第4章 ハルの夢

 ハルが再び意識を取り戻した時、視界には見知らぬ天井が広がっていた。


「あれ……私……」


 ぼそりと声を漏らしながら、虚な目で瞬きを繰り返す少女。視界に映る年季の入った天井には、まるで星座のごとく何かの術式のようなものが刻まれていた。


「お前は本当に迷惑の塊だな」


「し、師匠っ!?」

 

 不意に思わぬ人物の声が耳に届き、ハルは一瞬にして意識と共に上半身を起こした。そして目をパチクリとさせながら、真横に立って自分のことを見下ろしている相手の顔を見上げる。


「ど、どうして師匠がここに?」


 驚きのあまり、思わずトンチンカンな質問をしてしまうハル。そんな彼女に対して、ジルが呆れ返ったため息を吐き出す。


「それはこっちの台詞だ」


「え?」

 

 ジルの言葉を聞いた彼女が、きょとんと間の抜けたような顔をする。けれども辺りに広がる光景を見て、すぐに自分がどこにいるのかがハッキリと理解できた。


「もしかしてここって……師匠の家ですか?」


 驚きを声音に滲ませてハルが尋ねた。彼女の視線の先、どこを見ても目に飛び込んでくるのは大小様々な形をした魔具ばかり。直接触れたことはないものの、それらはいつも窓を通して見ていたものと一致する。

 

 やっとまもとな意識が戻ってきた様子のハルを見て、ジルは返事の代わりに小さく息を吐き出す。そして彼はめんどくさそうにテーブルの上に置いていた器を手に取ると、それをハルの側へとそっと置いた。


「飲んだらさっさと帰れ」

 

 ジルの言葉にまたも呆けた表情を浮かべる彼女。その言葉に促されて手元に置かれた器を見てみると、湯気と共に何やら空腹をくすぐるような美味しそうな匂いがする。


「これって……」


「薬草と滋養強壮の木の実を混ぜたスープだ。とりあえず山を降りるだけの体力は……」

 

 説明を続けようとしたジルの前で、ハルは両手で器を持ち上げて口につけるとまるで水でも一気に飲みするかのようにゴクゴクと喉を鳴らす。よほどお腹が減っていたのだろう。そのあまりに豪快な飲みっぷりにジルは呆れて言葉を失う。


「ぷはーっ! 美味しかった!」

 

 ハルはそんな満足げな声をあげると空になった器を床の上に置く。そしてジルに向かって正座をすると、ペコリとその頭を下げる。


「師匠、助けて頂きほんっとにありがとうございます! このお礼はこれからしっかりと……」


「礼などいらん。それに俺はお前の師匠じゃない」

 

 何やらややこしい展開になりそうなことを口にしかけたハルの話しを、ジルがばっさりと切り捨てた。そして彼は顎をくいっと動かすと扉のほうを示す。


「飲めばすぐに効果はあるはずだ。だから日が暮れる前にさっさと……」


 帰れ、とジルが言葉を続けようとした時だった。何かを見つけたのか、ハルは突然目を輝かせるとすっと立ち上がり、辺りに置いている魔具を物色し始める。


「すごいっ! これって教科書に載ってたミスリルの指輪だ! あ、それにこっちには惑星まで見える双眼鏡まである!」


「……」

 

 まるで宝探しといわんばかりに一人夢中になって家の中を漁り始めたハルを見て、ジルは頭痛でもするかのように右手で頭を押さえた。僅かな良心に突き動かされて家で看病をするという選択肢を選んでしまったが、あのまま放置しておくべきだったと今更になって痛烈に後悔する。


「ここにある魔具って全部師匠が作ったんですか!?」


「だったら何だ?」


 弟子入りも認めてないのにしつこく師匠呼ばわりしてくるハルを相手にすることに疲れてきたジルは、ただ面倒くさそうに返事を返す。するとそんな彼をさらに疲れさすかのようにハルがますます目を輝かせた。


「こんな上級レベルの魔具ばっかり作れる魔巧師なんてレイズーンの街にも滅多にいませんよ! あっ、もしかしてやっぱり師匠って国家認定の魔巧師だったりするんですか?」


「馬鹿か。そんわけないだろ」

 

