橙髪の少女と終曲の怪物ー終わりと始まりー

七四六明

終曲と序曲

 少女は自分の椅子に座り、机の上に置いた白紙の紙とかれこれ一時間以上睨み合いを続けていた。

 いや、睨み合いも何も、空白のそれには目などないのだから、純粋に少女が紙を見つめ続けているだけなのだが、小さな背中から感じられる臨戦態勢にも近しい気迫が、そう思わせる。

 握り締めた筆は剣の如く、刃と同等以上の鋭さを伴った筆の先を、いつ目の前の白紙に落とそうか、タイミングを見極めようとしている。

 と言うのもまた大袈裟な表現で、実際はただ何と書き出せばいいのかわからず、戸惑い続けたままただ時間が過ぎているだけなのだから。

――時間を浪費するナ。消費し給エ

 そんな事を言うあの人がこの場にいたら、「何をそんなに悩む事があるのかネ」と苛立ちの籠った言葉を掛けて来るかもしれない。まぁ、多分何の興味も示す事無く、自分の研究に没頭するだけのような気もするが。

 どちらにせよ、何にせよ、今ここで起こり得ない妄想を膨らます事よりも、考えるべき事があるではないかと、己を鼓舞する形で背中を押した。


~拝啓、レキエム様~

 夜の帳が一段と早く降りる昨今、星巡る空を仰ぐ度、あなたと駆けた星の海を思い出します。

 自身は災禍だから体調に変動などないと仰るあなたが、他の命無き霊峰にただ一人在るあなたを見守る者はなく、もしも何かあったら何も頼る者はないあなたの事が、学園の長期休暇で手紙の文面を思い描く以外に時間の使い道のない私には、気になって仕方ありません。

 湖でお会いした聖夜から、五日と経っていないのに、あなた様のお身体を案じてなりません。

 何かお困りな事がありましたら、博士をどうかお頼り下さい。この手紙を届けて下さる程度には、お優しい方だと義姉も申し上げております。

 何卒、気兼ねなくお頼り下さい。自身を災禍と呼ぶあなた様の身を、案じる者がここに居りますことを、忘れないでいて下さい。

                                ~敬具~


~我が友、エスタティード・オレンジ様~

 手紙をくれた事、そして我が身を案じてくれる事、感謝申し上げる。我が身は未だ健在であるから、どうか安心して欲しい。

 我が身もまた、霊峰より其方の身を案じている。

 其方は夜の帳が下りて、星の瞬く宵闇が訪れると、私を思い出すと言ってくれた。

 私はむしろ、夜の帳が下りるより前、夕刻の空が赤と黄の混じった陽光に染められた時にこそ、其方の事を思い出す。

 今や其方の名であり、其方自身であるオレンジという色は、私にとって特別な物となった。なってくれた。

 其方が私と話したいと言い、窮地に私を頼って呼んでくれ、私を音楽の祭典へと連れ、こうして私に手紙を送ってくれる事に、我が身は幸福を感じてならない。

 世界は我が身を災禍と呼ぶ中、唯一あの魔術師と其方だけが、我が身我が名を呼んでくれる。私にとって、これ以上ない幸せだ。

 其方の学園は、長期の休暇に入ったのだな。願わくば、私も其方の顔を見たいものだが、学園の規定により叶わないと聞いて、寂しく思う。

 私から出向く事も出来るが、多くの者達が残る学園に赴くのは万が一の事態もあり得るだろうから、私は我が身を抑える事にした。

 だからどうか、これからも手紙を欲しい。この休暇の間だけで良いから。

 其方の事を思う度、私は私自身も知り得ない感情に包まれて、安堵の時を過ごす事が出来るのだ。

 すまない。子供の我儘のようになってしまって。

 我が身、我が心、其方の事をずっと案じている事を伝えたい。


㎰.拝啓、敬具と言った堅苦しい物は、互いに止めにしよう。我々の間に大きな障害はあれど、我々に上下はないのだから。

                           ~あなたを愛する災禍より~ 


~親友たるレキエム様~

 お言葉に甘えまして、拝啓、敬具を省略いたします。

 夜の帳が下りるとまた一層、寒さを感じる様になりました。草木一つ生えぬ岩だけの霊峰にただ一人のあなた様を想像すると、勝手ながらとても寒そうで、義姉に頼んで防寒着など持っていって貰った次第です。

