第34話 絶体絶命

「ハ、ハ、ハルリア様……」

 

 魔巧師試験も終盤に差し掛かった最中、ハルの背中に隠れているフリスが怯え切った声を漏らした。

 それもそのはずで、ハルが突然とった行動にフリスだけでなく、コロシアムにいる誰もが騒然とする。


「ど、どうしよう……」

 

 そして何より一番騒然として怯えていたのが、ハル自身だった。


 彼女の目の前にいたのは、かつてジルと共に山奥の洞窟で見たことがあった最恐なる魔物の姿。

 先ほどまでその脅威をハーネストに向けていた魔物に対して、ハルは彼女を助けるために咄嗟に山蛇に喧嘩を売ってしまったのだ。

 

 ハーネストから離れ、底知れぬ殺気を向けて自分たちのことを睨みつけてくる山蛇に、思わず「ひぃぃっ!」と震え上がるハル。その手にはジルから貰ったナイフを握りしめるも、もはや桁違いの強さを持つ相手に通用するのかどうかさえもわからない。

 もはやここは素直に試験を辞退する方が身のためなんじゃないかという考えまでもが頭をよぎった瞬間、背中に隠れているフリスが再び声を上げる。


「ハ、ハルリア様! 向こうからも来ましたよ!」


 てっきり彼女も山蛇のことで動揺しているのかと思いきや、背中を引っ張るフリスがまったく別のところを指差した。

「え?」とハルが慌てて彼女が指差す方へと視線を向けると、風格ある一匹の老いたバッヘルウルフが自分たちがいる場所へと向かってくるではないか。


「ちょっ! なんでこんな時……」


 思わずその光景にも目を見開くハルがそんな言葉を口にしかけた瞬間だった。山蛇よりも先に、牙を剥き出しにしたバッヘルウルフが二人に向かって飛びかかった。


「「ひぃっ!」」


 悲鳴を重ね、咄嗟に飛び跳ねてバッヘルウルフの一撃を運良くかわすことができた二人。けれども相手は攻撃の手を緩めることなくすぐに体勢を整えると、今度はその鋭い爪でハルに向かって襲いかかる。


「ハルリア様っ!」

 

 フリスが叫ぶ目の前で、ハルが咄嗟にナイフを構えた。そして彼女は、飛びかかってきたバッヘルウルフに向かってその刃先を思いっきり投げつける。


「――っ!」

 

 ハルが放ったナイフは魔物の右肩をかすめて傷をつけるも、飛びかかってきたバッヘルウルフの勢いを止めることはできず、今度は相手の爪先が彼女の太腿を切り裂く。

 そのあまりの激痛に思わず倒れ込んでしまったハル。そんな彼女にフリスが慌てて駆け寄る。


「大丈夫ですかハルリア様!」


 左足を押さえて苦悶の表情を浮かべるハルに、フリスが必死になって呼び掛ける。そして彼女は外套の袖から針を取り出すと、その先端をハルの傷口へと刺した。


【肉体生成(再生)・細胞増殖】

 

 フリスが詠唱を唱えた瞬間、ハルの傷口が赤い光に包まれてみるみるうちに治癒されていく。

「なっ」とその光景に驚くハルが声を漏らす間に、傷口はあっという間に塞がり、フリスに急かされながら彼女は再び立ち上がった。


「すごい……本当に治ってる」

 

 いつも通り動かすことができる左足を見つめながら呆然とした様子で呟くハル。けれどもそんな事実に驚いている暇など無く、顔をあげれば先ほどのバッヘルウルフが牙を剥き出しにして自分たちのことを威嚇しているではないか。


「そんな……ナイフで魔力は吸い取ったはずなのに」


 魔物の右肩につけた傷口を見て、ハルが思わず動揺した声を漏らす。ジルからもらったナイフであればかすり傷程度でも魔物にとっては致命傷になるはずだ。

 だが、目の前にいるバッヘルウルフはよほど魔力量が高いのか、いまだ倒れる気配を見せない。 


「ハ、ハルリア様ここは一旦逃げたほうが良さそうじゃ……」


「……」


 再び自分の背中に隠れて怯えるフリスの言葉に、ハルがゴクリと唾を飲み込む。彼女としてもできればそうしたいところなのだが、この状況では逃げるどころか隠れることさえもできない。


 そんなことを思ったハルは足元に落ちていた小石を拾うと、身を隠すための一か八かの賭けに出る。


【鉱核生成(圧縮)・砂塵爆弾】

 

 詠唱を唱えた直後、ハルは赤く光り始めた小石を足元に向かって思いっきり投げ放つ。すると彼女の魔力によって強力な圧縮をかけられていた小石が地面に接触するや否や、それは爆発音を轟かせて辺り一帯に濃霧のような砂塵を巻き上げた。


「ケホ、コホ……ちょっとやり過ぎちゃったかな」


 魔力を込め過ぎたのか、予想以上の砂塵に包まれながらハルが呟く。けれどもこれで少しの間は時間が稼ぐことができると思った彼女は、自分の背中に隠れているフリスの腕を咄嗟に掴む。


