第31話 ダンの策略

「まったく……私らしくないですね」


 ハーネストに自分の名を明かした後、ダンは次なる戦場へと向かいながらぼそりと呟いた。

 普段他人になど一切興味がなく関わりを避けたがる自分が、わざわざ相手を助けた上に、しかも名前まで教えるなど。

 それほどまでに同じ三大魔巧師の名前を継ぐ彼女の強さに興味があったということなのだろうか。

 

 そんなことを一人考えながら、ダンは襲い掛かってくる魔物を次々と倒しながら闘技場の上を駆けた。

 見れば試験もそろそろ試験も終盤に差しかかってきたようで、辺りを見渡せば魔物の数もかなり減ってきている。

 残っている魔物はそれなりに強いものばかりだが、この調子でいけば早々に勝負が着くだろう。


 少しでも試験を長引かせてレイズーンの人間の目をこの場に留めておきたいダンは、奥の手を使うことを決める。


「仕方ないですね」

 

 そんな言葉を呟き、彼女が外套の袖の中から取り出したのは小さな注射器だった。

 禍々しい色をした中の液体には、彼女の邪念がたっぷりと含まれている。


「どの子がいいでしょう」とまるで実験素材のモルモットを探すかのような口調でダンはそう呟くと、生き残っている魔物たちへと視線を向ける。するとそんな彼女の目の前に、巨大な影が忍び寄ってきた。


「ふむ……丁度いいですね」


 殺気だった目ではるか頭上から自分のことを見下ろしてきたのは、先日ライアンが対峙していた巨大なチンパンジーの魔物だった。

 鋭い犬歯を剥き出しにして今にも喰らい付かんばかりに気性を荒くしている魔物を前にしても、ダンは平然とした態度を崩さない。


 と、その時。強烈な爆発音と共に砂嵐のような砂塵が辺りを覆った。


「相変わらず穏やかじゃないですね……」


 けほけほと軽く咳き込みながら呆れた口調でそんなことを呟くダン。ちらりと移した彼女の視線の先では、ぎゃーぎゃーと声を上げながら必死になって戦っているハルの姿が映る。

 そんな彼女の戦い方を半ば呆れた様子で見つめながらも、視界が悪くなっている今がチャンスだと思ったダンは握っていた注射器を構えた。

 そして周りにいる他の受験者たちや観客席にいる人間にはバレないように、すぐさまその針先を目の前にいる魔物に向かって放つ。


『――ッ!』

 

 魔物にとっては蚊の大きさにも満たない注射器が腹部に刺さった瞬間、その効果はすぐに現れ始めた。

 ミシミシと骨が軋むような鈍い音を立てながら、強靭で筋骨隆々とした魔物の身体がさらに筋肉量を増していく。

 許容範囲を遥かに超える力の増大に耐えきれなくなった皮膚の一部が内側から破れるも、それでも力の増幅は止まらない。

 先ほどまで獲物に喰らい付こうとしていた口からはだらしなく唾液と苦しそうな声が漏れるばかりで、魔物は失いそうになる理性を必死に繋ぎ止めるかのように頭を抱え始めた。


「さてさて、どう転ぶやら」


 まるで新しい玩具でも与えられた子供のように、ダンがにっと無邪気な笑みを浮かべる。


 生態を知り尽くし、そして魔具とその生成の可能性を追求した末に禁忌にまで手を染めてしまった悪しき偉大なる魔巧師の血筋。


 その名を継ぐことを心底嫌う彼女でも、その血に宿るしがらみからは逃れらることができない。

 

 魔巧師試験を長引かせる為にダンが取った行動は、試験目的の為に抑制させられていた魔物の力を無理やり解放させて、さらにはそれ以上の力を与えることだった。


 つまりここから始まるのは、彼女が最も望んでいたことでもあり普段から慣れ親しんでいる戦い方、文字通りの『死闘』だった。

 

 やっと面白い展開になってきたと期待するダンの目の前で、低い唸り声を漏らしていた魔物がついに理性を失い、雄叫びのような咆哮をあげる。

 ビリビリと空気を揺らすその殺気立った叫び声に、周りにいる受験者たちの表情が次々と恐怖に歪んでいく。

 

 これでそう簡単に試験は終わらないだろうと一人ほくそ笑むダンが再びメスを構えた、その時だった。


 目の前にいる魔物の巨大な身体が、突然腹部からブチブチと裂け始めたのだ。


「は?」


 まったく予期しなかった事態を前に、思わず間の抜けたような声を漏らしてしまうダン。

 

