第8章 これが修行②
結局バッヘルウルフの解体を開始早々にギブアップしてしまったハルは、その後しばらく部屋の隅っこで横になっていた。
そんな彼女の姿に終始呆れながらジルは一人黙々と作業を続けて、ハルが再び気力を取り戻した頃には魔物は綺麗さっぱりに解体されていた。
「お前は本当にやる気があるのか?」
「す、すいませんでしたっ!」
目を細めて白けた視線を送ってくるジルに、勢いよく何度も頭を下げて謝罪するハル。
気力は戻ったもののまたあのグロテスクなものを見ることになるのかと恐れていた彼女だったが、どうやら素材として使うにはまだしばらく時間がかかるらしく、バラバラになったバッヘルウルフの身体は大きな壺に塩漬けにされていた。
おかげで作業台の上には彼女が恐れていたような光景は広がっておらず、そのことに関してはほっと胸を撫で下ろすハルだった。
「謝るなら次からは行動で示せ」
「はい師匠っ!」
何としでも名誉挽回せねばと意気込むハルは、そのまま勢い良くビシッと敬礼のポーズを取る。けろりと態度を変えてヤル気まんまんの彼女を見て、「本当に調子だけは良いやつだな」とジルは呆れた口調でぼそりと呟いた。
「とりあえずお前にはまず『ポーション』作りからやってもらう」
「え? ぽ、ポーションですか?」
ヤル気に満ち溢れた顔をしていたハルだったが、ジルの言葉を聞いた瞬間、思わずポカンと間の抜けた表情を浮かべてしまう。
「ああ。まさかとは思うが、ポーションの作り方を知らないわけじゃないだろうな?」
「もちろんそれぐらい知ってますよ! バカにしないで下さい!」
先ほどとは違い、強気な態度で反論するハル。
それもそのはずで、レイズーン魔巧学校の生徒が一番初めに学ぶのが、このポーションの作り方なのである。
その理由は、魔巧学校の創立者でもあり初代学長を務めたマスティア・ガーネットが、『魔巧師は民の幸せに尽くすべし』という師であるオルヴィノの教えを受け継ぎ、魔巧師を志す者はまず最初に人の傷を癒すことができる技術を身につけることが大切だと説いたことが始まりだと言われている。
ちなみにハルが在学中に唯一まともに作ることができたのも、このポーションだったのだ。
「見てて下さいよっ!」と今度はやたらと自信たっぷりな言葉を口にしたハルは、無い袖をめくりあげる真似をしてさっそく準備に取り掛かる。
「えーっと、まずは幼虫の体液をお鍋に入れて……」
ハルはぶつぶつとそんなことを呟きながら近くにあった大きな鍋を手に取ってそれを作業台の上へと置く。
そして今度は「よいしょっ」と言って幼虫の体液が入った袋を両手で持ち上げると、中身を鍋へと注ぎ始めた。
「よしっ、これで次は毒素を抜くために二時間火であぶって……」
記憶の奥底にある知識を確かめるようにそんな言葉を口にしながら、今度は火を起こせそうな道具をキョロキョロと探すハル。が、そんな彼女の様子を後ろから見ていたジルは何故か大きくため息を吐き出す。
「お前な、そんなやり方だといつまで経っても完成しないぞ」
「え?」
学校で教わった通りに作り始めようとしていたのになぜかジルからそんな指摘をされてしまい、ハルは不思議そうに小首を傾げた。するとジルが作業台の方へと近づいてきた。
「いいか。ポーションはこうやって作るんだ」
ジルはそう言うと緑色の液体に満たされた鍋の上に右手をかざした。そして……
【
詠唱を口にしたジルが指先でそっと液体の表面に触れた瞬間、鍋の中が一瞬赤い光を放った。
そしてその直後、あれほどまでに毒々しい色をしていたはずの液体がジルの触れた部分から円を広げていくように透明に浄化されていくではないか。
「うそ……」
再び目にしてしまったありえない光景に、ハルは思わず目を見開いたまま固まってしまう。その間にも鍋の中では不可思議な現象は続いていて、あっという間に透明な液体が鍋の中を満たしてしまった。
「これがポーションの作り方だ」
「……」
