第20話 ダリアの誓い

「よく来てくれましたね、ハルリア」

 

 先ほどと同じく品のある声音が耳に届き、ハルは慌てて背筋を伸ばした。そして部屋の奥、車椅子に座っている一人の老婦人へと視線を移す。


「ふ、フローラお婆様……」

 

 曽祖母そうそぼの名を口にしたハルは、ゴクリと唾を飲み込むと、そのままゆっくりと歩き出す。眠っているかのように瞼を閉じている老婦人は、不安げに歩み寄ってくるハルに対して、そっと穏やかな笑みを浮かべる。


「随分と立派になりましたねハルリア。老いた目で見なくとも、あなたの成長した力を感じます」


 フローラはそう言うと、車椅子に添えていた右手の指でトントンと椅子の肘を叩いた。するとどういった仕組みになっているのか、椅子の車輪が勝手に回り始めて彼女を乗せた車椅子がハルたちの方へと近づていく。


「あ、あのフローラお婆様……」

 

 部屋の中央あたりで立ち止まったハルは、同じく目の前で止まったフローラに向かって口を開いた。けれども曽祖母とはいえレイズーン一の魔巧師を前にして、緊張のあまり唇が思うように動かない。

 するとそんなハルの様子を感じ取ったフローラが先に言葉を紡ぐ。


「あなたがここに訪れた理由は分かっています。明日の魔巧師試験のことでしょう?」


「えっ、ど、どうしてそれを……」

 

 まったく予期しなかった話しの展開に、ハルは思わず目をパチクリとさせた。


「きっとあなたならここに来ると思っていました。魔巧師の腕を磨くために私たちの工房を訪れなかったことは少し残念でしたけれどね」


「い、いやそれは、その……」


 さっそく痛いところを突かれてしまい、ハルが思わず気まずそうな表情を浮かべる。ここはやはりまず謝るべきなのかと一人頭の中で問答をしていると、フローラがクスリと優しい笑みを浮かべた。


「気にすることはありませんハルリア。あなたのコンパスが指し示した場所こそが、あなたにとって最もふさわしい修行の場。そんな大事な場所が見つかったのでしょう?」


 優しいフローラの言葉に「は、はい……」とぎこちなく頷くハルは、そのままジルの方を振り返りそうになってしまい慌てて止める。

 さすがにこんなところでジルのことを話せば、後で彼から大目玉を喰らってしまうことだけは間違いない。

 

 一瞬そんなことを考えてしまい苦笑いを浮かべるハルに、フローラは落ち着いた声音で言葉を続ける。


「別に深くは尋ねません。あなたの成長を見ればそこがふさわしい場所だということはわかります。そしてその真価が問われる最初の舞台こそが、明日の魔巧師試験……」


 徐々に核心に迫っていくフローラの話しに、ハルは再びゴクリと喉を鳴らした。おそらくこの聡明な魔巧師には、自分がここを訪れた理由など全て見抜かれているのだろう。


 そんなことを思い、ハルは固唾を飲むように黙ったまま続く言葉をじっと待つ。するとすっと小さく息を吸い込んだフローラが再び口を開く。


「ハルリア、だからこそ一つ尋ねます。あなたはどうして魔巧師の道を目指すのですか?」

 

 落ち着いた穏やかな口調ながらも、その声には気迫にも似た力強さが感じられた。

 おそらくハルの魔巧師としての覚悟と志を試すつもりなのだろう、と後方で二人のやり取りを見つめていたジルがそんなことを思う。


「私は……」


 曾祖母の問いかけに、ハルはゆっくりと唇を開く。


 自分が魔巧師の道を志す理由。


 それは彼女にとって今までも、そしてこれからも変わらず一つしか存在しない。


「私は……私はいつかオルヴィノみたいな立派な魔巧師になりたいからです!」


 はっきりとした迷いのない声で、マスティア家当主の質問に答えるハル。

 そんな彼女の言葉を聞いたフローラは、ハルの想いを吟味するかのように少しの間黙り込むと、今度は声音を落として静かに口を開く。


「偉大なる大魔巧師、オルヴィノ・レオンハート……」


 ぽつりと言葉を漏らしたフローラに、ハルが再び意識を向ける。すると曾祖母は教え子に授業をするかのような口調で話しを始めた。


「魔巧学の基礎をたった一人で築き上げ、混沌の世に平和と豊かさを約束したオルヴィノの功績は計り知れません。……しかし同時に彼が遺したものは、我々人間や他の生物にとっても良い物ばかりではなかった。あなたもレイズーンの魔巧学校を卒業しているのであれば、オルヴィノが残した『厄災』の話しを耳にしたことがあるでしょう」


