第7章 これが修行①
「だはぁぁー……死ぬかと思った……」
無事にジルの家までたどり着いたハルは、部屋の中に入るなり疲れ切った声でそんな言葉を漏らした。
そして両手で抱えていた袋を足元に置くと、そのままへなへなとその場に座り込んでしまう。そんな彼女を見て、まったく疲れていない様子のジルは呆れたように大きなため息をつく。
「情けない奴だな。魔具作りはこれからだぞ」
「わ、わかってますよそんなこと! これはちょっと休憩してるだけでべつに……」
「ふん、言い訳などいらん。さっさと始めるぞ」
相変わらずぶっきらぼうな口調でそんな冷たい言葉を言い放つジルに、立ち上がったハルはぷくぅーと頬を膨らませて目を細める。けれどもそんな顔をしたところでもちろん効果はなく、ジルは彼女の方を見向きもせずに、部屋の中央にある大きな作業台の上にかついでいたバッヘルウルフの死骸を置いた。
「まずはこいつの解体から始める。放っておくと材料としての鮮度が落ちるからな」
「……はい?」
私の聞き間違いだろうか? といわんばかりにハルは目をパチクリとさせてジルのことを見た。しかし、どうやら聞き間違いなどではないようで、ジルは横向きになっているバッヘルウルフを解体しやすいように仰向けにした。
「ちょ、ちょ、ちょっと待って下さい師匠っ! 私、魔物の解体なんてやったことないですよ!?」
「お前、本当に魔巧学校を卒業したんだろうな?」
「しましたよ! それに魔巧学校は魔具の作り方を学ぶ場所で、魔物の解体の仕方を学ぶ場所じゃありませんっ!」
力強くそんな言葉を言い切るハルを見て、ジルは再び小さくため息を漏らす。
けれども何も彼女が嘘をついているというわけではなく、ハルが言う通りレイズーン魔巧学校は魔具の生成方法を学ぶ場所であり、人肉含めて魔物の解体などは授業では習わない。
そのため扱う材料は市場や素材屋で出回っているようなすでに手が加えられている物が多く、冒険者でもない限り生身の魔物を扱うことなどまず無い。
しかしそんな魔巧学校の制度を知らないジルは、ハルに対する疑いをますます強める。
「……まあいい。だったらこれを機に学べばいいだけの話しだ。お前、何か
「あ、はい。お母さんから貰ったものが……」
ハルはそう言って腰に巻きつけているレザーポーチの中をガサゴソと漁ると、シースに入った立派なナイフを取り出した。
「これでいいですか?」
「ほう……見かけによらず随分と立派なものを持っているな」
そんな言葉を呟きながら、ジルは受け取ったナイフを少し物珍しそうに観察する。魔巧具とは、魔巧師が魔具を作る際に使う道具のことを指す。
その種類は多種多様だが、優秀な魔巧師になれば愛用している魔巧具一つであらゆるものを作り出すことができるともいわれている。
「それはお母さんの家系が代々受け継いできたものらしくて、お母さんが亡くなった時に私が貰ったんです」
「なるほどな」と返事をしながらシースから取り出したナイフをくまなく観察するジル。大きさは手の平ぐらいのもので、刃には真珠のような輝きを放つ不思議な鉱石が素材として使われている。
そして柄の部分に使用されている赤茶の木材はカヌスマホガニーというもので、神の御加護を宿しているといわれている逸話まである一級品の素材だ。
さらにそんな高級素材から作られた柄には、まるで美術品かと見間違うほどの美しい彫刻が入っていた。
どう考えても実力不足に能力不足のハルには見合わない逸品だなと内心で思いながらジルがナイフを見つめていた時、ふと柄に彫られている紋章に目が止まった。
「これは……」
思わずぼそりと声を漏らしたジルは、今度は目を細めて注意深くその紋章を見る。
まるで本当に命が宿っているかのように緻密なまでに無数の花弁が描かれたそれは、ダリアの花を象った紋章だった。
そして魔巧師であれば、誰もがその花の紋章が意味することを知っている。
「母親の家系がだいだい受け継いできたものって、お前まさか……」
「いや、その……まあ……」
なぜか急にぎこちない口調で答えながら、ハルはジルから慌てて視線を逸らした。そして頬をかきながら、今度は恥ずかしそうな口調で告げる。
「その……実は私の名前はマスティア・ハルリアといいまして……こう見えても一応、『マスティア家』の人間なんです」
「……」
ハルの言葉を聞いて、狼の魔物を相手にしても顔色一つ変えなかったジルが、珍しく驚いた表情を浮かべる。
マスティア家。
かつて大魔巧師オルヴィノに従事した三大弟子の一人、マスティア・ガーネットの血を引く一族の名だ。
弟子の中で唯一女性であった彼女は、師であるオルヴィノが築いた魔巧学を建築と芸術の世界にも応用して、『
事実、芸術的価値も非常に高いと評されているレイズーン王国の建築は、すべてマスティア・ガーネットがデザインして手を加えたものだといわれている。
