第22話 下準備。


 ティーゼルと婚約してからひと月。


 よく言えば良好な、悪く言えば当たり障りのない関係を築いていた私は内心少し焦りを感じていた。


 各領地は地図上で区切られてはいるが、ひとつなぎの大陸だ。天候や地理を学べば、隣はおろかできるだけ他の領地の情勢は知っておいて損はない。

 ひいては万が一の時に助けになってもらえるかもしれない相手が公爵や侯爵であったりすれば心強いだろう。そのあたりは父を見て私も兄も理解している。


 自分の人脈を足したとしても、あまりにも頼りない。


 しかし当の本人はのんびりとしていた。


「ティーゼル様。今度お兄様がヴォルドー様と遠乗りにお出になるそうですが、ご一緒してはいかがです?それとも、私と、友人のマリアと兄君のレイ様と婚約者のカレン、マリアの婚約者のマイルズ様と六人で観劇でも…」


 デートと言いつつ領地の視察へ行っていても、彼は土産物屋に興味津々だ。


「そうだね。でも今は従弟が屋敷へ来ているから遠慮しておくよ。それよりほら、これを見て。」


 せっかくのお膳立ても彼には届かない。ヴォルドーは公爵家、マイルズは侯爵家の令息だ。彼は家名をきちんと把握しているのか、私には聞く自信がなかった。


 それでも私は彼の婚約者。彼にやる気がないのなら、私が支えてあげなければ。


 そう思ったのは、間違いだったのかもしれない。


「まぁ…コール様ったら、それはあまりにもお粗末ではなくて?」


「良いのよ、カレン。」


「それでもこんなに頑張っているシェリア様がお可哀想ですわ…」


「おいたわしい…」


 少し口を滑らせてしまって後悔する。


「ティーゼル様を悪く言いたい訳ではないの。そのおかげと言うか、皆さまが良くしてくださって、私は嬉しいですわ。支えてこその、婚約者ですから。」


「まぁ、コール様はお幸せですわね。」


「本当に。私の婚約者のエイデン様だって―――」


 おかげで、私には年齢問わずこんなに人脈が広がったのだから悪いことではないはず。


 友人の令嬢たちは私の状況をおもんばかり、こぞって婚約者を紹介してくれた。


「シェリー様はお綺麗ですけど、あまり見つめては失礼ですわよ、レイ様!」


「いや、そんなに見つめてはいないだろう。んんっ…すまない。失礼だったな。君はあまり男子生徒とは関わらないから…」


 それは当然だ。ただでさえ嫌な意味で声を掛けられることもある私が男子生徒と話していたら、どんな噂になってしまうか。

 経験上、それくらいのことはわきまえている。


 私は微笑んでやんわりと会話を濁した。


「ふふ。今は勉学に集中しているティーゼル様ですが、きっと貴方のお力が必要になるかと思いますの。兄ともども、これからもよろしくお願いします。」


 ヴォルドー様の言葉に苦笑で応えつつ、深く頭を下げる。


「ああ、君の兄ロンドや弟のルドとは良い友人だ。コールとも何度か話したことはあるし、良い奴だと思うよ。よろしく。」


 良い友人と良い奴。そこには計り知れない距離があるのだろうと先を憂いながら礼を言う。


「それより、ロンドの誕生日が近いだろう。カレンと一緒に、プレゼントを探しに行かないか?コールが来るか来ないかは置いといて、君の息抜きになれば良い。」


 カレンが笑顔で何も言わないということは、きっとこの誘いは私のためにとカレンが持ち出し、話題として先に予定されていた内容なのだろう。


 私はカレンの心遣いに温かい気持ちになって、喜んで頷いた。


「まぁ、お気遣いありがとうございます。ぜひ!」


 そして、あっという間の一年が過ぎ去ろうとしていた。


 女学園での繋がりも合わせて学校のほぼ全ての令嬢とは知り合い、その三分の一程度の婚約者様たちと友情を結べた。


 令嬢たちの結びつきは確固たるものだ。何かあればどんな厄介事でも相談を受けていたし、どんな形であれ協力を惜しまなかったから、感謝をされても恨まれるようなことはしていないはず。

 そしてほんの少しばかりティーゼルのことを話していた為、それが同情からだとしても今後協力してくれる令嬢は多いだろう。

 それに当主が顔を見知っていて、その婚約者である令嬢が友人であれば、妻となった後でもいくらか友好的に接してくれるはずだ。


 特に、セイルム侯爵令嬢のカレンとその婚約者であるヴォルドー公爵家令息レイ様と友好を深めることができたのはありがたい。その妹であるヴォルドー公爵家の令嬢マリアとその婚約者も仲良くしてくれている。


 ただの助け合いのための繋がりでなく、確かに親交を深められた。

 そこにティーゼルが含まれていないのが口惜しいところだったけれど、一個人としては満足以上の成果だろうと言える。


 しかし反面、ティーゼルは本を読んでいる時間が増えたように思う。


「ティーゼル様、お茶が冷めてしまいますよ。」


 そう声を掛けても、本に熱中しているのか返事はない。


「ティーゼル様。」


 目の前まで行って声を掛けると、あからさまに目を逸らされた。


 今は機嫌が悪いのだろうか。


 前からこういうことは何度かあった。私は仕方ないと息をついて、ひとりでソファへ座った。


「…今度、ヴォルドー公爵のご子息レイ様とその婚約者のご令嬢をお茶に誘ったんだ。君も来るよね?」


 少し棘のある言い方に疑問を覚えつつ、頷いた。


「ええ。もちろんですわ。それより、仲良くなられたんですの?珍しい!私、嬉しいですわ。」


「…君みたいに誰かと仲良くするのは大事だと思って。」


 その日は終始機嫌が悪かったティーゼルに、私は具合でも悪いのかと思いつつ、やっと人脈の大切さに気付いたのかもしれないと舞い上がっていた。


 いつもは敏感な、皮肉な言い回しの意図にも気付かないくらいに。


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