「……」

 

 フローラの話しを聞いて、ハルは思わず黙り込む。

 

 オルヴィノがその命を掛けて手に入れた平和の代償としてこの世界に刻まれてしまった厄災。

 

 伝説となった魔巧師を自身の目標とするハルも、もちろんその話しは知っていた。


「かつてオルヴィノは人々の命を脅かす『竜』の一族を滅ぼすために、己が築き上げてきた全ての力と技術を集結させて究極とも言える魔具を作り出しました。それが……」


「……『オルヴィノの巨人』」


 フローラの説明を聞きながらハルが無意識に呟いた。その言葉を聞いた曾祖母は、静かに一つ頷く。


「そうです。オルヴィノは大地を揺るがし島さえ消してしまうほどの力を持つ竜に対抗するために、自身も同じだけの……いや、はるかにそれを凌駕する力を持つ巨人を生み出しました。さらには秘術とされる生成方法まで駆使して、生み出した魔具に『命』そのものさえも与えた」


「……」


 魔巧学校の教えよりもはるかに詳細に話すフローラの言葉に、ハルは思わずゴクリと唾を飲み込む。


「オルヴィノが作り出した巨人の力は圧倒的でした。巨人から放たれる光の矢は、そのたった一本で数多の竜を灰と化し、さらには竜の攻撃をどれだけ受けても崩れることもなければ地にひれ伏すこともなかった。激しい戦禍の中で、無念にもオルヴィノ自身は命を落とす事になってしまいましたが、それでも巨人は主人からの使命を果たすために戦い続け、ついにはこの世界から竜そのものを消滅させることに成功します」


 フローラが話す竜と巨人の戦いの話しは、後に『オルヴィノと光の矢』の童話となり、レイズーンの街に住む者であれば誰もが幼い頃に一度は耳にしたことがある話しだ。


「しかし、悲劇はここから始まります。創造主であるオルヴィノを失っても巨人は自らの意志で動き続け、今度はこの地上に存在するものを全て無に還すかのように攻撃を始めました。そこに魔物と人間の区別などなく、それどころか山や海、時には大陸の形さえも変えてしまうほどの脅威を振るったのです」

 

 竜を討ち取った英雄として語られることが多いオルヴィノだが、それと同時にこの悲劇について知る者の一部からは人の道から外れた悪魔として今でも憎悪と恐怖の象徴とされていることも事実。

 光を操りこの地から魔物の王を消し去ったオルヴィノの功績は、その影となる闇もまた色濃く刻まれてしまったのだ。


「師が創り出した巨人の暴走を止めるために、弟子である三大魔巧師たちは力を合わせて戦いを挑みました。ですがそれでも倒すことは困難を極め、長きに渡る激闘の末に彼らはやっとの思いで巨人を遥か北に存在する氷の大地、永久凍土の奥深くに封印することに成功したのです。けれども巨人の力によって傷つけられた大地は二度と癒えることがなく、今でも草木一つ生えることのない灰と化した世界のまま。そんな場所がこの地上にはいくつも遺されていて、それらはオルヴィノが生み出した『厄災』とされて今でも負の象徴として多くの人に恐れられているもの一つの事実……」

 

 フローラはそれまで淀みなく続けていた説明を止めて一呼吸をつくと、瞼を閉じたままハルの顔をそっと見上げる。


「魔巧の道を極めるということは時に救える命と同じだけ、いやそれ以上の犠牲を生み出すことさえある力を身につけるということ。オルヴィノの例は極端ではありますが、魔巧師が背負う危険と脅威を浮き彫りにしているのも真実です。ハルリア、あなたはそれでもオルヴィノが歩んだ道を自分も進んでみたいと思いますか?」


「……」


 口調は穏やかながらも、問いかけるその声音と姿勢は血の繋がった身内に対するものではなく、自分と同じ魔巧の道へと進もうとする一人の少女に投げかけられたものだった。

 

