第19話 察知
「…報告は以上になります。」
「ありがとう、バゼル。…しかし困ったな…」
数枚にわたる報告書の題名は人間側の王国について。定期的にいつも報告があがるものだ。
あちらへ被害を与える魔物はそのほとんどがその地で生まれた魔物によるものだ。
ほとんど。
つまり少しはこちらに非があることもある。例えば水害は周辺の魔物が活性化してもたらされてしまったり、それこそあの娘のように誘拐されたりなどだ。
作物を荒らすことも誘拐の数も少なくはなったが、起こっていることは把握している。そのためにも奴隷制度の廃止や自治区に監察官を配備するなどこちらも動いているのだ。
しかしそれを伝えようとしてもあちらの国王は聞く耳を持たない。
何度か連絡を申し込んでみたが、それが返ってくるどころか通ったことは一度として無い。それは何代か国王が変わってからも然り。
「ふん…」
私は低く唸って左手で額を押さえる。
報告書の内容は、人間側が軍隊を編成しようとしているとのことだった。
「…壊滅させますか。」
金色の瞳を輝かせて言うバゼルに私は片手を挙げて制す。
「待て。まだこちらへ攻め入ってくるまでには時間が掛かるだろう。何かきっかけがあるはずだ。もう少し探ってくれ。」
「……かしこまりました。」
バゼルはつまらなそうに片方の眉を吊り上げ、黙礼して出て行く。
人間国側には優秀な魔族の密偵部隊が各所に潜んでいる。情報は常に掴んでいるようにしているが、さすがに上層部のみの秘密事項だとその情報の鮮度は落ちる。
「…ふぅ。」
短く息を吐いて先を憂う。
攻め入ってくることがあるのならば迎え撃たねばならない。
何とかして戦火の芽を摘めないものか。
私は椅子を引いて後ろにある窓へと近付いた。私の身長以上ある大きな窓は毎日清掃され透き通るように美しく磨かれ、反射さえなければまるで空気の壁を隔てているような錯覚を起こす。
高い城から見える城下町は、様々な魔族が言葉を交わし商いをし家庭を持ち健やかに暮らしている。
私がここへ来た時にはまだ種の差別が強く、別種の魔族が混じり合って暮らす光景など見ることはできなかった。それが、少しずつ壁は薄く低くなりつつある。
あの弱気な草食魔獣たちでさえ、体の大きい者から順に姿を見せるようになったのは最近だ。
問題は、なるだけ起きる前に未然に防ぐが吉。
私は椅子に掛け直し報告書と向き合った。
そして十日経った頃にようやく時間を確保することができ、急ぎ城を出る支度をする。幻術を使い瞳の色を変えると、室内で報告書や対応策についての資料を整理してくれていたバゼルが目を丸くして私を振り返った。
「まだ行かれるんですか。」
「ああ。……やめた方が、良いのだろうか…」
しばらく仕事漬けで記憶から薄れていたことを思い出して眉をひそめる。
彼女は最後、怯えたような顔をしていた。
周囲には私が彼女を監視下に置いていると示すことはできているだろうから、身の危険にさらされる可能性はそう無いはずだ。ならばもう、このまま彼女をそっとしておく方が良いのだろう。
「…良いんじゃないですか。息抜きをどう使おうと、魔王様の御心のまま。それを止める権利はこの俺にも誰にもありませんよ。」
そう言うバゼルはわざとらしく片方の口角を吊り上げた。
何故か楽しそうにしている彼に首を傾げつつも礼を言う。
「そうか。…ありがとう。少しの間任せる。」
「はい。」
そのまま転移の術を起動させると、視界が一瞬黒一色に染まり景色が一変した。
穏やかな風に土と草と…野菜の良い香りだ。
気が急くのを宥めながらゆっくりと歩みを進める。
もしまた怯えた顔をされたのなら来るのを止めよう。そう考えながら扉を開く。
「いらっしゃいませ!」
笑顔と声が一斉に掛かって来てたじろいだ。
何より、店には客がいない。
もしかして早過ぎただろうか。
はっと従業員の顔が引きつるのを見て罪悪感が吹き出す。
彼女もきっと同じような顔をしているだろうと思いながらも横目でその顔を盗み見る。
「――――ッ…」
出直そうと開いた扉をそのまま掴もうと伸ばしかけた手が止まった。
何故彼女は満面の笑みを保ったままなのだろう。
そして背を向けようとしていた私を引き留めてくれる。
席に着いた私は水を口に含みながら手放しに喜ぶ自分を叱咤した。
彼女はここで働く従業員だ。一流であれば心を殺し給仕に徹することなど当然のこと、日常茶飯事だ。
彼女は私を受け入れてくれているなど、勘違いをするな。
メニューに悩むふりをしながら彼女の視線を受け流していると、控えめに声を掛けてくれた。
「温かいものを召し上がると、ほっとしますよ。」
ほっとする?
私は疑問を抱きながら好奇心でそれを頼む。
ほっとする。主に国の政策や施策がうまく機能した時の報告や国民から賛辞の声が届けられた時に感じる安堵と同じ意味だろう。
良かった、と思う時だろう。
私は意味を見出せぬまま客が増えてきた店内をこっそりと観察する。
「いらっしゃいませ!」
ほら、彼女は皆を笑顔で迎えている。私にも同じように。
差別をしない、高潔な精神を持っているのだろう。素晴らしいことだ。
その分け隔てない真心に救われた者も多いのだろう。
人間を慕う魔族など、聞いたことがない。
私はひとり納得して、運ばれてきたスープを見つめる。
そんな私も、救われたひとりなのだろう。
執務室で食べる昼食も、自室で食べる夕食も、ひとりだろうが栄養価の高い食事がとれることに変わりはない。
だがここは、皆に混ざって食事ができるこの料理屋は、不思議と居心地が良い。
「…ありがとう。」
不意に、そう言葉が零れた。
そして、返ってきた言葉に耳を疑う。
「…こちらこそ、お待ちしていました。また来てくださってありがとうございます。」
待っていて、くれたのだろうか。
私を。
怯えさせた訳でも、不快にさせた訳でもなかったのか。
彼女はいつものように薄茶色の瞳を細めて微笑む。
ただその頬は、いつもと違って薄く色付いていた。
すぐに背を向けて行ってしまった彼女を見送り、スープを口に運ぶ。
ほっとする、の意味が分かった気がした。
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