第5章 初相手は芋虫

 翌日の早朝、山鳥たちが鳴きだすと同時にハルとジルは朝霧が漂う山の道を歩いていた。


「あ、あの師匠……今から魔具の素材を調達しに行くんですよね?」


「ああ、そうだ」

 

 何やら少し動揺した様子で尋ねるハルに対して、ジルがぶっきらぼうに答えた。それでも気が気ではないハルはゴクリと唾を飲み込むと前を歩く相手に向かって再び尋ねる。


「なのに何で山奥に進んで行くんですか? 材料を買いに行くなら街の方に行かないと……」


「お前は何を寝ぼけたことを言っている。誰も買いに行くなんて言ってないだろ。『狩り』に行くんだ」


「はい?」


 朝一から寝ぼけたことを言っているのは師匠の方じゃないのかとハルは一瞬思ったが、直後非常に嫌な予感が頭をかすめる。


「あ、あの師匠……まさか狩りに行くって……」


「しっ、動くな」


 突如ジルはそんなことを言ってハルの言葉を遮ると、右腕をあげて彼女の進路も遮る。そんな彼の様子を見てハルが慌てて立ち止まった。


「運が良いな。さっそく羽虫の幼虫のお出ましだ」


「え?」

 

 間の抜けたような声を漏らしたハルは、ジルの言葉に誘われるように視線を前方へと移した。そしてその直後、「ひぃぃっ!」と思わず悲鳴を上げる。


「し……し……師匠あれって……」

 

 ぷるぷると唇を震わせながら何とか声を絞り出すハルの視線の先にいたのは、乙女にとって大の天敵である芋虫……とは比べものにならないほど巨大な姿をした魔物だった。その大きさはゆうに成人男性ほどはあるだろう。


 そのあまりにもグロテスクな見た目と動きに、「ひぃっ!」と再び悲鳴をあげたハルは咄嗟にジルの背中に隠れた。


「羽虫の幼虫の体液は素材として使えば薬になる。まずはあいつの仕留め方の手本を見せてやるからしっかり見ておけ」


「……はい?」

 

 まったく状況が飲み込めない言葉がハルの耳に届き、彼女はジルの顔を見上げる。すると相手は不意にしゃがみ込んだかと思うと、足元に落ちていた小石と腕ほどの太さのある枝を拾いあげた。


 まさかそんなもので魔物と戦うつもりじゃ……、とぎょっと目を見開いて絶句してしまうハルだったが、直後ジルのとった行動に思わず我が目を疑う。



鉱核生成こうかくせいせい(連結)・破魔はまの矢】

 

 ジルがそんな言葉をぼそりと呟いた瞬間、彼が左手に握っている小石が僅かに赤い光を帯び始めた。魔具が生成される際に発せられる魔巧まこうの光だ。

 まるでその光に導かれるようにして、今度はジルが右手に握っていた枝が意思を持ったように動き始め、小石を核とするかのように巻き付いていく。


「な……」


 ありえない光景に、思わずハルは呼吸を止めてしまう。

 ジルが先ほど口にした言葉は、確かに魔巧師が魔具を作る際に唱える詠唱だ。だがそれは魔巧師が己の魔力を魔具に込める為の最後の仕上げとして唱えるものであり、最初から口にするものではない。

 

 いや、それどころか本来魔具を作り出す為には適切な場所と道具、それに適切な時間をかける必要がある。

 なのにその工程を一切無視して、ジルはまるで魔法のように魔具を作り出そうとしているのだ。


「ありえない……」


 瞬きさえもできずに固まるハルの目の前では、立派な形をした矢を右手で握りしめるジルの姿があった。

 魔力が込められた小石は鋭い矢じりの形となり、それに繋がり連結している枝はまるで芸術品のような美しい矢の形状を描いている。

 どこからどう見ても、これがついさっきまで山に落ちていたなんの変哲もない小石と枝から作られたものだとは誰も信じないだろう。


「……いくぞ」

 

 再びぼそりとそんな言葉を呟いたジルは、矢を握りしめている右手にぐっと力を込めた。そしてその鋭く尖った先端を、魔物の幼虫めがけて思いっきり投げ放つ。


『キュピッ!』


「おえっ!」


 ジルが投げた矢が幼虫の頭部を貫いた瞬間、そのあまりに痛々しい光景に思わず魔物と一緒に声をあげてしまうハル。だが同時に彼女は、ジルが即席で作った魔具の威力にも驚いていた。

