第10話 今日も最高

「もっと背筋を伸ばして、角度をつけてぇ」

「はいっ」

「惜しい! 指先はこうですわぁ」

「……はうう」


 悔しさにくしゃっと顔を歪めたルーチェの頬を、エフェミラがそっと包み込む。


「大丈夫ですわぁ。練習すればきっとできますよぉ」

「ホント……?」

「ええ」


 その豊満な胸にぎゅっと抱きしめると、ルーチェは静かになった。多分母代わりのカウロアを思わせるからだろう。安心するのだ。


「ルーチェ様はお可愛らしいのだから、がんばればもっと可愛くなれますわぁ」

「はいっ」


 赤くなりかけた目元にそっとキスをして、エフェミラはもう一度淑女の礼の練習をさせる。鏡の前で懸命にポーズを取るルーチェに、エフェミラは目を細めた。


 王妃の第一候補だったエフェミラは、まごうことなき魔王国一の淑女だった。それで、今は王妃教育としてルーチェに礼儀作法やマナー、話術などを教える役目についている。


 ルーチェの侍女になったエフェミラは、ドレスではなく城の侍女の制服。目には見えないが、呪術によってルーチェや魔王に反意を持ったら地下牢へ逆戻りさせられるようになっていた。


 とはいえ、もうエフェミラはそんなことは露ほども考えていなかった。というのも。


「ルーチェ。がんばっているな」


 部屋に入ってきたのは魔王ヴァラルクストである。


「あっ、へーか」


 まだ幼子らしい発音でヴァラルクストを呼び、慌てて礼をするルーチェ。


「おお、上手に……」

「手が曲がっておりましてよ、姫様」

「はうっ」


 小さなこぶしを口元に当て、焦るルーチェ。エフェミラは優しく微笑んでルーチェを抱きかかえるようにして膝をつく。


「手はこう。顔を上げて、その角度のまま……」


 密着して手を添え、細かく姿勢を修正していく。


「さ、もう一度」

「はいっ!」


 ルーチェは今度こそ、と決意をみなぎらせてドレスの裾をつまみ、再度ヴァラルクストに向かって挨拶をする。


「ごきげんよう、へいか」


 完璧。さすが勇者。やると決めればやり通す芯の強さを持った娘であった。


「どう……?」


 ちょっと心配そうに、揺れる瞳が上目遣いにヴァラルクストを見る。


「もちろん最っ……」

「素晴らしいですわぁ! 本当に、姫様はやればおできになる方。教えるアタシもやり甲斐がありますわぁ!」


 ヴァラルクストが言うより先に、エフェミラが満面の笑みでルーチェに手を回した。


「ホント? エフェミラ先生」

「ええ。ルーチェ様なら魔王国最高のレディになれますわぁ」


 抱きしめて頭をナデナデ。エフェミラがちらりと魔王を見れば、ぐぬぬと声が聞こえそうに壮絶な表情でエフェミラを睨んでいる。視線に物理的威力があれば、穴だらけのぐずぐずになっていたに違いないほどに。


(コレよ、コレええええぇ!)


 大氏族の侯爵令嬢だったエフェミラは、他者からこんな目で見られることはなかった。嫉妬も憎悪も格下からのもの。そよ風ほどにしか感じない。


 だが、今彼女を見ているのは魔王だ。ひしひしと感じるその圧。ルーチェに気付かれないようピンポイントでエフェミラを焼く嫉妬の視線。


(ああんっ、陛下がアタシを見てるぅ! アタシだけをっ! しかも超熱視線! たまんなぁい~!)


 ルーチェが懐くほど、先生と慕うほど、こうしてヴァラルクストが射殺さんばかりの目を向けるのだ。これまで魔王がこれほど一心に自分を見てくれたことがあっただろうか。


「姫様、大好きですわぁ!」

「わたしも先生だーい好き!」


 無邪気なルーチェは、にっこりとエフェミラを抱き返す。


 目の前でそれを見せられ、歯噛みする魔王。が、エフェミラがルーチェの教育に貢献しているのは間違いないし、こう懐かれていては交代させるとも言えない。ルーチェが悲しむことを魔王ができるわけがないのだ。


「さ、陛下も褒めてあげてくださいまし。姫様は、陛下にふさわしいレディになるため、とても頑張っておいでです」

「う……」


 こうしてルーチェの背を押してやれば、ヴァラルクストは機嫌を直さざるを得ない。その隙にエフェミラは部屋を出る。


「ああっ、今日もサイコー! 愛していますわ、陛下! 愛していますわ、姫様!」


 楽しい職場に馴染んでしまったエフェミラは、心からそう叫んだ。

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