていた。
情報集めは早々に壁に突き当たっていた。
不良達の情報を探ろうにも、帰宅部の島崎には縦の繋がりがない。まして陽陵学園の暗部などは、訊けばわかるという類のものではないのだ──手がかりも伝手もなく易々と暴けるものでないことはわかっていたが、それでもこれほど早く暗礁に乗り上げるとは思っていなかった。
「島崎君」
背後からの声に、島崎は振り返る。
「──ああ、植村さん」
島崎を呼びとめたのはクラスメイトの
「どうしたの?」
「あの……井守君のこと、その、大変だったみたい──だね」
「そ、それをどうして」
島崎は大いにうろたえた。
大して親交もないこの娘が、どうしてもうそのことを知っている?
「私もよくわからないんだけれど──A組に転入してきた連上さんって知ってる?」
連上。
あの掴みどころのない女生徒──連上千洋。
「──ああ」
「その連上さんがね、さっき廊下ですれ違った時に私を呼びとめて教えてくれたの」
「なんだって?」
連上は何が目的なのか、島崎にはまったく見当がつかなかった。
島崎の復讐に協力するようなことを言っておきながら、その裏で井守が暴行を受けたことを他人に漏らしている。あまりそのことが広まりすぎると島崎の情報収集がやりにくくなることを彼女は分かっているのだろうか。
「植村さん。そのことは、できれば誰にも話さないで欲しいんだ」
「え? あ、うん、わかった。大丈夫」
植村は意外にも素直に頷いて、鞄から一枚の紙を取り出した。
「それでね、連上さんが──島崎君にこれを渡してくれって」
紙を受け取り、開いてみる。
陽陵新聞──と、上部に大きく記されている。
どうやらこの高校の校内新聞らしかった。演劇部がどこかのコンクールで優勝したという記事が一面を飾っている。ざっと目を通したが、ごく普通の内容だった。
どうして連上がこんなものをよこしたのか、島崎にはまったく理解できなかった──それも自分の手ではなく、無関係な植村を使って。
「これが何なのかな?」
「さあ──島崎君に見せればわかる、って言ってたけど」
「連上さんは、どうして植村さんにこれを託したんだろう」
そう島崎が問うと、植村は口に手を当ててうーんと唸った。
「わかんないけど……私が新聞部の部員ってことに何か関係があるのかな」
部員?
島崎はそこにかすかな引っ掛かりを感じた。新聞に再び目を転じる──記事の末尾の一文に目が引き寄せられた。
「製作:新聞部 資料提供:生徒会資料室」
その瞬間、島崎は連上の真意を理解した。
連上は島崎に情報集めの手管を紹介してくれていたのだ──新聞部に入れば、ここに記されている生徒会資料室なる場所で情報を探すことができるはずだ。そして部員の植村に井守の状態を話し、島崎に接触させたのは──部内に協力者を作るためか。確かにそう考えれば、おとなしげで気の優しそうな植村ならば事情を話せば力になってくれそうである。
意味不明としか見えなかった行動も、こう考えれば繋がってくる──島崎は連上に内心で感謝した。
「植村さん、唐突で悪いんだけど──僕、新聞部に入りたいんだ。手続きを手伝ってもらえないかな」
「え? あ、うっうん」
植村は目を白黒させた。
翌日、島崎は早速部活動に参加した。
「今日は活動に入る前に新入部員を紹介したいと思う」
部長──神田と言うらしい、新聞部に置いておくにはもったいないほどの体格を持った熊のような三年生である──が、変に貫禄のある重々しい声で言った。
「──島崎栄一君だ」
「1Bの島崎です。よろしくお願いします」
島崎は簡潔に自己紹介をして頭を下げる。まばらな拍手を聞きながら、部室に集合した部員達をひそかに観察する──見たことのある顔があった。
窓際の席に、あの日に不良に絡まれていた二年生の二人組がいた。一人はまだ顔に湿布を貼っているが、いたって元気そうな様子である。