 数々の偉業を成し遂げてきた賢老な魔巧師の言葉に、ハルはぐっと唇に力を込めると黙り込んでしまう。

 ただ憧れとして追いかけてきた自分の理想の裏にある、血生臭い歴史の真実。

 知識の一つとして耳にしたことのある話しでも、レイズーン一の魔巧師と称される人物の口から語られればその重みはまったく違う。

 問われているのは、自分の志だけではない。

 魔巧の道を歩んでいく中で、自分の手によって失われる命があるかもしれないという覚悟をも問われているのだ。


 言葉としての説明はなくとも、ハルは目の前で黙ったまま自分の返答を待っている魔巧師の姿にそんなことを感じ取った。

 華に満ち溢れた部屋を、迷いの混じった沈黙が埋めていく。問われた覚悟の重さにハルは思わず唾を飲み込むも、それでも彼女の心に消えずに浮かんでいたのは、今は亡き母の言葉。



――ハルリア、あなたならたくさんの人たちを幸せにできる魔巧師になれるわ。

 


 優しさと愛情で包まれていたその言葉は、セシリアが愛する我が子に送った最後の言葉だった。

 今でもはっきりと思い出すことができるその声に、ハルはそっと目を閉じると母の姿を思い浮かべる。そして同じ志を持ち、人の命を救うためにと戦場へと向かった父の背中も。


「私は……」

 

 ゆっくりと瞼を上げていくハルが、ぽつりと声を漏らした。澄み切ったその瞳が、濁りなくフローラの顔を映す。


「私はそれでも魔巧師になりたい……いつかオルヴィノみたいな立派な魔巧師になって、自分の作った魔具でたくさんの人に喜んでもらいたい。たしかにオルヴィノが作った巨人は大勢の命を奪ったけれど、元々はそんなことをさせる為に作られたわけじゃなかったはずです。だったら私はもっともっと修行して、魔巧師としての腕を磨いて、そんな過ちは二度と繰り返さない」

 

 こみ上げてくる想いに唇を震わせながら、ハルは自分の気持ちを言葉に紡ぐ。


「私のお父さんもお母さんも、みんなを幸せにするために魔巧師の道を選んでずっと頑張っていました。だから私も証明したいんです。魔具は……魔巧師は誰かを不幸にするんじゃなくて、みんなを幸せにすることができる存在なんだって」


 ハルのはっきりとした声音が、華で満ちた部屋の空気を揺らした。

 嘘偽りのないそんな彼女の言葉を聞いて、フローラの心には一瞬セシリアの姿が浮かんだ。

 

 マスティア家の人間として生まれながらもその恩恵に頼ることもなく、自らの努力によって一人前の魔巧師となったセシリア。

 それでいて誰よりもマスティアの血と才能に愛されていた彼女。

 

 フローラはかつてこの場所にセシリアを招いたとき、ハルが口にした言葉と同じことを彼女も言っていたことを思い出す。


「……あなたの想いはしっかりと受け継がれているのね、セシリア」


 フローラはぼそりとそんな言葉を呟くと、ハルに向かって優しい笑みを浮かべる。


「ハルリア、あなたの気持ちはわかりました」


「え?」

 

 突然告げられた言葉にハルが一瞬きょとんとした表情を浮かべた。するとフローラは扉近くに立っていた執事に向かって小さく頷き合図を送る。


『魔巧師にとって大切なことはーー』

 

 再び静かに語り始めたフローラ。その声に、執事のことを見ていたハルは目の前へと視線を戻す。


『修練された技術でもなければ、ましてや生まれ持った才能でもないーー』


 どこか懐かしむような口調で、フローラは言葉を続ける。


『真に大切なことは、民を想い、慈しむ心そのものでありーー』


 言葉を紡ぐフローラの隣に、執事がそっと並んで立つ。

 彼の右手の上には小さな宝石箱のようなものがあり、蓋が開いたその箱の中には真っ白な鉱石が入っていた。それを見た瞬間、「あれは……」と思わずジルが声を漏らす。


 一体何が始まるのかと不思議がっているハルの目の前で、フローラは静かに左手を上げると、その指先でそっと鉱石に触れた。



『それこそが、何よりも強い力となるのだーー』



 そう言って、フローラは静かに言葉を結んだ。


 そして、その直後だった。


 彼女が指先を離した鉱石が、まるで自ら光を放つかのように内側から輝き始めたのだ。

 

