震える

 両親が僕の特性というか障害に気づいたのは、言葉を覚えたての2歳ごろだったという。

 僕は、何か言葉を発する度に体全体がぶるぶる震えていた。言葉も一緒に。「パパ、ママ」と呼ぶときも。「お腹がすいた。」という時も。母は、その深刻さを痛感して病院に僕を連れて行ったが、病院でも原因はわからず、どんな薬を処方してみても話すときに震えるという症状は治らなかった。仕方なく両親は、僕に「人と話をしないこと」を教え、筆談で会話をすることを覚えさせた。それでも小さい時は、怒りや悲しみが頂点に達すると言葉が出てしまうので、ぶるぶると言葉も体も震わせながら喋る僕を見て、友人達は気味悪がったり、馬鹿にしたりした。わざと僕をしゃべらせて面白がろうとするものも出てきた。

 そこで僕は、「絶対にしゃべらない」ということを心に誓うことにした。新しくできた友人達とは、「会話ができない」ということだけにして、筆談だけで会話をすることで、何とか大学生になるまでに気の合う友人を作ることができた。

 しかし、本当の自分を見せないということはどこか孤独で、友人達の輪の中にいながら寂しさは拭いきれなかった。


 そんな僕にもついに彼女ができた。

 彼女は、「しゃべることができない」という僕の特性を受け入れてくれ、僕と会話をするために、筆談ノートを用意してくれた。

 ノートには「光くんと梨花の思い出ノート」と書かれていた。

「これを読めば、いつでも光君と何を話したのか思い出せるね。」

 どこか得意そうに笑う彼女を見て、僕は梨花と恋人になれたことを嬉しく思った。

 梨花と「思い出ノート」を見ながら話すことはとても尊い時間のように思えた。

 この時間が永遠に続くといいと願った。

 ある日、街にデートに出かけた時に、並んで歩いていると、前方から来た男性と梨花がぶつかってしまった。

「きゃっ。」

と、よろけて倒れそうになる梨花を支えると、

「おい、ちゃんと前見て歩け!」

と、男性の怒鳴り声がした。自分がぶつかってきたのが悪いだろうにと思ったが、トラブルになっては困る。が、僕は「しゃべれない」ので、会釈だけして通り過ぎようとした。しかし、僕が何も話さなかったのがかえって彼の怒りを買ってしまったようだ。

「なんだその態度は!」

 男性は僕の胸倉をつかみ怒鳴った。梨花が、男性の腕にしがみつき

「離してください。謝りますから。」

と、懇願する。恐怖で、声が震えているように感じた。僕が「しゃべれない」から、梨花を怖がらせているのだと思うと胸が痛んだ。

「悪いと思ってるんなら一緒に来てもらおうか。」

 男性は、僕を離して梨花の腕を掴んだ。

「結構可愛い顔してるな。俺とイイことしてくれるなら、そいつも許してやるよ。」

 梨花の顔が真っ青になったところで、僕の中で何かがプツンと切れる音がした。

 気づくと僕は、男性を突き飛ばし、梨花を隠すようにして、男性の前に立ちはだかっていた。

「りりり、かかかににに、手手手をだすすなななな。」

ぶるぶると僕の声も体も小刻みに震えている。男性は、僕のその姿を見て大笑いした。

「はっはっは。なんだお前。めちゃくちゃビビってるじゃねえか!」

 男性は大笑いだったが、それは違う。僕が震えているのは、恐怖じゃない。怒りのせいだ。僕は、怒りに任せて男性の顔をぶん殴った。人を殴ったのは初めてだ。男性は、地面に倒れ込んだが、ひるまずにやり返してきた。僕も負けじとやり返す。

 梨花を怖がらせた奴は絶対に許さない。

 その気持ちが、僕に拳を振るわせたのだった。


「光君!」

 気づいた時には僕は病院のベッドに横になっていた。顔を触ると痛みが走った。どうやら僕は、男性に殴られて失神していたらしい。どのくらい男性とやり合っていたのかはわからないが、様子を見ていた人がいて、警察に通報してくれたようだ。

 男性は、僕が失神した後も僕のことを殴り続けようとしていたらしく、その場で逮捕されたようだ。僕の方は、厳重注意で済んだ。

 泣きそうな顔をしている梨花に、僕は筆談ノートを出してもらうとこう書いた。

『情けないところ見られちゃったね。僕は、言葉を話すとき、どうしても震えてしまうんだ。』

 それを読むと梨花は首を振った。

「情けなくなんかない。かっこよかったよ。」

 梨花は、微笑んでくれた。あの姿をかっこいいと思ってくれる人がいるなんて・・・・・・。

「ありがとう。」

 思わず、声に出たが、何故かその声も体も震えていなかった。けれど、その後に言葉を続けようとすると、やっぱり震えてしまったので、僕は筆談に切り替えた。

『こんな僕だけど一緒にいてほしい。』

 梨花は、笑顔で頷いてくれた。

 それから、彼女は僕のそばにずっといてくれている。僕の震える障害は、時々治まることもあったけれど、完全には治らなかった。それでも彼女は僕と一緒にいることがいいといってくれるのだった。

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ちょっと一息 夏目シロ @nariko3

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