第10章 素材屋

「いらっしゃーい! って、まぁハルちゃんじゃないのっ!」


 店の扉を開くなり、やたらとダンディな声で乙女ちっくな言葉が聞こえてきたのでハルは一瞬びくりと肩を震わせた。けれども慣れ親しんだ顔を見てすぐに笑顔を浮かべる。


「お久しぶりです! マダムライアンさん」

 

 元気よく挨拶をするハルの視線の先で、カウンターの奥に座っていた人物がぬっと立ち上がった。

 身長はジルよりも高く、おそらく二メートル近くはあるだろう。スキンヘッドの頭に筋骨隆々の体躯。

 それでいて可愛らしいフリルが施されたピンク色のエプロンを着ていて、顔には口紅をはじめ化粧もばっちりと施されている。

 

 ある意味魔物よりも恐ろしさを感じさせるこの人物こそ、レイズーン王国の中でも知る人ぞ知る素材屋を営む人物だ。ちなみにもちろん性別は、男である。


「最近あんまりお店に来なくなったから、なにか事件に巻き込まれたのかと心配してたのよぉ」


「心配し過ぎですよライアンさん。私だってもう十六歳なんですよ」


「その年頃が一番危ないの。それにハルちゃんはお母さんに似て可愛いんだから、変な男が言い寄ってくるかもしれないでしょ。あ、その時はいつでも相談してね。私がすぐに追っ払ってあげるから」


 そう言って勢いよくウィンクを飛ばしてきたライアンに、「あはは……」とハルは思わず苦笑いで答える。


 この素材屋を経営するライアンと、魔具作りを営んでいたハルの両親は昔から付き合いがった。

 その為ハルも幼い頃からライアンのことは知っていて、その関係はもはや親戚といった感じに近い。

 見た目こそ魔物並みに危険な匂いを感じさせるライアンだが、彼の店で扱っている素材には滅多に手に入らないレアな素材も多く、またライアン自身も昔は腕利きの魔巧師だったとハルは母親から聞いたことがあった。


「そういえばハルちゃん、魔巧学校を卒業してからはどこの工房で弟子入りしてるの? やっぱり名門マスティア家の工房?」


「ふふふ、それが実は違うんですよライアンさん。私が弟子入りしているのはもっと凄いところで……」


 わざとらしく人差し指を振りながら意気揚々とライアンの質問に答えていたハルだったが、彼女は不自然に突然ピタリと言葉を止めた。

 実は魔巧師としての基礎を教えてもらう話しがジルから出た際に、「俺の存在は絶対に誰にも話すなよ」と彼からはきつく言われていたことを思い出したのだ。

 しかも、もしもバラした時はお前をバッヘルウルフの巣に放り込んでやると恐ろしい脅しの言葉付き。

 そんなことをすっかり忘れていたハルは、自分の軽はずみな発言に全力で後悔していた。


「急に黙りこんじゃんってどうしたのハルちゃん? もしかしてお腹でも痛いの?」


「い、いやその……」

 

 何か良い言い訳はないかと必死になって考えるハルだったが全くと言っていいほど何も思い浮かばず、とりあえずコホンと小さく咳払いをして誤魔化す。そして彼女は無理やり話題をねじ曲げる。


「そ、それよりライアンさん! 今日はどうしてもほしい素材があって買いに来たんですけど……」


「お客様として来てくれるなんてありがたいわね。もちろんハルちゃんにだったら私も奮発しちゃうわよぉ」


そう言ってまたもウィンクを飛ばしてくる相手に、ハルは「ありがとうございます!」と今度は嬉しそうにぺこりと頭を下げる。


「それで、どんな素材がほしいのかしら?」


「えーと、まずは『水晶クラゲ』と……」


 ハルは指先を顎に当てながら、ジルから頼まれていた素材の名前を口にする。するとライアンが少し意外そうな顔をした。


「あら、魔力を食うクラゲなんて珍しいものを使うのね」


「魔力を食うクラゲ?」

 