 先日、私の学友がとある逸話を教えてくれました。

 とある男女は互いに互いを想っていて、両想いだとわかると二人は互いを愛し合うのですが、そのせいで仕事をしなくなってしまって、怒った神様に運河を挟んだ二つの星に飛ばされ、年に一度だけ再会する事を赦される、という話です。

 きっと、レキエム様ならご存じなのでしょうね。

 学友は、私とあなたをその話に紐付けて、彼らのようだと言いました。ですが私は思うのです。

 神がわざわざ二人を隔ててまで仕事をさせるのですから、きっと二人は神さえも必要とする立派な職人に違いありません。

 ですが、私は学園でも異質と呼ばれています。私の事を嫌う方も、怖いと仰る方もいます。私は、誰からも求められておりません。

 私は、私だけが、私でありたいと思っている。

 きっと私には、本来、あなた様と会う資格はないのでしょう。

 私には何もありません。ただ皆から怖がられ、恐れられる魔術しか。魔女の血筋である事がわかっても、私には何もないのです。

 ごめんなさい。

 あなたを想って綴っているはずなのに、いつの間にか自暴自棄の吐露となってしまいましたね。どうか、御身をご自愛ください。

                          ~御身を慕う空白の魔女より~


~我が親友、エスタティード・オレンジ様~

 やはり我が身を想い、慮ってくれるのはあなただけだ。ありがとう。

 生憎と防寒具はこの身に合わず、窮屈で着る事は叶わなかったが、マフラーなる物を頂戴した。襟巻とも呼ばれるそれは、首に巻くだけの物だがとても温かい。

 まるであなたが、我が身に触れてくれているかのようだ。

 故に、あなたには何もないわけではない。あなたは我が身を温めてくれる光だ。あなたは我が身を照らしてくれる炎だ。あなたが携える髪と名のように、あなたは私にとって大切な温もりであり、焔であり、オレンジなのだ。

 故に其方には、私と出会う資格がある。いや、其方にしか、私と会う資格がないのだ。

 特別世間に誇れる物ではないが、其方が自身を悲観視する必要はない。其方は其方であり、私は私であり、かの星の運河に隔たれた男女とは異なる存在なれば、比較する事に意味はない。

 誇れとは言わぬ。胸を張れ、とも言えぬ。

 だが案ずるな。其方は私に会うに値する、唯一無二の存在なのだ。

 故に私は、其方を特別に感じているよ。

 例え世間が其方を怖がろうとも、世界が恐怖し、畏怖し、殺意を抱く災禍たる私が認め、私が其方を肯定しよう。誰にも否定などさせないと言い切ろう。

 故に其方も、其方の身を慈愛されるよう。私は、其方の幸せを祈っているよ。

                           ~あなたを敬愛する災禍より~ 


~敬愛なるレキエム様~

 まずは重ねて謝罪を。あなたを想えばこそ文を綴れると思っていたのに、私は私の事でいっぱいになって、あなたに余計な心配を掛けてしまいました。

 そして、感謝を。ありがとうございます。私は博士に認められ、義姉に認められ、あなた様に認められたことで、私は私になることが出来たのですから。

 マフラー、気に入って下さったようで良かったです。今更ながら、そのマフラーはあなたでも巻けるようにと私がこっそり、編んだものだったから。とても不安だったけれど、気に入って下さって本当によかった。

 今はマフラーしか編めないけれど、そのうち手袋や帽子も編めるよう、練習しておきます。

 ただ編んでいると、学友があなたの事を探って来ます。

 大切な殿方なら、今度紹介して欲しいとか。私の意中の方がどんな方か気になる、とか。私に相応しい方なのか、とか。

 私とあなたは、そんな仲ではないと言うのに。

 でも、私とあなたは世俗的にはそういう仲として位置づけられるそうなのです。違うと否定した学友から、そう言われました。

 だからもしもまた同じ事を訊かれたら、私は何と答えればいいのでしょうか。

 私とあなたの関係は、親愛なる友人と思っていましたが、こうして文に書き記す時でさえ、モヤモヤするのです。何か違うのではないか、何かもっと適切な表現があるのではないか。