 魔力によるドーピングによって肉体に負荷がかかっているとはいえ、素体が瀕死に追いやられてしまうような調合ミスなど彼女は決してしない。

 なのに眼前にいる魔物は骨と肉がひしゃげる音を放ちながらさらに裂け目は大きくなっていき、ついには上半身と下半身が完全に切り離されてしまう。


「……」

 

 ありえない光景を前に、さすがのダンも呆然とした表情を浮かべたまま立ち尽くしてしまう。

 するとその直後、無惨にも切り裂かれた魔物の断面から、その原因となったものが姿を現した。


「ほう……これはまた随分と奇妙なものが隠れていたんですね」

 

 思わず驚きを滲ませた声音でそんな言葉を呟くダン。

 その視線の先にいたのは、飛び出した臓物と血の海の中、細い身体をうねらせながら肉片に喰らいつく小さな魔物の姿だった。

 人の腕ほどの長さしかまだないとはいえ、その姿形は明らかに魔物の中でも別格とされていて多くの生物から恐れられている存在の一種。


 魔物の腹を引き裂き、突如彼女の前に現れたのは、現存する生物の中でも最強の一角と謳われている『蛇』の子供だった。


 今まで戦ってきた相手とは桁違いの強さを誇る魔物の出現に、ダンがすかさず警戒心を剥き出しにして戦闘態勢を取る。が、その機敏で僅かな動作の間に、現れた蛇の子は己が卵代わりにしていた魔物の身体を一瞬にして喰らい尽くす。そして……


「なるほど、そうきましたか」


 口調は落ち着きながらも驚愕にも近い表情を浮かべる彼女の目の前には、古皮を脱ぎ捨てて、あっという間に自分の背丈と変わらないほどに大きくなった山蛇の姿があった。

 

 ありえない早さで急成長したその身体に比例して、ダンは魔物の魔力も先ほどとは比べものにならないぐらいに増幅していることに気づく。

 だがそんな事実に驚いている暇もなく、相手の影が一瞬にして彼女の影に肉薄する。


「――くっ!」

 

 すぐさま身を切り返して相手の初手から逃げるダン。しかし躱しきれなかった攻撃に外套の右腕部分が破れ、鮮血が宙を舞う。


【肉体生成(再生)・細胞増殖】

 

 詠唱と同時に、彼女の右手の甲に埋め込まれた魔巧具が反応して裂けた部分の再生が始まる。

 再び魔物に向かって臨戦態勢をとった時には、すでにその傷は完治していた。


「なかなかやっかいな相手ですね」

 

 完治した自分の右腕をちらりと見たダンがそんな言葉を呟く。自分の身体に傷を負うなどという愚行を久しく経験してこなかった彼女にとって、それは新鮮かつ興味を刺激することでもあった。


「だったら……」とぼそりと呟いたダンは、自分の意識をさらに集中させると再び詠唱を唱える。


【肉体強化(注入)・魔力ドーピング改】

 

 生身の身体で耐えられる限界まで肉体強化を施した少女が、一段と質と鋭さを増した殺気を纏いながら小さな刃先を魔物へと向ける。

 そしてその直後。牙を剥き出しにした相手が瞬きさえも許さないかのような速度で彼女へと襲い掛かった。


「ハッーー」

 

 咄嗟に真上に飛び上がったダンは、今度こそ完全に山蛇の一撃を躱す。そしてすかさず空中で身をひねると、魔力を込めたメスの先端を山蛇の頭へと振り下ろした。


「――っ!」


 ガキンと鉄と鉄とが激しくぶつかる様な衝突音が鳴り響いた直後、地面へと着地したダンはすぐさま強敵との距離を離す。そして驚きと呼吸を落ち着かせるために深く息を吸う。


「……まったく、予想外の強さですね」

 

 無傷で自分のことを睨みつけてくる相手に対して、ダンは同じ様に目を細めた。ちらりと右手に握っているメスを見れば刃こぼれこそしていないものの、先ほどの一撃で手首がじんじんと軋むように痛む。

 おそらく魔力による肉体強化を行なっていなければ、いとも簡単に骨が折れていただろう。


「まさか六星鉱石で作ったメスでも傷一つ作れないとは……」

 