 不思議な言葉ににゅっと眉を寄せて聞き返すハルだったが、ライアンは「ふふ、そうよ」とだけ答えるとほかに必要なものは何かと再び尋ねてきた。


「えーと、あとは『シポニーの枝』とそれからマ、マラ……」


 あれ、何だったけ? と頼まれていた素材の名前をど忘れしてしまったハルは、腰に巻きつけているポーチの中をがさごそとあさり始めた。こういうこともあろうかと、彼女としては珍しくしっかりとメモを取ってきた……はずなのだが、


「ないぞ……メモがないっ!」


さーっと顔色を青くしながら、慌てた様子でポーチの中を隈なく探すハル。カウンターの上に中身を全部出してポーチをひっくり返してみるものの、メモした紙が出てくる様子はない。


「ど、どうしよう……」と困り果てた声を漏らすハルだっだが、ライアンが明るい口調で再び口を開く。


「もしかして、『マライヤ鉱石』かしら?」


「それだっ! たしかそんな名前だったと思います!」


 ライアンが口にした言葉を聞いた瞬間、ハルはパッといつもの明るい表情を取り戻す。


「すごいですねライアンさん! どうしてわかったんですか?」


「そりゃあだてに二十年も素材屋はやってないからそれぐらいわかるわよ。シポニーの枝と水晶クラゲはどちらも特殊素材だから、加工するにはどうしてもこの鉱石の力が必要なってくるからね」


「なるほど……」


 ライアンの説明を聞きながらハルはふむふむと真剣な表情で頷いていた。

 魔具の素材となる物質は現在確認されているだけでも数十万以上はあると言われている。

 素材屋はそれら多種多様な素材の特徴を覚えて、お客が作ろうとしている魔具に合った素材を提供する力が求められるのだ。

 特にライアンのように自身が魔巧師の経験を持ちながら素材の調達も行うことができる素材屋はレイズーンの街の中でも数える程度しかおらず、それゆえ時には王室や名門工房からも直々に依頼を受けるほどである。


「ちょっと待っててね」と言ってライアンはカウンター奥にある部屋に入っていくと、ものの数分のうちにすぐに戻ってきた。


「はい、これがハルちゃんが注文してくれた素材よ」


「うげっ! なにこれ……」

 

 ライアンがカウンターの上に並べてくれた素材を見て、ハルは思わず悲鳴のような声を漏らした。彼女の視線の先にあったのはどこにでも落ちてそうな何の変哲もない木の枝と、紫色の不思議な輝きを放つ鉱石。そしてその隣にあるガラスの小瓶の中には、ぶにょぶにょとしたまるでスライムのような物体が、幾つもある長い脚をこれまたうにょうにょと不気味に動かしていた。


「あら、ハルちゃんは見るの初めてかしら。これが水晶クラゲよ」


「クラゲなのに……水もないのにまだ生きてるんですね」

 

 ハルはそんなことを呟くと、恐る恐る小瓶に顔を近づける。何もない密閉空間の中では、その名の通り青みがかった水晶のような色をしたクラゲがまだ元気に生きているではないか。


「水晶クラゲは貯め込んだ魔力がある限りどんな環境でも生きていくことができる不思議な生き物なのよ。この辺りの店でも扱ってるのは、私のお店ぐらいじゃないかしら?」


「そんなにレアな素材なんですね」

 

 ハルはライアンの言葉に相槌を打ちながら小瓶から顔を離した。するとライアンが少し申し訳なさそうな口調で話す。


「その分お値段の方もハルちゃん割引を適応したとしてもそれなりにしちゃうんだけど、そこは大丈夫かしら?」


「そ、そうですね……おそらく……」


 生々しくなってきた話しにハルは思わず苦笑いを浮かべて視線を逸らした。もちろんジルから頼まれたお使いなので資金も渡されているのだが……


「あ、あのライアンさん……今回は『物々交換』でもいいですか?」


 ハルの口から出てきた提案に一瞬きょとんとした顔をしたライアンだったが、「構わないわよ」とすぐに笑顔で承諾の意を表してくれた。

 素材屋はじめ魔巧具屋などのお店では、支払いの際に金銭以外でも同等以上の価値を持つ物であれば物々交換という方法も認められている。普段であればハルもお金で支払うのだが、今回ジルから託されたのは金銭ではなく……


