第22話 動き出す影

 ハル達が大通りでハーネストと別れてからしばらくした頃、レイズーン城の北側に位置するコロシアムの入り口には数多くの荷馬車が列を成していた。

 まるで国境の境目ともいわんばかりの厳しい検査を受けて一台ずつ荷馬車が通過していく中、そこに明らかに場違いな服装をした人物が一人現れる。


「おい貴様、ここは国王の命令によって一般人は立ち入り禁止になっている場所だぞ」


 脅しをかけるような威圧感のある声と共に、若い兵が腰に携えているサーベルを抜いた。するとそんな彼の態度とは裏腹に、陽気な声が返ってくる。


「んまぁ、そんな物騒なものを向けなくても私は怪しい者じゃないわよ」


 わざとらしく驚いたような表情を浮かべるのは、今日もトレードマークであるピンクのエプロンを身につけているライアンだった。 

 スキンヘッドに化粧もバッチリな彼のそんな言葉を聞いて、若い兵士はますます苛立った口調で言葉を続ける。


「ふざけやがって。貴様、王の命令に背くとどうなるのか身をもって教えてやろうか」


「あーら怖い怖い。でもね、残念ながら私は王様よりもーっと怖い人から頼まれごとをされてるのよ」


 ほらこれが証拠よ。と言葉を付け足してライアンがエプロンのポケットから取り出したのは、一枚の封書だった。彼はそれを兵士に向かって見せつけるように差し出す。


「このダリアの封蝋は……」


 先ほどまで怪しむような目でライアンのことを睨みつけていた兵士だったが、封書を手にしたとたんその表情を変える。

 本来ならライアンが現れた時点でただごとではないと城に長く使える兵士であればすぐに気づくのだが、まだ新米の彼には残念ながらそんな知見など持っていたなかった。

 

 けれどもそんな彼とはいえ封蝋のダリアが意味することはすぐにわかったので、彼は苦虫を噛んだような顔を浮かべると、手にした封書とライアンのことを見比べる。


「もう、そんなに心配しなくても大丈夫よ! その刻印は偽物なんかじゃないから」


「……」


 よほどライアンのことを疑っているのか、若い兵士はそれでもなかなか彼を通そうとはしない。すると悔しそうな表情を浮かべているそんな彼の顔を見て、ライアンの心の中で別のスイッチが入る。


「あら、あなた。よく見るとなかなか可愛い顔をしてるじゃない」


「……は?」


 突然妙に甘ったるい声音でそんなことを言ってきたライアンに、兵士の顔が一瞬にして青ざめる。そして先ほどと同じく鋭い目つきで慌てて相手のことを睨みつけるも、そんな挑発的な態度が逆に火をつけてしまったのか、さらにライアンが嬉しそうな口調で話す。


「私こう見えても歳下もけっこういけるクチなのよ。あなただったらたーっぷり可愛がってあげちゃうわよっ」


「…………」


 ちゅっ、と投げキッスと共にウインクを飛ばしてくるライアンに完全に怖気づいてしまったのか、若い兵士は「は、早く行け!」と悲鳴にも近い声を上げた。

 そんな彼の態度に、「んもう、残念ねぇ」とライアンは本気で残念そうに呟くと、突き返された封書を受け取り、その足をコロシアムの中へと向ける。


「さっきの子、名前だけでも聞いておけば良かったわねぇ」


 薄暗い通路を一人歩きながら、名残惜しそうにそんなことを呟くライアン。

 普段イベントが行われる時は国内外問わず大勢の人たちで溢れるコロシアムだが、今はまるで墓所のように不気味に静まり返っている。


 あえて古代文明の建築様式を取り入れたこの巨大な円形の建物は、レイズーン城に次ぐマスティア・ガーネットの傑作だといわれている。

 シンプルな石造りではあるのだが、壁や天井の随所に刻まれている技法を凝らした彫刻は人の足を止めてしまうほどの美しさがある。しかもそれらが美術的観点のみならず魔巧術式に則って刻まれているのだから、この場所に足を踏み入れた者は、否が応でも『三大』と呼ばれる魔巧師の偉大さを感じさせられてしまうのだ。

 さらに有事の時はこのコロシアム自体が鉄壁の要塞となるどころか、数百とある部屋にはレイズーン王国の至る所に繋がる隠し通路までがあると言い伝えられている。

 ゆえに初見で足を踏み入れればほぼ間違いなく迷うような構造になっているのだが、そんなダンジョンめいた場所をライアンは我が家のようにズンズンと奥へと進んでいく。

 すると彼の目の前に、一際大きな扉が現れた。


「まあ一ヶ所に集めるとすればやっぱりこの部屋よねぇ」


 そんなことをボヤきながら鍛え抜かれた両手両腕を使って扉を開ければ、真っ暗だった部屋の中に僅かな光が差し込んでいく。それと同時に、無数に蠢く視線が一斉に彼の方へと注がれた。