 天井知らずにテンションを上げていくハルとは対照的に、ジルは冷め切った表情と声で返事を返す。

 ハルが口にした国家認定の魔巧師というのは、レイズーン王国にいる数多の魔巧師の中でもその技術力と芸術性の高さが王家に認められた者のことを指す。

 国家認定の魔巧師になることができれば一流設備の整った大きな工房が与えられるどころか、稀少価値が高く滅多に手に入らない素材が手に入ったり、王室御用達の魔具を作ることができるようになるのだ。特に魔巧師の聖地と呼ばれているレイズーン王国で国家認定の評価を得るということは、それすなわち世界トップクラスの実力を持った魔巧師といっても過言ではない。

 魔巧師であれば誰もが憧れる認定なのだが、ジルは心底興味が無さそうな表情を浮かべていた。


「えーっ! こんなに凄い魔具ばっかり作れるのにもったいないですよ! 国家認定の魔巧師になればここよりもっと大きな工房だって持てるのに」


「何度も言ってるがここは工房じゃなくて俺の家だ。それに魔巧師の免許を持ってない人間が国家認定されるわけないだろ」


「……え?」


 ぼそりと呟かれたジルの言葉に、ハルが一瞬きょとんとした表情を浮かべて固まってしまう。直後、けろりと表情を変えた彼女は今度は笑いながら口を開いた。


「またまたー何の冗談のつもりですか師匠! いくら私のことを弟子にしたくないからってそんな嘘を……」


「嘘じゃない。俺は魔巧師の免許なんて持ってない」


「…………」


 はい? とハルは思わず目をパチクリとさせてジルの顔を凝視した。

 

 ジルが口にした免許というのは、もちろん魔巧師であることを証明する為の免許のことである。

 魔巧師は高度な技術と専門的な知識が必要なだけではなく、時として人命に関わるような魔具を作り出すこともあるので国が定めた免許を習得する必要があるのだ。

 この免許を習得するにはいくつか方法があるのだが、主な方法としては国家認定されている魔巧師の下で五年間の修行を積むか、あるいはハルのように魔巧学校を卒業した後に魔巧師試験に合格する方法である。

 一人前の魔巧師と呼べるのはこの免許を持っている者のことを言い、もちろん公の場で魔巧師と名乗って良いのもこの免許を持っている人間だけである。

 ちなみにハルもまだ正式な免許を持っているわけではなく、三ヶ月後に行われる魔巧師試験に向けてジルのところで修行をさせてもらうつもりだったのだが……

 

 あきらかに冗談を言いそうにないジルの表情を見つめながら、ハルの頭の中では疑問符が増殖していく。


「……けどここにある魔具って師匠が作ったんですよね?」


「そうだ」


「……なのに免許は持ってないと?」


「そうだ」


「…………?」


 どういうことだ? とハルはますます首を捻る。魔巧師の免許が無くとも趣味のレベルで魔具を作る人間もいるが、この家に置かれている魔具は明らかにそんなレベルを超えている。

 ハルの視界に今映っている魔具たちだけでも、よほどの腕前がないと精製できないような一級品ばかりである。こんな魔具を無免許で、しかも工房も持たず山奥で作っている人間なんて未だかつて聞いたことがない。

 

 ポカンとした表情で自分のことを見つめるハルを見て、ジルは小さくため息を吐き出すと言葉を続けた。


「だから俺はお前が思ってるような魔巧師じゃないと何度も言ってるだろ。一人前の魔巧師になりたいなら街にある工房で……」


「嫌ですっ!」


 ジルの言葉を無理やり遮り、キリッとした目つきで相手の顔を睨みつけるハル。再び始まったいつものやり取りに、「またか……」とジルは頭を抱えた。

 そんな困り果ては彼を前にしても、ハルは自分の主張を曲げる様子は一切ない。


「今までいろんな魔巧師に出会ってきたけどこんなにすごい魔具をたくさん作れる人なんていませんでした。それに私……」

 

