ちょっと一息
夏目シロ
兆し
円形のテーブルに顔をくっつけて、茉菜は何度目かわからない溜息をついた。学食にいる学生達の喧騒もかき消してしまうんじゃないかと思ってしまって、俺は少し噴き出してしまった。不服そうに茉菜は、俺のことをにらんだ。
「他人事だからそうやって笑えるのね。」
「ごめん、なんか溜息ばっかりついてるからさ。」
「溜息くらいついたっていいでしょ!」
また、顔が見えなくなった。見えるのはショートカットの黒髪だけ。失恋して髪の毛をバッサリ切るなんて、ベタな気持ちの切り替え方をしようとしたと思う。成功していないようだが。俺は、そっと肩を叩いてやった。茉菜とは、大学で同じボランティアサークルに入ってからの付き合いだ。週1の集まりでボランティア情報を部員達に伝達してからボランティアを派遣するから、全員で集まってボランティアを行うことはない。俺と茉菜は、同じ場所でのボランティアを何度か経験したのでそこで仲良くなることができた。俺が一方的に茉菜に絡まれているような気がしないでもない関係ではあるけれど、茉菜に頼られるのは悪い気はしなかった。
「付き合ってそろそろ1年経つねえって話をしてたのに・・・・・・。記念日には ちょっといいお店に行くとか、ディズニーランドとかいろいろ考えたんだよ。」
「茉菜のイメージに合わないな。」
「私ってそんなイメージ?」
「そんな女性らしいところがあるとは思わなかった。」
「自分でいうのもなんだけど、好きな人の前では女性らしいと思う・・・・・・。」
「そうなんだ。」
「女性らしさが足りなかったのかな・・・・・・。はあ・・・・・・。しんどい。浮気するなんて酷くない?自分から声掛けてきたくせに。」
茉菜はまだ顔を上げない。泣いているのかもしれない。茉菜は、結構サバサバした性格で、落ち込んでもすぐに気持ちが切り替えられるほうだった。その茉菜が、彼氏に振られてどうしようもなく落ち込んでいる。恋人と別れるのはこんなにも辛いものなのか・・・・・・。さっき笑ってしまったことが本当に申し訳なく思ってきた。
「泰春が私の辛さをよく実感できるように例えを言うよ。」
茉菜は急に顔をあげて、俺のほうをきっと睨んできた。目の周りが赤くて、やっぱり少し泣いていたことがわかる。でも、ちょっとだけいつもの茉菜の調子に戻ってきているように感じた。
「どうぞ。」
俺は、茉菜の言葉を促す。
「泰春は、プリティダンスプロジェクトのカナミちゃん好きだよね。あのオタク向けアニメの。」
「オタク向け言うなよ。」
『プリプロ』のカナミちゃんは、俺が今一番はまっているアニメの登場キャラクターだ。アニメと連動したソーシャルゲームには、バイト代も可能な範囲で課金している。
「例えばね、カナミちゃんが泰春に好きって告白したとする。」
「ほんとに?死んでもいいんだけど。」
「でも、実は他の相手にも告白してて、最終的に泰春は見向きもされなくなってしまう。」
「だったら告白されないほうがよかったな。天国から地獄の気分だ。なんで俺に告白なんかしてきたんだよ、カナミちゃん。」
「そんな感じだよ。」
「マジでしんどいな。それは。」
「でしょ。」
「そういう話を聞いているとますます付き合うのがめんどくさいな。」
俺は、手元にある缶コーヒーを見つめながら言った。・・・・・・めんどくさい理由はもう一つあるのだが。
「うーん・・・・・・。」
茉菜は頬杖をついて俺をじっと見ていった
「それでも恋愛はいいものだと思うけどなあ・・・・・・。」
俺は、反射的に茉菜を凝視していた。
「浮気されたばかりなのにそんなこと言えるの?」
「私もさ、最初はちょっとめんどくさいなあって思ったよ。でもね・・・・・・」
茉菜の目が潤んだように見えて、少しどきりとした。
「向こうが自分のこと考えてくれるのがわかるのが、なんとなく嬉しくなったり、私も向こうのことを考えて、いろんなことをしてあげたくなる感覚が、なんか友達とはまた違った感覚があって、私は楽しかったんだけどな・・・・・・。」
茉菜はどこか遠くを見ているようだった。俺は、また缶コーヒーを見つめる。あのことを思い返し始めていた。
あのこと。
