第13話 それでもやはり

「って、やっぱいきなりはムリぃぃぃぃっ!!」


 普段は静かなはずの山奥でハルの盛大な叫び声が響き渡った。全力疾走する彼女の後ろからは、のそのそと鈍い動きでついてくる巨大な芋虫の姿が。


「逃げてばかりだといつまで経っても倒せないぞ。何のためにナイフを渡したと思ってるんだ」


「そ、そんなこと言われても無理ですよぉっ! だいたいナイフの使い方が……って、ウゲっ!」


 ジルの背中に隠れようとしたものの、上着の首根っこを捕まえられてしまいハルは思わず奇声を発してしまう。それでも彼女はバタバタともがきながら、自分たちの方へと迫ってくる魔物から必死になって逃げようとする。


「ヤバいですよ師匠っ! きてますよ! 芋虫がきてますって!」


「お前はほんとうに学習しないやつだな。とりあえず落ち着け」


 前回と同じくうるさく叫び声をあげるハルに向かって、ジルがいつもと同じように呆れた口調で言葉を返す。そして彼はちらりと芋虫の方を見る。


「魔物は日中だと『音』に敏感になるものが多い。だから騒げば騒ぐほど近寄ってくるし、逆をいえばその特性を利用してひるませることもできる」


「ひ、ひるませるってどうするんですか?」


 泣き出しそうになるのを必死に堪えながらハルが尋ねる。するとジルは彼女から手を離すと、足元に落ちている小石をいくつか拾い上げた。そして……


鉱核生成こうかくせいせい(圧縮)・炸裂弾】


 ジルが詠唱を口にした瞬間、彼が手に持っている小石が赤い光を帯び始めた。そしてそれらはまるで磁力を持ったかのように互いに引き寄せ合い集まっていくと、今度は凄まじい力で圧縮されていく。


 その光景に、魔物への恐怖も一瞬忘れてポカンとした表情を浮かべるハル。すると彼女の視線の先、ジルの手のひらの上で小さな球が一つ生まれた。


「見ておけ」


「え?」

 

 ジルはぼそりと呟くと、手のひらに乗せていた小さな球を握りしめ、それを自分たちの方へと向かってくる魔物めがけて投げ放った。

 その直後、魔力によって急激に圧縮されていた球が魔物とぶつかった衝撃でまるで花火のような大爆発を起こした。


『キュピッ!』


「ひぃぃっ!」

 

 空気を切り裂くかのような凄まじい爆発音に、思わず幼虫と一緒に叫び声をあげてしまうハル。両手でぎゅっと耳を塞ぐ彼女の頭上では、突然の爆発音に驚いた鳥たちが慌てた様子で一斉に飛び去っていく。


「もうっ! いきなり何するんですか!」


「だから見ておけと言っただろ。それよりもあいつを見てみろ」

 

 プンスカと一人怒っているハルの言葉を冷たくあしらったジルは、くいっと顎を動かして前方を示す。その場所に視線を移してみると、ハルたちに襲いかかろうとしていた魔物の幼虫がピタリと動きを止めているではないか。


「あれ……もしかして、もう倒しちゃったんですか?」


「いや、まだだ」


 ハルの言葉にそう答えたジルは、「ナイフを貸せ」と言って彼女が握りしめていたナイフを受け取る。


「音に敏感な魔物は突然大きな音が鳴ると混乱して動けなくなる。そしてその隙に……」


 ジルは説明しながらナイフの柄を持つ右手にぐっと力を込めると、今度はその鋭利な刃先を魔物に向かって勢いよく投げつけた。その直後、まるで矢のごとく真っ直ぐに飛んでいくナイフは、魔物の幼虫の横腹あたりに突き刺さる。


『ピギャアッ!』


 ナイフが突き刺さった瞬間、魔物が先ほどよりも悲痛そうな鳴き声を上げた。そして苦しそうに暴れ出したかと思いきや、そんな抵抗は一瞬のことで、今度は力を吸い取られていくかのように魔物の動きが鈍くなっていく。


「どう……なってるの?」


 目をパチクリとさせて驚いているハルの視線の先では、もはや動く力も無くなってしまったのか、ぐったりとした幼虫が横たわっていた。


「ねえ師匠……たしか芋虫の弱点って頭の部分だって前に言ってませんでしたっけ?」


「たしかにその通りだが、これが水晶クラゲの持つ力だ」


 ジルの言葉を聞いて、「え?」とハルはますますポカンとした表情を浮かべる。けれどもそんな彼女のことは無視して、ジルはピクリとも動かなくなった魔物のほうへと近寄っていくと、その横腹に突き刺さっていたナイフを抜き取る。


「水晶クラゲの効力を持つこのナイフで刺されれば、だいたいの魔物は魔力を吸い取られてしまう。魔物にとって魔力は栄養みたいなものだからな。抜き取られてしまうと生きてはいけない」


「は、はあ……」


 ジルの説明を聞きながらも、ポカンとした表情を浮かべたままのハル。彼女にとって魔物の生態などまったくわからない世界だが、とりあえずジルがくれたナイフが凄いものだということだけは理解したようだ。


「刺すことができなかったとしても、この山にいる魔物のレベルなら傷をつける程度でも十分効果はある。それぐらいだったらお前にでも出来るだろ」


 ジルはそう言うとハルのもとまで近づき、彼女に再びナイフを手渡した。


「とりあえずお前が一匹でも魔物を狩らない限り、今日は帰らないからな」


「そ、そんなぁ……」

 

 あまりにもスパルタ過ぎる発言に、ハルはナイフを握りしめたまま思わずその場にヘナヘナと座り込んでしまう。けれどもそんな姿を見せたところで、ジルが前言を撤回するわけがない。


「行くぞ」


「ちょ、ちょっと待って下さいよ師匠!」

 

 まるで自分のことを置き去りにするかのように先に歩き始めてしまったジルを見て、ハルは慌てて立ち上がると後を追う。


 結局その後もジルが言った通り、どうやらハルが魔物を狩るまでは本当に帰るつもりはないらしく、二人は山の奥へ奥へと進んでは見つけた魔物に戦いを挑んでいた。

 とは言っても最も弱い魔物である芋虫相手に逃げ惑うハルが狼や熊のような魔物など倒せるわけもなく、ほとんどジルが一撃で倒して進んでいくような有様だった。

 この調子だといつまで経っても帰ることはできないと危機感を感じ始めたハルは、再び芋虫の魔物と再会すると今度は勇気を振り絞ってナイフを両手で握りしめながら前へと出た。


「く、来るならこいっ!」


 カチカチと歯を鳴らしながらもそんな勇ましい言葉を口にする彼女。だがその腰の引けようと、芋虫が一歩前進すれば慌てて三歩下がるハルの姿を見て、ジルは呆れたようにため息を吐き出す。


「こいつはダメだな……」


 山の奥まで連れてきたらさすがに覚悟を決めるだろうと思っていたジルだったが、どうやら彼が思っていた以上にハルの指導は骨が折れるものだったらしい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る