第28話 宣言


 優しさを、笑顔を、名前を、くれた。


 私は彼女に何を返せるのだろう。


 おずおずと回された小さな手が優しく背を叩いてくれる。

 それがどうにも心地良くてそのまま頭を肩口に乗せた。

 柔らかい香りが癒しの効果を持っているように、気持ちが微睡んでいく。


「…あ、あのう…」


 控え目に掛けられた声に目を開いた。


 はっと我に返り体を離す。


「あら…?」


 恥ずかしそうに顔を赤らめていた彼女が、私を見て首を傾げる。

 それどころか覗き込むように近付いて、笑った。


 ギュッと心臓を握られたような感覚に肩を揺らす。


「瞳の色、なんだか変わりました?」


 心臓に悪いような、でももっと見ていたいような気持が視線をさ迷わせる。


「そうか…?」


「なんだか本当の夜空のようで、素敵です。」


 そう無邪気に微笑まれ、言葉を失う。


 つい今まで言葉を交わしていたというのに、どういうことなのだろうか。

 やはり彼女は何かしら魔術を使えるのか?


 自分でもくだらない考察だと棄却して、立ち上がる。

 彼女に手を差し出せば、ためらいがちに掴んでくれた。


 そろそろ本題に入らなければならない。

 この部屋へ転移した時にバゼルに彼女を確保したと連絡を入れたが、それからしつこく念話を飛ばしてくる。

 全て拒否してしまっているが、大目に見て欲しいと思い彼女を見つめる。


 あまりにも、惜しい。


 短い金色の髪も、薄茶色の形の良い目も。


 彼女を失くすのは、あまりにも惜しい。


 そう叫ぶ自分に驚く。


「…どうか、なさいましたか?」


 彼女の手を取ったまま思わず黙り込んでしまった私は、平静を保っているふりをしてそのまま告げる。


「これから執務室へ転移し、あなたの意見を再度聞く。」


 はっと彼女の表情が強張って瞳が揺れたが、すぐ覚悟を決めたように私を見つめ返した。


「…はい。」


 黒い闇に包まれ、開けた頃には私室よりも慣れた執務室に景色が変わり、手を離した。


「魔王、様…と…お前……」


 バゼルが口を開けたまま彼女と私を見比べる。


「はぁぁあん?」


 そして疑っているような得心したような、間抜けな声を出した。


「バゼル。」


 いきなりそんな声を出されては彼女も驚くだろうと諫めるつもりでその名を呼んだが、彼は楽しそうに口角を吊り上げるだけで態度を崩さない。

 私はため息をついて、目の前にソファを転移させる。


「…ここへ。」


「あ……はい。」


 彼女は大人しくそこへ座り、私は咳ばらいをする。

 これから話すことはとても重要だ。


 初めて前魔王と謁見する日の朝くらい緊張している。


「…もう耳にしたかもしれないが、今人間側では軍をつくりこちらへ攻め入る動きが出ている。」


 膝の上で合わせた小さな手が握り込まれた。

 私は資料と彼女を交互に見つつ続ける。


「その原因となっている要素は今、二つ挙げられる。ひとつは、あちらの大陸でのさばっている魔物の悪行を私の指示だとし、打ち滅ぼさんとする為。そしてもうひとつは…あなたの奪還である、という噂が流れている。」


 ゴブリン達が聞いた内容だ。

 信憑性としては高い。

 何故ならわざわざ理由をつけて彼女を追い出そうとする理由が無いのと、ゴブリンにそこまで知恵がある訳ではないからだ。


「…ですが、私を奪還するなど…そこまでの労力をかける意味が分かりません。」


 その噂を疑っているのか、眉を寄せて視線を下げる。

 しかしそれは私も思ったことだ。


 王族やそれに準ずる貴族であれば有り得なくはないが、彼女は伯爵家の出身。

 そこまで身分が高くないのに、何故そんな大事になっているのか。


「士気を高めるため、ということも言えるだろうけどな…それだけじゃないはずだ。」


 バゼルが言い、私も頷く。


 彼女の記憶を共有してしまった私も、不躾だと思いつつ回想する。

 しかしいくら考えても彼女の関係者に直接軍や国の上層部と関与できるような人間は思い当たらなかった。


「友人たちはどうだ?将来性ある者が多くいたと思うが…」


「え、ええ。いましたわ。けれど、そんなに深く関わった方はおりませんし…仲の良かった公爵家のレイ様や侯爵家のカレンは、国に軍を要請できる程の力までは持っておりません。」


 そうだろうとまた私は頷いた。


「国王と面識は?あっちはどんな奴が王なんだ?」


 バゼルが問うと、彼女は必死に思い出そうと拳を口元に当てる。


「えぇ…と………国王様との面識は、公的なものしかございません。お年ですが、采配の腕が良いとの噂くらいしか。王子殿下や姫君も学年が違いましたので私的な関わりもありませんし、どんな方かも……すみません。」


 八の字に眉を下げ、肩を落とす彼女を労わるようにその肩に触れる。


「構わない。」


 そして、一番知りたいことを問う。


「再度問う。…祖国へ帰りたいか?」


「いいえ。」


 間髪なく答えられた真っ直ぐな言葉に、つい安堵してしまった。


 ここで少しでも迷っていれば、私も揺らいでしまっただろう。

 それに、あの料理屋の者たちに何を言われるか。


「…そこまで言い切れるものなのか。救いようのない国か?」


 バゼルが何故か私の方を驚きの目で見ながら問う。

 彼女は首を横に振ってやんわりと苦笑した。


「いいえ。…確かに、こちらの豊かな国とは違い、聞く耳も持てないような浅慮さに改善点は多いことと思いますが…私の領地はそう悪いものではありませんでしたわ。」


 領地は。

 何気なく発せられた言葉の意味が今ならば分かる。

 領民に砕いた心のその欠片も貰うことのできなかった、彼女の切なさが。


「…私は淑女でしたので、政治や騎士団の動きにあまり明るくなく…お力になれず申し訳ありません。」


「良い。あなたが謝ることではない。」


 即座に私が言うと、彼女は優しく目元をやわらげた。


 記憶の中で見た彼女は、友人たちの相談ばかりを受け、男を避けていた。

 家族内の会話も表面上なものが多く、世の中で起きていることの情報に追い付けるような教育や会話が十分ではなかった。だから知らないのは仕方がないことだ。


 その後一般的に知っているような内容ならと教えてくれた情報も、既にこちらが掴んでいるものと同じか、それよりも劣っているものばかりだった。


「で、ここに住むんですか?」


 突然発せられたバゼルの問いに、私は固まる。

 彼女は驚きつつも、困ったように口元に手を当てた。


「それでしたら…私物はともかく、せめて皆に挨拶をさせていただくことはできますか…?」


 見当違いではあるが、前向きな姿勢を見せている彼女に、私は更に言葉を失う。

 バゼルは途中から笑みを浮かべて私を見ていた。


 その意味がようやく分かった。


「バゼル。何を言う。」


 少しだけ怒りを込めて睨むが、効き目はないようでその笑みも口も止まらない。


「いえ。俺はしっかり考えて言ってます。その方が身の安全を確保できますし。」


 私には聞こえた。

 その後に続く言葉が。


――あとその方が面白いし。


 私は拳を握って言う。

 いつも彼女を面白がっている節があるが、彼女はおもちゃではない。


「私が守る。指一本、傷付ける者は許さない。」


 それで良いだろう、とバゼルを睨むとより楽しそうに笑みを深めた。


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