第33話 奥義

「なんなの……あれは」


 残りわずかとなった魔物をまた一つ倒したハーネストが、闘技場に突然現れた異端な怪物を見て思わず声を漏らした。

 先ほど自分に名を名乗った少女と戦っている相手は、本来であればこんな場所に現れて良い存在ではない。


「ハーネスト様見てください! 蛇ですよ蛇!」


「おい馬鹿、なんでお前はそんなに喜んでんだよ」


 ハーネストのもとに駆け寄ってきたシャンテとアロンが口々にそんなことを言う。それらを無視してハーネストは黙ったままゴクリと唾を飲み込む。


「だってアロン、蛇なんて滅多に見れないんだよ? しかも生きてるやつなんて」


「はぁ……お前の脳天気さがこんな場面だと逆に羨ましいよ。というより、山蛇は昔先生たちが倒したんじゃなかったのかよ」


「……」


 困惑を滲ませながらアロンが口にした言葉に、ハーネストも内心で同じことを考えていた。

 かつてこの辺りの山で猛威を奮っていた山蛇は、シルヴィア家一の豪剣であり自分たちの師でもあるエクレールの部隊が殲滅させたと聞いたことがあった。

 ……だが今目の前に現れたそれは、間違いなく当時人々を恐怖に陥れていた山蛇の特徴と一致している。


「どうして……」と呆然とした様子で呟くハーネストだったが、自分もシルヴィアの名を背負う人間としてすぐさまその目に闘志が宿る。


「二人とも……次はあれを倒すわよ」


「「えぇっ!」」


 ハーネストの口から告げられた衝撃的な言葉に、言い合っていた二人の声が思わず重なる。


「ちょ、落ち着けよハーネスト。いくらなんでも俺たちだけじゃ無理だろ!」


「そ、そうですよハーネスト様! 遠くから眺める分にはともかく倒すのは……」

 

 いくらリーダーからの指示とはいえ、さすがに今回ばかりは相手が悪いと弱腰になる二人。そんな仲間に、ハーネストはすっとその目を細めた。


「何を甘えたことを言っているの? 私たちはシルヴィア家の伝統と誇りを受け継ぐ魔巧師であり冒険者でもあるのよ。どんな相手だったとしても背中を見せることは許されないわ」


それに、とハーネストは続く言葉を胸の奥で呟く。

 本来であればこの試験で一番の腕を発揮してトップの成績を収めるはずが、突如現れたケアルアの少女と、それに落ちこぼれだったはずのハルの活躍によって自分の存在が霞んでしまっている。

 けれどもここで山蛇を倒すことができれば、その印象をひっくり返すことができるだろう。

 そんなことを考え、ぎりっと柄を握る手に力を込めるハーネスト。そして彼女は山蛇に向かってその刀身を構えると、両隣に立つ仲間に向かって指示を出す。


「少しだけでもいいわ。二人には山蛇の足止めを頼むわよ」


「足止めって……おい、まさか」


 ハーネストの意図をすぐに理解したアロンが驚きの表情を浮かべて彼女の顔を見る。けれどもハーネストはそれ以外の選択肢がないといわんばかりに強い口調で言葉を続けた。


「あんな強敵相手に長期戦は望めないわ。だから、一撃で勝負を決める」


 ハーネストが宣言した言葉に、今度は慌てた様子でシャンテが横から口を開く。


「で、でもハーネスト様。さすがにあの技をここで使うのは良くないんじゃ……」


「だったら他に倒す方法でもあるのかしら?」


 ハッキリとした口調で聞き返してきたハーネストに、「うっ」とシャンテが思わず声を詰まらせる。そんな二人のやり取りを見てアロンが諦めたようにため息を吐き出す。


「わかったよ……でも、闘技場を吹き飛ばすとかは無しだからな」


「私がそんなヘマをするわけないじゃない」


 きりっとした目つきでアロンのことを睨みつけたハーネストは、そのまま力強く地面を蹴ると山蛇に向かって一直線に駆け出す。

 その背中を追うようにして、アロンとシャンテも一斉に走り出した。


「ねえアロン、いくらハーネスト様でもあんなの本当に倒せるの?」


「さあな……。でも歴代当主の中でも見習い中にあの剣を授かったのは先生とハーネストだけだ」


 追いかける背中を見つめながらアロンが呟く。颯爽と風を切るように走る彼女の勇気がただの無謀ではないことを、自分たちが何より一番近くで知っている。

 シルヴィア家に生まれ剣豪の名を背負うということは、それすなわち、この世界で最も強い冒険者という意味なのだから。


 そんなことを考えながらアロンが山蛇に視線を向けた時、先ほどまでたった一人で戦っていたケアルアの少女が戦線を離脱するのが見えた。

 巻き添えを喰らう命が一つ減ったことを確認したアロンは、すぐさま隣にいる相手へと指示を出す。


「シャンテっ! いつも通りのバカ力で頼むぞ!」


「もう! バカは余計だってば!」


 アロンの言葉にむっと頬を膨らませながらもシャンティは右手に剣を構えた。そして自分の射程範囲に入ったことを確認するとその足を止めて、真下の地面に向かって刀身を思いっきり振りかざす。