 何やら決意めいた表情を浮かべてぐっと唇を噛み締めるハル。そして彼女は真っ直ぐな瞳をジルに向けると、今度は力を込めた声音で口を開いた。


「私どうしても……どうしても『オルヴィノ』みたいな凄い魔巧師になりたいんですっ!」 


「……」


 ハルが力強く発した言葉に、ジルはあからさまに呆れた表情を浮かべてしまう。


 ――大魔巧師だいまこうしオルヴィノ・レオンハート


 かつて魔巧師がまだあまり認知されておらず、人々の生活が魔物に脅かされていた時代。 

 オルヴィノはその卓越した技術と魔具を使って魔物の脅威と戦い、そして人々を守り抜いてはその生活を豊かにしてきた。

 それどころかオルヴィノは現代の『魔巧学まこうがく』の基礎をたった一人で創り上げ、学ぶ意欲のある者がみな平等に魔巧師になれるようにとその礎を築いたのだ。

 そんなオルヴィノの意志は三人の弟子たちに受け継がれて、それから三百年の間、人間が国を作り文明を後世に残していく上で魔巧師という存在は無くてはならないものとなったのだ。

 魔巧師を志す人間でなくとも誰もが子供の頃に一度は聞いたことがある『オルヴィノと光の矢』という童話は、かつて魔物の王として恐れられていた竜たちをオルヴィノが自ら作った魔具によって殲滅させたという逸話を元に作られた物語である。


「私、ずっと昔から夢だったんです! いつかオルヴィノみたいな立派な魔巧師になって、自分が作った魔具でたくさんの人たちに喜んでもらいたいって。それが叶ったらきっと、同じ夢を目指していたお母さんとお父さんも喜んでくれるんじゃないかって」


「お前……もしかして親がいないのか?」

 

 ジルの尋ねた言葉に対して、「はい」とハルは少し寂しげな表情を浮かべる。


「私の両親は二人とも魔巧師で小さなお店をやってたんですけど、もともと身体が病弱だったお母さんは去年病気で亡くなってしまって。お父さんは私が幼い頃に『ルーン遠征』で魔巧師兵として徴兵されちゃって、その時に……」


「……」

 

 ハルの口から『ルーン遠征』という言葉が出た瞬間、ジルは一瞬目を細めた。


 ルーン遠征とは、内戦が激しく国際問題にまで発展していたルーン王国に対して、超大国であるレイズーンが市民の人命救助を掲げて介入した戦争のことである。

 もともとレイズーンは魔巧師の国として栄えていたが、現国王に政権が変わってからは軍事国家としての一面も強め、国際平和を謳っては何かと他国の争いごとや軍事問題に対して首を突っ込むようになっていた。

 しかしその真意は実のところ魔具を製造するための素材調達や領土拡大が目的なのではないかとレイズーン国内でも囁かれていて、現国王に対しての反対派も多数存在してきたのも事実。

 そんな状況下で行われたルーン遠征では軍に属する魔巧師だけでなく、腕利きの冒険者や街で工房や店を営む魔巧師たちも駆り出されて戦地へと赴くことになってしまい、多数の犠牲者を出してしまった。しかもその犠牲者の大部分が、遠征途中にあった小さな街で起こった謎の巨大爆発によって命を落としてしまったので、現国王への不信感はさらに高まってしまったのだ。


「お父さんは遠征の時に爆発事故に巻き込まれて亡くなったとお母さんからは聞きました。二人とも魔巧師の腕は一流で、よく私にオルヴィノの話しを教えてくれてたんです。自分たちも魔巧師の肩書きを持つ者なら、いつかオルヴィノのような立派な魔巧師になってもっとたくさんの人たちを幸せにしてあげたいって」


 ハルはそう言い終えると、ジルの顔からそっと目を伏せた。窓ガラスの向こうでは沈んでいく太陽の半身が山に隠れ、二人の間に静かに影を落とす。

 沈黙と暗闇が色濃くなった室内で、ジルは目の前にいる少女のことをただ黙ったまま見つめていた。


「だから私……決めたんです。お父さんとお母さんの夢は絶対に自分が叶えるって。その為にも凄い魔巧師のもとで修行して、いつか絶対にオルヴィノみたいな立派な魔巧師になってやるんだって」


 僅かに声を震わせながらハルはそんな言葉を告げると、今度は力強い目つきでジルの顔を見上げた。


「だからお願いします! お母さんとお父さんの夢を叶える為にも私を……私を師匠の弟子にして下さいっ!」


 お願いしますっ! と精一杯の誠意を見せてジルに向かって深々と頭を下げるハル。嘘偽りのない彼女の真っ直ぐな気持ちと言葉を受け取り、ジルは考え込むに右手で顎髭をさすった。