 いくらまだ幼虫とはいえ、相手は立派な魔物の一種だ。その皮膚は硬く、通常の刃物であれば傷一つ付けることができない。

 しかしジルが小石と枝から作った矢は、まるで葉にナイフを突き刺すかのような容易さで魔物の皮膚を貫いたのである。


 たった一発で魔物の息の根を止めた事実に愕然としているハルに向かって、ジルは相変わらずぶっきらぼうかつ冷静な口調で言葉を告げる。


「今のが羽虫の幼虫の倒し方だ。次はお前がやってみろ」


「やってみろって……って、えぇっ!?」


ジルの衝撃的な発言に、ハルは思わず素っ頓狂な声を上げた。


「無理です無理です無理ですって! 私、魔物と戦ったことなんてないのにそんなの出来ないに決まってるじゃないですかっ!!」


「だったらなおさらやってみろ。良質な材料を手に入れるには魔物を狩るのが一番効率が良い」


「いや私には一番効率が悪いですよ! だいたい私は一人前の魔巧師になりたいだけであって、別に冒険者になりたいわけじゃあ……」


「冒険者のほとんどは一人前の魔巧師だ。ほら、無駄口叩いてる間に次が来たぞ」


「え?」とジルの言葉を聞いた瞬間、ハルの顔がさーっと青ざめていく。

 再び前方に視線を戻すと、先ほどジルが倒した幼虫が倒れている場所に、いつの間にか仲間が現れているではないか。しかもその数は一匹増えて気持ち悪さが増している。


「ひぃぃぃっ!」とあまりに恐ろしい光景に、ハルは悲鳴を上げながらすぐさまジルの背中に隠れた。


「奴らは基本的に群れで行動している。まあ魔物との戦い方を身に付けるにはちょうど良い相手だろ」


「いや何一人で納得してるんですか師匠っ! あれ絶対怒ってますって! なんかプギュプギュ鳴いて変な触覚出してるし!」

 

 ほらっ! と人差し指をビシビシと向ける彼女の先では、たしかにハルが言う通り、魔物の幼虫たちが怒ったような様子で頭からオレンジ色の奇妙な形をした触覚を出している。


「早く逃げなきゃヤバイですって! このままじゃ私たち魔物に食べられて……」


「あいつらは人間を襲っても喰いはしない。だから心配するな」


「いや何めちゃくちゃなこと言っ……って、ちょちょちょっと! 師匠やめて下さいっ!」


 やめてぇっ! とハルの必死の訴えも虚しく、ジルはまるで子猫でも持ち上げるかのように彼女の上着の首根っこを掴むと、そのままぽいっと放り投げた。


「いだいっ!」

 

 どさりと草むらの上に落ちたハルは思わず涙目になりながら両手でお尻を押さえた。けれどもふと前方を見上げた瞬間、恐怖のあまりそんな痛みなどすぐに忘れる。


「あわ……あわわ……」

 

 言葉にもならないような怯えた声を漏らす彼女の視線の先には、うにょうにょと触覚を動かしながら自分のことを見下ろしている芋虫たちの姿が。

 しかもよく見ると、二匹ともダラダラと涎のようなものを口から垂らしているではないか。


「し、し、師匠―っ!! 私このままだと食べられます! ほんとに食べられちゃいますって!」

 

 恐怖のあまり腰でも抜かしてしまったのか、ハルは尻餅をついたまま叫び声をあげる。しかしそんな彼女の様子を見てもジルは呆れたように息を吐き出すだけで助ける様子はない。


「だからそいつらは人間など喰わない。それに動きも鈍い分、いざとなったら簡単に逃げ出せる」


「いやそんなこと言われても私には……って、ひぃぃぃっ!!」


 プギュ! と片方の芋虫が鳴き声をあげた瞬間、突然ハルの真横に幼虫の体液が降ってきた。

 その気持ちの悪い緑色をした液体を見て、彼女は「うげぇ」と思わず声を漏らす。


「ちなみに言っておくが、幼虫の体液は加工すれば薬になるがそのままだと猛毒だから気をつけろよ」


「き、気をつけろよって、それぜったい言うの遅いでしょっ!」


 もはや半泣きになりながらも、怒った口調でそんなことを叫ぶハル。

 どうやら彼女にとって一人前の魔巧師になる道のりは、始まりからすでに逆境のようだ。

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