第18話 仕切り直し。


 もう一週間以上経つ。


「はぁ…」


「シェリーちゃん。そんな顔して、お客さん心配してるわよ?」


 メリィさんの優しい声に私がはっと慌てて周りを見ると、様子を見てたらしきお客さんたちが同じように慌てて顔を背けていた。

 私は笑って食器を下げる。


「ふふ、ありがとうございます。皆さん本当にお優しいわ。」


「シェリーちゃんが楽しそうにしてないとねぇ。」


「何かあったの?」


 そう聞いてくれるお客さんに私は口を閉じてぎこちない笑みを浮かべる。


 心配してくれるのはとてもありがたいと思うけれど、言えないわ。

 …常連さんを待ってるだなんて、恥ずかしいもの。


「えっと…実は昨日ちょっと嫌な夢を見てしまったんです。でももう大丈夫ですから、心配掛けてごめんなさい。」


 カウンター越しに振り返り笑顔でそう言うと、お客さんたちは肩をすくめながらも納得してくれた。


 嘘が下手なのは良いことなのだろうけど、あまり心配は掛けたくない時は困ってしまうわ。


 そう思ってテーブルを拭きにフロアへ戻る。


 結局その日も彼はランチに現れなかった。


「どうしたのかしら…」


 月を見上げながらひとり自室で私は考える。


 ひと月ほど私の様子を見て、問題なさそうだからわざわざ来る必要がなくなったのだろうか。

 それとも、単に忙しいだけなのか。

 まさか、私が不躾にも名前を尋ねたからかしら。

 もし気分を害してしまったのなら謝りたいけれど、ここへ来たくないとしたら無理に関わるのも失礼だ。


 どんどん下がり気味になる気分を落ち着かせようと私は大きく深呼吸した。

 


「…ふふ。」


 昼の出来事を思い出して自然と頬が緩む。


 それにしても、本当に皆優しいわ。

 テーブルを片付けている間、ちょっと落ち込んだだけなのに見られていたのね。


 ここへ来て早半年。私は人間でなくシェリーとして見てもらえている。それがとても嬉しい。


 私はゆっくりベッドに腰掛けて短い髪を梳かす。

 トットちゃんとお出かけした時に買った木の櫛は花の油を染みこませてあるようでふんわり良い香りがする。


 ひとりになると時々思い出す、祖国での生活。


 髪は梳かしてもらうもので、服は着せてもらうもの。

 選べるものが少なかった私の生活は灰色のように今は思える。

 今は、とても自由だ。

 何より思いやってくれるひと達が周りにたくさんいる。

 生きている実感が持てる。


 前は生きていくのに必死過ぎて自分を見失っていたのね。


 私はふっと前の自分を皮肉に笑って柔らかいベッドに沈んだ。

 来た時と変わらない気温は昼間とは違って夜は少しだけ寒い。でもその心地良い低温が一日働いた体を休めようとゆるゆると眠りに誘う。


 あのひとがもし、もしまた来てくれたら―――


「さ、今日も皆で頑張りましょう!」


「おーっ!」


 トットちゃんの元気な返事と共にお店を開ける。

 今日は久々にブルさんが厨房へ立ってくれていた。

 メリィさんとコボルトさんはお休みだ。

 二人のお休みの理由を知っている私は緩む口元を必死に引き締めるが、どうにも我慢ができないと視線をトットちゃんに移した。

 ぴょんぴょん元気に跳ねまわるトットちゃんを見てにこにこしているふりをする。


 彼女もメリィさんとコボルトさんがデートしていると知っていつもより跳ねているのかしら。

 ブルさんもいつになく上機嫌で表情が柔らかい。


 そりゃあ、先代から支えてきた店の娘さんと息子が良い仲だなんて嬉しくもなってしまうわね。


 そう微笑ましく二人を見ていた時、今日のお客さん第一号が来店した。

 

 カランコロン、という木の暖かい音が響いて私たちは色々な意味で一斉に笑顔を向けた。


「いらっしゃいませ!」


 そして私と私以外の従業員の表情が分かれる。

 私は笑顔に、私以外はそのまま引きつった笑顔に。


 そして、黒髪の彼は無表情のまま目を逸らし、重低音の声で小さく言う。


「…済まない。まだ開店時間ではなかっただろうか。」


 ゆっくりと背を向けようとする彼を私は慌てて引き留めた。


「いいえ、いえ!ちゃんと開店しています!今日はあなたが初めてだったものですから…」


 すみません、と付け足すと彼はようやく留まってくれた。

 とりあえず彼を奥の端の席へ案内する。ここならお客さんが入ってきても目につきにくいし、厨房ともそれなりに距離があるから静かで良い席だ。


 私はブルさんとトットちゃんと目配せをし合い、メニューを持って行きながら昨夜考えていたことをもう一度思い返す。


 もしまた来てくれたら、失礼のないようにほんの少しだけ引いた接客をしよう。


「メニューとお水です。どうぞ。」


 そっとメニューを手渡し、彼の様子を見る。

 彼はいつも悪女ソースを頼む。一従業員としてはもっとお店の良いところを知っていただきたい。そう思って私は様子を伺いつつ提案する。


「何か違うものであれば、野菜スープもおすすめですが…」


 近くで少し怖いお顔を見ると、少し顔色が悪いように見える。

 やはり仕事が忙しかったのかもしれない。


「温かいものを召し上がると、ほっとしますよ。」


 そうにこりと笑えば、彼は一瞬視線をこちらへ向けてメニューを差し出した。


「なら、それを。」


「かしこまりました。」


 私は静かな店内に慌ただしい音を立てないよう滑らかに歩く。


 淑女の心得があって良かったわ。


「ブルさん、野菜スープをお願いします。」


「はいよ。」


 黙々と調理に取り掛かってくれるブルさんはいつ見ても心強い。

 ちょっと前まで腰痛に悩まされていたとは思えない手際だ。最近は腰痛も改善してきたみたいで嬉しく思う。


 続々と来店するお客さんをさばきながら、私は笑顔を振り撒く。


「あらシェリーちゃん、今日はご機嫌ね。」


「ええ!ありがとうマルシェさん!」


 上機嫌に答える私は次々にメニューと水を配っていく。

 今日はとても良い日だ。

 メリィさんはコボルトさんとデート。

 ブルさんが久々にお店へ出てくれて、彼も久しぶりに来店してくれた。


「お待たせいたしました。」


 私が野菜スープを目の前に置くと、彼は紫の瞳を上げてか細く呟いた。


「ありがとう。」


 思わぬ言葉に私は動きを止める。


 少しだけ眉を寄せた彼が怒ったのかと息を飲むが、ゆっくり目線が下がっていく姿にまた衝撃を受ける。

 私は唇を一度だけ噛んで、緩みそうになる口元で必死に言葉を紡ぐ。


 今日は言わないと決めていた言葉を、滑らせてしまう。


「…こちらこそ、お待ちしていました。また来てくださってありがとうございます。」


 じわじわと嬉しさが込み上げてもうどんな表情をしているのか分からない。

 けれど、彼の表情もまた柔らかく見えて更に顔が熱を持つ。


「シェリーちゃん!オーダーいいかい?」


「――っええ、ただいま!」


 私はぱっと意識を切り替えるのと同時に彼に背を向ける。


 頬の熱が引かないどころか、恥ずかしさも相まって更に熱くなっている気がした。


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