 そしてしばらく黙り込んだ後、彼は諦めたようにため息を吐き出すと……


「……無理だな」


「えぇっ!」

 

 あまりの驚きにハルが素っ頓狂な声をあげた。さすがにこの流れで断られることはないだろうと心の中で期待していた彼女だったが、どうやら相手は一筋縄ではいかないらしい。


「ちょっ、今の話し聞いてくれてましたよね!? なのにそんなバッサリ無理だなんて……」


「少しは落ち着け。俺は弟子を取るつもりはないが、何もしないとまでは言っていない」


「え?」


 何だか謎謎めいたジルの発言にハルはにゅっと眉間に皺を寄せる。


「とりあえずお前に魔巧師としての基礎は叩き込んでやる。その後は自分で何とかしろ」


「……」

 

 ジルの言葉を聞いてポカンとした表情をしたまま彼のことを見つめるハル。するとやっと思考が追いついたのか「それってつまり……」と彼女はぼそりと声を漏らすと今度は目をパチクリとさせる。


「わ、私に魔具の作り方を教えてくれるってことですかっ!?」


「ああ……そうだ」

 

 ぶっきらぼうに返事をするジルの前で、ハルはまるで自分の夢がすでに叶ったかのように大喜びする。そのあまりの喜びように、普段無表情を貫くジルもさすがに苦笑いを浮かべてしまう。


「ありがとうございますっ! 私、師匠のお役に立てるように精一杯がんばります! そういえばえーと、お名前は?」


「ジルだ。だが先に言っておくが俺はお前の師匠になる気は……」


 もはやジルの言葉は耳に届かないほど興奮しているようで、ハルは「よしっ!」と一人で謎の気合いを入れると、なぜか無いはずの袖をめくり上げるジェスチャーをする。


「掃除とか洗濯とかは任して下さいっ! こう見えても私、家事は得意な方なんで!」


「……」

 

 突然そんなことを自信たっぷりに宣言するハルを見て、ジルの心が急速に嫌な予感と不安に飲み込まれていく。

「おい」と彼女が先走った行動をしないように声を掛けようとするも、「ふふん」とハルは上機嫌に鼻歌を始めると辺りに散らばっている魔具を拾い集めて勝手に部屋の掃除を始めた。


「あっ! 師匠これってもしかして『魔光球まこうきゅう』ですか?」


 無邪気にそんな声を上げたハルは、右手で掴んだ魔具をジルの方へと突き出した。電球のような形をしたそれは、中にはフィラメントではなく小さな鉱石が埋め込まれている。


「ああ、それは俺がガキの頃に作ったやつだが一度も使ったことはな……」


「よーしっ! だったらこれがあれば部屋を明るくして掃除もはかどりますね!」

 

 ジルの話しを無視してそんな言葉を口にしたハルは、両手で魔光球を握りしめるとぐっと力を込めた。

 魔光球とは魔力を込めると中にある鉱石が反応して光を発する照明魔具の一つだ。魔力のコントロールに長けた魔巧師には扱いやすく、今でも冒険者などでは愛用されている魔具の一つなのだが……


「ぬぐぐぐぅぅ……」


「……」


 まるで大岩でも持ち上げるかのように力んだ声を漏らしながら魔力を込めるハル。魔光球に変化が訪れるよりもハルの顔の方がどんどんと赤く変化していくのを見て、何だか嫌な予感がするなとジルが思っていると案の定……


「うわっ!?」


 一瞬強烈な光が部屋の中を駆け抜けた直後、今度はパリンっ! とガラスの割れるような音と共にハルの叫び声が家の中に響いた。

 眩しさで思わず目を瞑っていたジルが再び瞼を開けてみると、視線の先にいるのはぎょっと目を見開いたまま固まっているハル。もちろん彼女の両手に握られているのは、無残にも割れて粉々になった魔光球だ。


「あ……あは……あははは……」

 

 ぎこちない笑い声を漏らしながら、ハルはゆっくりと首を動かして恐る恐るジルの方を見る。

 そんな彼女を目を細めて睨みつけるジルだったが、すぐに諦めるように大きなため息をつく。

 そして改めて自分の選択を痛烈に後悔するのだった。どうやら相当やっかいな問題児の面倒を見ることになってしまった、と。

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