【短縮分解(崩壊)・サブサイデンス】

 

 シャンティが詠唱を口にした瞬間、柄に埋め込まれている鉱石が緑色の光を放った。直後、まるで布を突き刺すかの容易さで刃先が地面へと突き刺さり、彼女の込めた魔力が振動となって山蛇がいる場所へと一直線に向かっていく。


『――ッ!』

 

 野生の嗅覚で違和感に気づいた山蛇がその場から離れようとした時だった。突如地鳴りと共に足元の地面に亀裂が入り、まるで地盤沈下が起こったかのように山蛇がいる場所が崩れ始めたのだ。

 それを見て、「よしっ!」と嬉しそうに声を上げるシャンテ。――だが、もちろんこの程度で動きを止めれるような相手ではない。


「逃すかよっ!」

 

 咄嗟に体勢を整えて崩れた地面から抜け出そうとする山蛇に向かって今度はアロンが叫ぶ。直後彼は腰に巻きつけている袋から小さな鉄球を取り出すとそれを宙へと放り投げた。


【短縮生成(拡大)・アイアンボール】

 

 詠唱を口にすると同時にアロンが引き抜いた剣が赤い光を帯び始め、彼はその刀身を小さな球体に向かって勢いよく振り抜く。直後、カキンと金属音を響かせて見事に刃先に当たった球体は放物線を描きながら山蛇に向かって飛んでいき、さらには術者の魔力を取り込みながら巨大化していく。


『シャァッ!』


 自分の身体を押し潰さんばかりの大きな鉄の塊が飛来してきたことに気付いた山蛇は、崩れた足場の中でも咄嗟に身体の向きを変える。その俊敏な動きによって、間一髪のところで鉄球の直撃は避けられてしまう。


「甘いな」


 その場から離れることはせずただ鉄球の直撃を避けただけの山蛇を見て、アロンがにやりと笑みを浮かべる。そしてその直後、彼は剣の刃先を鉄球に向けると再び詠唱を唱えた。


【短縮分解(遠隔溶解)・アイアンマーシュ】

 

 二つの鉱石が埋め込まれている刀身が今度は緑色の光を帯びた瞬間、前方に見える巨大な鉄球も同じ光に包まれ始めた。

 異変を感じて、すぐにその場から離れようとする山蛇。

 だが、それを阻止するがごとく先に鉄球の輪郭に変化が起き始める。


『――ッ!』

 

 突如鉄球の表面が溶け始め、液体と化した鉄がまるで山蛇の身体を飲み込むかのように襲いかかったのだ。

 咄嗟にその場から離れようとした山蛇だったが、身体にまとわりつく鉄の重みのせいでうまく身動きが取れない。さらには崩れた足場に溜まっていく液体が沼地のようになっていき、巨大な魔物の自由をますます奪っていく。


「いまだハーネストっ!」


一瞬とはいえ山蛇の隙を作り出すことができたアロンが大声で叫ぶ。

 その合図を背中で受け取ったハーネストは駆ける両足に力を込めると一気に山蛇との距離を詰めていく。


「これで終わりよ」


 そう呟いたハーネストは柄を握りしめる両手に意識を込める。そして、全身に流れる魔力を己が握る武器へと全て集中させていく。

 

 本来、短縮生成を行うための魔巧具は術者の魔力の消費を最小限に抑えながら強力な魔具を作り出すことを目的としているものだ。 

 もちろんそこには戦いの最中で術者の魔力が尽きないためにする意味もあるのだが、僅かな魔力で強力な力を発揮できる魔巧具は時として術者自身にも危険が及ぶ。

 その為、流し込める魔力量には強制的な制限をかけることが規則として定められているのだが、三大魔巧師の血を引く者が扱う魔巧具はその限りではない。


 ハーネストが握りしめる柄の先、その刀身に埋め込まれている三つ目の鉱石が黄金色の輝きを放ち始める。

 他を圧倒するほどの魔力変化に、山蛇はいまだ身体の自由を奪われながらも鋭い牙を剥き出しにして戦闘体勢を取った。そして、迫りくる少女に向かって胴体を伸ばして攻撃を仕掛けるも、ハーネストはその脅威を避けることもせず、刀身を低くして真正面から戦いを挑む。


【短縮解放(炸裂)・プロミネンス】


 詠唱と同時にハーネストが剣を振り上げた瞬間、凄まじい爆音と共に辺り一帯に強烈な閃光が駆け抜けた。

 直後、巨大な火柱が山蛇を飲み込み、それは天を貫くかのように上空へと一気に伸びていく。


「――くっ!」

 

