第二幕

 降りた場所は、東京湾の埋立地。夢の島放置自転車保管所そばだ。

「今度はちゃんとしたところに駐めてね」

「あ、はい。すみません」

 タクシーが走り去る。

 自転車放置犯という誤解はとけなかった。

 なぜ、誤解されたのかといえば、タクシーの運転手が俺を自殺願望者と勘違いしたからだ。平日の昼間に何の荷物も持たず、一人で夢の島に行く者が珍しかったのだろう。「とりあえず夢の島で」と、あいまいに頼んだのも、悪かったかもしれない。

 本当のことを言うわけにもいかず、罪の無さそうな嘘として放置自転車を口実にしたのがまずかった。駐輪マナーが悪いせいで運転手たちがどれほど苦労しているか、こんこんとお説教されるはめになったのだ。

 散歩するふりをして、とある地点に向かう。

 なかなかいい眺めだが、あまり人の姿はない。

 目当ての場所についた。念の為あたりを探る。大丈夫。誰もいない。

 俺は立入禁止の線を越えて東京湾に潜った。靴も脱いだから、もし目撃者がいたら入水自殺として通報しているだろう。

 コバンザメだから水泳はお手の物。コートに帽子を押し込んでから、頭の吸盤で張り付くのに手頃な船を探しはじめる。

 幸先よく、マリーナから出てくる大島行きのプレジャーボートを捕まえられた。タダ乗りは申し訳ないから、ヒレブレードを使って船底にへばりついているもろもろをこそげ落としておく。くっつく前より美しく。これぞヒッチハイクの秘訣だ。

 お次は横須賀沖で、グアム行きの米軍艦だ。モーターボートや水中翼船を除けば、太平洋の快速列車といってもいい。

 グアムからは民間船を適宜乗り継いだ。今回はミクロネシア経由ソロモン行きとでもいったルートである。軍艦より遅いが平泳ぎよりは速い。

 あるタンカーに乗り換えて数日、米軍のGPSよりも正確な体内地図は、ソロモン諸島が近いことを告げた。

 実に半年近くの「船旅」だった。

 脳内プレーヤーの記憶容量には自信があるほうだが、それでもライブラリを何周したか覚えていられないほどの長旅だった。本当なら、飛行機で駆けつけたかったが、空港の保安検査で帽子を脱がされたらアウトだ。

 日本列島を出たのは春先だから、いまごろ東京は残暑だろう。悪党を邪魔してやる気マンマンなのに、時間のかかる海路しか使えないのが口惜しい。組合長や鹿野さんは、元気にしているだろうか。


 タンカーの船底から離れて、ソロモン海の水面に顔をだす。夕日が眩しい。遠くに操業中の漁船が何隻かいる。まるで観光パンフレットみたいだが、俺は仕事だ。

 再び潜水して、それぞれの漁船に近づく。頃合いを見て浮上し、密封パックから防水の双眼鏡を出して観察した。

 一隻、妙な船がいる。

 漁船にしては船員が少ないのだ。漁に必要な人数ではなく、船を動かすために必要な人数だけを載せているようだ。人の動きも少ない。甲板に出ているのは男二人だけだが、竿も網も持っていない。二人とも漁師のように海鳥の動きを見たりせず、なにか話し込んでいるようだ。

 思い切って近づく。

 船底に張り付くと、骨伝導の要領で、二人組の会話が聞こえてきた。

「あのカッパ野郎、来ますかね」

「きっと来るさ。エサも用意したんだ」

 驚いたことに会話は日本語で、しかも聞き覚えのある声だった。九ヶ月ほど前に出会った浅野と伊坂の声だ。

 俺はてっきり、ビー玉迷路を密漁団との古い因縁に結びつけて考えていたが、実際には真冬に出くわした埠頭での一件がらみのようだ。

 もう少し様子を探ろうと、スクリューに用心しながら側面から船尾へと回り込んだ。

 水面に顔を出そうとしたその時、なにか動物の鳴き声がした。高くて短い音の連続だ。海鳥とはどこか違う、街なかの小鳥のさえずりのようでもあるが、ここは外洋だ。

 念の為、船から十分な距離をとって浮上した。遠くに、さっきまで張り付いていた不審船がみえる。

 うねりで体を持ち上げられたその時、下のほうに船の甲板を見ることが出来た。目に飛び込んできたのは、船尾の甲板でジュゴンが網に絡め取られて横たわり、辛そうにしている光景だ。