 握りしめたメスを見つめながら思わずそんな言葉を呟くダン。

 今まで数々の死線を潜り抜け、どんな強者であってもこの小さな刃物一つで倒してきた彼女にとって、それはまさに驚嘆に値する出来事だった。


 再び牙を向けてきた山蛇の攻撃を躱しながらダンは思考する。

 噛み付かれればまず間違いなく即死はま逃れないが、攻撃そのものは単調で今の自分であれば避けることは容易い。

 ならば長期戦に持ち込んで相手が疲弊したところを一気に……

 

 繰り出される猛攻を機敏な身のこなしで躱しながらそんなことを考えていた時だった。

 突然山蛇が攻撃をピタリとやめたと思いきや、今度は辺りに散らばっている魔物の死骸を凄まじい勢いで次々と喰らいつき始めていく。


「なっ……」


 思わずそんな声を漏らすダンの視線の先、そこには見上げるほどの高さにまで巨大化した山蛇の姿があった。

 魔物とはいえそのありえない成長速度に、驚きを通り越して彼女はっと乾いた笑い声を漏らしてしまう。


「さすが竜族の末裔とされるだけはありますね」


 そんな言葉をぼそりと呟いて、彼女はメスを握りしめる手に力を込めた。対峙しただけでもわかる。先ほどよりも圧倒的に増加した魔力量と向上された身体能力。

 同じ敵を相手にしているはずが、まるで別次元の魔物と対峙しているような感覚に陥ってしまうほどだ。

 もはやこれでは相手に攻撃を与えるどころか、今の自分では生き延びることができるかどうかも怪しい。

 

 そんなことを考えながら、ダンは息を殺してじっと相手の出方を伺う。

 

 魔力による己の身体へのドーピングは無制限に行えるわけではない。肉体を鍛え、たとえ訓練をしている者であったとしてもドーピングに使える魔力は自分が生まれ持つ魔力量の二割程度が限界だ。

 もしもそれ以上の魔力をドーピングによって注ぎ込めば肉体の活性化に細胞組織自体が耐えきれず、たちまち生身の身体が肉片と化して四方に飛び散ることになってしまう。

 

 そんな条件がある中、ダンが先ほどドーピングに使った魔力量はすでに二割を超えていた。つまりこれ以上の肉体強化は、自殺行為といっても過言ではない。

 

 もはやどう考えても打つ手がない状況に、ダンが諦めたようにふっと息を吐き出す。

 だがその直後、小さな武器を握りしめている少女は不敵に笑う。


「降参……なんてすると思いましたか?」

 

 そんな言葉を口にして、眼前に立つ強敵を興味深げに見上げるダン。

 彼女にとって死地に追い込まれるというのは、単に命の危機が迫るということだけではない。

 それは己の限界を発揮できる場であり、そして、自分が編み出した研究の成果を披露できる貴重な場でもあるということ。


 今にも飛びかかってきそうな山蛇を前に、ダンは落ち着き払ったまま自分の身体に意識を集中させる。

 彼女は思う。生身の状態でドーピングによる強化に耐えられないのであれば、肉体そのものを作り変えてしまえばいいだけの話しだ、と。


【肉体結晶……】

 

 ぼそりとダンが口を開いた瞬間だった。

 攻撃を開始しようとしていた山蛇が咄嗟にその動きを止めた。目の前にいる取るにたらないはずの小さな生き物のただならぬ魔力の変化と異質に染まっていく空気に、野生の本能が闇雲に飛び込もうとしたのを制したのだ。

 

 山蛇相手にそれほどの危機感を感じさせることができたダンは続く詠唱を口にしようとする。


「――っ!」

 

 再び唇を開いた瞬間、眼前にいる化物よりも遥かに強い殺気が突然彼女を背後から襲う。

 その瞬間ダンはすぐさま詠唱をやめると身を翻してメスを構えた。――が、彼女の視界には自分に敵意を向ける相手の姿が映らない。


「……」


 おそらく魔物もそんな異変を感じ取ったのだろう。戦いの最中に割り込んできた別の強大な殺気に山蛇でさえも動けずにいた。

 そんな中、その元凶に気づいたダンがそっと観客席の方を見上げる。


「……まったく、自分たちの任務は達成できたから私には本気を出すなということですか」


 不満げな口調でそんなことを呟くダンの視線の先、人で溢れる観客席の一角には彼女と同じ外套を羽織った男の姿。そのフードの下から覗く凍てつくような視線は闘技場に立つダンへと真っ直ぐに向けられている。

 

 その意図を理解し、自分はこれ以上戦う必要がないのだと気づいたダンが興醒めだといわんばかりに大きなため息をついた。


「これだから偉そうな人間は嫌いなんですよ……バカ兄貴が」

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