「フリス、今のうちに逃げるよ!」


「は、はいハルリア様!」

 

 慌てた様子のハルの言葉に、フリスがすぐさま答える。

 そして二人は急いで駆け出したが、それを阻止するがごとく、すぐに砂塵の向こうからバッヘルウルフが迫ってくる足音が聞こえてきた。


「もうっ! なんでわかるのよ!」


 砂塵によって視界が覆われていても、間違いなく自分たちの方へと近づいてくる魔物に思わず声を上げるハル。そしてこのままではマズイと思った彼女は、再び足元に落ちていた小石を拾うと、バッヘルウルフを足止めする為に後ろを振り返った。


【鉱核生成……】


 詠唱を唱え、砂塵の中から飛び出してきたバッヘルウルフにハルが攻撃を仕掛けようとした、まさにその瞬間だった。

 突如視界が暗闇に覆われて、地鳴りのような音と共に巨大な影が接近する。


「ハルリア様っ!」

 

 大声を上げたフリスが、咄嗟にハルの身体を自分の方へと引いた。直後、ハルの目の前まで迫っていたバッヘルウルフは一瞬にして巨大な影に飲み込まれ、彼女たちもその衝撃に後方へと吹き飛ばされてしまう。


「――っ!」


 激しく地面に叩きつけられて、そのままなす術もなく転がっていく二人。身体中を痛めながらも何とか止まることができたハルは、慌てて身体を起こして辺りを見る。

 すると自分のすぐそばでフリスが倒れている光景が目に飛び込んできた。


「フリスっ!」

 

 急いでフリスのもとまで駆け寄りしゃがみ込んで、必死になって呼び掛けるハル。けれども吹き飛ばされた衝撃で気を失ってしまったのか、どれだけ呼びかけてもフリスが目を覚ます様子はない。

 それでも何度も名前を呼び続けるハルだったが、そうこうしている間に今度は身を隠すための砂塵が晴れてきた。


「ど、どうしよ……」


 狼狽た声を漏らしながら彼女は周囲を見渡す。

 と、その直後。突如頭上から水しぶきと共にどさりと大きな音を立てて巨大な塊が落ちてきた。


「――っ!?」


 間近に落ちてきた異物を見た瞬間、ハルは思わず恐怖に顔を歪める。

 その視線の先にあったのは、無惨にも胴体を真っ二つに寸断されたバッヘルウルフの上半身だった。


 あれほど強靭なはずの魔物の身体がいとも簡単に引きちぎられている事実に、ハルは恐怖のあまり言葉を失う。けれどもそんな事態に気を取られている暇もなく、今度は巨大な影が彼女の身体を覆った。


「なっ……」


 見上げた視線の先に映ったのは、射殺すような鋭い殺気を放つ二つの眼光。バッヘルウルフの胴体さえもひきちぎった牙を剥き出しにした、山蛇の姿だった。


 その光景にハルは思わず息を止めた。いや、できなかった。

 

 自分から仕掛けてしまった戦いとはいえ、間近で対峙すればわかる。

 今まで出会ってきた魔物とは遥かに比べものにならないほどの恐怖感。

 そして自分の存在さえも簡単に押しつぶすかのような重圧感と殺気。

 どう足掻いたって戦うどころか、逃げ切ることさえ不可能だ。


「うっ」と泣き出しそうになるのを必死に堪えて、ハルは何か策はないかと辺りを見回す。

 だが、山蛇の放つ鋭い殺気のせいで辺りには他の受験者どころか魔物さえも近づいてこない。唯一の武器であったジルからもらったナイフは、先ほどの戦いの時に投げ放ったせいで手元にはない。

 さらに魔具の生成を行おうにも小手先の技では山蛇相手に通用はしない上、素材になりそうなものといえば、バッヘルウルフの腹部から流れ出てきた鱗のようなものしかなく、知識が乏しいハルからすれば何に使えるものなのかもわからなかった。


 もはや打つ手もなければ生き残る選択肢さえ残されていない状況に、ハルはただゴクリと唾を飲み込む。自分の間近で屍と化したバッヘルウルフの姿に、否が応でも自分の姿が重なってしまい、それが余計に恐怖心を増長させる。

 それでもハルが今尚この状況でも逃げ出さずに思考を働かせることができるのは、自分の後ろにいるフリスを守らなければいけないとう責任感からだった。

 

 山蛇が狙いを定めるかのように、ゆっくりとその頭を上げていく。大きく開かれた口を見て、おそらくフリスもろとも自分たちを丸呑みにするつもりなのだろうとハルは思った。

 かつてないほどの死への恐怖を全身で感じながら、ハルは瞬きもすることなく山蛇と対峙する。

 死への恐怖心が見せるのか己の血肉を食らおうとする牙を見た時、走馬灯のように脳裏に浮かんだのは、魔巧師として生き抜き、自分のことを育てて夢を託してくれた両親の姿だった。

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