 希少動物になんてことしやがる。

 分類学の開祖リンネがなんと言おうと、海の仲間をほおっておくわけにはいかない。

 ジュゴンをレスキューして、浅野と伊坂をとっちめてやる。

 俺は全身の筋肉を使って水面から飛び出し、ダツのように飛んで後部甲板へと着地した。

 コートから海水がジャバジャバ落ちて、水浴びした犬よりもひどい有様だ。

 甲板には照明がある。目に見える範囲では、誰もいないし、出ても来ないが、とりあえずポケットから海水まみれの帽子を取り出して、吸盤を隠す。

 囚われのジュゴンは、滑り止め加工でざらざらの甲板に、力なく横たわっている。

 罠だというのは百も承知だが、見捨てられるものか。

 幸い、網が絡まっているだけで、怪我はないようだ。

「大丈夫だ、落ち着いて、大丈夫」

 通じるかどうかわからないが、穏やかに語りかけた。俺はコートの袖をまくって、ヒレブレードを出すと、網の切断にかかる。船が揺れるから難儀するかと思ったが、相手が大人しくしているおかげもあって、作業は順調だ。

 作業を終えると、コートから密封パック入りの現ナマを取り出して、パックごと網の隙間に差し込んだ。おそらく、伊坂たちは漁船を借りているだけだろう。正規の船と網の持ち主は善良な漁師のはずだ。賠償するのが筋というものだ。