神田部長は連絡事項をいくつか述べ、それで集会は終わった。皆、各々の作業に入っていく。
あの事件に関わっていた二人と会えたことは予想外の幸運だ、と島崎は思う。彼らから何らかの情報を引き出せないものかと画策していると、奥に座っていた植村が近寄ってきた。
「一年は私達二人だけだから、何かと一緒に仕事をすることになるかと思うけど──あの、よろしくね」
「うん、よろしく」
島崎が応じると、植村ははにかむように笑った。
「じゃああの、とりあえず部長に仕事を言いつけられてるから──一緒に来て」
植村は部室を出て行く。どうやら彼女は島崎の教育係に任命されたらしかった。
島崎は後を追って教室を出て、植村と並ぶ。
「どこへ行くの?」
「うん、資料室。サッカー部が県大会のベスト8に残った記念で特集を組むから、今までの実績を調べるの」
「へえ……」
「あ、そうだ。これ」
植村は島崎に「新聞部」と書かれた腕章を渡した。
「これは?」
「それがあれば資料室に出入り自由なの。島崎君には必要でしょ?」
植村はそう言ってからちょっと首をかしげて、島崎を見た。
「島崎君──井守君をリンチした人達を調べて、それからどうする気なの?」
島崎は昨日、植村に井守が巻き込まれた事件の顛末を話し、その犯人を捜し出したい──とだけ話していた。植村は協力を快諾したが、その先が気にかかっているようである。
「もちろん、暴力事件を立証して責任を問うのさ」
島崎は平然と嘘をついた。
直接奴らにねじこんで復讐するなどと言ったら、気の小さい植村は反対するに決まっている──最悪の場合、加担したが故に標的になることを恐れて手を貸してくれなくなるかもしれない。
すべてが始まったあの日、不良に絡まれる二人を見捨てようとした島崎のように。
「僕は力もないし、井守の仇を討つなんてことはとてもできないからね。大人の力を借りるしかないよ──表沙汰にして奴らを警察に突き出してやるんだ」
植村は島崎の目を見ていたが、やがてぽつりと呟いた。
「あまり危ないことは、しないでね」
島崎は真意を見抜かれたかと一瞬肝を冷やしたが、どうやら言葉通り以上の意味はないようだった。
生徒会資料室は教務課のすぐ隣にある小さな部屋だった。
部屋の中心には長机とパイプ椅子が四脚置かれている。両側の壁には本棚が設置され、さらに様々なファイルや書籍がそこに収納されて、資料それ自体が壁となっているかのような外観になっている。戸口側の壁も、戸と柱の間の小さなスペースに細長い本棚が立てられ、ぎっしりと資料で埋め尽くされている。右を見ても左を見ても資料ばかりで部屋全体にどうしようもなく閉塞感が漂っているが、唯一本棚のない正面の壁の窓から見える外の風景が、辛うじてそれを緩和していた。
「こりゃ……探し甲斐のある部屋だね」
島崎の言葉に植村は苦笑した。
「部活に必要な資料は私が探しておくから、島崎君は自分の探し物をしていいよ」
「ありがとう」
礼を述べ、島崎は右側の本棚に向き合う。とりあえず生徒会の予算帳簿を適当に見繕い、開いてみた。陽陵学園の闇──それが何なのかは島崎にはわからないが、とりあえず金の流れが関係していないかと考えたのである。
ぱらぱらとページをめくる──おかしい箇所がないか確認しながら、島崎は調べるべきことをもう一度反芻した。
一つは井守と揉めた不良二人組の素性。しかし生徒個人の情報などはさすがにここにはないだろうと島崎は踏んでいた。いくら許可がいるとはいえ、一般生徒が入ることができる場所にそんなものは置けないはずだ。
もう一つは──奴らの背後には誰がいるのか、ということである。
そもそも、事件の発生を知った時から島崎はずっと違和感を持っていた。今回の事件が奴らの個人的な怨恨によるものと考えるには不自然な点が多い。
まずは人数の問題──井守の見舞いに行った時、井守の母親は言った。
