シャーク・サッカー
糸賀 太(いとが ふとし)
第一幕
マリアナ沖でウナギ密漁団との決戦は終わった。
久々に静かな夜が欲しくなって、東京湾の一角に上陸した俺の前には、スーツを着た三人の陸物がいた。男たちの背後には、ワンボックスが一台とまっている。
脳内プレーヤーで音楽を流しながら、港湾の夜景を独り占めする計画が台無しだ。黙って去ってもいいのだが、平たいなりに切れる頭が、こんな夜中に埠頭の先にくる奴らは訳ありだと告げていた。
連中のうち一人は、ネクタイをだらしなくさげた酔っ払いだった。俺の背中から海風が吹いているのに、酒臭い息がここまで漂ってきてクラっとくる。連れの二人に支えられて、ようやく立っている有様で、ウニもびっくりなぐずぐずっぷりだ。
ほどほどに飲めないわけがあるのか、無理やり飲まされたか、どちらかだろう。
「な、なんだ、いきなり」
「伊坂先輩、こいつ、海から出てきましたよ」
「ばかいえ、浅野、今は真冬だぜ」
「でも、ほ、ほ、ほら、やつの頭。カッパですよ!カッパ!」
浅野と呼ばれた若いのが、失礼にも俺を指さして叫んだ。皿と吸盤の区別もつかないとは、俺をエイリアン呼ばわりしたロスの空港職員と同じくらいの無礼者だ。
「おい、お前ら。俺は
「は、は、半魚人…」
伊坂のほうは、意外と正解に近い。俺を見るなり卒倒した神父と同じ程度には分かっているようだ。海水にぬれた俺の身体は、さぞや魚らしく見えることだろう。水も滴るなんとやら、だ。
「知らないのか、雑魚だな」
ヒレブレードを出してみせると、奴らは車にむけて後退し始めた。素敵な夜を邪魔された仕返しに、わざと湿って粘り気のある足音をたてて近づいてやる。ベチャリ、ベチャリ、ベチャリ。
「こ、こないれえぇぇ」
若いほうが酔いどれを放り出して車に飛び込んだ。年上のほうも同じだ。
酔っ払いが頭をコンクリに打ち付ける寸前のところで抱きとめると、ヘッドライトの強烈な光が俺の目を焼き、タイヤの空転音が耳に突き刺さった。
奴らは目撃者の俺を消すつもりだ。
おっさんを抱えたまま俺は冬の海に飛び込む。
すぐにお荷物の心拍音が止んで、かわりに連中の車が岸壁の端で急ブレーキをかける音がした。
別の埠頭に大急ぎで這い上がる。おっさんは唇が青いし、間違いなく心肺停止状態だ。
俺は肺と、首筋の鰓からため息を吐き出して、泥酔した男に心臓マッサージを施した。
お目覚めにならない。
酒臭いのをこらえて人工呼吸。駄目だ。
再び、体重をかけて心臓マッサージ。駄目だ。
アルコールにやられそうになりながら、もう一度口を重ねる。これ以上は俺が駄目だ。
「ゲホッ、ゲホッ」
ようやく、酔いどれが息を吹き返した。よかった。助かった。
「しかしまあ、あのときの組長の酒臭さにはまいったね。まったく」
「組合長です。他所ではその間違い、やめてください」
クールなツッコミを入れてきたのは総務の鹿野さんだ。東京でもようやく開きはじめた桜のつぼみが、思わず縮こまってしまいそうな冷たさである。
「というかさ、あの夜、組合長はなんで埠頭にいたわけ?泥酔して」
「退勤後の予定なんて知りません。それに、酒癖が悪いのはいつものことです」
「なるほど」
「向こうでやらかさないか、心配です」
鹿野さんは、百科事典並みに分厚い二穴バインダーに新しい書類を綴じると、顔にかかったロングヘアを鬱陶しそうにはらった。
「出張だっけ?」
「ポートモレスビーです。遠洋マグロ漁の会議と、漁場の視察です」
鹿野さんはパソコンのカレンダーで、組合長の日程を確認しながら答えた。
「お酒に酔って
「まあ、大丈夫じゃない?」
「それ、レモロさんが言います?」
ごもっともである。