当たり前だといわんばかりの表情でそんな言葉を口にするジル。けれどもハルは驚きを隠せないまま、ただゴクリと唾を飲み込む。
「なんで……なんで触れただけで……」
山の中の出来事に続き、詠唱を口にしただけであっという間に魔具を作り出してしまったジルに、ハルは自分の頭の中の理解がまったく追いつかなかった。
彼が行う生成方法は、ハルが魔巧学校で教わったものとは全くと言っていいほど異なるからだ。
「ど、どうしてですか! なんで師匠は詠唱を口にするだけで魔具を作り出すことができるんですか!?」
今まで出会ってきた魔巧師とは明らかに次元が違う生成方法を行うジルに、ハルは興味津々といわんばかりに目を輝かせながら尋ねた。
そんな彼女の姿を見て面倒くさそうに大きくため息をつくジルは呆れた口調で答える。
「お前は『魔力』の使い方をまったくわかっていない」
「……魔力の使い方?」
思いもしなかった言葉が返ってきて、ハルが今度はきょとんとした表情を浮かべた。
「そうだ。お前、どうして魔巧師が魔力を使うようになったか知ってるか?」
「えーっと……たしか素材に眠っている力を最大限に発揮させるため……でしたっけ?」
記憶の中にあるうる覚えの知識を引っ張り出して、ハルはいつか魔巧学校で教わったことを口にした。
魔力そのものは人間はもちろんのこと、この世界に存在するあらゆるものが有する力だ。それは生物のみならず、水や金属、それに小石といった無機質な物質にも微小ながら宿っているともいわれている。
そして魔巧師は魔具を生成する際に、自分が持つ魔力と素材が持つ魔力を合わせることで、強力な力を発揮する魔具を作り出すことができるのだ。
「たしかにお前の言うことも事実だか……魔巧師が魔力を使うことには、本来別の目的があった」
「別の目的?」
ますます訳が分からなくなるジルの話しに、ハルは難しそうににゅっと眉間に皺を寄せた。そんな彼女に向かってジルは淀みなく説明を続ける。
「魔力には物質の力を引き出すだけじゃなく、自分の意思や経験を刻み込むことによって事象を具現化できる力もある。つまり、魔具を作るという経験を魔力に刻み込むことができれば、同じ魔具を作る時に生成過程を短縮できるというわけだ」
「…………」
ジルの話しを聞きながら、頬にたらりと汗を流すハル。
もちろん話しの内容に凄みを感じたわけではなく、さっぱりわからないからである。「つ、つまりは?」と再び説明を求めてくる彼女に、ジルは呆れたように大きくため息をつく。
「だからお前がポーションを作ったことがあるのなら、その経験を魔力に刻み込むことによって幼虫の体液を瞬時にポーションに変えることができるということだ」
「おぉ、なるほどっ!」
やっと話しの内容が理解できたハルは、満足げにポンと手を叩いた。けれども彼女はすぐに「でも」という言葉を口にするとまたも悩ましげな表情を作る。
「そんな便利なことが魔力でできるなら、そもそも魔巧具も工房もいらないんじゃないですか?」
「ああ、理屈上はな」
ハルの素直な疑問に、ジルは小さく頷く。
彼女が尋ねた通り、自身の経験を全て魔力に刻み込むことができるなら、魔巧師はやがて魔巧具や工房が無くともあらゆる物質から魔具を作り出すことが可能となる。
事実、今のように魔巧技術が体系化する以前の世界では、魔巧師は己の魔力とそして感覚だけを頼りに魔具を作り出していた時代もあったのだ。
一見すると的を得ているように思えるハルの質問だが、小さく息を吐き出したジルは「だが……」と再び言葉を続ける。
「できないからだ」
「え?」
きっぱりと否定の言葉を口にしたジルに、ハルはポカンとした表情を浮かべて首を傾げる。
「たしかにこの方法であれば魔巧師はやがて魔巧具も工房も必要とせず魔具を生み出すことができるが、魔力に経験を刻み込んで瞬時に魔具を生み出す技術は誰でも身につけられるわけじゃない。今の魔具作りの方法と比べると魔力や集中力、それにセンスといったものが桁違いに必要になってくるからな」