 ジュゴンはといえば、波除板を這いのぼって、海へ飛び込もうとしている。

 難儀しているようなので、俺は手を貸した。すごく重い。

 ドボン。巨漢が風呂に入ったような音がした。

 もとの居場所に戻った人魚姫の背中は「助けてくれてありがとう。魚にも温かい血が流れてるのね」と、語りかけているようだった。

「そこまでだ、半魚人野郎」

「ヒレ、さっさとしまえよ」

 夕闇に消えるジュゴンを見送る俺の背中に、伊坂と浅野の声が投げかけられた。

 ブレードを引っ込めて、ゆっくりと振り返ると、そこにはライフジャケットを着て水中銃を構えた悪党二人がいた。

 カエシの着いた水中銃の穂先が、船の照明をギラリと反射する。

 甲板に他の乗組員たちの姿は見当たらない。

「いいか。よく聞け」

 先輩格らしい伊坂が、俺に狙いを定めたまま語り始める。

カネの在り処さえ話せば、お前は見逃してやってもいい」

「先輩、いっそやっちゃいましょうよ。どうせカ…、半魚人野郎に人権なんてないから大丈夫ですよ」

 カッパと言いかけてやめたのは褒めてやってもいいが、他の点はいただけない。

「馬鹿いえ、浅野。口止め料のこと、考えろ」

「あ、はい、すみません」

 浅野が慌てたように頭を下げる。

「で、半魚人野郎、金はどこだ」

「そこの網にあるだろう」

 軽く肘を動かして、さきほど網に差し込んだ紙幣を示してやった。

「そういうことじゃない」

「じゃあ、どこにも無いな」

「違う。しらばっくれるな。あのオヤジとお前は仲間なんだろう」

 伊坂が俺を睨みつけながら言った。どのオヤジなのか、俺にはさっぱりだ。

「沈没船の財宝とか、その手の話か?」

「え、マジ?知ってるわけ?」

 食いついてきたのは浅野だ。俺はジョークのつもりだったのだが、真に受けたような顔をしている。

「ちょっと黙ってろ」

「あ、はい、すみません」

 伊坂に叱られて、浅野は再び頭を下げた。

 分からないなりに話が飲み込めてきた。どうやら、俺が大金の在り処を知っていると、連中は思い込んでいるらしい。何の心当たりもないのだが。

 だが、悪党二人組は、俺が関わっているのは間違いないと考えているようだ。言葉の端々から連中の苛立ちが伝わってくる。

「さっさと話せよ。こっちは半年以上、なにもない海の上でお前を待ってたんだからな」

 浅野が水中銃を弄びながら言った。

 故郷から遠く離れた外洋で長いこと獲物を待ち伏せるとは、悪党シャークのくせに骨のあるやつだ。一寸の雑魚にも五分の骨とは、このことか。

 とはいえ「なにもない」海とは、ずいぶんとご挨拶だ。

 脳内プレーヤーが森進一を再生しかけるのをストップして、俺は口を開く。

「話すといえば、船底に穴を開けたことは話したかな」

「「えっ!?」」

 ハッタリで悪党二人が怯んだすきに、俺は連中の懐に飛び込んでブレードを展開、一閃させた。

 鋼とカーボンで出来た水中銃が相手だろうと、俺のヒレは止められない。

 続けざまに、強烈な一撃を奴らの鳩尾に叩き込む。ライフジャケットがなければ内臓破裂確実だ。

 浅野と伊坂は気絶して倒れた。甲板にあるロープで、連中を縛り上げる。

『おおい、旦那』

 突然、ブリッジから呼びかける声があった。

 きっと、物音を聞きつけたのだろう。

 とっさに頭に手をやる。大丈夫、帽子は被ったままだ。

 見上げると、漁師生活数十年、乗組員の最古参といった風情の顔があった。騒ぎに動じた様子が全く無い。

『やあ、船長。何か御用ですか?』

 最近は使ってない言語で、通じるかどうか心もとない。

『もう片付いたかい?』

 通じたのだろうか。向こうの声に、敵意は感じ取れない。。

『えーと、ちょっと待ってください。探しものがあります。船の中で』

『わかった。これ使ってくれ』

 意思の疎通はとれたようだ。

 長老はブリッジの外に出ると、結んだバスタオルを放ってよこした。一礼して、ビショビショの服からできるだけ、水気を吸い取った。

 俺が船の中にはいると、長老が出迎えてくれた。話を聞くと、彼は実際に船長であり、浅野と伊坂はこの船を半年ほど前からチャーターしていたとのことだった。

『ここだよ』

 船長の案内で、俺は悪党二人組の船室に入った。

『ありがとう。あの二人のことは任せても良いですか?』

『ああ、釣り道楽の観光客が転んで頭を打ったことにしておく』

『おねがいします』

 うるさいことを言えば、船長にはジュゴン密漁の共犯という罪状がつくはず。とはいえ、俺にも日本から密出国という罪状があるわけで、おあいこだ。

『じゃあ、私はブリッジにいるから』

 そう言って船長は部屋を出た。

 俺が部屋の物色をはじめると、興味深い書類が出てきた。

 まず分かったのは、組合長が汚職をしていたことだ。高級車や不動産を買って早期退職しても、全然困らないだけの額を着服していたのだ。

 次に、伊坂と浅野が登場する。ダーティーマネーの臭いを嗅ぎつけた悪党二人は、組合長からあの手この手で、金の在り処を聞き出そうとしていた。そして、二人がベロベロに酔わせた組合長を埠頭に連れ込んだとき、俺が登場した。

 俺と組合長の出会いは偶然だったのだが、浅野と伊坂は俺たちが仲間だと勘違いした。そこで、今度は組合長ではなく俺から、金の在り処を聞き出そうとして、ビー玉迷路という招待状をよこしたわけだ。

 資料は一番大きな密封パックに入れて、コートに押し込んだ。

「クソッ」

 あれは人工呼吸だ。酔いどれ相手の最低な経験だったが、人工呼吸だからノーカンだ。悪党であることにも気づきようがなかった。仕方がない。人工呼吸だからノーカンだ。

 ふと横を見ると、舷窓のなかで水平線が上下に揺れていた。


 ブリッジに顔を出すと、当直の船員たちが恐れるような表情になった。向こうから見れば、俺は謎の客なのだから仕方がない。

 船長だけは、全く動じた様子がない。

『すみません、船長。衛星電話を借りられますか?』

『いいよ』

『ありがとうございます』

 かける相手は、組合事務所の鹿野さんだ。ソロモンと東京の時差を考えると、退勤しているかどうか微妙なところだ。

「お電話ありがとうござい…」

 鹿野さんの声だ。残業しているのだろう。喜んではいけないのかもしれないが、今日に限ってはありがたい。

「俺です。レモロです」

「ちょっと。半年もどこいってたんですか?私物も片付けないで」

 険のある声が返ってきた。

「ああ、すみません。すみません」

 電話に向かってペコペコする俺を見て、船員たちが一瞬笑った気がする。

「すみません。実は組合長のスケジュール教えてもらえますか。ちょっと大事な用があって」

「え?組合長ならもう退職して、ポートモレスビーのリゾートマンションですよ。クルーザーを買ったとかなんとか、大はしゃぎでした」

「そう、それですよ、鹿野さん」

「えっ?」

「名前は?」

照子てるこですけど…」

 そういえば、いままで下の名前を聞いたことがなかったが、今はそれどころじゃない。

「いや、すみません。船の名前です。組合長が買った」

「えっ!?もう、それならそう言って下さい。スタンリーStanleyです」

「わかりました。ありがとうござ…」

 礼を言い終わらないうちに、向こうから音を立てて電話を切ってきた。

 やれやれ、機嫌を損ねてしまったようだ。

 ブリッジのレーダー画面をちらりと見ると、ポートモレスビーの方角すなわち西に向かう船が映っていた。

『船長、私はここで下ります』

『分かった。良い狩りを』

 驚き顔なのは船員たちだけで、船長は眉毛を少し動かしただけだ。

 俺は前甲板に降りた。帽子を取ってブリッジへお辞儀をすると、俺は背泳ぎ選手のように海へ飛び込む。

 身体を宙に浮かせた瞬間、サムズアップする船長と、白目をむいている船員たちの姿が見えた。

 組合長にも驚きのプレゼントをくれてやろう。退職祝いのサプライズ不意打ちだ。

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