去年、高校時代の友達に誘われて男3人、女3人でカラオケをしたことがある。ほぼ合コンのような感じだ。大学の友達や高校の友達を募った集まりだった。俺の友達とは、大学に行ってからも割と連絡をよく取りあっているほうで、よく彼女が欲しいと言っていたから、このような集まりを開くことができて、とても嬉しかったのだろう。積極的に女性陣に話し掛けて盛り上げようとしてくれていた。もう1人の参加者の男も同じだ。女性陣のうち2人は、そんな様子を見て笑っていたが、残った1人はクールに静観している感じだった。時々その女子と目が合うとにこりと笑いかけてきてくれていた。
俺の友達が盛り上げたせいもあってか、カラオケはオールコースになっていた。酒を飲んで、俺も含めた皆がすっかり酔いつぶれて寝てしまった。そんな中、まどろみながらも俺が意識を取り戻すと、誰かに触られているような感触があった。
「何?」
目を開けると女子の顔が俺の目に飛び込んできた。こちらに気があるように感じていた女子だ。女子が呼吸すると酒の匂いが漂ってくる。酔っぱらっているせいかもしれない。女子の手が、俺の陰部に手を伸ばそうとしてきたので、俺は咄嗟に手で払いのけた。
「別にいいじゃない。」
その女子は、ねっとりとした眼差しを俺に向けてきた。性的な目で見られていることがわかる。もちろん、俺だってそういうことをしてみたいという衝動がないわけではない。そういう想像をしたことがないわけではない。しかし、俺に湧いてきた感情は『恐怖』だった。
「やめろ。迷惑だ。」
俺は、そうした感情を悟られないように、硬い表情のままでそう言った。
「つまんないの。」
女子は、すぐに引き下がり、それと同じくらいに他のメンバーが目を覚まし始め、そのままその会はお開きになった。帰りの電車の中で、俺は自分に湧いてきてしまった感情にショックを受け続けたままだった。女子にそういうことをされたら、男なら少し喜んでもいいような気がする。AVとかでも、女子に責められて喜んでいる男もいるではないか。けれど、現実で感じた思いは想像とは違っていた。こんな俺では、女子と恋愛をすることは無理なのかもしれない。そんな諦めを覚えた出来事だった。
「ねえ。」
茉菜の声で、俺は我に返った。
「そんなに恋人関係に興味ないかねえ。難しい顔しちゃって。」
茉菜は、クスクスと笑った。
「まあね、泰春は2次元に恋人がいるみたいだしな。」
「恋人なんて大層なものは想定してないよ。」
「打ち込めることがあるのは幸せだよ。」
「だから、俺はあくまでもファンという立場で、カナミちゃんを皆で愛でたいだけで。」
「はいはい。」
茉菜は、今度は思い切り笑った。そして、
「泰春からかったら元気出た。ありがとう。」
俺に向かって微笑みかけた。まだ、どこか、影のある、こちらを不安にさせる微笑みだ。
「じゃあ、次の授業あるから。」
茉菜は立ち上がった。誰かが何かをしてあげなければ崩れ落ちていくのではないかという不安に駆られて、俺は立ち去ろうとした茉菜の腕を掴んだ。でも、こみ上げてくる言葉があったはずなのに、茉菜の目をみた途端に急にあの日に俺を見つめてきたあの女の目と茉菜の目が重なった。
違う。こいつはあの女とは違うんだ。
「あ、いや・・・・・・。」
言いたかった言葉が出てこなくて、俺は下を向いた。
「大丈夫。聞いてもらえただけでちょっと楽になれたから。」
俺は茉菜の腕を離した。茉菜は手を振って、その場を離れていく。茉菜を見送っていると言いたかった言葉が心に浮かんできた。
「茉菜には俺がいる。」
そう言いたかった。でも、できなかった。
(俺って、茉菜のこと好きだったんだな。)
椅子の背もたれに体を預けながら、俺は食堂の天井を見上げた。
これ以上近づいたら、いずれ訪れる瞬間に恐怖してしまうかもしれない。怖い。
でも、茉菜なら違うのだろうか。茉菜なら、怖がらなくてすむのだろうか。
心臓がぎゅっと締められるような感じがした。俺は、茉菜が去っていった方向を眺めた。
(でも、できればもう少しこのままで・・・・・・。)
柄になく、頬が紅潮していくのを感じて、残っていた缶コーヒーを一気飲みした。
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