 あまりにも埒外な攻撃に、離れた場所にいるアロンとシャンテでさえその衝撃波に思わず声を漏らした。細めた視線の先に映るのは、煉獄の炎を前にして勇ましく立つ一人の少女の背中。

 もはや明らかに次元の違う戦い方に、コロシアムにいる誰もが釘付けになる。

 そんな中、全力を出し切ったハーネストが片膝を地に着ける。


「はぁ……はぁ……」

 

 肩で息をしながら目の前の炎を睨みつけるハーネスト。火柱となっているのはただの炎ではなく、彼女自身の魔力が具現化したもの。

 本来なら魔具の生成に利用されるはずのエネルギーを、すべて攻撃の一点のみに集中させて解放した会心の一撃。


 かつてシルヴィア・キエスが竜族相手に戦うために編み出した技を魔巧具によって再現したものだ。


「はぁ……これでやったわね」


 燃え盛る紅蓮の炎を見つめながら、ハーネストは満足げな声を漏らす。これでこの試験で最も実力を持った者が誰なのかを、国王はじめ民の前でも証明することができた。

 そして何より、シルヴィアの名を継承するのにふさわしい力を持っていることを自分の師であり想いを寄せる相手にも証明することができたのだ。


 収縮を始めた火柱を前にしてハーネストはそんなことを考えながら静かにゆっくりと立ち上がる。そして右手に握りしめている剣を鞘へと戻そうとした。ーーその時だった。


「――っ!?」


 激しく燃え盛る炎の中、ハーネストの視線の先で巨大な影がゆらりと動いた。その瞬間、彼女は反射的に剣を構え直すも、眼前の光景に驚きの表情を浮かべる。


「ありえない……」

 

 思わずそんな言葉が彼女の唇からこぼれ落ちる。

 ハーネストの視線の先、鉄の沼地さえ燃やし尽くす烈火の中に映ったのは、巨大な胴体を蠢かせる魔物の姿。

 そのあまりにおぞましい姿に、無意識に彼女の足が後ろへと一歩下がった。


「ハーネスト! 早くそこから逃げろっ!」


 咄嗟に叫ぶアロンの声がハーネストの耳に届く。それでも彼女はいまだ目の前の光景が信じられないのか、呆然とした様子で逃げ出そうとはしない。


 己の魔力を全て注ぎ込み、いかなる強敵をも薙ぎ払ってきたはずの一撃だった。

 そんなシルヴィア家の者のみが扱うことができる秘術をもってしても、息の根を止めるどころか、その皮膚に傷一つつけることができないというのか。


 燃え上がっていた炎が消えて、再び姿を現した山蛇の姿を見て、ハーネストは愕然とした表情を浮かべてしまう。漆黒の色をしたその身体には、何一つ変化が見られない。


「そんな……」

 

 アロンの隣で呆然と立ち尽くしていたシャンテが思わず声を漏らす。彼女もまた、ハーネストが放ったあの一撃をまともに受けて生き残っている魔物を見るのは初めてだった。

 

 騒然とするコロシアムの空気の中で、山蛇が再び静かに動き出す。もちろん本来であれば、いくら竜族の血をひく魔物の一種だとはいえハーネストが放った渾身の一撃をその身に受けて無傷でいられるわけがない。

 だが、山蛇は覚えていたのだ。ハーネストたちを相手にする直前の戦いで、ダンが自らの魔力を使い己の肉体を強化させていたことを。

 そして山蛇は恐るべきことに、その驚異的な身体能力と学習能力によって見事に彼女の技を再現してみせたのだ。


「くっ」

 

 覇者のごとく自分のことを見下ろしながらゆっくりと近づいてくる山蛇を見上げ、ハーネストが声を滲ませる。剣を握る両手には、もはやほとんど力は残っていない。

 魔物のほうも先ほどの一撃を凌ぐために相当の魔力を消費していることに彼女は気づくも、それでも自分のほうが圧倒的に不利なことには変わりない。

 

 残されたわずかな気力と勇気だけで、背を向けることなく化物と対峙するハーネスト。 

 そんな彼女を援護するために、剣を握りしめて駆け寄る二人の仲間。

 けれども山蛇がそんなチャンスを与えるはずもなく、鋭い牙を剥き出しにして、ついにハーネストに襲いかかる。


「――っ!」

 

 死を覚悟するほどの恐怖がハーネストの全身を貫いた時だった。

 突然視界の隅から飛んできたものが山蛇の頭部に的中し、それは強烈な炸裂音と共に大爆発を起こした。


『シャァァッ!』


 攻撃性のない音だけの爆発だったとはいえ、不意を突かれた山蛇が一瞬怯んだ。そしてその敵意を新たな相手へと向ける。

「え?」とそ同じように視線を移したハーネストは、そこに立つ人物を見て驚きのあまり思わず目を見開く。


 視線の先、自分の命が絶たれようとしたその瞬間を救ってくれたのは、落ちこぼれだと散々馬鹿にしていたハルだったから。

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