「こんなにたくさん『魔物』なんて集めちゃって、今年の王様は一体何がしたいのやら」


 呆れた口調でそんな言葉を口にしたライアンは、牢獄のごとく鉄格子が並んでいる部屋の中へと足を踏み入れる。

 大小様々な大きさをした檻の中には、今にも来訪者に喰らいつかんばかりに殺気立った魔物たちの姿。

 もちろん彼らはもともとこの場所にいたのではなく、人の手によって捕られて運ばれてきた魔物たちだ。


「嫌ねぇ、これじゃあ明日の試験で死人が出たっておかしくないわよ」

 

 ガチャガチャと鉄格子を激しく揺らして咆哮を上げているチンパンジーにも似た巨大な猿人型の魔物を見上げながら、ライアンはいつも通りの口調で呟く。

 そんな彼を餌とでも勘違いしたのか、一際激しく檻を揺さぶり始めた魔物。

 おそらく捕まえた人間が魔物の能力を測り間違えたのだろう。衝撃を加え続けられていた鉄格子が、今度は軋み音をあげながら歪み始めた。


【鉱核生成(変化)・二重鉄格子】


 傾き始めた鉄の折を両手で握りしめた瞬間、ライアンが詠唱を唱えた。その直後、暗闇で包み込まれている部屋に一瞬赤い閃光が走る。


「んー。やっぱり詠唱のみの生成となるとまだ難しいわねぇ」


 そう言って悩ましげな表情を浮かべるライアンの目の前には、先ほどとはまったく異なる形をした鉄の檻が出現していた。

 軋み音をあげながら歪み始めていた檻の原型こそ残っているものの、その一本一本の支柱からはまるで枝のように鉄の棒が伸び、檻の中にもう一つ別の檻を形成しているのだ。

 

 外側の檻とは比べものにならないほど頑丈かつ身体を縛り付けるかのように形成された牢獄に、あれだけ激しく暴れていた猿人型の魔物はピタリとその動きを止める。


「あなたの身体なら使っても大丈夫そうなんだけど、ちょっと元気があり過ぎるのが困ったところなのよねぇ……」

 

 まるで赤子でも見るかのような目で巨大な魔物を見つめながらライアンが呟く。人の言葉の意味はわからなくとも目の前にいる人物の狂気じみた力は感じ取ったのか、あれだけ荒々しく咆哮をあげていたはずの魔物が、今度は怯えたような悲鳴を上げ始めた。


「あら、意外と物わかりは良いのね」

 

 いよいよ赤子ではなくペットでも見るかのような目で魔物を見つめるライアンの姿に、周りで勇しく雄叫びを上げていた魔物たちもその鳴き声をピタリと止めた。

 そしてこの場から逃げ出そうとするかのように檻の中で激しく動き回る。

 そんな光景を、「んもうっ」と何やらつまらなさそうな表情で眺めていたライアンだったが、ふと視界の隅に映る檻からだけは変わらず敵意を向けられていることに気づく。


「おや、あなたは……」

 

 そんなことを呟いて檻へと近づいていくと、中に捕われていたのは一匹の老いたバッヘルウルフだった。周りにいる魔物たちがライアンから少しでも距離を取ろうと逃げ惑う中、その老犬だけは地面に腹をつけたままじっとライアンのことを睨みあげる。


「あらあら、ちゃんと肝が座っている子もいるじゃない。魔力も高そうだし……」

 

 何やら品定めでもするかのように檻に顔を近づけてバッヘルウルフのことを観察し始めるライアン。すると彼は「よしっ」と声を漏らした後、手に持っていた袋をその檻の中へと放り込む。


「ほんとは私がここにいる魔物を全部倒しちゃう方が手っ取り早いんだけど、そんなことしちゃうと明日の試験が無くなっちゃうからね」

 

 腹が減っていたのか、放り込まれた袋にすぐ噛み付き始めたバッヘルウルフを見つめながらライアンがそんな言葉を呟く。依頼主からの仕事を終えた彼はそのままゆっくり立ち上がると、周囲にある無数の檻をぐるりと見渡す。


「どこに隠れているのかはわからないけれど、これで明日の魔巧師試験は面白くなりそうねっ」


 暗闇の中、不気味な笑みを浮かべながらそんな言葉を口にするライアン。

 そして彼はそのまま扉の方へと踵を返すと、いまだ自分に怯えている魔物たちが蠢く部屋を後にした。

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