社内規定ではスーツかオフィスカジュアルであり、鹿野さんは就活生みたいにビシッと決めている。
俺の姿はといえば、三分間だけの銀色特撮ヒーローが、タートルネックの上からコートを羽織り、帽子を被ったようななりだ。銀色
なんにせよ、俺の規定違反は間違いない。
こんななりでも、素性を探らずに居候させてくれることには、感謝している。普通の人間だと職場のみなに思いこませているのは申し訳なく思うが、変装を捨てて鰓と吸盤をカミングアウトするのは難しいものだ。
「それにしてもまあ、うちのボスは羽振りが良いねえ」
逃げるように窓際まで行って駐車場を見下ろすと、真っ赤なイタリア製のスポーツカーがとまっている。組合長の車だ。
「出張終えたら、現地で休暇だっけ?」
「はい。リゾートマンションの見学だそうです」
「へーえ」
出会ったばかりの頃、組合長は俺に「若いのに後を任せて早期退職する」と話していた。第一次産業とはいえ、あるところにはあるものだ。
「とにかく、居候なら居候なりに仕事して下さい」
鹿野さんが咎めるような視線を送ってきた時、インターホンが鳴った。
「あ、CDかな。俺の」
「ちょっと、会社受け取りとかやめてくださいよ」
「いやほら、出かけることが多いからさ」
「じゃあモバイルワイファイとサブスクでいいじゃないですか」
「いろいろ難しくて」
「簡単ですよ、私の親だって」
「ちょっと水仕事が多いから、スマホとかは、ちょっと、ね」
鹿野さんの頭上に、はてなが浮かんでいる。なんとなく申し訳ない気分になったので、代わりに俺が受け取りに出た。
届いたのは、ビー玉迷路だった。A3より少し大きくて、厚みは三センチくらいだ。迷路は青と緑に塗り分けてあり、通路のうち一箇所だけ網のマークがある。差出人に見覚えはなく、宛先は「東日本遠洋漁業組合」で個人名はない。
二人して戸惑い顔になったところで、昼休みのチャイムが鳴った。
「じゃあ、続きは午後で」
そう言って俺は、トイレへ向かった。午後は郵便の仕分けからスタートだ。
戻ってくると、鹿野さんがビー玉迷路に取り組んでいた。
顔つきが生き生きとして見えるのは、気のせいだろうか。
「あれ、職場でおもちゃは
「別に、個人情報とか書いてないし、勝手に持ち出さなければ良いんじゃないですか」
「なるほど」
「集中したいから、黙ってて下さい」
「あ、はい」
鹿野さんは食事もとらず迷路に夢中で、なにかブツブツいっている。
「なにこれ?ハズレ?」
「どれどれ」
俺が覗き込むと、鹿野さんは目線を迷路に向けたまま口を開く。
「わかります?これ?」
「これ?」
「この網ですよ。出口まで行けるルートに網のマークがあって。不正解ルートなんですかね?」
迷路を見た俺に、電気が走った。母方の血筋が、閃きをもたらしたと言ってもいい。盤面を南太平洋に、ビー玉をマグロに見立てると、出口までの道筋はマグロの漁場を通過するのだ。網が意味するのは漁船だろう。位置はソロモン諸島近海のようだ。
「鹿野さん、謎がとけたよ」
「えっ?」
「ちょっくら出かけてくる」
「えっ?」
「話はあとで。この件は誰にも言っちゃいけない」
「えっ?」
俺は最低限の品をポケットに詰め込むと、大急ぎで事務所を飛び出した。
鹿野さんには隠し事ばかりで悪いが、迷路は密漁団から俺への挑戦状だ。奴らにトンズラされないためにも、通報などされては困る。俺が乗り込んで、ふん縛ってやるのだ。
事務所を出ると、近所の運河から漂ってくる微かな潮の香りを感じながら、俺はタクシーを拾った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます