第2話 卑劣な策士

 パニクったのも束の間。サバルはすぐに冷静さを取り戻していた。


 巨大な竜の力を人型に押し込めたヴァラルクストは、その力も、美貌も、世界に比ぶものなし。明晰な頭脳と支配者の覇気を持つ歴代最高の魔王。


 もちろん魔族の女たちはこぞって閨に馳せ参じようとしたが、うざがられて誰も寝所に届かず。御子をと望む声は多く、あの手この手で攻めるもいまだ戦果はない。


 ちょっとやりすぎたかなとサバルも思わないでもないが、気が付くのが遅い。すでに魔王は肉食系にはうんざりなのだ。


「その赤子をお妃にするとお決めになったのですね?」

「そうだ」


 赤ん坊とはいえ、魔王自らが妻にすると言った女は初めて。ならばたかが十年十五年、待ったとしても知れている。魔族の寿命は長いのだ。妥協できる範囲だろう。


「わかりました。では、ひとまず婚約者として正式にお迎えしましょう。で、どちらの姫君でございますか?」

「……わからん」

「お名前は?」

「それもわからん」

「ちょっとアンタ!?」

「拾ったのだ! 俺もまさか勇者が森に捨てられているなど思いもしなかったわ!」

「は!? 勇者!? まさかその子人間ですか!?」


 聞き捨てならない単語にサバルは声を荒げる。


 勇者とは何故か人間にしか生まれない、特殊な称号を持つ者だ。そして代々人間たちから魔王国への侵略に使われる因縁の相手。何代か前の魔王は勇者に討たれて、魔王国が大混乱に陥ったこともある不倶戴天の敵である。


「だ、だからそんな赤子を手籠めにしたと……」

「しとらんわあっ!!!」

「だって責任取るって言いましたよね? ちょっと最初からキリキリ吐いてもらいましょうかッ!」


 大の男二人の怒鳴り合う声に、赤ん坊が怯えたように泣き出した。


「ば、馬鹿者! そんな殺気を飛ばすから!」

「魔王様こそ覇気駄々洩れでしょうが!」

「くっ……」


 ヴァラルクストは覚束ない手つきで赤ん坊をあやそうとする。壊れ物を扱うように、でちゅよーと幼児言葉で幼子に相対する姿はとても国民には見せられない。


 痴態の甲斐あって赤子は穏やかな表情を取り戻した。釣られて魔王も微笑む。


 サバルは「はぁ」と大きくため息をつく。


「陛下、どうしてよりによって勇者なんぞをお妃に」

「だって、俺がいないと生きられないのだぞ、この生き物は」

「あー……」


 魔族にとって勇者は敵だ。ましてや無力な赤ん坊。この魔王国で魔王の庇護がなければ到底生きてはいられない。


 そうか。魔王は食らおうと迫ってくる肉食系女子ではなく、庇護欲をそそられるか弱い女がタイプだったのか。


 今頃になって己の策が大いに的を外していたことを知るサバル。


「ま、まあ、とりあえず女官を呼びましょう。まさか陛下が直接世話をするとは仰いませんよね?」

「っ、それは……」

「乳母が必要でしょう。ちょっと冷静になってくださいよ」


 ぎゅっと自分の指を握る小さな手に、未練たらたらの表情を浮かべるヴァラルクスト。


「わ、わかった……」

「ちょっと? ホントに変な扉開いてないでしょうね?」

「失敬な!」


 責任の詳細は有耶無耶になったが、サバルとしてはせっかく魔王が妻を迎える気になったのだ。下手なことを言って前言撤回されると困る。


 それにただの人間ではなく勇者なら、魔王の伴侶にふさわしい強者に育つはずだ。派閥のしがらみもなく、赤子であるから個人的な恨みも買っていない。候補としては案外悪くないのではないだろうか。


「よし……すぐに王妃教育の計画を立てねば」


 サバルはぶつぶつ言いながら玉座の間を出て行く。


 その玉座の間に何本も立つ柱の一つ。 


(おのれ勇者……『あなたがいないと生きていけないの』と体で示すとは! 陛下の慈悲に訴えるとはなんという卑劣な策士よ……!)


 柱の影に潜んで拳を握り締めるのは、諜報部隊長・ナイトストーカーのベノウスだった。

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