 その光景に思わず目を見開いてしまうハル。しかし彼女の驚きはそれだけでは終わらない。


「そんな……」

 

 思わずそんな言葉をぼそり呟いてしまったハルの視線の先では、光を放つ鉱石がゆっくりとその形状を変化させ始めたのだ。

 鋼のような硬度を誇るはずの鉱石の表面が、まるで水面のように波打ち始め、それは少しずつ蕾のような形を成していく。

 そしてそれは今まさに命を与えられたかのようにその花弁を静かに開き始め、繊細かつ華麗な花がハルの目の前に現れた。


 真っ白な鉱石を核として芽吹き咲き誇ったそれは、美しいダリアの華だった。


 詠唱を口にすることもなければ、瞼を閉じたまま指先だけで素材を変化させてしまったフローラ。

 そのあまりに卓越した力を前に、ハルは思わず言葉を飲み込む。


「かつて私が師から教わった言葉と共に、この華をあなたに授けます」

 

 そう言ってフローラは手に取った小さな奇跡を、ハルへと向かってそっと差し出す。


「この記章を見せれば、明日の魔巧師試験を受けることができるでしょう」


「え?」

 

 フローラの言葉を聞いて、ハルが思わず間の抜けたような声を漏らす。そして彼女は目をパチクとさせながら、受け取った小さな記章と曾祖母の顔を交互に見た。


「あなたが魔巧師の道を選んでくれたことを私は誇りに思います。マスティア・ハルリア」

 

 優しい声音でフローラはそう告げると、その口元をふっと緩めた。


 レイズーン一の魔巧師であり、また今は亡き両親に代わって血の繋がった曽祖母からそんな言葉をもらったハル。

 最初は呆然としていた彼女だったが、やっと理解が言葉の意味に追いついたのか、みるみるうちにその表情を輝かせていく。


「あ、ありがとうございますフローラお婆様! 私ぜったいに……ぜったいにお婆様やオルヴィノみたいな凄い魔巧師になってみせます!」


 屈託のない真っ直ぐな瞳と共に、ハルは自分の想いと覚悟を口にする。それを受け取ったフローラは嬉しそうにゆっくりと頷く。


「あなたがこの先魔巧師としてどんな道を歩んでいくのか、楽しみにしていますよ」


「はい!」

 

 ハルは満面の笑みでそう答えると、宝物を握りしめるかのように、両手でぎゅっと記章を握りしめる。そしてフローラに対して深く頭を下げると、嬉しそうな足取りでジルのもとへと駆け寄っていく。


「とりあえずこれで用は済んだようだな」

 

 やれやれと言わんばかりに肩を落としながらそんな言葉を呟いたジルに、「はい!」とハルが元気良く返事を返す。


「だったら帰るぞ」とジルが扉の方を向いた時、再び二人の耳にフローラの声が届いた。


「ところで、そちらの方は?」

 

 ふとそんな言葉を口にしたフローラに、思わず二人の動きがピタリと止まった。さっきまでの自信と笑顔はどこへいったのか、「え、えーっと……」とあからさまにぎこちない口調で声を漏らしてしまうハル。

 けれどもそんな曾孫の様子にあえて気づかないフリをしているのか、先ほどと変わらず落ち着いた声音でフローラは言葉を続ける。


「何故だか少し懐かしい雰囲気を感じたのだけれど……以前どこかでお会いしましたか?」


「……」

 

 フローラの質問に、ジルは静かに後ろを振り変える。その細められた視線が見据える先には、穏やかな表情を浮かべながらも、まるで何かを試すかのように静かに黙っている老賢者の姿。


 そんな二人の様子を見て、何やらただならぬものを感じとったのか、ハルがゴクリと唾を飲み込む。


「いや……人違いだろう」

 

 ぼそりと彼はそんな言葉を口にすると、これ以上の会話は無意味だといわんばかりに相手に対して背を向ける。

 そんなジルの態度に、「そうですか」と静かに呟くフローラ。

 扉が開く音が室内に響き、歩き出す二つの足音が聞こえた直後、彼女は閉じていた瞼をゆっくりと上げる。


 老いて光は失ったとはいえ、その銀雪のような色をした瞳だけは、たしかに彼の背中を映していた。

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