「は、はぁ……」
何やら自分が思っていたよりも圧倒的にハイレベルな世界の話しに、ハルは思わずゴクリと喉を鳴らす。
どうやらジルが簡単そうに行っていた魔具作りの生成方法は、そう易々と身につけれるものではないらしい。魔巧学校をギリギリの成績で卒業できたハルにとってはかなり荷が重い話しだ。
そんなことを思い一人苦笑いを浮かべるハルに対して、ジルは構わず説明を続ける。
卓越した技能とセンスが求められるこの生成方法では、限られた魔巧師にしか魔具を作り出すことが出来ず、その他大勢の魔巧師にとっては簡単な魔具一つ作ることさえまともにできなかった。
そのせいでかつての魔巧師たちはガラクタ屋などと揶揄されていて、今のように確固たる地位も名誉もなければ、人々が望んで選ぶような職業ではなかったのだ。
しかし、そんな限られた魔巧師でしか成しえなかった生成方法も、新たな魔巧技術の開拓によって後に大きく変化することになる。
魔力の膨大な消費や緻密なコントロールがなくとも素材を加工することができる魔巧具の登場。さらに感覚重視だった生成過程を一つ一つ視覚化して手順化し、適切な方法で適切な時間をかければ誰もが同じ魔具を作り出すことができるように体系化された魔巧技術。
そして、それこそが……
「オルヴィノが作り上げた『魔巧学』だ」
「……」
ジルの話しを、ハルはただ黙ったまま真剣に聞いていた。
かつてオルヴィノが築いた魔巧学の歴史については、彼女も魔巧学校で教わったことがあった。
だがそれ以前の魔巧技術については授業でも取り上げられることはほとんどなく、ましてや実際に目にする機会などまったくなかった。だからこそジルが行う生成方法は、ハルの目にはまるで魔法のように映ったのだ。
「オルヴィノが魔巧学を築き上げてからは魔力のみで魔具を作り出すことができる人間はほとんどいなくなった。弟子だったシルヴィア・キエスが生み出した短縮生成は形こそは似ているが、あれは魔巧具となる武器や防具がある前提で行う生成方法だ。つまり遅かれ早かれ俺がお前に見せた生成方法は歴史から消えることになるだろうな」
「そ、そんな……」
淡々と説明をするジルの話しに、眉尻を下げたハルが悲しそうな声を漏らした。
まだ半人前とはいえ魔巧師の一人である彼女にとって、これほどまでに優れた魔巧技術がいつか消えてしまうというのは胸が痛くなる話しだった。
「確かに魔巧具を使い、手順通りに魔具を作る方法は簡単だが、時間がかかる上に魔力そのものの成長も止めてしまう。オルヴィノや弟子である三大魔巧師が現れて以来、肩を並べられるほどの魔巧師が現れなくなったのはそれが原因でもあるだろうな」
「じゃ、じゃあもしかして……私がこの生成方法を身につけることができればオルヴィノみたいなすごい魔巧師になれるってことですか!?」
「……は?」
急に顔色を輝かせて尋ねてきたハルに、ジルは思わず間の抜けたような声を漏らす。
「お前な、まだポーションもまともに作れない分際でなに……」
「すごいすごいっ! 今はもうほとんど使える人がいなくなった魔巧技術を習うことができるなんて! これで私もオルヴィノみたいな大魔巧師になれるぞっ!」
「……」
一人無邪気にはしゃぎ続けるハルを見て、ジルはただただ呆れるようにため息を吐き出した。そしてことの難しさをわからさせるためにもう一度口を開こうとした時、突然ガシッとハルが両手で右手を握りしめてきた。
「師匠、私覚えてみせます! ぜーったいこの方法をマスターして凄い魔巧師になってみせますっ!」
まるで真昼の太陽の輝きを彷彿させるような笑顔を浮かべて、そんな言葉を宣言するハル。
そのあまりに屈託のない瞳と言葉にさすがのジルも呆れ返ってしまい、喉の奥に用意していた言葉を結局口にすることはできなかった。
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