第19話 一族の屋敷
そんなハルの黒歴史を終始呆れた表情で黙って聞いていたジルだったが、何故か目的地に着いても足を止めない彼女に向かって咄嗟に口を開く。
「おい、どこに行くつもりだ?」
工房の入り口の前にたどり着いても足を止めることなく通過していくハルに向かってジルが声をかけると、彼女が立ち止まる。
「先にフローラお婆様に挨拶しておこうと思って」
ハルは振り返ってそう言うと、再び足を動かして城の手前にある横道を左へと曲がった。
勝手に行き先を変更して先に進んでいく彼女を見てジルは小さくため息を吐き出すも、仕方なくハルの後を追う。
彼女が口にしたフローラという人物は、マスティア家の現当主であり、お婆様とは言ってもハルにとっては曽祖母に当たる人物だ。
かつては王立魔巧学校の学長も務めていたこともあるフローラの実力は魔巧大国と呼ばれているレイズーンの中でも別格で、全盛期の頃はあの三大魔巧師にも匹敵する力の持ち主だと称されていたほどである。
今は現役を退いて隠居しているが、ハルが受けようとしている魔巧師試験などの国をあげての一大行事や、時にはレイズーンの国政に関わるような重要な会議にもよく招待されている。
マスティアの工房を訪れて、ましてや型破りな方法で推薦書をもらおうとしているのであれば、当主であるフローラへの挨拶とお許しを乞うのは必須だ。
「あー……お腹が痛くなってきた」
豪邸が立ち並ぶ道を歩きながら、ハルがげっそりとした表情で呟く。彼女たちが歩いているのは西門へと続く途中にある住宅街の道、その中でも裕福な商人や貴族たちが暮らしている一等地だ。一般の市民が暮らしているような建物が密集している区域とは異なり、ここはどこの家々も大きければその敷地面積も広い。
ましてやレイズーン王国を代表するような名家マスティアともなればこれまた別格で、豪邸が続いている景色の先に今度は緑豊かな広大な土地が見えてきた。
「あそこがフローラお婆様が住んでいるお家です」
そう言ってハルが人差し指で指し示す先には、一見すると城の類かと見間違うほどの立派な造りをした屋敷が聳え立っていた。荘厳かつ華麗で、それでいて細部に至るまで緻密に計算された装飾はもはや圧巻の一言。
「こんなところに住んでいるやつの気が知れんな」
「ちょっ、やめて下さいよ師匠! こんなところで変なこと言うのは!」
門までたどり着き、それでもなお離れた場所にある屋敷を見つめながらとんでもないことを呟くジルに、目を丸くしたハルが慌てて口を挟む。
いくら天真爛漫で時に破天荒な彼女とはいえど、さすがに自分の一族の当主の屋敷を前にして、礼儀知らずな言動を取るのは気が引ける。
などと、彼女にしては珍しくまともなことを考えながらジルの顔を睨みつけるハルだったが、そんな彼女に対してジルからも真っ当な質問が飛ぶ。
「しかしここまで来たのはいいが、突然訪れて会えるものなのか?」
「…………」
ジルの疑問に、ハルは視線をさーっと静かに逸らした。そして罰が悪そうな表情を浮かべながら黙り込んでしまう。そんな彼女を見て、ジルは右手で頭を抱えると小さくため息をつく。
「お前は本当にあてにならんな」
「だ、だって……」
肩を落として非難の言葉を口にするジルに、ハルがいじけた口調で声を漏らす。いくらマスティア家の身内だとはいえ、相手はレイズーン王国一の魔巧師である。多忙な曽祖母にアポイントなしで突撃したところで会える可能性はほぼ皆無。
今さらになってそんなことに気づいて落ち込むハルの隣で、ジルが鉄格子の門を両手で握りしめた。
「何やってるんですか?」とハルが疑問を口にするよりも前に、一瞬彼の両手が赤い光を帯びたかと思うと、ジルがガチャガチャと門を激しく揺らし始めた。
「開かんな……これも魔巧建築で出来ているのか」
「ちょ、ちょ、ちょっとぉお! 何やってるんですか師匠っ!!」
目が飛び出んばかりに見開くハルは、慌ててジルの両腕を掴む。
「何やってるもなにも、この門を開ける必要があるだろ」
「だからってそんな無理やり……って、あ」
なかなか門から手を離そうとしないジルに奮闘していると、ハルの視界の中に一人の男性が近づいてくる姿が映った。
白髪の髪に控えめながらも上品に着こなされた執事服から、彼がこの屋敷に長年仕えている人間だと一目で分かる。
確実に大目玉を喰らうと察したハルは、鉄格子を挟んで目の前までやってきた執事に対して勢いよく頭を下げた。
「ご、ご、ごめんなさ……」
「お待ちしておりました、ハルリア様」
怒鳴り声を覚悟していたハルの耳に、落ち着きのある声音が届いて彼女は驚き顔を上げた。
「……へ?」
ポカンとした表情を浮かべるハルと、訝しむような目で執事のことを睨みつけるジル。
けれども相手は穏やかな笑みを浮かべると、先ほどジルが力を込めてもピクリとも開かなかった門の取手を握りしめる。
そして短い詠唱を口にした瞬間、彼が力を加えなくとも門が静かに開き始めた。
「フローラ様がお待ちしております。どうぞこちらへ」
まるで二人の来訪を心待ちしていたかのような口調で執事はそう告げると、屋敷の扉へと続く道をゆっくりと歩き始めた。
そんな彼の後ろ姿を見つめながら一人戸惑うハルに向かって、隣に立つジルがぼそりと呟く。
「俺はこの場所にいる。さっさと行ってこい」
「え?」
てっきり一緒について来てくれるのかと思いきや、早々に期待を裏切られてしまいハルはぎょっとした目でジルの顔を見上げた。するとその言葉を耳にした案内人が歩みを止めて二人の方を振り返った。
「フローラ様からは、『お連れの方もご一緒に』とのことです」
「……」
執事の言葉を聞いて、ジルが思わず眉を潜める。
なぜ自分が一緒にいることがわかったのか?
