第21話 シェリア・ルべイン。


   シェリア・ルべイン。


   ルべイン伯爵家の長女。



 それが、置いてきた私の名と身分。




 南にある自然豊かな領地を治めるルべイン伯爵家。特産物は川魚と山菜。

 快活で見目の良い領民思いなお父様と、気立ての良いお母様。そんな二人によく似た兄と私と弟。兄は父のように人に慕われ、弟は頭が柔らかく技術に明るかった。


 容姿は父に似た明るい薄茶色の瞳に母のブロンドを引き継いだ私は、よく連れられたお茶会で外見を褒められた。母はお手前の世渡り術で謙遜しつつも自慢げだったのを覚えている。


 私はそんな社交辞令などどうでも良かった。


 幼心に、なぜ兄と弟のように外を駆けまわって遊んではいけないのか、なぜ煌びやかで動きにくい服を着なければならないのか不思議でならなかった。

 彼らのようにいくら必死で剣術の練習をしても狩りの真似事をしても、褒められるどころか怒られるばかりだった。

 他になす術のない私は認められたい一心で、お勉強もお作法も嫌々頑張った。お転婆とからかわれた腹いせでもあったけれど。


 兄に負けない虚勢を。弟に負けない貞淑さを。粗野な男兄弟の中で映える、素敵な令嬢の外面を手に入れた。


 そんな私には少し年上の従姉が二人いた。お転婆なせいで、身近に同じような年代の令嬢があまりいなかったから、彼女たちの言うこと遊ぶもの全てが絶対だった。私より教育が進んでいた彼女たちを参考に自分の立ち振る舞いを直していた私は、一種の憧れを抱いていた。

 そしてある日、彼女たちが私に言ったのだ。


「シェリーは、色っぽいわね。」


「ほんと、とっても大人っぽいわ。」


 にっこりと。


 それが私にとってどれほど衝撃だったか分からない。


 もちろん私は彼女たちに見合うように年の割には大人ぶっていたし、彼女たちのその発言も、思春期ならではのものだったと今では思える。

 しかし大人たちが微笑ましく思って同調した時でさえ、私は素直に喜べなかった。


 貶められている。


 そう感じた。


 幼いなりに言葉を理解し、恥ずかしいと思った。品がないと同等の言葉を言われたと思った。

 さすがに色っぽい、とは直接的に言われることは無かったが、その言葉はまるで呪縛のように私に付きまとった。


 成長期である10歳から15歳までを過ごす女学園。


「ルべイン様は、大人っぽいわね。」


 それが確実に体の発育を見られての言葉で、私は冷や汗を流した。


 純粋な悪意を感じとった私は必死に頭を働かせる。


「そ、んなことはないわ。カートン様だって背が高くてうらやましい。」


 領地の式典では、更に過酷だった。


「お嬢様は大人びていらっしゃる。」


 父よりも年が上の町長にまで言われた時には、思わず足が震えた。


 純粋に好意で言われていることもあったように思う。その意味が、容姿だけでなく振る舞いからだとも分かっている。しかし、どうしても肯定的に受け取ることができなかった。


 体の発育が進むと同時に、同性より異性の視線が突き刺さった。異性の視線と、同性の攻撃的な視線は比例するからだ。


 まだ女学園とはいえ、本能なのか、同性同士の反発があった。


「まぁルべイン様。それなりにお綺麗ですとお勉強はおざなりで良いそうですわね。」


 僻みや妬みも無い訳ではなかった。

 けれど私は既に自分なりの潤滑な回避法を思い付いていた。


「いいえ、ピットル様。貴方のように賢く、切れ長で聡明なお顔立ちこそ私にとっては理想そのものでしてよ。私は、私の顔があまり好きではないの。」


 人を貶めることなく、嘘をつくこともなく。

 私はコツコツと人脈を作っていった。

 

 そして女学園卒業の年。私にもその時がやってきた。


「シェリー。彼はティーゼル・コール。コール子爵の子息で、お前の婚約者だよ。」


 階級はひとつ下。年は兄と同じふたつ上。父の友人だという子爵の子供。

 領地はそれなりに近く、家同士が仲良くする分に不足は無い。


「はい。よろしくお願い致します。」


 私は笑顔で頷いた。


「こちらこそ、よ、よろしく。」


 彼は良く言えば素朴で穏やかそうな青年だった。だからこそ、彼とはあたたかな家庭を築けそうだと、嬉しく思ったことは覚えている。


 領民へ心を砕く父と、教育熱心な母。年の近い兄と弟に挟まれ、寂しく思わないことはなかった、その心の隙間を埋めてくれるだろうと。


 貴族の令息令嬢が通う、いわゆる貴族学校へと入学してからは忙しかった。


 婚約者となったティーゼルは、人柄は良いが人脈があまりに寂しかったのだ。


 要約すれば、少々面白みに欠ける男。


 遅くに生まれた待望のひとり息子であり、両親からさぞ可愛がられたであろう傲慢さや自分勝手な節はデートでも垣間見えていたが、ここまでとは思っていなかった。

 けれど、容姿ばかりを見て私を貶めようとしてくる人たちを見ているとそんなことは些事さじに見えた。


 そう、良くも悪くも。発育の良かった私は声を掛けられることが多かった。


 例えば夕暮れ時の学校。

 あれは図書館で令嬢たちと勉強を終えた後のことだった。


「やあ、ルべイン伯爵のご令嬢。」


 しまった、と私は思った。

 周りにいた令嬢たちは既に帰ってしまって、ひとりになっていたことに気付かなかった。


「この後時間はあるかな?」


 熱に浮かされたような、卑下するようなこの瞳を知っている。

 伸ばされた手にどんな意味があるのかも。


「っ婚約者を待たせていますの…!」


 純粋な告白もそうでない誘いも、少なくはなかった。

 そしてそれを断るのには精神的に悪い意味で、とても堪える。


 嫌悪感、震え、怒り、様々なものが夜な夜な私の眠りを妨げる程度には。


 しかし学校は三年の19歳まで。

 そして成人と言われる20歳までに正式に跡取りとして認められるかどうかで今後の身の振り方が決まる。


 私が入学した時点でティーゼルには残り一年。何としてでも人脈を広げてもらわなければならないと思った。


 その為には私が先陣を切り抜けるしかない。


「いつかは、きちんとご自分の立場や将来についてきっと考えを改めてくださるわ。…男性を陰から支えるのが、淑女として、伴侶となる者としての素晴らしい役目ですもの。」


 私は強引に自分を鼓舞して、ティーゼルを支えようと心を決めた。


 それは無意識に、自分の価値はティーゼルの婚約者という立ち位置でしかないと思い込んでいたからかもしれない。


 でもそれはあながち間違いではないだろう。

 家同士の婚姻。そのためのなのだから。


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