第4話  春の限り

 新郎新婦のムービー上映は、新婦の成長記録から始まった。


 樹の高校時代まできて、映し出された写真は教室で友人と撮ったものや、修学旅行の時のものだった。


 え…?

 菜穂はシャンパングラスを弄んでいた手を、止めた。


 どうして…

 どうしてあの写真を映さないの…?


 樹が、一番輝いていた頃の写真。


 彼女が高校生の時打ち込んでいた陸上で好成績を出し、表彰された時の写真だ。

 17歳の頃の彼女は、関東有数のスプリンターだった。

 今の外見からは想像もつかない容姿。

 短髪で、日に焼けていて、顔立ちだけは上品な美しい少年のようだった。

 男女共学の高校だというのに、女子生徒のファンもいたくらいだった。

 しかし彼女は周囲の羨望などどこ吹く風で、ひたすら毎日練習にのめり込んでいた。


 この頃の菜穂にとって、樹はただのクラスメイトに過ぎなかった。

 難関大学進学を目指して勉強に励んでいた菜穂は、運動部の盛り上がりや大会優勝がどうのこうのなどというのにはほとんど興味がなかったし、数少ない友人も大人しい優等生タイプの子たちだった。

 同じ教室にいながら、二人の間には、まったく接点がなかった。

 その年の、秋の体育祭までは。


 クラス別対抗リレーの選手選出の話し合いで、誰かが面白半分で言い出した「成績優秀者」などという枠で、菜穂が出ることが決まってしまったのである。


 菜穂がそれほど運動が得意でないことくらい、クラスの者なら誰でも知っている。

 それでも、常に試験得点上位者として教師たちから覚えめでたい菜穂に対してのやっかみもあったのだろう。

 菜穂に決まったとたん拍手喝采を浴びた。

 菜穂は真っ青になった。

「そんな…無理よ…!わたし嫌です!」

 必死に抵抗したが、彼らの歓声にかき消されてしまい、菜穂の出場はほぼ確定になってしまった。


 大げさかも知れないが、菜穂は奈落の底に突き落とされたような気分だった。

 ふらふら走って最下位になるみじめな未来しか見えない。

 勉強なら当然、いつでも自信を持って立っていられる。

 だけどリレーなんて…しかも自分のせいでクラスが負ける羽目になったら…!


 よっぽどショックだったのだろう。

 その日の、その後のことは今でもほとんど記憶にない。

 

 ただ一つのことを除いては。


 顔面蒼白の状態で机を見下ろしている菜穂は、トントンと後ろの席から肩をたたかれた。

 それが樹だった。

「大丈夫?」

 軽い調子で言い、顔を傾けて菜穂を覗き込んでいた。

 こっちはよほど深刻な顔をしていたのだろう。涙さえ浮かべていたかも知れない。

 菜穂の顔を見て、少し驚いた様子だった。だがその直後、彼女はしっかり菜穂の目を見て言った。

「大丈夫だって。ちゃんとフォローするから」

 口の両端を上げ、笑って見せた。


 それに対し、何と答えたかは覚えていない。

 ただその時、感じたことだけははっきり覚えている。

 不思議な安堵感と、彼女に対するある種の信頼を。

 そして、菜穂の顔をしっかりと見つめていた、彼女の瞳の力強さを。

  

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