「これ……なんですけど」


 そう言ってハルはポーチから布切れで巻かれたもの取り出すと、それをライアンへと恐る恐る差し出す。

 ジルからは出かける際に「これを渡せば問題ない」と言われたが、彼女としては果たして本当に価値があるものなのかどうか半信半疑だった。


 けれどもハルの予想に反して、布切れを解いて中身を確認したライアンは「んまぁ!」と嬉しそうな声を漏らして目を輝かせた。


「『八咫烏やたがらすの羽』なんてこれまた随分珍しい物を持ってるわねハルちゃん! 凄いじゃない!」


「そ、そんなに凄いものなんですか?」


 どう見たって少し大きめのカラスの羽にしか見えないものに対して大興奮しているライアンに、ハルはつい引きつった笑みを浮かべてしまう。

 八咫烏の羽といわれたこの黒い羽は、ジルが前回捕らえたバッヘルウルフの腹を捌いた時に出てきたものだ。そんなものを持ち歩き、ましてや物々交換の品として使うというのはハルとしては非常に気が引けることだったのだが、素材屋のライアンがこれほどまでに絶賛するということはジルの判断は間違っていなかったのだろう。


 そんなことを思いながら改めて師と仰ぐ人物の凄さを実感していた彼女に、ライアンが興奮したまま言葉を続ける。


「そりゃあ珍しいのなんのって、本来八咫烏はこの大陸には生息していない魔鳥なの。それが子育ての時だけは遥か東にある島からやってきて人里離れた山奥で巣を作るんだけど、八咫烏が選ぶ山は凶悪な魔物が多いから滅多に人が近寄れないのよ。だから羽一本でもすごく希少価値が高くて、これだけでも王室御用達の魔具と交換できるぐらいよ」


「えっ、こんな羽一本でそんなに価値があるんですか!」

 

 ライアンの説明に、今度はハルが思わず目を丸くする。彼女からすればどこにでも落ちていそうなカラスの羽にしか見えないのだが、その価値は遥かに自分の想像を超えていたらしい。


 ほぇーと間の抜けた表情を浮かべながら自分が持ってきた八咫烏の羽をまじまじと見つめているハルに向かって、ライアンが再び口を開く。


「困ったわね。これじゃあ私の方がお釣りを渡さないといけないわ」

 

 ライアンは一人ぶつぶつとそんなことを呟くと、カウンターの引き出しを開けて中から袋を取り出す。そしてじゃらじゃらと音を鳴らして中身を確認すると、お金が詰まったその袋をハルの方へと差し出した。


「こ、こんなにもらっちゃっていいんですかっ!?」


「もちろんよ。八咫烏の羽となればどうせ腕利きの魔巧師たちがすぐに聞きつけて高値で買っていっちゃうから心配しないで大丈夫よ」


「そ、そうですか」とカラスの羽一本で何だが随分と得をしたような気になってしまったハルは、申し訳なさそうな表情を浮かべながらも注文した素材と一緒に袋をポーチの中へとしまった。


「それにしてもハルちゃん。なかなか腕利きでクセのある魔巧師のもとで修行を頑張ってるみたいじゃない」


「え? どうして……」


 わかるんですか? と思わず言いそうになってしまいハルは慌てて口を噤んだ。けれども相手にはお見通しなのか、ライアンが再び意味深なウィンクを送ってくる。


「そりゃあ注文してくれた素材を見ればわかるわよ。それにこの八咫烏の羽も、その魔巧師から託されたんでしょ?」


「まあ……そうなんですけど……」


 あまり深掘りされてほしくはない話題に、ハルはついぎこちなく視線を逸らしてしまう。そんな彼女を見てライアンは、「ふふっ」と笑みを溢す。


「最初にどんな魔巧師のもとで修行をさせてもらえるかはとても大事なことよ。きっとハルちゃんならお母さんやお父さんのように立派な魔巧師になれるわ」


 だから頑張ってね、と優しい言葉を付け足してくれるライアン。自分の生い立ちを、そして目指している目標も知っている彼から応援されて、「はいっ!」とハルも自然と笑顔になる。


 こんな瞬間に触れることができるからこそ、彼女にとってこの街は今も大切な場所なのだ。

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