第3章 彼女の底力
「お願いです師匠っ! 私を弟子にして下さい!」
朝鳥が鳴き始めてから少し経った頃、今日もいつものようにジルの家の扉の向こうからやかましい声が聞こえてきた。
もはや日課となりかけているこの展開に、朝一からジルは思わず頭を抱える。
先日ハルが彼の家へと訪れた日から、彼女は毎日のようにジルの元へと通っていたのだ。
もちろん対するジルはといえば、ハルの声が聞こえてきても扉を開くことはせず居留守を貫く。
けれども相手は相当打たれ強い精神の持ち主なのか、それとも相当の馬鹿なのか、飽きもせず諦めもせず同じことを繰り返す上に、しまいには勝手に自分のことを師匠呼ばわりする始末。
さらにたちの悪いことに、彼女は自分がいかに本気で一人前の魔巧師になることを目指しているのかを証明する為に、ジルの家の前でせっせと魔具作りのアピールまでしていた。
家から持ってきたのか、フラスコに奇妙な液体同士を混ぜて魔力を込めたと思いきや大爆発を起こし、またある時は「虫除けに効きます!」と張り切った声が聞こえてきたと思いきや丸一日かけて巨大な
彼女がジルの家の前で作り出そうとするものは、魔巧師であれば正しい素材と分量、そして手順を押さえれば誰でも簡単に作ることができるものばかりなのだが、それさえもまともに作ることができないのがハルという女の子なのだ。
もはや関わっても良いことはないだろう、と心底痛感していたジルは、本当は無理やりにでも彼女をどこかへ放り投げたい気持ちをグッと堪え、夜まで粘り強く家に引きこもるのだった。日が落ちればこの辺りには魔物が出るので、いくら根気と粘り強さのあるハルだとはいえ恐怖心のほうが勝ってしまい逃げる様に帰っていくのである。
そんな奇妙ではた迷惑な生活が続いていたある日、珍しく昼過ぎになってもいつもの馬鹿うるさい声が扉の向こうから聞こえてくることがなかった。
「やっと諦めたか……」
ジルはそんな言葉をぼそりと呟くと、扉の方へとゆっくりと近づいていく。ここ最近はまるで地縛霊のごとくこの家に取り憑いていたあの少女のせいで、まともに出掛けることすらできなかった。
これでやっといつも通りの生活ができるとほっと安堵するジルだったが、扉を開けた瞬間、自分の判断が間違いだったことにすぐに気づく。
「……おい、そこで何してる」
扉を開けた目と鼻の先、ジルの真正面にいたのはなぜか地面の上に正座をして深々と頭を下げているハルだった。
「これは弟子にしてもらうための、土下座ですっ!」
「…………」
コイツは何をふざけたことを言っているんだと眉間に皺を寄せるジルだったが、相手はどうやら本気のようで、おでこが地面につきそうになるほどさらに頭を下げてきた。
てっきり諦めて帰ったのかと思いきや、彼女はジルと会うために作戦を切り替えたらしい。まんまと彼女のトラップに引っかかってしまったジルは自分の浅はかな行動を後悔するも、ここまで粘り強い根性を持った相手に驚きを通り越して呆れてしまう。
「お前はいつになったら諦めるつもりなんだ?」
「弟子にしてくれるまではぜーったいに諦めませんっ!」
あからさまに迷惑がっているジルをよそに、ハルはそんな言葉を力強く宣言する。何を言っても、どれだけ放置しても一向に態度が変わらない彼女に、思わずジルは右手で頭を抱えた。
だいたいこうも彼女が自分に固執して弟子入りをしたいと頼み込んでくる理由がジルにはまったくわからなかった。
なぜなら彼が作る魔具は街の市場やお店で売られているわけではないし、そもそも誰かのために魔具を作っているわけでもない。つまり、どう考えたって弟子入りを頼まれるような立場でもなければ、本来なら誰かに気付かれることもないはずなのだ。
「いいか。何度も言っているがここは工房じゃないし、俺はお前が想像しているような魔巧師でもない。なのに何故そこまで俺にこだわる?」
何としてでも弟子入りを諦めさせようと考えるジルは、異様なまでに自分に固執する理由をハルから聞き出そうとした。すると、顔を上げたハルからは全くもって予想外の言葉が返ってくる。
「コンパスです! 私が作ったコンパスがこの場所を教えてくれたってことは、師匠は間違いなく私の師匠なんですっ!」
「……」
もはや屁理屈ともいえないほどの馬鹿げた理由に、ジルは思わず言葉を失ってしまう。おそらくこの暑さの中、連日飽きもせずこの山道を登ってきていたのでついに頭がおかしくなったのだろう、とジルは勝手に解釈する。
「わけがわからん。お前の勝手な都合に俺を巻き込むな。それに俺は他の人間と関わるつもりなんてない」
そう言ってジルは目の前で頭を垂れているハルのことは無視して茂みの方へと歩き始めた。するとハルも慌てて立ち上がり後を追おうとする。
「ちょっ、ちょっと師匠待って下さいっ! 私は本気で、ってふぇぇ……」
突然背後からハルの奇声が聞こえてきたかと思いきや、今度はどさりと何かが倒れる音がした。驚いたジルが足を止めて振り返ると、そこには地面の上で仰向けになって目を回しているハルの姿が。
「おいっ、大丈夫か!」
さすがのジルもこの事態を前に慌ててハルのもとまで駆け寄ると、その逞しい両腕で彼女のことをそっと抱き起こす。
「しっかりしろ! 大丈夫か!」
「だ……だいじょ……」
ぎゅるるるー、と突然彼女のお腹から魔物の唸り声のような音が聞こえてきた。その瞬間、思わず白け切った顔を浮かべてしまうジル。しかもあろうことか、ハルはぐーぐーとお腹を盛大に鳴らしながらも、そのままジルの腕の中で気を失ってしまったではないか。
本当に破天荒な奴だな……
そんなことを思ったジルはつい大きなため息を吐き出してしまう。ハルが毎日飲まず食わずで家の前にへばりついていたことは知っていたが、これじゃあ本当に根性がある奴なのかどうかよくわからない。
再び小さくため息をついたジルはそのままハルをお姫様抱っこで持ち上げる。そして久しぶりだった外の空気を堪能することは諦めて、またも家の中へと戻っていくのであった。
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