第30話 ハーネストの焦り

「ありえない……」

 

 短縮生成と鋭い刃での連撃を繰り出す最中、ハーネストが無意識に呟いた。

 その視線が捉えているのは、たった今身体が真っ二つになり眼前で崩れ落ちていく魔物ではなく、見たこともない生成方法で魔物との戦いを繰り広げているハルの姿だった。


「なんであの落ちこぼれがっ」

 

 怒りの衝動に身を任せるかのように薙ぎ払った刃が、飛びかかってきたハイエナのような魔物の身体を一の字に切断する。その直後、彼女はすぐさま詠唱を唱えた。


【短縮生成(硬化)・ブラッドソード】

 

 ハーネストが詠唱を口にした瞬間、飛び散る魔物の血液が刀身へと集まり始め、それは赤く染まった巨大な刃を形成していく。

 倍以上長くなった剣を両手で握る彼女は、そのまま前方に群がっている魔物たちへと向かって一直線に走り出した。


「おい、ハーネストっ!」

 

 明らかに魔力消費を無視した無茶な戦い方に、後方にいるアロンが思わず声をあげる。 

 けれども彼女はその声を無視して魔物との距離を一気に詰めると、構えた剣を再び大きく振り払った。


「ハァァーッ!」

 

 まるで巨大な時計の針のように円を描き始めた刀身は、さらに魔力が込められ硬度を増していき次々と魔物の身体を切り裂いていく。

 容赦のない斬撃に、まともに断末魔もあげられないままただの肉塊と化していく魔物たち。しかしハーネストはそんな光景を前にしてもなお攻撃の手を緩めない。


【短縮分解(溶解)・メルト】

 

 流血で染まった巨大な刀身が、今度は急速にその輪郭を失っていく。溶けた刀身はもとの液体へと戻り、今しがた切り倒した魔物の血と混ざり合って辺り一面に血の海を作った。

 広がり続けていく血の海の上を、荒々しい足音としぶきをあげながら次なる魔物の群れがハーネストを狙う。


【短縮生成(硬化)・ヘルニードル】

 

 魔物が彼女に辿り着くよりも前に、ハーネストは勝負を終わらせた。

 

 まるで針地獄かのごとく血の海から生まれた無数の針が魔物の手足胴体に突き刺さり、その動きも息の根も止めたのだ。


「はぁ……はぁ……」


 短縮生成で魔力の消費を抑えているとはいえ、大技の連続に思わず片膝をついて息を乱すハーネスト。

 そんな彼女の耳に聞こえてくるのは、湧き上がる観客席からの声。

 けれどもその歓声が彼女のみならず、ハルにも向けられていることがハーネストには何より気に食わなかった。


「なんであんなやつが……」


 キリッとした鋭い視線でハーネストは同じく闘技場の上で戦っているハルのことを睨みつける。


 学生だった頃は簡単な魔具でさえ何一つまともに作ることが出来なかったはずの彼女が、ましてや魔物との戦いなど一切経験がないはずの彼女が、出鱈目な戦い方だとはいえ自分と同じく闘技場の上で活躍している。


 しかも、魔巧具さえ使わずに短縮生成と同じ速度で魔具を生み出している事実に、ハーネストは悔しさのあまり思わず下唇をぐっと噛む。


「……ふざけないでよ」


 ぼそりと声を漏らし、再び両足に力を入れて立ち上がろうとするハーネスト。

 

 シルヴィア家はその昔から徹底した実力主義の家柄として有名だ。

 シルヴィアの名を背負ってこの世に生を受けたのであれば、それは子供であっても関係なく等しく課される規律。

 まして三姉妹の末っ子であったハーネストは、優秀な姉二人と比べられるプレッシャーに常に晒されながらも、己の努力で今日まで成果を出し続けてきた。


 そんな彼女にとって今日この魔巧師試験の場は、自分がシルヴィア家を担っていく人間に相応しいかどうかが決まる大事な場でもあるのだ。


 いまだ自分には託されたことのない一族の証を胸につけて戦うハルの姿に、胸を押し潰すかのような嫉妬と屈辱の念が込み上げる。


「危ないハーネストっ!」


 突如聞こえてきたアロンの声にハッと我に返った直後、ハーネストの周囲を不気味な影が覆った。

 慌てて頭上を見上げると、いつの間にか自分の背後に迫ってきていた巨大な熊が、その鋭い爪を大きく振り上げていた。


「しまっーー」

 

 咄嗟に立ち上がって剣を構えようとしたハーネストだったが、魔力消費の疲れのせいで出遅れてしまう。

 飛び避けることもできず、「くっ」と声を漏らして思わず目を瞑ってしまう彼女。

 だが、暗闇の中で身体が切り裂かれる痛みが襲ってくることはなかった。


「……え?」

 

 不思議に思ったハーネストが恐る恐る瞼を開けると、魔物は先ほどと同じ姿勢をとったまま何故かピクリとも動かない。その直後、まるで突然意識を失ったかのように今度は背中から倒れ始めた。


「これは一体……」

 

 思わず驚きの声を上げる漏らすハーネスト。すると倒れた魔物の身体の上に突然一人の少女が着地する。


「まったく、戦いの最中で他人に気を取られ過ぎているのはいただけませんね」

 

 突如ハーネストの前に現れたダンはそんな言葉を口にすると、呆然とした表情を浮かべている彼女のことをちらりと見る。そしてダンはその場にしゃがみ込むと、魔物の首筋に刺さっていたメスを手際よく抜き取った。


「……」

 

 立ち上がってメスについた血を振り払うダンのことを呆然と見つめていたハーネストだったが、自分が助けられたということに気づきハッと我に戻る。そして「助かったわ」とぎこちない口調で感謝の言葉を口にすると、相手はやれやれといわんばかりに小さく息を吐き出す。


「せっかくまともな相手が現れたと思っていたんですから、あんまり失望させないで下さいよ」

 

 そんな言葉を言い残してそそくさと立ち去ろうとするダン。そんな彼女の背中に向かって、「待って」とハーネストが慌てて声を発した。


「あなたの名前は?」

 

 どこか刃のような鋭さを帯びたその声音に、ダンは背を向けたまま僅かに逡巡する。

 

 いずれ敵国になるであろう相手にわざわざ自分の名前を明かす義理はない。

 

 ましてやケアルアの国内でも忌み嫌われて、畏怖と憎悪の対象とされる自分の名を口にすることを、彼女自身は心底好ましく思っていなかった。


「私の……」


 それでもダンがふと口を開いたのは、彼女が故の気まぐれからではなかった。


 自分の名前を尋ねてきた相手が、他ならぬレイズーン王国の中でも屈指の実力と名誉を誇る一族だからこそ、彼女は試したくなったのだ。


 相手が本当に自分と肩を並べるほどの強者なのかということを。


「私の名前はダン……『ダンリッヒ・ボーゲン』」


「……ボーゲン」

 

 耳に届いてきた名前をハーネストは無意識に呟く。

 その声には驚きが入り混じり、大きく見開かれた瞳には、自分と同じく特別な血を引く少女の姿が映る。

 

 ハーネストの動揺するような声音を聞いて満足することができたダンは、にやりと不適な笑みを浮かべた後、それ以上は何も言わずに立ち去ってしまう。


 そんな彼女の後ろ姿を、ハーネストは目を細めたままただ静かに見つめていた。

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