そんな疑問にますます怪しむ目で執事のことを睨みつけるジル。けれども、「ほらほら、師匠も一緒に行きますよ!」と急に嬉しそうな声を上げてハルが急かしてくるので、彼は諦めてため息を吐き出すと、重い足取りで歩き始めた。
「フローラ様は『
屋敷の正面入り口に辿り着き、その扉を開けると同時に執事が言った。
しかし彼の言葉に返事をするよりも前に、眼前に広がる光景を見て「うわぁ!」とハルが思わず感嘆の声を漏らす。
「すごい! 本当にお城みたい!」
そんな乙女チックな言葉を口にする彼女の視界には、まさにマスティア家の技と精神が織り成す芸術的な空間が広がっていた。
三階まで吹き抜けになった玄関はまるでダンスホールのように広く、彼女たちの真正面に見えるのは完全なシンメトリーを成している両階段とそこに続くまでの赤絨毯。
施された装飾は外装と同じく緻密かつ華麗で、さらに天窓のステンドグラスから降り注ぐ光がそんな空間を七色の輝きで包み込み、どこか浮世離れしているとも思えるような幻想的な世界を作り上げていた。
「なんだお前、マスティアの人間のくせに入るのは初めてなのか?」
一人盛り上がっている彼女に対してジルが呆れた口調で尋ねると、ハルはこくこくと何度も頷く。
この家の主であるフローラと彼女は確かに血縁関係ではあるのだが、その関わりは数える程度しかなく、ましてやそのどれもがハルが幼い頃の話しなので今となっては記憶もあやふやになってしまっている。
それもこれも彼女の母親であるセシリアの影響が大きく、荘厳華麗で優美なマスティアの家柄よりも、セシリア自身は質素で慎ましい生活を好んだ。
また家柄の力に頼るのではなく自分の努力で魔巧師として自立することを望んでいた彼女は、マスティア家の人間と関わることは極力避けるようにしていた。
その為、ハル自身はレイズーンの魔巧学校に入学するまでは、姓は同じでもまさか自分が本当にマスティア家の人間だとは実感が湧かなかったほどだ。
「フローラお婆様、私のことわかるのかな……」
急にそんなことを不安になってきたハルは、執事に案内された扉の前でゴクリと唾を飲み込む。そんな彼女に向かって執事は柔らかく微笑むと、再び扉の方へと向き直る。
「フローラ様。お二人をお連れ致しました」
コンコンと静かにノックした執事がそう告げると、「どうぞ」と部屋の中から上品な声音ですぐに返事が返ってきた。その言葉を合図に、案内人である彼はゆっくりと扉を開く。
「なっ……」
開かれた扉の先、『華壇の間』と呼ばれている部屋があらわになった瞬間、ハルだけでなくその光景に思わずジルさえ息を飲む。
「どうぞお入り下さい」
二人に頭を下げてそんな言葉を告げる執事の声を聞いても、ハルの足はすぐに動くことはなかった。
彼女たちの前に現れたのは、屋敷の中でありながらも、まるで庭園と見間違えてしまいそうなほどの花と緑に囲まれた空間だった。
色鮮やかに咲き誇る花たちはどれも繊細で美しく、ハルは宝石でも眺めるかのように我を忘れてそんな光景に見入っていた。
しかし、その隣で同じように黙り込んでいるジルだけは気付いていた。
瑞々しい生気さえも感じさせるほどのそれらが、並外れた技量を持つ魔巧師の手によって作られたものだと。
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