第29話 ただいま。
守る。
そう言われて顔が熱くってしまう。
たくましい魔王様に言われてしまったのが嬉しくて、舞い上がるなと自分を律しても控えめな笑顔を保つのが難しい。
魔王様がこちらを見ていないのを良いことに、片手を頬に押し付ける。
熱いわ。落ち着くのよ、私。
「帰しちゃうんですか?ここなら確実に安全ですけど。」
二度目の主張に魔王様も少し考えているようだった。
それを見てバゼル様が畳みかけるように続けて言う。
「魔王様の私室ならどこよりも安全ですから!」
からからと笑うバゼル様はとても楽しそうで、私は呆気にとられる。
そういえば、この方はとっても自由な考えを持っていらしたわね。
それに私が知らないだけで魔王国ではきっと結婚前の男女の決まりなんて無いのかもしれないわ。
「バゼル…お前…」
「だって、さっきまで一緒にいたんだろ?なぁ。」
迫力のある顔をした魔王様に一歩も引かずにバゼル様は空とぼけて私に言った。
さっきまで。
その言葉につい思い出してしまった私は今度こそ全身が火に包まれたかと思うほど一瞬で熱くなった。
あまり考えないようにしていたけれど、私。
私、あの方に抱き締められていたのよね。
それになんだか子供にするみたいに背中を叩いちゃったりして、何てことをっ。
「バゼル。いい加減にしろ。彼女は帰りを待つ者がいる。それに…あそこで働くことが生きがいなのだろう?」
そう優しく話しかけられ、私はついに両頬を両手で挟む。
ああ。こんなに居たたまれない思いをするなんて初めてだわ。
昔掘った穴に自分が入ってしまいたいくらい。
けれど彼の言ったことは間違いないので、首を縦に振る。
口を閉じていないと羞恥に叫びだしてしまいそうだ。
「ほら、こう言っている。」
魔王様がバゼル様へ威厳たっぷりに詰め寄る。
ただでさえ身長の高い魔王様があご先を少し上げていて、勇ましいことこの上ない。
「…魔王様、目の色、変えてますか?」
しかしバゼル様は後退るどころかまじまじとその顔を覗き込んでいた。
「…?変えていないが。」
「…金色?いや、黄色?…混じっていますけど、どうしたんです?」
バゼル様の言葉に私は思い当たる節があって頷いた。
真っ黒な、闇夜をそのまま閉じ込めた色をしていたのに、いつからか星のように小さな色が散っていたのだ。
良く見なければ分からない程の変化だが、さすが魔王様の部下。細かいことまでよく把握している。
「私とこちらへ転移した時は魔王様の瞳はお変わりないように思ったのですけれど…」
もしかしたら何か良くないことなのかもしれない、と私はバゼル様へ告げる。
しかし魔王様は何故か眉を寄せて私を見た。
怒っているような、不満を訴えているような、そんな表情だ。
私は何かしてしまったかと不安に思って見上げるが答えは見つからない。
もしかして見られるのが不快だったのかしら。
あんなに顔を寄せてしまったのだもの。不快よね。申し訳ないわ。
「…もう呼んでくれないのか?」
「え?」
「名を。あなたが付けてくれたんだろう。」
あ。ああ!
まだ覚えていらっしゃらないのかしら。
覚えにくいものを思いついてしまったから、覚えられるように私がしっかり呼んで差し上げなければ。
「ノクス様。…もし他にお好きな言葉があれば、そちらでも…」
「いいや。あなたが考えてくれた名が良い。気兼ねなく呼んでくれ。」
「はい、ありがとうございます。」
良かった。
気に入ってくれたのなら私も嬉しい。
彼は私の前へ来て手を差し出す。
その手を取ると優しく引いてくれ、私はそのまま導かれるように真っ直ぐ立ち上がった。
まだ重ねられている手を一度きゅっと握られ、星空のような瞳が私を映す。
「あなたを帰すのは本当は止めた方が良いのだろうが、生き生きとしているあなたを殺したくはない。」
私を理解してくれる言葉に、記憶の共有も悪いものではないと思えた。
あの時は取り乱していて覚えていないけれど、ありがとうと言ったのは出まかせではない。
本当の意味で理解してくれてありがとうと言いたかったと今なら分かる。
「ありがとうございます。」
何度言っても言い足りない。
そう思って私は頭を下げようとするが、彼に手を引かれて会釈になってしまった。
「良い。私の方が礼を言うべきだ。」
ふっと彼は微笑み、つられて私も笑みを浮かべた。
「…いつでも呼んでくれ、私にくれた名を。すぐに転移して向かうと約束する。」
また、と囁かれて温かかった手が冷たくなる。
瞬きをすると先程までの豪華なお部屋は消え、お店の目の前に立っていた。
「あら……」
今までのことは夢だったのかしら、と驚いて足の下の土の感触を味わう。
本当に、私今まで魔王様のところに…なんだか不思議ね。
最後にここを離れた時とは別人になったような晴れやかな気分だ。
「…シェリー、ちゃん…?」
カラン、と扉が少しだけ開いて柔らかな緑色がこちらを窺う。
「メリィさん!」
少し離れただけなのに懐かしく思えて笑顔で駆け寄ると、同じように小走りで飛び付いてくれた。
抱き締めた体は私より少し小さくて柔らかく、野菜やハーブの良い匂いがする。
「シェリーちゃん!?」
「メリィ?―――シェリーちゃん!」
「おお、シェリーちゃんが帰ってきたぞ!!」
お店の皆が次々に私へ抱き付いたり周りを囲んでくれる。
きっととても心配を掛けてしまったわよね。
「シェリーちゃんシェリーちゃんっ!!もうどこにも行かないよねっ!?」
ぐずぐずになった顔でトットちゃんは私の服に縋りつく。
離さないと言われているようで、少し嬉しい。
「ええ。行かないわ。行かない。ノクス様が守って下さるもの。」
私の言葉に周りを囲う皆がわっと盛り上がる。
「人間側に引き渡されないんだな!?」
「これからもいるってよ!」
こんなにも心配を掛けてしまった罪悪感を感じながらも嬉しさに涙が出た。
ああ、ここの皆は私を受け入れてくれていると感じることができる。
私はここにいていいのだと、皆が言ってくれているようで。
「シェリーちゃん、お、おか、おかえりなさいぃっ」
涙声でつかえながら何度も何度も言われている言葉の、最適な返答を私は知っている。
「…ただいま、メリィさん、皆。」
やっぱりここが私の居場所。
そう思わせてくれて、ありがとう。
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