第12話 春霞
樹の結婚式を終えた翌週、菜穂は札幌に飛んだ。
これから二年間、専門学校で造園を学ぶ予定である。
大学を卒業して以来、東京のメーカーで事務をしていた菜穂が、いきなり植物を学びたいと話した時、樹の反応は意外にも、
「ああ、菜穂らしいね」
だった。
「だって、菜穂って、会社で事務とかやってるより、花とか植物とかのそばにいるほうが、似合ってるよ」
自分の中では大きな決断のつもりだったが、樹がにこにこ納得しているのを見て、あながち自分の選択も間違いじゃなかったのかも、と少し安心した菜穂である。
しかしまさか菜穂が北海道に行くとまでは予想していなかったようで、たいそう驚かれた。
「北海道…⁉なんで…?東京じゃダメなの?」
——ダメなのだ。
菜穂が引っ越しを決めたのは、樹の結婚が決まってからのことだった。
当初、園芸学校はこのまま東京にしようと考えていた。
だが樹の結婚話を聞いて、考えを変えた。
菜穂は最終通告を突きつけられたような気持だった。
学生時代にそばで見ていた樹の恋愛の数々とは違う、結婚という事実の重さに、菜穂は耐えられなかった。
もう終わりにしようと決めた。
ずるずるとひきずってきたこの思いを、これで永久に葬り去ろうと、東京を離れる決心をしたのだ。
新天地を北海道に決めたのは、なんとなく、北海道といえば雄大な自然に囲まれた広大な庭をイメージしたからである。
自分を覆いつくしている悲しみや苦しみから解放されたかった。
東京からできるだけ遠いところ、というのも選択を促した。
樹は菜穂の北海道行きにかなりショックを受けている様子だったが、引き留める理由がなかった。
それが親友の決断なら、自分の寂しさは我慢しなければならない。
自制心の強さは、元アスリートだからだろうか。
菜穂としては、もう少しごねてくれないものだろうか、と期待したが、無駄であった。
樹自身、今まさに恋人との結婚という、人生で最高の時にいるのである。
親友との別れといえども、それほど彼女の心を曇らせることはないのだ、と菜穂は自嘲気味に笑った。
こうして菜穂は、結婚式や新婚旅行後の、忙しさの最中にいるであろう樹からの連絡がない隙に、逃げるように東京を離れた。
4月の北海道は、恐ろしく寒かった。
東京の冬がようやく終わりを告げたのに、また冬の季節へと逆戻りしたかのようだ。
日が照ると少しは暖かいが、朝晩の冷え込みは東京の2月並みである。
町には雪もまだ残っており、日が進むにつれ、少しずつ雪解けしている様子だった。
それでも下旬ごろになるとようやく桜が咲き始め、菜穂はなんとなくホッとした。
つい先月、東京の自分のアパートで樹と並んで見た桜を思い出した。
すべては、遠い思い出、か…
そうしなければならない、という気持ちが強かった。
そのために札幌まで来たのだ。
すでに園芸学校も始まり、自分より年下のクラスメイトに交じっての、新しい生活が始まっていた。
樹からは連絡が時折来ており、互いの近況報告をしあっていた。
いつも樹の声ははずんでおり、順調な新婚生活のようだった。
こうして、互いの存在が少しずつ薄れゆくように、それぞれの生活になじんでいった。
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