 もっと、何か。そう、考えてしまうのです。そう、思ってしまうのです。

 私とあなたは、一体、何なのでしょう。一体、何と呼べばいいのでしょう。

 私とあなた様の繋がりとは。

 ごめんなさい。また、一人暴走してしまいましたね。あなた様の身を案じている旨をお伝えしたかっただけなのに。

 でもきっと、大事なことだと思うから、敢えて私は伝えます。私とあなたの繋がりの在り方を、私に教えて下さい。そしてどうか、御身をご自愛下さりますように。

                          ~御身を慕う空白の魔女より~


~我が愛、エスタティード・オレンジ様~

 まずは感謝を。この手紙を書いている今の私の首にも、其方の温もりがある。其方の温もりが、私を救ってくれている。

 そして謝罪を。其方と私の関係は、確かに何とも言い難いだろう。

 私は災禍。其方は自分自身が不安定な魔女。

 何とも言い難く、何ともし難く、もどかしい日々を過ごしているだろう事を考えると、鋼の剣さえ通さぬ我が胸が、貫かれたように痛むのを感じる。

 まず明白にせねばならない問題を、先延ばしにしていた罪として、私はこの胸の痛みを受け止める事とする。が、其方はどうもし難く、この手紙を読む頃にも、苦しんでいるのだろう。

 だから一先ずは、私と其方は親愛なる友としよう。

 同じ価値観、同じ視点を共有できる唯一無二の友としよう。学友に何と言われようと、今はそうして耐えて欲しい。

 そして私達には、話し合いの場が必要だろう。

 軽々しく会うべきではないと距離を取っていたが、私と其方は顔を合わせ、互いの声、言葉で話し合うべきだと、私は思った。

 だから私は、私はおまえに会いに行こう。

 丁度、世界は年という一つの区切りを付けようとしている頃合いだ。

 曖昧な関係は夜の帳の下、星空の下で終わりにしよう。

 そして明確な関係性を見出し、私と其方がどうあるべきか、どうありたいかを話し合った上で、新たなる年の日が世界を照らす光景を見届けよう。

 だが話し合う前に、一つだけわかっていて欲しい。其方がもし、夜の帳が明けて世界が陽光の下に晒される光景を目にした事があるのなら、私にとって其方は、その光にも負けぬ眩さで輝く光であり、負けぬ熱量で灯る焔なのだという事を。

                           ~其方を想う災禍たる怪物より~


 さながら、それは流星が如く。

 空を一瞬で駆け抜ける流星は、宇宙という規模で見ればただのゴミであると誰かが言っていたが、それは世界にとって破棄したい存在でありながら、ゴミと呼ぶには些か巨大過ぎて、強大過ぎて、燃え尽きる事などあり得ない。

 流星の名は、災禍レキエム。

 終曲を司りし歌の災禍。音の災害。死を運ぶ死神の化身。

 災害は、風を切り、火花を散らす勢いで夜の空を駆ける。天上に敷かれた星の絨毯になど目もくれず、目的地だけを見据えて真っ直ぐに飛ぶ。

 幾つもの国を越え、山を越え、川を越え、怪物は橙色のマフラーを押さえながら疾く駆ける。

 早く会いたい。早く彼女の声を聞きたい。早く、彼女と話がしたい。

 そうして繰り返し、一人の少女を想う背中は最早、災禍と呼ぶには健気に過ぎる。

 災害は伝える。新たな世界に刻むように。この世界を作る神に誓うかのように。

 たった一言、一人の少女へと伝えるためだけに災禍は飛ぶ。


 ――私はあなたに、好意以上の恋に等しき愛情を、抱いております、と。


 夜の帳は星の瞬きを携えて、月明かりを従え落ちる。宵闇を駆ける災害の向かう先で、世界を照らした日が落ちる。

 再び、日が世界を照らす時、世界は新たな色を覚える。

 言葉を伝えた時、二人の間で一つの曲が終わる。そして、新たな曲が始まるのだろう。ただしその曲調が如何なるものであるのかは、二人のみぞ知る事である。

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