──お医者様が言うには、少なくとも四人以上の武器を持った人間に囲まれてやられた傷だって。
少なくとも四人以上による傷。しかし、昼に井守と揉めていたのは二人だ。数が合わない。
襲撃者が増えているのだ。
気に入らない奴を痛めつけるのに、どうしてわざわざ仲間を呼ぶ必要があるのか? 万全を期すためという答えはいかにも嘘臭く聞こえる──不良がたかだか一年生一人のためにそこまで慎重になるものだろうか? 夜の闇にまぎれての不意打ち、しかも無防備な相手に武器を振りかざして──これでは二人でも多すぎるというものだろう。四人にまで増やしたのは明らかに不自然だ。
そしてもう一つの疑問点。それは事件現場の近くに置かれていた、ブルーシートと「工事中」の立て看板──正式にはA型バリケードという物らしいが──である。あんな小道具を使うような組織的な行動を単なる不良がするものだろうか? 事前に道具を調達しておき、近くにいる警官に見つからないよう隙を狙って素早く設置し、事の後は武器など一切の証拠を残さず、誰にも目撃されず速やかに撤収──異常なまでの手際の良さだ。これはもう、どう考えても裏で指揮を執っている者がいるとしか思えない。
「──ん」
島崎はページを繰る手を止めた。
部活の予算表だ。
その時、ある記憶が蘇った。
──ありがとう、助けてくれて。
──いえいえ。それより、あいつらは一体何なんスか?
──テコンドー部の奴らだよ。
──ああ、あそこはガラの悪いのばっかりですもんねえ。
そうだ、と島崎は目を丸くする。あの不良達はテコンドー部の部員なのだった。
ならばそこから調べれば、奴らの素性もわかるかもしれない──
今までずっと忘れていた事実を思い出し、島崎は表を目で追った。
しかし。
「──え?」
島崎は目を疑った。
ないのだ。
部活一覧の中に、テコンドー部という名前が存在しない。
島崎は慌てて予算帳簿の表紙を確かめた──一昨年の資料である。
それを本棚にしまい、去年のものを取り出した。部活予算表のページを開く──
そこには、テコンドー部の予算は記載されていた。
つまり──テコンドー部は去年設立された部活だということになる。
ここに至って、島崎の違和感は飽和点に達した。
去年設立されたばかりの部活が、早くも不良の巣窟になっている──どう考えても変だ。設立した以上は生徒の要望が一定数以上あったと言うことだし、去年ならそういった生徒はまだ引退もしていない。どうして──
いや。
そうではない。
そもそも、どうしてテコンドーなんだ?
そんな、どう考えてもメジャーとは言えないような格闘技がどうして部活になっている?
もしかして、とその仮説に行き当たった時、一筋の汗が流れた。
生徒の要望があったから、つまり誰かが入りたかったからこの部はできたのではなく──その逆、誰にも入って欲しくなかったからこの部はこの名前になった──のではないか?
そう、そうだ。
島崎は背筋がぞくぞくと粟立つのを感じた。
もし、その部が最初から不良の巣窟を作ることが目的だったとしたら──何も知らない一般生徒に入ってこられては困る。だからテコンドー。
不良を集めること、その目的は──
その目的は、そう、武力だ。
ならば、と島崎は仮説をさらに展開させていく。とめどない思考の広がりは、もはや島崎自身にすら制御できなくなっていた。
ならば、井守が襲われたことにもその設立者の意思が絡んでいるのか? 「生意気な一年をシメた」のではなく、「明確な目的のもとに潰した」──それならば周到な準備も、人数を増やした慎重さも理解できる。
すべて納得のいく形に筋が通る。
「見つけた……真実の、片鱗……」
ごく小さく、震える声で島崎は呟いた。
闇に手を突っ込んだ心境だった。
頭の中では、無数の文字が乱舞していた。
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