またマスティア以外の弟子たちも、その名前と功績は魔巧師でなくとも誰もが知っている。
武器や防具そのものを魔巧具化させることによって戦いの最中でも魔具作りを可能とする『
そして魔巧学を取り入れた義肢作りや果ては臓器生成など医療分野において多大な功績を残しながらも、魔巧師としての禁忌を犯して後に死罪となったボナパルト・ボーゲン。
オルヴィノの弟子である彼ら三人も『三大魔巧師』と称されていて、師であるオルヴィノと同じくいまや伝説扱いされるほどの実力を持っていた魔巧師たちなのだ。
その内の一人の血を引いているというハルの衝撃的過ぎる爆弾発言に、ジルはしばし言葉を失っていた。
「おいちょっと待て。お前がマスティア家の人間なら、わざわざ俺のところに来なくてもレイズーンの街に立派な工房があるだろ」
「いやまあそうなんですけど……」
ジルの適切な指摘に、ハルは今度は気まずそうに頭をかく。たしかにレイズーンにはマスティア一族とシルヴィア一族の立派な工房がそれぞれあり、どちらも王国どころかこの大陸でも一、二位を争うような名門工房である。当たり前だが一族に属する者で魔巧師を目指すのであれば、どう考えても歴史も技術もある自分たちの工房で修行することが一番の近道だ。
なのに何でコイツはわざわざ俺のところに来た? とあからさまに嫌がる表情を見せるジルに、すっと小さく息を吸ったハルは今度はキリっとした目つきでジルのことを見上げた。
「でも私が作ったコンパスが示したのはこの場所なんです! だから魔巧師としての修行をするなら師匠のもとじゃないとダメなんですっ!!」
「……」
ジルにとってはまったく理屈になっていないハルの言葉に、彼は呆れた表情を浮かべてただため息を吐き出す。
「とりあえずこのナイフはお前に返す」
「え、使わないんですか?」
ポカンとした表情でナイフを受け取るハルに、ジルが呆れた口調で説明をする。
「そのナイフは認められた者しか力が発揮できないように作られている。……まあお前がまともに使えるとは思えんが」
「ちょっと、最後の言葉は余計じゃないですか?」
むっと拗ねたような顔をして睨みつけてくるハルを見て、ジルはふんと鼻で笑った。
「じゃあ聞くが、そのナイフを使ったことがあるのか?」
「そ、それはまだ……」
ないですけど。とぼそりと呟いたハルは、ますますムスッとした表情を浮かべてジルの顔から視線を逸らした。
彼が言う通り、ハルは母親から受け継いだ家宝をまだ使ったことがなかった。
いや、実際のところ使うことができなかったのだ。
彼女は以前そのナイフを使って魔具の材料となる枝を切ろうとしたのだが、切れないどころか傷一つつけることができなかった。
「そのナイフは切る為の魔巧具じゃない。まあ万が一にでも奇跡が起こってお前にその資格が持てた時に使い方がわかるだろう」
「ぬぐぅぅ……」
ジルの捻くれた言葉に、唇を噛んで悔しそうな声を漏らすハル。そして彼女は、「絶対使いこなしてみせます!」と怒った口調で言い返すと、ナイフを再びポーチの中へとさっと戻した。
「さて、無駄話しもここまでだ。こいつの解体を始めるぞ」
「は、はい!」
突然声色を変えて真面目な表情に戻ったジルを見て、ハルも慌てて背筋を伸ばす。するとジルは壁に掛かっている様々な魔巧具の中からハルが持っていたものよりも遥かに大きいナイフを手に取った。
「バッヘルウルフを解体する時はまず胃袋の中を調べろ」
「え? 胃袋ですか?」
いきなり始まったグロテスクな話しに、ハルはあからさまに嫌がった表情を浮かべる。けれどもジルは淡々とした口調で説明を続けた。
「ああそうだ。バッヘルウルフは雑食で大陸全土に生息している。だからこいつらの胃袋からはたまに珍しい素材が出てくることもある」
「な、なるほど……」
説明をしながら右手に持ったナイフを魔物の腹部へと近づけていくジルを見て、ぎこちなく固まったままゴクリと唾を飲み込むハル。
そしてその鋭利な先端がぷすりと皮膚に食い込んだ瞬間、彼女は思わず「ひっ」と声を漏らして目を細めた。
「まずは腹から喉に向かって切り込みを入れる」
「は、はい……」
「そして次に胸部の部分をできるだけ大きく開く」
「は……はい…………うぷぅ」
「局部を開いたらこの肋骨部分の三本目から五本目のところをだな……」
「……………………」
おうぇえっ、と突然汚い声を漏らしながらその場にしゃがみ込んでしまったハル。そんな彼女を見て、「おい」とジルが呆れた表情を浮かべた。
「ず、ずみばぜん……ぢょっど……ぢょっと待ってぐだざい……おうぇっ」
「…………」
両手で口元を押さえながら、乙女として越えてはいけない一線を必死になって我慢しているハルを見て、ただただ呆れた表情を浮かべたまま大きく肩を落とすジルなのだった。
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